表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
断片の使徒  作者: 草野 瀬津璃
スオウ国 夜宮編
263/340

 4



 修太は呆然と宙を見上げていた。

 両親は死んだのだ、いるわけがないのに、目をそらせない。


 ――アニサマ?


 足元で、アルヴィーラが怪訝そうに問いかける。

「父様、母様……」

 ササラも涙混じりの声で呟く。


 ――ササラも何を言っておるのだ? 何か見えるのか?


 アルヴィーラは不思議そうだが、修太とササラはそれぞれ見ている幻影に気をとられていて、アルヴィーラの言葉が届かない。

「父さん! 母さん!」

 修太はふらふらと崖の方へ踏み出した。

 二人の姿は、空が透けている。

 だが、幻でもいいから会いたかった。

 もう心に決着をつけたはずだが、目の前にいると思うと我慢出来ない。

 風化してボロボロになっている木の柵に手を置いて、体重をかけると、みしりと嫌な音がした。

「……え?」

 我に返った時、もろくなっていた柵がぼろりと手の下で壊れた。まるで土くれでも握っているような心もとなさに背筋が粟立った時には、修太の体は傾いていた。

「シュウタ様!」

 ササラの悲鳴が聞こえて、修太は左腕を掴まれた。ぶらりと足が放り出される。落ちていった柵は、深い谷底に吸い込まれていった。

 掴まれている腕がぎりりと痛い。顔をしかめた修太は、両親の姿が見えなくなったことに気付いた。

 まるで白昼夢でも見ていたみたいだ。

「待って下さい、今、引き上げます」

 不安定な姿勢でササラは修太に言う。だが、その瞬間、手元の地面が崩れた。

「わっ」

 がくりと目線が下がって驚くが、ササラはなんとか手を付いて持ちこたえていた。

「水神様っ」


 ――ぐぬぬぬ、何とか足を支えておるから、はよう這い上がれ!


 アルヴィーラのうめくような声がする。

「は、はいっ」

 ササラは返事をしたが、踏ん張りづらい体勢らしく、なかなか引き上げられずにいる。

 修太は呆然とササラを見上げ、彼女のいる壁際にピシリと亀裂が入るのを見つけた。

「おい、もういい! 手を離せ。あんたまで落ちる」

「そんな訳には……参りません!」

 歯を食いしばるササラの額から、汗が落ちた。

 ビシシッ

 壁の亀裂が深くなる。

 その時、風が吹き、谷底を通り抜ける。

 ウォォォンと響く音が、まるで地獄から呼ぶうめき声のようだ。

(呼んでるのか……俺を)

 先程見た両親の姿を思い出して、修太はすっと気持ちが落ち着いた。

 いつもは怖くてたまらない幽霊や霊魂について、今は何も感じない。

(本当はあの時、一緒に行きたかった)

 両親の訃報を受け取った時、修太はもう生きてはいられないと思った。

 だが啓介が……啓介の家族が引きとめたのだ。お前までいなくなるなと、頼むから下手なことを考えるなと言って。

 葬式の後、どう過ごしていたのかあまり記憶にないが、何を見ていても、どうすれば楽に死ねるかとばかり考えていたことは覚えている。

 歩道橋から下を見ていたら、啓介が泡をくってすっ飛んできて、無理矢理引っ張って階段を下りたこともあるし、気付けば家から刃物類が消えていたこともある。

 何も食べたくなくてぼうっとしていたら、最悪病院に連れて行って点滴を受けさせるぞと脅されたから、渋々食事をした時期も。

 あの時期が随分こたえたみたいで、啓介は修太の両親の葬式の話を避けるようになった。修太が思い出すと、またあの時期に逆戻りするのを恐れているらしい。

(ササラさん、必死だなあ。本当に良い人だ)

 修太はふっと笑うと、右手を伸ばして、腕を掴むササラの指に手をかけた。

「ごめん、ありがとう」

「シュウタさっ」

 修太は迷わず、ササラの指を自分の腕からはがした。



 崖下に落ちると思った瞬間、後ろ襟を掴まれて、上へと引きずり上げられた。

 乱暴に地面に放り出され、修太はげふっと息を吐く。

「おい、シューター。お前は落ちるのが好きなのか?」

 不機嫌な声が、上から聞こえた。

 恐る恐る顔を上げると、グレイが怖い表情をしていた。琥珀色の目が冴え冴えと冷たい。

「何でここに……」

 あまりの怖さにたじろいでいると、ササラが涙混じりに飛びついてきた。

「シュウタ様! あんまりでございます。どうしてわたくしの手を解こうといたしましたの? 終わりかと思いました」

「いや、だって、崖に亀裂が入ってたから……」

「だってではございません!」


 ――そうですぞ、諦めが早すぎるぞ、アニサマ


 修太の言い訳に、ササラとアルヴィーラはそろって怒る。

 しかし修太はそれよりも気になることがあり、崖の方を見る。

「さっき、そこに父さんと母さんがいたんだ」

「お前の両親か? 死んだと言ってただろ」

 グレイがそう言った時、竹藪の道から啓介達が駆け寄ってきた。

「グレイ! もう、いきなりシュウのにおいがするって走っていっちゃうんだから……。あ、本当にいた」

 啓介が驚いた顔をして、修太のもとにやって来る。

「どうしたんだ? 何かあったのか?」

「こいつが両親を見たとかで、崖から落ちかけてた」

 グレイがそう説明したところで、ササラはようやく第三者が増えているという事態を飲み込んだようだ。

「シュウタ様、お知り合いですか?」

「ああ、旅の仲間だよ。カザは死んだって言ってたけど、こうして生きてる」

「ええっ!? あれは嘘だったのでございますか?」

 ササラはのけぞり、啓介達を見回すと、ほろほろと涙を零す。

「良かったですねえ、シュウタ様。わたくし、我がことのように嬉しく存じますわ」

「う、うん……」

「ですが、先程のはいけません。わたくしは傍付き、庇われるのは心外でございます」

「いや、庇ったというか……何か呼ばれた気がして」

 修太は崖の方に目を向けた。

 またそこに在りし日の両親がいるのではないかと思えたのだ。

「……は?」

 啓介とグレイの声が重なった。追いついたフランジェスカらも怪訝そうに修太を見る。

「だから、両親に……」

 崖をぼうっと見ていると、突然啓介が修太の左肩を掴んだ。

「おい! やめろよ、そっちに行くな!」

 啓介は修太の前に膝を着いて、今度は両肩を掴み、強張った声で言う。流石に修太は啓介の方を見た。銀の目が真剣な光を帯びている。

「絶対に駄目だ、行かせないからな。おじさんとおばさんも、こいつを連れてくんじゃねえ!」

 崖の方に向け、啓介は怒りを込めて叫んだ。

「お、おい、どうしたんだ、ケイ殿……」

 フランジェスカが戸惑って声をかけるが返事をせず、啓介は修太の腕を引っ張って立たせると、崖から遠ざける。

「あれから落ち着いたから安心してたのに……とんだ落とし穴だ。後追いなんか許さないからな!」

「何で止めるんだよ。俺、本当はあの時、一緒に逝きたかったのに。見送った相手が戻らない辛さが、お前に分かるのかよ!」

 苛立ちを覚えて、修太は啓介の服の胸倉を掴む。啓介も修太の胸倉を掴み返して、怒鳴り返す。

「分かるよ! 俺にとっても、おじさんとおばさんは大事な人だったんだ。お前、更に親友まで亡くせなんてひどいことを言うつもりか!?」

「だって、そこにいるんだ。俺、やっと、会えたのに……」

 修太の目の前が歪んだ。涙が溢れて零れ落ちていく。

 郷愁と懐かしさが胸を焦がす。

「ずっと、ずっと会いたかったんだ。まさかもう会えないなんて思わなかったから、二人が出かけるっていうのに、適当な返事しかしなくて……。もっと他に何か言うことあっただろって、そういうことばっかり思い出して」

 くすぶっていた後悔が、急に押し寄せてきた。

「でも時間は経って、俺は家事とか少し上手くなったりして、それも全然嬉しくねえ。二人がいない時間が増えていって、毎日の生活で手一杯になって、ふと忘れてることに気付くんだ。まるで軽い存在になっていくみたいで、怖くなるんだよ」

「それでも、俺はシュウには生きてて欲しいんだよ! 辛くても、苦しくてもだ」

「……ひどい奴だな」

「なんとでも言え」

 本気の苛立ちが浮かんだが、啓介も負けじとにらみ返す。

 険悪な雰囲気に、ピアスがおろおろと口を出す。

「ね、ねえ、ちょっと落ち着いて」

「しっ、放っておきなよ」

 だがトリトラがピアスを止めたので、結局ピアスは口を閉ざした。

 しばらく修太と啓介はにらみあっていたが、サーシャリオンが場の空気にそぐわないのんびりした声で言った。

「あの幻影は、オルファーレン様の断片だなあ。歪んで呪いに変わっている。シューター、そなた、呪われたな」

「は……?」

「呪い……?」

 修太と啓介は、胸倉を掴みあったまま、サーシャリオンの方を向いた。

 サーシャリオンは崖の前に立って、ふんふんと宙を眺める。

「本来は、死者と再会できる祝福だったが、今は再会を餌に、死へと引きずり込む呪いだな。ほれ、見てみよ、この人形や花を。引っ張り込まれた者達の末路が分かるであろう?」

 修太は改めて崖の周辺を見た。

 最初にビビってしまった人形が、改めて不気味さを誘う。

 サーシャリオンは面白そうに笑う。

「忘れじの丘、か。言いえて妙だな。忘れないで欲しいのは、去る側の願いだ。とどまる者は覚えていてやればよい。それが死者への弔いになる」

「でも、俺は忘れそうで……」

 修太は否定しようとしたが、サーシャリオンは軽やかに笑う。

「そなたは覚えているよ。例え思い出さなくとも、記憶が薄れようとも。シューター、そなたがそうして在るだけで、親の残した欠片をまとっている。『だらしなくするな』というのは、母親の教えだったろう? 我はしょっちゅう言われて耳ダコだ」

「それは……」

 言われてみると、そんなことをよく注意していた。だがサーシャリオンが本気でだらしないからつい言ってしまうだけだ。

 啓介があっと声を上げる。

「それなら、シュウが考え事をする時に、顎に手を当てるのっておじさんの癖と同じだよな」

「え? そうなのか?」

 思いもよらぬ言葉に、修太はきょとんとする。

 サーシャリオンはにっと笑う。

「探せば他にもあるだろう。――よいな、シューター。そなたは生きておるだけで、亡くなった親御の記憶をもまた体現しておるのだ。だからそう、去った者を恋しがることはない。そなたは親御の魂と常に共にいるのだ」

「サーシャ……」

 ぼろぼろと目から涙が零れ落ちる。

 止めようとしても無駄だった。我慢して押し込めていた感情が、波のように押し寄せてくる。

 それから自然と涙が止まるまで、修太はひとしきり泣いていた。

 心の(おり)が洗い流され、悲しみが薄れるまで。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゆるーく活動中。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ