12
「シュウタ様、お帰りなさいませ。御膳のご用意が整っておりますわ」
修太が屋敷に戻ると、ササラが笑顔で出迎えてくれた。
「やった、腹がぺこぺこなんだよな。助かるよ、ササラさん。今日の晩御飯って何?」
「ええ、本日のご夕食は……」
玄関で靴を脱いで屋敷へと上がる修太を見ながら、ササラは答えようとして、ぎょっと凍りついた。
「あ、あの……シュウタ様? そちらのその、お、お蛇様は、もしや」
「あ、こいつ? アルヴィーラっていうんだ。というか、オヘビサマってなんだよ」
修太は噴き出した。そして、ちらりと肩に乗っかっているアルヴィーラを見やる。
腹が空いたから一度屋敷に戻るという修太に、アルヴィーラはくっついてきた。小さいとはいっても、一メートルはある蛇である、肩に乗っていると重い。
――私はアルヴィーラだ。次の水神である。よろしく、人間の娘。
アルヴィーラは恐々と挨拶した。
沈黙すること数秒、ササラは悲鳴を上げた。
「きゃあああ、水神様にお会いするだなんて、なんて恐れ多い! 目がつぶれてしまいますーっ」
――ぎゃああ!? 急に叫びだしたぞ、アニサマ。怖い!
「痛い痛い! お前、放りだすぞ! やめんか!」
腕をぎゅうぎゅう締め付けてくるアルヴィーラに、修太は苦情を言う。痛いと聞いて、慌ててアルヴィーラは力を緩めた。
――ああ、すまぬ。人間はかよわいから加減せよと、アネサマも申しておったのに。
ふわりと温かい感じがしたので左腕を見ると、青く光っている。
どうやら〈青〉の癒しの魔法を使ってくれたらしい。アルヴィーラは怖がりのようだが、その分、優しい気質の持ち主のようだ。
「ありがとう、平気だ。ササラさんも、そんなとこにいないで、こっちに来いよ。ああ、お腹空いた」
「そそそそんなことを申されましてもっ。ササラ、神様を見たら、目がつぶれてしまいます」
平伏して動かないササラの前に、修太は仕方なくしゃがみこむ。
「ボスモンスターを見たくらいで、目なんかつぶれるわけないだろ」
「は? ボス……モンスター?」
――そうだ、もし目がつぶれるボスモンスターがいるとしたら、〈白〉の力を持つ者ではないかな。強い光で目がつぶれるのなら、ありえない話ではない。
少し慣れたのか、アルヴィーラはぺらぺらと喋った。
そして、肩から鎌首を持ち上げて、くんくんと宙のにおいを嗅ぐ。
――なんとも香しい……。これは何の香りなのだろう。
「俺の食事だ。少しくらいなら分けてやるぞ」
――おお、ありがたき幸せ。アニサマは優しいなあ。アネサマはすぐ叱りつけてくるので恐ろしい。
もしかして、アルヴィーラのビクついているのは、人見知りではなく姉への恐怖だったんだろうかと修太はふと気付いた。ハクラヴィーラの傍を離れた途端、どこか気が緩んで伸び伸びしているように見える。あれだけ体の大きさの違う相手に、毎日ピリピリと怒られていたら、確かに委縮しそうだ。
「女のヒステリーって怖いよな」
――ひ、ひすてりい? なんぞ難しい言葉を使われるのだな。勉強になる。
修太とアルヴィーラのやりとりを聞き、ササラは恐る恐る顔を上げる。
「何やらとても俗なお話をされておいでのような……」
「アルの姉……前のボスモンスターがヒステリックで怖いんだってさ。ササラさんは口が固そうだし、ここのボスと日ノ宮の取引について話してもいいだろ?」
修太の問いに、アルヴィーラは頷く。
――私は構わぬが、口外してはならぬ。何やら人間の決まり事で、秘密を漏らすと首をはねられるそうでな。アネサマにも注意するように言われている。
「畏まりました、このササラ、生涯秘密を守る所存です!」
ササラは真面目に宣言し、その場でもう一度平伏のお辞儀をした。
「アル、この人は俺の傍付きのササラさんだ」
「ハクレン=ササラと申します」
――何と呼べばいい? 傍付きというのは、夜宮のしもべであるとか。シモベと呼べばいいのだろうか。
「構いませぬ」
「いいや、良くない! ササラでいいんじゃないか?」
ササラの返事に、修太は口を出す。
――では、ササラと呼ぼう。人間の呼び方はよく分からない、アニサマは物知りだな。
「名前を呼ぶのが礼儀って話だろう」
――シューターの方がよろしいか?
「好きにしろ」
――……私は、アニサマの方が呼びやすいから、そう呼ぶ。
少し考えて、アルヴィーラはそう返事をした。そして、早く中に入ろうと促す。
――あの香しいにおいの所に行きたい。中に入ろうぞ、アニサマ。
「俺も同じ意見。ササラさん、食事にしようぜ。朝から何も食べてないから、ほんときつい……」
水は飲めるが、それ以外は口にせず、無言の儀に挑んでいた修太は、我慢が限界に来ていた。
「畏まりました、ただちに! シュウタ様は、こちらの盆で手を洗ってからお越し下さいませ」
玄関の土間より一段高い床の上に、水の入ったたらいのようなものをが置かれてあった。横に布巾も添えてある。
修太は急いで手を洗う。
――どうして手を洗うのだ?
「手には汚れがついているから、食事の前に洗うんだ。その方が綺麗だ」
修太の返事を聞いて、アルヴィーラは頭を傾ける。
――私も洗った方がいいのだろうか。
修太は思わず笑ってしまった。
「お前のどこに手があるんだよ。気になるなら、顔だけ洗えば?」
――むっ、では、人間の流儀に沿ってそうしよう。
どうもこの白蛇、くそ真面目な性分でもあるらしい。
修太の冗談を真に受けて、水盆に頭を突っ込むアルヴィーラを、修太は呆れを込めて見た。