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ササラがカザに事情を説明するのを、修太は剣呑な目で見つめた。
護衛を任されているササラは、この失態にすっかりおびえているようだ。青ざめた顔で、それでもテキパキと説明する。
話し終えると、カザは眉を吊り上げた。
「犬? そなた、犬ごときを止められなかったのか? ――他の者達も! 夜宮様に何かあったらどうするつもりだ」
カザの怒りの声に、場がピリリとした緊張に包まれる。行列の面々はカザを直視出来ず、それぞれ地面を見つめてしまう。
カザは淡々と、輿の傍に立つサーシャリオンとグレイを見やる。
「それで、そちらの二人が首謀者か?」
「いいえ! 助けて下さった旅の方です」
「……旅の方。ふっ、なるほど」
何やらカザは合点した様子で、サーシャリオンとグレイをじろじろと眺める。
「お前達、この二人を捕縛せよ」
「えっ、しかし……」
「外つ国の者が、神聖な輿や夜宮様に触れるなど言語道断。とっとと連れていけ」
戸惑う兵士に、カザはそう言って促す。
まさか礼を言うどころか、無礼者扱いに修太はぎょっとしたが、すぐに悟った。
(これを理由にする気か)
前から修太の仲間を消そうとしていたようだから、カザにしてみれば都合の良い理由ができたも同然なのだ。
兵士は困った様子だが、カザの命令には逆らえないのか、おずおずとした足取りでサーシャリオンとグレイの方に向かう。二人はというと、予想でもしていたのか、肩をすくめて何か小声でやりとりしていた。
修太は急いで二人の前に回り込む。
兵士に駄目だと首を横に振って示すと、間に挟まれた兵士の三人はほっとした様子を見せたが、カザと修太を見比べて、ますます困惑している。
「夜宮様、お聞き分け下さい。彼らは、儀式中に穢れを持ちこんだ外国人ですよ」
その瞬間、修太は自分の頭の中で、我慢の糸が切れる音を聞いた。
「――いい加減にしろ」
修太の低い声に、カザだけでなく、周囲の皆が、えっという顔をした。
修太は冠を結んでいる紐を外すと、カザに向けて冠を放り投げた。慌てて受け止めるカザを、修太は怒りに燃える目でにらむ。
「あんたには状況が見えてないのか? ここで一番悪いのは、犬をけしかけた奴だ。怪我をした行列の皆でもないし、俺を守ろうとしてくれたササラさんでもない。ましてや、助けてくれた旅の人を穢れだと? ふざけんなよ」
修太の言葉に、場はシーンと静まり返る。
「あんたの仕事は、犬をけしかけた奴を探すことだ。場を治めようとした彼らをねぎらうことだ。そんな当たり前のことも許さねえっていうんじゃ、夜宮なんてやってられねえ。こんな役、下りてやる! 他の奴らも、それが望みなんだろ!」
修太は鏡のついた首飾りも外すと、それもカザに投げつけた。
そして動揺して、固まっているカザを放置して、ササラを振り返る。
「行くぞ、ササラさん。日ノ宮様に話してくる」
「え!? ええ!?」
うろたえて、きょろきょろ見回すだけのササラの右手を取ると、修太は遠慮なく通りを光宮殿に向けて歩き出す。
「二人もさっさと行ってくれ。ありがとう、助かった」
その前に、サーシャリオンとグレイに、修太は声をかける。
「……いいのか?」
「筋書きは変わるが、もういい。俺の我慢が限界だ」
サーシャリオンの確認の問いに、修太は頷いて、右手をひらひらと振る。そして、ササラを連れて、すたすたと歩き出した。
サーシャリオンがぶはっと噴き出して笑う声を聞きながら、修太はむすっとした顔で歩いて行く。
観衆はざわざわしていたが、やがて拍手が起こった。
「夜宮様! 夜宮様!」
「行列の方の為にお怒りになるなんて、なんてお優しい方なの!」
「夜宮様、万歳!」
「万歳ー!」
修太は眉間に皺を寄せる。
「俺はやめるって言ってるだろ!」
民衆に向けて言ってみたが、何故か湧き起る夜宮コールにかき消される。修太は溜息を吐いた。
「シュウタ様……これではカザ様の面目が丸つぶれでございます。夜宮を辞めた後に、ひどい目に遭わされてしまいますわ」
ササラが心配そうに口を出す。
「俺の心配より、あんたの心配をしろ。傍付きのことを下に見てるんだぞ、あいつら」
「私は聖殿に入りました時点で、水神様にこの身を捧げる所存でしたから大丈夫ですわ」
「俺が大丈夫じゃない」
修太はきっぱりと返した。
しばらく無言で、民衆のいる柵の間の道を歩いていたが、左手に冷たい感触がしたので顔を上げると、ササラが静かに泣いていた。
「なっ、なんで泣く!」
ぎょっと立ち止まる修太に対し、ササラはあいている左手で目元をぬぐいながら返す。
「ううっぐすっ、だって、こんなに心配して頂いたの、随分久しぶりのことで……。両親が死んで、行く所がなくなって……それで……」
「ああ、もういい、分かった! 大変だったんだろ……分かるよ。なあ、俺、ハンカチとか持ってないんだけど、どうしたらいい?」
「うううっ」
「ええ!? なんで更に泣くんだよ!」
修太には訳が分からなかったが、あんまり人の目がある所で女性を泣かせたとなると、自分が悪人のようで身の置きどころがない。
修太がおろおろしていると、柵の向こうから、女性が布巾を差し出してくれた。
「夜宮様、こちらをどうぞ」
「え? 俺は夜宮じゃないけど……ありがとう」
親切に礼を言って受け取ると、女性はきゃあきゃあとはしゃいだ声を上げた。
何がそんなに嬉しいのか理解しがたいが、修太は受け取った布巾をササラに渡す。ササラはぐずぐずと鼻をすすりながら、布巾を目元に当てる。
「とにかく、行こう。あんたのことは、日ノ宮様に頼んでみるから、泣く程心配しなくていい」
「そうじゃありません……うええ」
「おい、なんで泣くんだよ」
修太が何か言えば言う程、ササラが泣いてしまうので、修太は困惑しつつも彼女を連れて、光宮殿の門まで歩いて行く。
そこでは今日一日、門前に設けた席で修太の行動を見守る予定の日ノ宮が、赤い敷物の上に座って待っていた。
日ノ宮は苦笑して、修太達を手招く。
「そなたの武勇伝、しかと聞いたぞ」
「申し訳ないけど、日ノ宮様。俺は役を下りさせてもらうよ」
「無理だな」
日ノ宮はきっぱりと断じた。
「どうしてですか? 俺は儀式を台無しにしたんだぞ」
修太が詰め寄ると、日ノ宮は扇で優雅に周りを示す。
「文句なら周りに言うが良い」
「は……?」
修太が振り返ると、相変わらず、民衆達が夜宮を呼んで騒いでいる。
「ふっ、そなたが皆の前でとった行動は、民衆の支持を得た。カザにはとんだ迷惑だろうが、良いデモンストレーションになったようじゃのう」
「そんな馬鹿な話がありますか。冠と鏡を投げつけて、暴言を吐いてきたんですよ、俺は。『品行方正な夜宮様』には程遠いでしょうが」
丁寧な言葉遣いながら、遠慮なく発言する修太に、日ノ宮は声を上げて笑い出した。
「左様じゃな。そなたは品行方正とやらにはならなかったが、『親しみやすい夜宮』の座を得たようだ。――そなたの鎮めの能力は折り紙つきであるし、こんな事態になっては、他の候補らも引き下がるしかあるまいのう」
笑いながら、日ノ宮は立ち上がり、右手を挙げた。
騒いでいた民衆が、すっと静まり返る。
「皆に問う。こたびの騒動にて、こちらの夜宮候補は夜宮の役を下りると言うておる。だが、我はこの者に夜宮になってもらいたいと思っている。――反対の者は拍手してみよ」
朗々と響く日ノ宮の問いかけに、民衆は静けさで応える。
「……ふむ、では、賛成の者は?」
そう問うた瞬間、わっと拍手の音が響いた。
日ノ宮は修太を振り返る。銀の目がにやりと笑っていた。
「分かっただろう?」
「納得はいきませんが、分かりました。……で、俺はどうすればいいんです?」
「見れば分かるだろう、儀式を続けなさい」
「そうしたら、ササラさんをカザから守ってくれますか?」
日ノ宮はパチパチと目をしばたたく。また笑いのツボに入ったのか、扇で口元を隠して、笑い出した。
「ただの傍付きに、優しいなあ、そなた。分かった、分かった。それでそなたが納得するなら、我の力でもってその娘を守ってやる。カザから引き離す。これでよいか」
「はい! ありがとうございます、日ノ宮様」
修太がぺこりと頭を下げると、またササラが泣きだした。そして日ノ宮に平伏して礼を言う。
日ノ宮はうんうんと頷いて、苦笑をこめて民衆を見やる。
「では、彼らが騒がしいからな、儀式の続きをしてくれ。無言が崩れたが、これから儀式を最初からやり直す時間はないのでな。仕方あるまい」
「分かりました……ササラさん、戻るぞ」
修太がそう言った時、カザが行列を伴って追いかけてきた。日ノ宮は側近の兵士に声をかける。
「このままでは気まずかろう。ヤナセ、カザの代わりに、夜宮就任の儀を見届けよ」
「御意」
赤色の髪の武官は恭しく頭を垂れ、修太の前でも一度膝を突く。
「日ノ宮様の命により、護衛の任に当たらせて頂きます、ヤナセ=セキトと申します。短時間ではございますが、どうぞよろしくお願い致します」
「こちらこそ、急にすみません。よろしくお願いします。――日ノ宮様、お気遣いに感謝します。では行って参ります」
修太は日ノ宮の采配に礼を言い、ヤナセの後に従って行列に戻る。日ノ宮は悠々とした態度でそれを見送る。
途中、頭を垂れたカザにすごい目でにらまれたが、見なかったことにしておいた。