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断片の使徒  作者: 草野 瀬津璃
スオウ国 夜宮編
252/340

 7



 翌日は清々しい晴れ空が広がった。

 日が出るやすぐ、夜宮用の風呂場で禊をした修太は、ササラに黒色の衣装を着せつけられていた。

「良いお天気ですよ、よろしかったですね、シュウタ様。きっとシュウタ様の徳のたまものですわ」

 ササラがにこにことそんな風に褒めてくれるが、あいにくと禊以降は一切沈黙を保たなければいけない修太は、苦笑いを返すだけだ。

 天気を良くする程の善行なんて積んだ覚えはないのだが、ササラが上機嫌だからそれでいいかと諦めた。どうせ反論も出来ない。

 墨染めの着物の上に、透けている黒い絹で出来た羽織のようなものを纏う。金製の冠がずっしりと重く、首から、金と宝石で装飾された小さな鏡を提げられる。

 顔には薄らとおしろいのようなものをはたかれた。

「駄目ですよ、日射しがきついので、肌を守るための粉です。少しだけですからね?」

 手の甲でこすろうとする修太を止めて、ササラが言った。

 鏡で見たところ、確かにそんなに目立たない。ほっとしていると、目尻の当たりに、赤い線を描かれた。

 神社で見かけた狐面に描かれる線をなんとなく思い出した。

 これは何かと指で示すと、感の良いササラは、すぐに気付いて説明する。

「儀礼の際には、朱色の線を入れるしきたりなのです。男性も女性も、目元に線を入れて、額には魔除けの模様を描きます。女性の場合は、更に唇に朱を差します。じっとしていて下さいね」

 ササラが厳しい声で動きを止めるようので、修太はつい息も止めてしまった。額を筆がくすぐる感覚がした後、すぐにササラは言った。

「はい、大丈夫です」

 ほっと息を吐き出すと、ササラは笑った。

「まあ、息を止めてしまわれたのですか? 呼吸は普通になさってよろしいんですよ」

 ころころと楽しげに笑っているササラを見ていると、なんとなく修太も嬉しくなる。

 光宮殿に来てからカザの訪れがほとんどなくなったせいか、ササラも気が軽い様子だ。修太もあんな奴の顔を見ずに済んでとても嬉しい。

 ピカピカに磨き抜かれた丸い鏡を覗きこむと、花のような目玉のような、不可思議な模様が額に描かれているのが見えた。

 スオウ国は、服装や住まいがどことなく日本と似通っているせいか、スオウ国の正装姿の修太は、まるでここで生まれ育ったみたいにしっくり馴染んでいた。

「ご立派ですわ、シュウタ様。これから控えの間に移りますわね。大丈夫です、このササラ、お巡りの最中も、すぐ傍に控えてございますから。何か問題がございましたら、すぐに手を挙げて呼んで下さいまし。どんな些細なことでも構いませんので」

 ササラは恭しく言って、その場に膝と手をついてお辞儀をした。それからすっと立ち上がり、修太を案内しようとした時、部屋の戸がすっと開いた。

 先程、なんの気なしに思い出したせいだろうか、訪問客はカザだった。

「おお、これは見栄えなさいましたな。ご機嫌いかがですか、夜宮様」

 カザは機嫌良く挨拶した。修太は軽く会釈するだけにした。どちらにしろ、冠が重くてろくに首を動かせない。

「今日さえ終われば、安泰ですよ。どうぞご公務にお励み下さい。警備はこちらでしっかり致しますからね」

 修太は目礼すると、さっさとカザの脇を通り抜けた。

(安泰なのは“お前が”だろ! 本気で腹立つ)

 カザがササラにしっかり護衛するように声をかけるのを背中に聞きながら、修太は溜息をつくのをこらえた。


     ◆


 夜宮就任の儀を見物する為、店のほとんどが休みの札が掛けられた。

 中にはこれを好機と、飲み物や軽食を売り歩いている者もいるが、ほとんどは通りに置かれた柵の前に集まり、あぶれた者は、家の二階や屋根の上に上っている。

 修太の晴れ姿を拝もうと、柵の最前列に陣取った啓介は、傍らの少年を振り返る。

「すっごい盛況だね、ラミル君」

「ほんとだなあ、ケイ。案内人に雇われて良かったよ、こんな盛大な祭り、一生に一度あるかないかだ」

 ラミルは機嫌良く言って、イミルに笑いかける。どちらも目の色が目立たないようにフードを被っているのだが、イミルも嬉しそうにしているのは分かった。

 後ろで、フランジェスカが笑みを含んだ声で言う。

「あいつのことだ、嫌そうな顔で出てくるんじゃないか?」

「簡単に想像が出来ちゃうわよね~」

 啓介の右隣りにいるピアスは、ころころと笑う。ピアスの傍に座ったコウが、わふっと同意するように鳴いた。

 啓介も笑いながら、左の方を見た。

 ちょっとだけ離れた最前列に、サーシャリオンやグレイ、トリトラとシークがいる。外国人があんまり固まると悪目立ちするので、少し距離を置いていた。

「ここを通過するのはいつだっけ?」

「午前中なのは確かだよ。まず、光宮殿を出て、王都の大通りの東の方を回って、中央大路を通ってから、西の通りを回って、また大通りを通過してから、カムナビの宮に入るって話だ」

 一日がかりのお祭りだ。

 啓介達がいるのは、中央大路の南門よりだから、午前中に一回と、午後に一回通ることになる。

 夜宮の乗る輿はすでに早朝に出発しており、東通りから中央大路に向かっているところだ。

 耳には、太鼓のようなドーンという音が聞こえてきた。

「そろそろかな?」

「ええ……あ、来たわ!」

 ピアスの声と同時に、中央大路にいる人々がわっと声を上げて拍手をした。

 夜宮の行列が、太鼓を叩く男を先頭にして、ゆっくり曲がり、中央大路に入ってきた。

 夜御子も行列の一員になっているようで、灰色の着物の者以外は、黒い着物の人々で埋められている。あの中にいるのは所属聖殿の夜御子という話だから、南の聖殿の人達だろう。

 そしてようやく夜宮の輿が見えた。黒い衣装に、金の冠と鏡を首から提げた修太は、遠目から見ても立派だった。

「わあ、すごいなあ」

「シューター君、カッコイイ!」

 ピアスがきゃあきゃあ騒いで、同意を求めてフランジェスカを振り返る。

「ああ、確かに似合っているな。あいつも似合う服装があったのだな」

 憎まれ口を叩いてはいるが、フランジェスカも頷いた。

「というか、あいつ、普段からじじくさいからか、ああいう格好をしてると貫録が出るな。流石だ」

「あははは、確かに」

 褒めているのか疑わしいが、思い切り笑ってしまった。修太が聞いたら怒りそうだが、修太はいつも物静かで落ち着いているし、昔から洋服より和装の方が似合っていたので、今回の衣装がしっくりきているのも分かる。

「この暑さで、屋根のない輿だなんて大変ね。シューター君、大丈夫かしら」

 はしゃいでいたピアスだが、今度は心配そうな様子になった。

 彼女の心配も当然だ。熱い日射しが降り注ぎ、むしっとした空気が漂っている。人込みの中にいる啓介達も暑いのだが、あちらは黒い服を着て屋根の無い輿にじっと座っているのだ。風は通るだろうが、暑いだろう。

「それくらいは周りの者が気遣うだろう。――しかしあいつ、もう少し笑うくらいしないのか? にこりともしないぞ」

 フランジェスカがさっくりと結論を出し、近付いてきた修太を見て駄目出しをした。

「たまに手を振ってるだけで充分じゃないか? あいつ、ああいうの嫌いだし……逃げないだけ立派だよ」

 啓介は修太を見上げて、手を振ってみた。

 少しして気付いた修太は一瞬だけしかめ面をしたが、啓介が負けじとにこにこして手を振っていると、根負けしたのか、ちょっとだけ笑みを浮かべて軽く手を振った。

 「分かったよ、仕方ないなあ」という修太の心の声が、なんとなく聞こえた啓介である。

 すると、啓介の周辺の人達がわっと歓声を上げた。

「こちらに向けて笑って下さったわ!」

「手を振ってくれましたよ」

「すごい! 嬉しい!」

「夜宮様ー!!」

 彼らの喜びようはすごいもので、その声の大きさに、行列の面々が少し驚いたくらいだった。彼らの歩みが少し鈍り、前の列が止まったので、輿を担ぐ人がちょっとだけよろめいた。修太が輿の上で、椅子の取っ手にしがみついたのを見て、見物客は心配そうな声を漏らした。

 だがすぐに持ち直し、また行列が進みだす。

 しかしそこで突然、見物客の隙間から、茶色い毛の犬が一匹、行列の中へと飛び出した。



     ◆



 犬の様子は明らかにおかしかった。

 興奮して猛然と駆け出し、行列の一人に噛みついた。

 その相手は女だったようで、甲高い悲鳴が上がる。

 護衛がすぐに犬を取り押さえようと槍の先を向けたが、その刃先をかいくぐって、今度は輿を担ぐ四人の男のうちの一人に噛みついた。

 担ぎ手の男は意外なことに悲鳴も上げなかった。歯を食いしばって足の痛みに耐えているようだが、犬の勢いの方が上で、否応なく揺さぶられている。

 輿がぐらぐらと揺れていた。

「この……不届きもの!」

 白銀の髪の女が怒った様子で、暴れる犬に飛びついた。ほっそりした見た目と違って腕力があるのか、犬の首を掴んで、力付くで男から犬を引きずり離す。

 そこが限界だったらしい、男は足を引っ張られるようにしてよろめいた。その動きにつられたのか、他の担ぎ手もよろめいて輿が傾いた。

「グレイ、シューターを頼む。我は輿を支える。――あとの二人はケイらをここから引き離せ」

 サーシャリオンは少しの迷いもなく指示を飛ばした。



     ◆



 ササラは修太を守るべく、怪我した男に代わって輿を支えようとしたけれど、傾きかけて重心がついた輿は、女の手には余った。

 ササラは重い輿の下敷きになるのを覚悟して目を閉じた。

 だが、どういうわけか、それ以上、輿は倒れてこなかった。

「え……!?」

 恐る恐る目を開けて、ササラは驚いた。びっくりしているのは、ササラだけでなかった。輿の勢いに弾き飛ばされ、尻もちをついた格好で、担ぎ手の男達も呆然とそれを見ている。

 非力なはずのダークエルフの青年が、軽々と右手一本で、輿を支えて持っていた。

「シュウタ様!」

 その椅子に主の姿が無いのを見つけて、ササラは慌てて地面を探す。

 黒狼族の男が修太を地面に下ろしたところだった。どうやら落ちてきたところを受け止めてくれたらしい。

 安堵で涙目になったササラは、修太の傍に膝を着いた。

「だ、大丈夫ですか? シュウタ様。ああ、わたくしがついていながら、大変申し訳ありません!」

「それより、後ろ!」

「あ!?」

 慌てていて、暴れ犬のことを忘れていた。

 修太がササラを庇おうとしたが、何故か犬は手前で止まった。ササラは背筋がゾクリとして、嫌な気配の方を見た。

 ダークエルフの青年が、仄暗い目で犬を見ている。ただそれだけなのだが、犬は尾を股に巻き込んで、その場でキュウンと鳴いた。その場でぶるぶると震えだした犬には、先程の激しい空気は消えていた。

 すぐに他の護衛が犬に縄をかけて捕まえた。

(何かしら、この、逆らってはまずい、危険な感じは)

 ササラはなんとなく、修太をさっと引き寄せた。警戒をこめて青年をにらむが、当の修太はあっさりとササラの手から抜け出して、それぞれにぺこりと頭を下げた。

 するとダークエルフの青年は、人好きのする笑みをにっこり浮かべて、輿をひょいと地面に下ろす。

 修太がちらりとササラを振り返る。

 何か言いたげな黒い目の意味するところに、ササラはすぐに感づいた。修太はさっきは思わず声が出たのだろうが、儀式を思い出して無言に戻ったんだろう。

 ササラは先程感じた違和感を引っ込めると、急いで恩人達に礼を言った。

「ありがとうございます、旅の方。無言の儀をされていらっしゃいます夜宮様に代わりまして、お礼申し上げます」

 ササラの言葉とともに、修太がぺこりともう一回、頭を下げた。

 それからササラを置いて、怪我人の方に行ってしまう。

「ちょっ、シュウタ様!?」

 ササラは慌てて追いかける。

 修太は担ぎ手の男達の様子を見て、一人、足を怪我してうずくまっている男の前にしゃがみこんだ。

 口パクで「大丈夫?」と問うのを、担ぎ手の男が驚いたように見返す。

 修太は首を傾げて、ひらひらと男の前で手を振ったが、男は固まっていて反応が無い。修太が心配そうにササラを振り返るので、ササラが代弁する。

「夜宮様は、大丈夫かとお尋ねです」

 そこでハッと我に返った男は、大きく頷いた。

「は、はい! 大丈夫です!」

 男はそう言ったが、足からは血が流れていて、噛み痕がくっきりついている。とても大丈夫には見えない。

 そこへすぐに付き人の中にいた治療師(ヒーラー)がやって来た。青い衣を着た彼女は、治療箱を抱えて傍にしゃがむ。

「ご無事ですか?」

「夜宮様は大丈夫です、旅の方が助けて下さいました。それよりもこちらの方の治療を……」

 ササラの言葉を、修太が手で遮った。

 口パクで話すのをササラは読み取って、治療師に伝える。

「犬の口は汚いから、綺麗に洗い流して、酒で消毒してから魔法を使ってくれ、だそうですわ」

「畏まりました」

 治療師は不思議そうにしたものの、素直に頷いた。使いを出して酒を買うように指示を出す。

 使いが戻るのを待つ間、治療師が水の魔法で傷口を丁寧に洗い流していると、群衆をかき分けるようにして、カザが兵士を連れてやって来た。

「何事ですか?」

「カザ様」

 これはとんだ大失態である。

 ササラは処罰を覚悟して、カザがやって来るのを見つめた。


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