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「見つからないな、シュウとフランさん」
グインジエの街をサーシャリオンとともに歩き回りながら、啓介は途方に暮れていた。
どこかの宿にはいるだろうと、通行人に尋ねて宿を一軒一軒回るのだが、知らないという返事ばかりだった。
「こうもにおいが凄まじくなければ、我がにおいで追うのだが……」
街に入るなり路地裏に消え、口布付きのマント姿に変わって戻ってきた青年姿のサーシャリオンは、眉間に深い皺を刻んでいる。
モンスターだけあって嗅覚が鋭いらしく、甘ったるい香水と香辛料のにおいが混ざり合ったこの町の空気は最悪だという。啓介にとっても胸焼けするにおいなので、サーシャリオンにはもっと酷いのだろう。
街に着いた日は修太達を見つけることができず、仕方なしに一泊し、今日も朝から修太達を探して歩き回っている。とはいえ、一時間もすると暑さで疲れてしまい、屋台で買った果実水を片手に木陰で休んでいるところだ。
啓介はちらりと指にはまっている旅人の指輪を見る。
旅人の指輪の中にある、コインの詰まった袋や宝石の詰まった箱だけでも、働かなくても十分生活出来る金になるようだ。最初は物価と金の価値との等比がいまいち分からず苦労したものの、宿の受付や屋台の商人の反応からだんだん掴めてきた。一泊が一人分で朝と夕食付き350エナだった。食費が50エナほどらしい。このジュースは一杯が10エナだ。たぶん物価は安い方だろう。
前にフランジェスカが話していた一年の給与から、一ヶ月がだいたい3万エナとして、(一年が十二カ月なら、だが)、3万エナが30万円という計算をしてみると、10エナが100円に換算される。つまり、宿代は3500円。安い。安すぎる。それで経営は大丈夫なのか。
しかも部屋自体は普通のレベルらしく、綺麗に掃除されていて居心地は良かった。
「デュオ~、デュオ~、愛しきデュオサーク~。あなたは、いずこに。我が愛しき人よ」
可愛らしい声が、微妙に音のずれた歌を歌っている。
木陰でジュースを飲みながら、そちらを見ると、七歳くらいの女の子が友達らしき女の子二人の前で歌っている。女の子達は笑い合い、歌を合唱する。
「私は、あなたを、ここで待ち続けるわ~」
流行りなんだろうか。それにしてはませた歌詞である。
だが、旋律は綺麗だ。
「愛の歌ってやつかな。綺麗だな」
「人待ちの歌だろう。デュオサークとやらは罪深い奴だ」
感慨深げにうなるサーシャリオン。
「兄さん達、知らないのかい。ありゃあ人待ちの歌じゃなくて、セイレーンの呪い歌だ」
果実水の屋台売りの店主が、口を挟む。
「セイレーンの呪い歌?」
啓介はエルフ達に聞いた話を思い出し、これがそうなのかと目を瞬いた。
「そうそう。海にいると、ときどき潮風に乗って聞こえてくる歌でな。その歌を聞き取ったのが、あの子らが歌ってる歌だ」
「いつから聞こえるんですか? それに、誰が歌ってるんですか? どこで聞こえるんです?」
目を輝かせて質問攻めにすると、店主はややたじろいだ様子を見せつつ、答える。
「さあてねえ、俺らの爺さんの爺さんの頃にはもう聞こえてたみたいだが、誰が歌ってるかなんて知らねえよ。それに、どこでって、海だよ海。浜辺でもいいぜ? この辺りだけじゃなくて、他の海辺の街でもときどき聞こえるって話だ」
「うわあ、なんて不思議なんだ! めちゃくちゃ聞きたい!」
「はっはっは、そうかい。だけどなあ、いつも聞こえるわけじゃねえからな、待つしかねえだろうよ」
店主は苦笑している。
啓介は少しだけがっかりしつつ、また噂話を思い出して問う。
「そういや、小耳に挟んだんですが。この国には幽霊船が出るっていう噂があるらしいですけど、本当なんですか?」
「らしいねえ。俺は見たことねえが、船乗りがたまに騒いでる。霧を引き連れて通り過ぎていく、今にも沈没しそうな船なんだと。そいつが通る前にはモンスターが暴れだすってんで、船乗り達にとっちゃ禍ことらしい。これ以上は思い出せねえな、もう一杯買ってくれたらもしかすると思い出すかもしれねえが……」
啓介は躊躇うことなくジュースのお代わりを買い、更に話を催促する。店主はにやつきながら代金を受け取り、柑橘類のジュースを啓介の手にした木の器に足す。
「ああ、今、思い出した。前にな、その船を沈めようとした連中がいたらしくてな。斧や火の魔法で襲ったらしいが、壊れた場所から元に戻って歯がたたなかったらしい。それから」
髭面の店主は、にやあと極悪顔を作り、声をひそめる。
「その船にゃ、白い人影が立ってたんだと。幽霊だよ、幽霊。怖いだろう」
店主は怖がらせたかったのだろうが、啓介には逆効果だった。ぱあああと表情を輝かせる。
「幽霊! 見たい!!」
「………え」
「どこに行ったら会えるんですか? 教えて下さいっ!」
「……兄ちゃん、変わってるねえ」
肩透かしをくらって残念そうにしつつ、呆れた声を出す店主。もう一杯買えと催促してくるので、啓介はサーシャリオンの空になった器にお代わりを頼んだ。店主はにやっと笑って言った。
「冒険者ギルドで依頼を出して、船を雇うんだな。まあ、その金があれば、だけど」
「のう、ケイよ。我が思うに、その幽霊船とやらはオルファーレン様の断片なのではないか?」
浮き浮きと通りを歩く啓介に、サーシャリオンは問いかける。
機嫌の良い啓介が笑顔を振りまいているせいで、通りすぎざまに次々に女性が振り返って、うっとりした熱い眼差しを注いでいるのだが、啓介はさっぱり気付いていない。それにサーシャリオンがやや呆れたように目を細める。
「へ?」
修太達に再会したら、屋台の主人の言葉に従って海に繰り出そうと計画して、一人浮かれていた啓介は、サーシャリオンの言葉にそうかもしれないと思った。
「確かに不思議現象だな!」
「元はそんな妙な現象は起きなかったのだがな、年月が経つにつれ断片が姿を変えたのだろう」
「サーシャ、断片ってそもそも何でばらまいたんだ? 五百年前の異変に関係してるのは知ってるんだが」
サーシャリオンは暑そうに服の胸元を手でパタパタと引っ張りながら、そのままだと答える。
「エレイスガイアのあちこちに毒素溜まりが出来て、それを解決する為に、オルファーレン様はモンスターを大量に生み出された。だが、そのままにしていては、地に住まう者達が、やがて闇堕ちするだろうモンスターにより死に絶えるのは目に見えていた。だから、統率する者がいなくてはならなかった。断片の一部は、統率する存在に力を貸す力となったり、統率者そのものとなった」
サーシャリオンの凛とした声での呟きに、啓介は真剣に耳を傾ける。
「また、地に住まう者達の心が穏やかになれば、生み出される毒素も減る。だから、彼らに恩恵を与えるような物を、断片をばらまくことであちこちに植え付けたのだ」
「なるほど……。じゃあサーシャの冷たい火は?」
「あれは、五百年前の災厄よりも遥か昔に頂いた賜り物だ。今回の件とは関係がない」
サーシャリオンは何でも無いことのように言い、少し声のトーンを下げる。
「そこまでしても、綻びは小さくなるどころか広がってしまったわけだがな。本当に、人間というのは仕方の無い生き物だよ」
――オルファーレン様にとっては愛し子であるから、余計に厄介だ。
仕方がない方だとクスクスと笑うサーシャリオンの不可思議な色の目には、オルファーレンへの慈愛が浮かんでいる。
啓介はそれを少し意外な気持ちで眺めた。てっきりクラ森のオデイルみたいに人間嫌いなのかと思えば、そうではないらしい。例えモンスターだと言っても、必ずしも人間嫌いではないのか。
「説明ありがと、だいたい分かったよ。……にしても、幽霊船かあ。セイレーンの呪い歌といい、なんて面白そうなんだ」
「ふふっ、そうだな。我も面白そうに思う。その前にシューターとフランジェスカを探さねばなるまいが」
「そうしたいんだけど、手掛かりがゼロじゃな。探しようがないよ」
頬をかき、途方に暮れて空を仰ぐ。
砂っぽい街の空は、やはり砂色らしい。砂塵のせいか、青空がくすんで見える。そして同時にきつい太陽光線に眉を寄せた。
ここは知らない場所だし、人も多い。そんな所でどこにいるか分からない人間を探し当てるのは奇跡に近いと思う。せめて二人が何か派手な行動を起こしてくれればいいけれど、二人とも騒動を嫌いそうだからそれはないだろう。
啓介が息を吐いて顔を前に戻すと、サーシャリオンが通りの一部をじっと見つめているのに気付いた。
「サーシャ? どうかしたのか?」
「いや何、兵士達がやけに慌てた様子だからどうしたのかと思うてな」
言われてみれば確かに、白い軍服を身に着けた男達がどたどたと走って行く。そして途中で他の兵士に会うと何事か口早に言い、また走っていった。
無意識に立ち止まっていたら、近くにいた果物売りのおばさんが声をかけてきた。
「アストラテがモンスターの群れに襲われてるらしいんだよ、お兄ちゃん達」
肥満体型で、ヘソの出る形の赤い半袖のシャツと裾のたっぷりした白いズボンを着ていて、結った黒髪を覆うように白いベールをつけていた。衣装は美しいが、迫力がある。
「アストラテ……?」
「ここから西に行った所にある港街さね。オーガーの群れに襲われてるとかで、津波が起きて街の海側は全壊。おおかた、幽霊船が出る前触れだろうって船乗り達は噂して、海に出るのをひかえてる」
「へえ……」
「もしアストラテに向かうんなら、事がおさまるまで、やめておきよ」
果物売りのおばさんはそう言うと、豪快ににっかりと笑った。
「で、親切に教えてやったんだから、もちろん買っていくよねえ?」
聞きたくて聞いたわけではないが、そう問うてくる果物売りのおばさんに、啓介はやや呆れた。
ここの人達の商魂はたくましすぎると思った。
結局、オレンジに似た果実を買うことになった。それも十個も。まあ、全部で30エナという格安だったから、情報量にしては安いと思うけれど。
「幽霊船がアストラテに現れるのか……」
啓介は興味を惹かれて呟く。
「どうする、ケイ。シューター達を見つけるのが難しいなら、いっそそちらに行ってしまうのもありだぞ? もしかしたら、あの二人も来るやもしれぬし」
そうだ。サーシャリオンの言う通り、その確率は高い。
何て言ったって、啓介達は神の断片を集める為に、奇異なる現象を追いかけているのだから。
啓介はにっと口端を引き上げて笑う。
「よし、そうしよう! もしかしたらかなり待たせることになるかもしれないけど、断片を集めたって言ったらきっと許してくれるよな? シュウは幽霊嫌いだし」
口にしてみたら、いよいよその考えが素晴らしい気がしてきた。
啓介は決断が速い。そして決めたらすぐに行動する。
「うむ、ではとっととこの凄まじいにおいの街を離れよう。我の鼻が曲がらぬうちにな」
啓介は、綺麗な面立ちのダークエルフを見上げ、にっと笑う。
「ははっ、サーシャは鼻が曲がってもきっと格好良いんだろうな」
「冗談抜かせ。どんな造作の顔だ、それは」
すると軽く頭を小突かれてしまった。