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深夜。
すっかりくたびれて熟睡していた修太だが、サーシャリオンに起こされた。
「どうだ、調子は?」
「うん……。サーシャが起こさなかったら最高だった」
寝入りこんでいたところだったので、修太は眠い目をこすりながら思わず皮肉を零した。
「それは悪かったな」
修太のいる布団の脇に胡坐をかいて座ったサーシャリオンは肩をすくめ、小声で呆れたように言った。修太もそろりと上半身を起こす。
サーシャリオンはすねたように言う。
「せっかく心配して来てやったのに、ひどい奴だ」
「今日は一日、魔力を感知する能力を鍛えるので疲れたんだよ。朝から夜までやってたけど、さっぱり分からん。教師には恐るべき鈍感だとか、ここまで感知能力が低いのは初めてだとか褒められた」
思い出してむすっとして言うと、サーシャリオンは納得というように頷いた。
「機嫌が悪いのはそれもあるのか。よう頑張った。そなたは肩に力が入りすぎるきらいがある、次があるならもう少しリラックスして挑むことだな。なに、大丈夫だ」
不出来な子どもを慰めるみたいに言って、サーシャリオンは修太の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「子ども扱いすんな! ……ったく。そうだ、そっちは大丈夫か?」
「というのは?」
「俺が仲間の所に帰るって騒いだら、前にいた所の聖殿の長が死体を持ってこようかって脅してきてさ。お前らに何かあると困るから、渋々あいつに従ってるんだ」
夜闇でよく見えないが、サーシャリオンがむっとしたのはなんとなく分かった。
「ここが嫌か?」
「嫌だけど……良い人もいるんだ。なあ、断片はどうだ?」
「まだ、変な噂を見つけたところだな。見つけてはおらぬ」
「そっか……。サーシャ、このままだと、三日後に俺は夜宮としてカムナビの宮に移されることになる。この国の水神は蛇のモンスターらしい」
サーシャリオンは頷いた。
「そうであろうと思った。強い〈黒〉を送り込ませることで闇堕ちしないようにしながら、能力で水を操って水害を治めておるのだろう」
「うん、俺もそんな気がしてる」
人間と共存しているモンスターがいることに驚きだが、お互い平和的だから良いことなのかもしれない。
「そういえば、シューター」
ふと思い出した様子で、サーシャリオンが修太の名を呼んだ。無言で続きを促すと、サーシャリオンは言った。
「そなた、何か妙な嘘でもついたのか? グレイが父親と間違われて襲撃されていたぞ」
「うぐっ」
咳き込みそうになったが、修太は耐えた。
頬を指でかいて、首を傾げる。
「い、いやあ、悪い悪い。子どもが旅についていくなら、家族が傍にいるのが当然かと思ってさ、つい、父親がいるって言ったんだよな。ほら、なんか知らねえけど、グレイはよく俺の父親に間違われるし……誤魔化しきれるかなって。それで同情して、ここから出してくれたらもうけものだと思って」
自分のとっさの嘘が、グレイに迷惑をかけていたと知り、修太は冷や汗をかいて、しどろもどろになった。
「……怒ってる?」
「いや」
「……じゃあ、激怒? 俺、戻ったらヤバそうな感じ?」
「見たところ、特に怒ってはいなかったぞ。我がからかったら怒ったが、代わりにいちゃもんをつけてくる役人を、我が言葉で煙に巻いてやっておる」
「おおお、ありがとう、サーシャ! その調子でどうにかしてくれ。――それと、グレイに俺が謝ってたと伝えておいてくれ」
サーシャリオンの腕をパタパタ叩いて褒める修太に、サーシャリオンは怪訝そうに問う。
「なんだ、戻らんのか? そんなに嫌なら、もう体調も良さそうだし、影の道を通らせてやろうと思っていたが」
「ああ……今はちょっとな。良い人はいると言っただろ? 俺が逃げ出したら、もしかするとその人が困るかもしれない。長に俺のことで反対意見を出したら、罰で殴られたんだ」
サーシャリオンがふんと鼻を鳴らし、修太の額を指先で軽く押した。
「このお人好しめ。その長とやら、随分卑怯な手を使う。良い人間を傍に置いて、うかつに逃げようと思わぬようにするとはの」
面白く無さそうに呟くサーシャリオンに、修太は苦笑を返す。
「サーシャ、俺だってムカつくけどさ。どういうわけか俺は夜宮に選ばれちまったから、穏便にここを出て行けるように、水神とやらを説得してみるよ」
「どういうことだ?」
「尊敬している神様の口から、俺を自由にしろって命令されたら、ここの国の人は従うと思うだろ?」
「……ふむ。それもそうだな。そのモンスターに、我が命じても良いしな」
サーシャリオンは納得したようだった。
「では、くれぐれも無茶をするなよ。誰か来たから、我は行く」
「ああ」
修太が返事をした時、サーシャリオンの姿が下へと沈んだ。
月明かりでぼんやりと薄暗い室内に、それよりも暗い闇の泉が現われた。サーシャリオンの体がそこへ沈んでしまうと、黒い波紋が立ち、泉は消えた。
その直後、サーシャリオンの言う通り、廊下の床がきしむ音がして、足音が近づいてきた。部屋の前で、まるで様子を伺うように誰かが立ち止まる。
修太が布団に座ったままじっとしていると、また戻っていった。
(警備か? それとも見張りか? ったく、嫌になるぜ……)
監視されていると思うと窮屈だ。
修太は溜息を吐くと、寝直すことにした。幸い、眠気はすぐにやってきた。
*
サーシャリオンが宿の部屋に戻ると、まだ起きていた啓介達がわっとサーシャリオンの傍に寄ってきた。
「お帰り! シュウの様子、どうだった?」
「うむ。とりあえずだ、グレイ。シューターが謝っていた」
「どういうこと?」
床に敷かれていた布団にサーシャリオンが座ると、啓介とコウはその傍に座った。トリトラとシークも気になるようで、近くの床に座る。グレイは窓辺で煙草を吸いながら、視線だけサーシャリオンに向けた。
サーシャリオンが修太から聞いた話を教えると、啓介は納得して頷いた。
「なるほどね。同情心に訴えようとしたのか」
「でも駄目だったんだな。まあ、親に会いたい程度で出してくれるんなら、夜御子になんてしないよね」
トリトラはそう言った後、よく分からないという表情になった。
「そもそも、親に会いたいって言って、同情したくなるものなの? よく分かんない感覚だなあ」
「人間はそういうものだよ。それが子どもの言うことなら特に」
苦笑混じりに、啓介はそう口添えた。シークが不思議そうに問う。
「ふーん。じゃあ、冷たい連中ってことか?」
「優しかったら、会うくらいはさせてくれたんじゃないかなあ。まあ、分からないけど」
首を横に振り、啓介は窓の方を向く。
「グレイは怒ってるの?」
「いいや。何がどうしてそんな話になってるんだか疑問だったが、あいつが言うなら考えあってのことだと思っていたからな」
それっきり、外に目をやって、煙草をくゆらせている。
「我には怒ったくせに」
「お前がからかうからだ」
サーシャリオンには、即座にグレイは言い返した。サーシャリオンは怖い怖いとうそぶいて、肩をすくめる。
「シューターの方はそんな具合だ。我らはどうする?」
「とりあえず、近いから狐火を先に見てくるよ。光都からすぐみたいだからね。それでいったん戻ってくる」
啓介がすぐさま予定を話すと、トリトラが手を挙げる。
「じゃあ、僕とシークは忘れじの丘とやらを見物してくるよ。この宿で集合にしよう」
「なんでわざわざ戻ってくるんだよ。一度に見てくりゃあいいじゃないか」
シークが口を出すと、トリトラが答える。
「夜宮に新しく就任するんだ、何かトラブルが起きるかもしれないだろ? そういうことだよね」
「そうだよ。念の為だよ。グレイとサーシャはここで待機してて欲しいんだ」
啓介の頼みに、サーシャリオンとグレイは声を揃えた。
「「何故だ」」
息が合ったことが嫌だったのか、グレイが分かりやすく眉間に皺を刻む。
「シュウの所に行けるのは、今のところサーシャだけだし、グレイが一緒だと俺達も巻き添えくらいそうだから」
「仲間の死体を持ってくるという話なら、俺だけでは済まないんじゃないか?」
「どうかな。最低限で済ませようと思うなら、家族だけで十分だ。もし狙う気があるなら、俺達もとっくに襲撃されてる」
啓介の答えに、グレイは舌打ちした。
「で? こいつとずっと一緒にいろってか?」
「グレイが都の外に出る方が大変だよ。軍隊でもけしかけられたら大事だろ。二日だけ我慢してくれ」
きっぱりと言う啓介を見て、サーシャリオンは噴き出した。
「はっはっは、これはいい。ケイ、随分はっきりした物言いだな」
「分かりやすく言ってるだけだよ。――サーシャ、サボらないでくれよ? グレイの件は真面目に頼む」
銀の目でまっすぐ見つめてくる啓介に、サーシャリオンは首を傾げる。
「そう心配せずとも、その男は立派な大人だ」
「ここでグレイに何かあったら、絶対にシュウは後で悩む。サーシャには怒らないだろうけど、自分を責めると思うんだ。サーシャはシュウに落ち込んで欲しいの?」
「分かった分かった。可愛いそなたらを悲しませる真似はせぬ。オルファーレン様に誓う。これで良いか?」
啓介の善良な眼差しというのに、サーシャリオンは弱い。白旗を上げて、真剣に返した。
「まったく、我はこんなに手助けしておるのに、何故そう信用が低いのだ?」
「だってサーシャ、オルファーレンちゃんと俺と修太のこと以外、興味ないだろ」
「そうさのう。それに我はモンスターの魂の行き来を見守る者だ。魂は循環すると知っておる。人間達とて滅びてもまた蘇るのだ、執着する必要はない」
正直に返すと、啓介は「はあああ」と重たい溜息を吐いた。頭が痛そうに、額に指先を押し当てる。
「そういうところが心配なんだよ。ときどき常識がぶっ飛んでるんだもんなあ」
悩ましげにうなる啓介に、グレイが慰めるように言った。
「安心しろ。俺とて場数は踏んでる。そうそうやられたりはせん」
「うん……」
啓介の申し訳なさそうな様子に、サーシャリオンはうろんな目を向けた。