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「いやあ、驚くべき鈍感。これ程まで魔力感知能力が低い方には、初めてお目にかかりましたぞ!」
ヤトはうなるように言った。
日が沈み、月が昇り始めた頃になってようやく授業が終わった。
「悪かったな、鈍感で……」
あんまりな言いように、修太はやさぐれた気分になった。水に浸けっぱなしだった両手はすっかりふやけていて、変な感覚だ。疲れもあって機嫌が悪い。
修太のぼやきなど気にした様子もなく、ヤトは嘆かわしげに首を横に振る。
「これは仕方ありませんなあ。魔力の調整はここまでにして、明日は秘儀を教えましょう。夜宮としては、こちらの方が大事ですからな」
「分かりました。礼儀作法というのはいつ?」
「明日の午前中です。私は午後に参りますので」
ヤトは予定を教えると、床に額づいてお辞儀をして部屋を出て行った。
修太は疲れでぐったりとうなだれる。
「お夕食のご用意が出来てございます。配膳いたしますね。どうか精をつけて下さいませ」
「ありがとー、ササラさん」
ササラがささっと膳の用意をするのを眺め、修太は溜息を吐く。
三日でどうにかするなんて、どう考えても無謀だ。
◆
「ただいまー! あ、ラミル君。聞いてくれよ、今日はすごい楽しかったんだ」
啓介は宿に戻ってくるなり、満面の笑みで言った。
廊下にいたラミルに声をかけると、イミルがささっとラミルの後ろに隠れた。どうもイミルは引っ込み思案のようで、啓介達と話すことはほとんどない。
「怪談話の蒐集家のところに行ってたんだよな? どんな人だった?」
ラミルはイミルを気遣いつつも、気になった様子でそう訊いた。
「うん、普通の好々爺なお爺さんって感じの人でね。コギ=ユウラクさんっていうんだけど、元は偉い役人さんだったそうだよ。怪談話が昔から好きで、集めて本にして纏めてるんだってさ。結構有名な作家さんらしい」
「作家かあ」
感心した様子で頷くラミル。
「本屋でも売ってるんだって。特に今の暑い時期には人気で……」
「それで、良い話は見つかったのか?」
「いくつかね。だいたいは堀や井戸に飛び込んだ人の幽霊とか、墓場に鬼火が出るとかなんだけど……。ここから北に行った所にある丘にある崖が、自殺の名所らしくてね。変な噂という点では、結構信憑性がありそう」
平然と話す啓介の横を、宿の従業員がうろんな目で見て通り過ぎていく。
「ラミル……」
視線を気にして、イミルがラミルの服の袖を引っ張った。
「ケイ、こんな場所でそんな話をするのもなんだ。部屋に行こうぜ。先に行っててくれ、イミルを送ってくる」
「分かった」
ラミルはイミルとともに自分達の部屋へ向かう。
啓介がピアスとフランジェスカを振り返ると、二人ともうんざりという顔をしていた。気のせいか、コウもうなだれている気がする。
「そんなに疲れたの?」
「朝から晩まで、訳の分からん怪談話なんぞ聞いていて、疲れぬわけがあるまい?」
フランジェスカが眉を寄せて問う。ピアスは青ざめた顔で、両手で腕を抱えるようにして震える。
「流石に怖かったわあ。降霊の秘儀を使ってないのに、霊が傍までたくさん集まってるのが分かったもの。あれ以上は危険だわ。ケイはなんで平気なの?」
「幽霊がたくさん来てたの? 全然分からなかった!」
「……見えないし感じないから平気なのね」
啓介の返事を聞いて、ピアスはすぐに理解したようだった。
「フランジェスカさんはどうなの?」
「何やら背筋がゾクゾクはしていたが、あれは霊だったのだな。どちらかというと、話を聞くのに疲れた」
フランジェスカも何か感じ取っていたらしい。
「いいなあ、二人とも。俺、そういうの全然分からないんだよなあ。つまんないなあ」
「分からないのに、幽霊が好きなの?」
「分からないから、知りたいんじゃないか」
「なるほどねえ」
ピアスは苦笑したものの、啓介のことをなんとなく理解してくれたようだ。
後で食堂で落ち合う約束をして、啓介とコウは男部屋の方に戻った。
「ただいま、皆」
黒狼族の三人と、サーシャリオンが啓介を振り返る。
グレイが不機嫌そうなのが気になったが、そこにラミルが顔を出した。
「お邪魔するよ。それで? さっきの話、自殺の名所がどうして気になったんだ?」
「……なんの話?」
不可解だという目を向けるトリトラに、啓介は今日の成果を簡単に報告した。
座布団に座り、啓介は気になった怪談話を披露する。
「忘れじの丘っていうのがあってね。そこに行くと、死んだ人と会えるんだってさ」
「……自殺の名所だから、死んだ後にあの世で会うって話? それって、どこで死んでも会えるじゃないか」
トリトラの指摘はもっともだ。
啓介はちちちっと人差し指を振る。
「違うよ。そこに行くと、死んだ人……それが幽霊なのかよく分からないけど、とにかく会えるんだって。それで、その人に近付こうとして、崖から落ちて死んでしまうそうだよ」
「それのどこが祝福なんだ?」
グレイが口を挟んだ。
「祝福が転じて呪いに変わってるって、サフィさんが言ってただろ? あと……気になるのは、西に行った所にある渡し場の狐火かなあ。だいたいだけど、場所が決まってるんだよ。他の噂は、たまたま出た幽霊とか、昔の問題になぞらえてた話が多かったけどね」
行ってみないと分からないけれどと啓介は纏めた。
「トリトラ達はどう?」
トリトラは首を横に振り、シークは指を軽く挙げる。
「変な噂でもねえけどよ、おっちゃん達の話だと、最近、水神が怒ってるらしいぜ。水害が増えたって」
「水害……?」
ラミルはいぶかしげに問う。シークは頷いた。
「そっ。元々、この辺は周りの山から流れ込む水のせいで、洪水が多い土地だったらしい。でも水神のお陰で、水害が減って人が住めるようになったんだってさ。こないだの雨で、橋が流れたってんで、何かあったんじゃないかって住人達が心配してる」
「そうなのか……」
どうやらこの国の中心には、水神がいるようだ。
ごろ寝していたサーシャリオンが、くつりと笑った。
「なるほどのう。だいたいカラクリが読めてきた。――今宵は出かけてこようかの」
そう呟くと、パンと手を叩く。
「さて、話は終わりだ。我は腹が空いた。今すぐ食事を所望する!」
サーシャリオンの意見に、啓介達も立ち上がる。
確かに空腹だ。