第三十三話 夜の子守り歌 1
翌日から、修太は夜宮としての教育を受けることになった。
ありがたいことに、教育係につけられたのは〈黒〉の老人だった。カザだったら嫌だなと思っていたが、彼は南の一の聖殿の長として忙しいようで、修太につきっきりとはいかないらしい。
長い顎髭が印象的な老人は、黒い服に身を包み、座布団の上で正座して一礼する。
「お初にお目にかかります、私は光宮殿にて夜御子の教育係を勤めております、キガワ=ヤトと申します」
「塚原修太です、よろしくお願いします」
相手が老人だったことで、修太の態度は柔らかくなった。
丁寧に挨拶を返す修太を、ヤトは意外そうに見る。
「カザ様より、負けん気が強い方だとお伺いしておりましたが……」
「俺が嫌いなのはカザ……様です。あなたは関係ない」
「事情は存じておりますが、日ノ宮様の決定を私には覆せませぬ。ご気分優れぬかとは思いますが、どうか我慢して下さいませ」
「……ヤトさん、俺が夜宮というのになったら、あの人の顔を見ないで済みますか?」
修太の問いに、ヤトは大きく頷いた。
「ええ、夜宮様はカムナビの宮に傍付きとお住まいになります。後見とはいえ、カムナビにはカザ様は入れませぬ。あの方に会いたくないのでしたら、あちらの宮にお移りになる方がよろしいでしょうな」
それを聞いて、修太はやる気が出てきた。
「そうか、それは良い楽しみが出来た。傍付きは、ササラさんを連れてっていいんですか?」
「ええ、もちろんです」
「よし! 俺、頑張ります。よろしくお願いします!」
修太はヤトにしっかりと頭を下げた。
ここに留まる以上、ストレスを感じる要素は出来るだけ省きたい。
「ほっほっほ、こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。私が担当いたしますのは、〈黒〉の能力の使い方についてです。儀式での礼儀作法は、日ノ宮様が自らご教示なさいます」
「儀式……?」
修太はきょとんとした。
ヤトは説明を続ける。
「夜宮就任の儀でございます。水神様への礼儀でございますから。夜、姉月が満月になります三日後の予定です。急ぎを要することなので、びしばし対応しますこと、先にお詫び申し上げます」
「三日? 三日で何が出来るんだ?」
愕然とする修太に、ヤトは気の毒そうな目を向ける。
「どうか恨み言はカザ様にお願い致します」
「……分かった」
修太はしっかり頷いた。
あのカザという男、どこまでも修太を馬鹿にしている。ますます嫌いになった。
「しかし、ヤトさんはそんなことを言っていいんですか?」
「事実でございますれば」
しれっと涼しい顔で答えるヤトを見て、なんとなく修太は気付いた。ヤトもカザが嫌いなんだろうなあ、と。
「それでは、さっそく参りましょうか。まずは楽に座って下さい」
びしばし対応すると言う宣言通り、ヤトは雑談を切り上げて授業に入った。
修太は座布団の上にあぐらをかいて座る。
「シュウタ様は、〈黒〉の力を使いすぎて、お倒れになったとか。魔力調節が苦手な方だとお見受けいたします。――まず、魔力を練って頂きましょう」
さっそく修太は挙手した。
「すみません、俺、魔力がどんなものかいまいちよく分からないんです」
「なんと! 分からずにあのような神業を?」
「ええと、落ち着かせようと思えばできるんです。発動条件は瞬きです」
「瞬き……なるほど。それは危機に見舞われて自然に使うという感じでしょうか?」
「そう、そんな感じ」
修太はこくこくと頷いた。
「ふむ……なるほど。魔法を使うのは問題ないわけですな。――ササラ、盆に水を入れて持ってきておくれ」
「畏まりました」
部屋の隅に控えていたササラが、お辞儀をしてから部屋を出て行く。すぐに黒塗りの盆に水を入れて持ってきた。
「私どものような〈黒〉は、常に体の表面から魔力を放出しております。よくご覧くだされ」
ヤトは盆の水に手を鎮めた。修太がじっと観察していると、水面に近い手首辺りから、外に向けてうっすらと波が起こる様子が見えた。
「これが魔力?」
「そうでございます。魔力の放出を全て止めることは出来ませんが、少なくすることは出来ます。さあ、あなたも手を入れてごらんなさい」
「はい」
ヤトが手を引き抜いたので、修太は続いて水に手を浸した。
静かにじっと見ていると、ヤトよりも僅かに大きな波が立った。びっくりして、目を丸くする。
「風呂に入ってても気付かなかった! これが魔力なんですか?」
本当に体から出ているのかと驚く修太に、ヤトはにこやかに頷く。
「魔力は目には見えませぬが、慣れれば感じ取ることが出来るようになります。――しかし、その量を常に出しているとなると、体に負担がかかるでしょう?」
「ええ。魔力混合水でどうにかやってるんです。俺、〈魔力欠乏症〉なので」
「そうでしょうな。魔力を感じ取るのが苦手な方に多い病気です。完全に治すことは出来ませんが、調整を覚えれば、負担を減らすことは出来ます。頑張りましょう」
「本当ですか? やった!」
頑張れば少しはマシになると聞いて、修太は心から喜んだ。それさえどうにかすれば、お荷物な状態を脱出出来そうだ。
「ではそのまま、魔力を放出して、波を大きくしたり小さくしたりしてみましょう」
「は……?」
ヤトの言っている言葉は分かるが、修太は訳が分からなかった。
「どうやってするんです?」
「感覚的なものですからなあ。念じるのはどうですか?」
「念じる……?」
修太は波が大きくなるようにイメージしながら、波よ立てと心の中で呪文みたいに唱えてみた。
だが、うんともすんともいわない。
首をひねる修太に、ヤトは笑顔で言った。
「続けてみましょう。大丈夫、手がふやけても、次は左手がございますれば」
「……は、はは。頑張ります」
この人、鬼教師だ。
修太はヤトの本性をなんとなく嗅ぎ取って、引きつった笑いを浮かべた。