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すっかり夜が更けて、家々の明かりが消えていく頃、グレイは飲み屋から出てきた。
ここは光都の一画、酒場が集まる界隈だ。
(大した情報は集まらなかったな……)
奇妙な噂はないかと問うと、何故か知らないが怪談ばかり集まった。
どうやらスオウの民は、セーセレティーの民とは違った方向で迷信深いらしい。
(隠居した爺さんが、趣味で怪談話を集めているらしいから、明日、ケイを連れてってみるか)
グレイは興味を持てない話だが、啓介なら目を輝かせて聞くだろうと踏み、そんな予定を立てる。
「やれやれ……」
まさか自分が、変な噂を聞いて回るようなことがあるとは。修太達と旅する前の自分が聞いたら、鼻で笑いそうだ。
暗い夜道を、明かりも持たずにグレイは迷いなく歩き出す。夜目がきくグレイには、星明かりだけで十分だ。そしてしばらくした頃、グレイはふと足を止めた。
「……おい、俺に何か用か?」
通りにはグレイしかいなかったが、グレイの鼻は複数の人間のにおいを捉えていた。
沈黙の後、ばらばらと通りに覆面の男達が現われた。全部で八人。手に槍や刀を持っている。
(この国には初めて来たんだがな……どこかでしくじったか?)
物騒な彼らの様子に、グレイは左肩にかけていたハルバートに右手を添える。
考えてみたが、命を狙われるような真似はしていない。怪談話を探していて殺されるなんて、どう考えてもありえない。
「ツカハラ=シュウタという名を知っているな?」
男が一人、質問した。
「…………」
グレイは答えず、その男をじっと見る。
「知っているようだな。お前がこの名前の主の父親か?」
思いもよらない問いかけだ。困惑が態度に出たようで、男は不審そうに周りと話す。
「おい、他の面子に、十三くらいの子どもの親になりそうな者がいたのか?」
「いえ……いるとしたら、ダークエルフが一人です。しかし人間嫌いのダークエルフが、人間の親になりますかね」
「そうですよ。あんな軽そうな輩です、間違いなく独身かと。黒狼族が親というのも疑わしいですが……」
彼らの話を聞いて、グレイは噴き出しそうになった。
(確かに、サーシャは親には見えんな)
遊び人といった風情だから、そう見える方が変だ。
判断に困ったらしき男は、改めてグレイに質問する。
「お前が、ツカハラ=シュウタの父親か?」
「……そうだとしたら、あいつに会わせてくれるのか?」
グレイは慎重に問い返す。
どういう話になっているのか分からないが、情報を引きだす良いチャンスだ。グレイは話に合わせてみた。何故か知らないが、修太はグレイの子どもとよく間違われるし、フリでも通じるかもしれない。
だが、彼らは武器を構えた。
「それは出来ない。長がお前の死体をお望みだ! やれ!」
号令とともに、彼らは襲いかかってきた。
「ちっ、使えねえな」
グレイは舌打ちし、ハルバートを構えた。ガキン! と鉄の鳴る音が夜闇に響く。
「――な、何っ!?」
「止めただと!」
五人の刃を、ハルバートの柄で受け止めたグレイに、彼らは驚きの声を漏らす。
「もう少し会話出来るかと思ったのに、全然じゃねえか――よっ!」
力を込めて、勢いよく押し返す。大の男が五人、弾き飛ばされた。そのまま近くの民家の壁や水甕に激突する。
「わあ!」
悲鳴が上がる中、二人が両側から同時に斬りかかってきた。
グレイは冷静に動き、一人の腹にハルバートの柄の先を叩きつけ、もう一人は武器を避けて腕を掴み、地面に叩きつける。
あっけなく地に伏した彼らを、グレイは琥珀色の目でゆっくりと見やる。
「おいおい、もう少しマシなのはいなかったのか?」
皮肉を込めて、残った一人の方を見る。あっという間に七人が倒れ、リーダーらしき男は動揺した様子だ。
「黒狼……戦闘狂の化け物め!」
「別に俺は狂っちゃいない。で? なんで殺そうとしたんだ? お前ら、シューターに何か妙な真似でもしたか?」
「まさか、夜宮様の後継になろうという方だぞ。尊敬こそ捧げ、害などなさぬ!」
「嘘つくんじゃねえよ。約束を破って、そのまま連れていきやがって。人さらいどもめ」
グレイが目を細めてにらむと、男は気圧されたように唾を飲んだ。しかしすぐに言い返す。
「なんのことだか分からぬが、貴様のような不良のもとに、夜御子様を置いてはおけぬ! ここで果てるがいい!」
「そうかい、何も知らん下っ端か。それならもう用は無い。ここでお別れとしよう」
「ふざけ……っ」
反論の途中で、男は声を止めた。グレイが目の前に立っていて、刀を持つ両手を、右手で押さえているのに気付いたせいだ。ぎょっと目を見開く男に、グレイは思い切り頭突きをした。
「ぐあっ」
声を上げて無様に引っくり返る様子を一瞥すると、グレイは悪態をつく。
「不良な化け物で悪かったな」
少しムカついたので、わざわざ痛いように頭突きにしたのだ。すっきりした。
「く、くそう!」
倒れた男達が起きあがろうとしているのに気付き、グレイはポーチから催涙玉を取り出して放り投げた。
背後で、さっきよりも阿鼻叫喚な悲鳴が上がるのを聞きながら、グレイはすぐにその場を離れた。
◆
「それで、全員、のしてきちゃったの?」
グレイの報告を聞いて、啓介は呆れ顔になった。
「襲いかかってきたのはあっちだ」
グレイはしれっと返し、水を入れたたらいに布を浸して絞り、その布でさっと汗を拭いていく。サーシャはひいひい笑いながら、布団の上を転げ回る。
「不良で怒るなんぞ、そなた。鏡で顔を見てから申せ!」
「ダークエルフの旦那、火に油を勢いよく注がないでよ!」
トリトラが迷惑そうに苦情を言うのに、シークも無言で頷く。啓介も軽くサーシャをにらんでから、面白くなって笑いを零す。
「またシュウのお父さんと間違われたんだね。なんでだろう? 見た目はそんなに似てないのにな」
「年齢で判断したんじゃないの? でも、僕は、シューターと師匠は雰囲気がそっくりだと思うよ。無愛想な感じなんて最高だよね」
トリトラが笑顔で言うのに、啓介は問う。
「それって褒めてるの?」
「そうだよ。黒狼族の男は、無愛想な方が格好いいんだ。シューターが僕らの仲間に受け入れられやすいのは、その辺もあると思うよ」
「うーん、よく分からない感覚だ」
啓介はうなる。何やら独特の美的感覚が彼らにはあるらしい。
「なあ、なんで奴らは親の死体なんか欲しがってるんだ? あのチビをあんな要塞みたいな所に連れられてったせいで、こっちは歯が立たなくて困ってるってのに。奴らだって、俺らに手出し出来ないって分かってるはずじゃね?」
あぐらをかいた姿勢で体を傾けながら、シークが不思議そうに問う。
「お前達なら、どういう時に親の死体を欲しがる?」
むくりと起き上がり、サーシャは少し真面目な顔で質問した。シークは天井を仰ぐ。
「うーん、親の死体なんか別に欲しくないけどな。戦士なら、生きてる時に勝たないと意味がない」
「誰もそなたの親が欲しいなんぞ言っておらぬわ。そなたが、さらってきた子どもの親の死体を欲しがる場合だ」
トリトラが挙手する。
「この場合でしょ? 子どもの親になりたいから、邪魔な本物を殺す、かな」
「それでは、死体を望む理由にはならないのではないか」
「……だよね。他には、子どもに言う事を聞かせたい場合だけど。でも、ダークエルフの旦那。それなら死体よりも、生きてる方が都合が良いはずだよ。親に無事に過ごして欲しかったら大人しくしろって言うと思わない?」
分からないなあと呟くトリトラ。
「親に生きてられちゃまずい理由でもあるんだろ」
グレイがぼそりと指摘した。
啓介はハッと気付く。
「もしかして、周りにはシュウの親は死んだって言ってるのかな? 身寄りがないから引き取ったことにしてるのかも」
「シューターは夜宮の後継ってことになってるようだから、その線が濃厚だな」
グレイのなにげない言葉に、啓介とトリトラがその場に崩れ落ちる。
「やっぱりか~っ」
「そんなことになりそうな気がしてたんだよ、僕も!」
頭を抱える啓介とトリトラに、シークがきょとんと尋く。
「夜宮って、夜御子のトップだったよな。なんであいつがそんなのの後継者になったんだ?」
「襲ってきた奴らが言っていただけだから、理由は知らんが……。それだけあいつの〈黒〉としての能力が高い証拠なんだろう。〈黒〉を欲しがってるスオウの民にとっちゃあ、喉から手が出る程欲しい人材ってことだ」
グレイが推測を口にすると、シークは「なるほど」と頷いた。
「朗報だな。ならば、少なくともシューターは手荒に扱われることはあるまい。我らは気兼ねなく断片探しにいそしめるわけだ」
話を纏めるサーシャリオンを、グレイはにらむ。
「おい、どこが朗報だ。少なくとも父親と勘違いされてる俺は、うかつに動けなくなった」
「狙われておるのがそなたで良かった。その辺の兵士で、そなたに勝てる者はまずいまい」
「罪をでっちあげられたら、俺にもどうしようもないが?」
「紫のランクの冒険者を、気軽に捕えられるのか? ギルド法という冊子には、冒険者ギルドで手順を踏まなければ無理だと書いてあったぞ」
「サーシャ、お前、心底ムカつく」
さらりと知恵を返されて、グレイは悪態を返す。だがサーシャリオンは、そよ風でも吹いたかのような態度で相手にせず、にやにや笑うだけである。
グレイの凍えるような眼差しに、啓介は怯えた。本気で怖い。
「お、落ち着こう、グレイ。俺達でも出来るだけサポートするから……」
「いや、お前は明日、ここに行って話を聞いてこい。俺はこいつに責任持って世話してもらうからな」
グレイはポーチから取り出した紙片を啓介に放り投げた。サーシャリオンは迷惑そうな顔で言う。
「どうして我が、そなたの世話なんぞせねばならんのだ?」
「覚えてるんだろ、ギルド法。奴らが俺を罪人扱いしてきたら、お前が煙に巻け。言い負かすのは得意だろ? ――それなら、宿でごろ寝していても文句は言わん」
「なんだ、それは良い提案だな。では用がある時は我を呼ぶがいい。こんな暑い土地で、日中に動き回るなんて溶けて死んでしまうからのう」
サーシャリオンは嬉しそうに笑い、また布団に寝転がった。グレイは不愉快そうに舌打ちしたが、交渉に成功したからか、それ以上怒らない。
啓介はほっとして、紙片を読む。
「コギ=ユウラクさんの家がどうしたの?」
「その隠居の爺さんは、趣味で怪談話を蒐集しているらしい」
「そうなのか! 喜んで俺が聞いてくるよ。わあ、面白そう! ピアスとフランさんも誘わなきゃな」
心配一転、啓介は機嫌良く言って、隣の女子部屋の方を見た。