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そして、次に修太が起きると、一週間が経っていた。
「は? はああ? はあああああ?」
修太は混乱して頭を抱えた。
「申し訳ありません……」
見覚えの無い板の間と、松の木が植えられた庭園を見比べる修太に、詳細を説明して、ササラは正座の姿勢でうなだれた。修太はそれどころではない。奇声を上げながら、周囲の様子を探るのに必死だ。
「い、一週間? 一日の間違いじゃなくて?」
「一週間でございます」
「いやいや、流石にそれは気付くはずだろ。腹も減るだろうし!」
そう返しながら、修太は腹を手で押さえた。空腹ではあるが、耐えられないレベルではない。ぐっすり眠って、朝起きたらお腹が空いたと感じる程度の違和感だ。
「こちらに冬眠香というものがございまして……」
ササラは床に這いつくばるように平伏して、そっと陶器製の香炉を修太の方に押し出した。修太は手に取って中を見たが、底に燃えカスが残っているだけだ。結局、ササラを見た。
「とうみんこう? 何それ」
「香を焚いている間だけ、対象者を仮死状態にする薬にございます。厳重に注意して使いましたが、手足のしびれなどございませんでしょうか」
ぶるぶる震えながら、ササラは青ざめた顔で聞いた。
その彼女の左頬が赤黒くなっているのに気付いて、修太はまじまじとササラの顔を見つめた。
「ササラさん、何だよその顔!」
「はっ、みっともない不細工な顔をお見せしまして、大変申し訳なく……。直ちに面を取って参ります」
「いやいや、ちょっと待って!」
慌てて下がろうとするササラの袖を、修太は急いで掴まえた。つんのめって転びかけたササラは、困ったように眉尻を下げて修太を振り返る。
「そういう意味じゃないよ。何でそんな怪我をしてるんだ。前はなかったよな」
「訓練の折に、ぶつけてしまったのです」
「ぶつけた感じじゃないだろ。どう見ても殴られたような痕だ。冷やした方がいいんじゃないか? せっかく美人なのに痕が残ったら勿体ないだろ」
修太は辺りを見回して、自分の額に載っていた濡れ布巾が布団に転がっているのを見つけて取り上げると、すぐさまササラの頬に押し付ける。
「ほら、押さえて。塗り薬とかねえの?」
「薬!? いけません、もったいないです」
「はあ? こういう時に使わないで、いつ使うんだよ」
修太がそう返すと、何故かササラは困り切った顔をして、話題を逸らした。
「そ、それよりもシュウタ様、手足にしびれはございませんか?」
「俺? いや、特にないけど……。前より調子が良いくらいだ。仮死だっけ? それになってる間に風邪が治ったのかな」
「左様でございますか」
ササラはほっと胸を撫で下ろす仕草をした。そして、きっと眦を吊り上げる。
「ひとまずお休み下さいませ! お膳をお持ちいたしますから、お食事なさって、お薬も飲まれて……」
「ササラさんがそれを手当てしたらな」
「シュウタ様……」
ササラはさっきみたいに困り切った顔をした。諦めたようにその場に正座をすると、修太に向き直って答える。
「これはわたくしへの罰なので、手当てしてはいけないんです」
「罰って何の?」
「それは……」
ササラは言いよどみ、目を逸らす。
「長に逆らった罰だよ」
その時、すぱんと勢いよく戸が開き、青年が一人入ってきた。大仰に飾られた白い着物を着た青年は、二十代半ばくらいの年齢に見えた。初めて会う相手だが、金製の冠を被っているので、偉い立場だろうと推測できた。
「その娘は、冬眠香まで使いたくないと反発したわけだ」
「まで、というのはどういう意味ですか」
修太は落ち着き払った態度で青年を見た。彼の服装は立派だが、油断ならない相手のような感じがする。鮮やかな赤色の髪と銀色の目だからだけでなく、外見の良さでも人の目を惹くだろう。冬の朝の澄んだ空気を思わせる、涼やかな雰囲気をしていた。
青年が誰か分かるや、ササラは慌てた様子で横へにじり下がって、平伏した。やはり身分が高い人間のようである。
青年は遠慮なしに修太のいる布団の横に腰を下ろすと、愉快そうに笑みをにじませて暴露した。
「気付いてなかったか? ずっと具合が悪かったろう。そなたは一服盛られておったわけだ」
意外な言葉に、修太はきょとんとなる。
「そんなはずは……」
否定しようとして、出来なかった。あの訳の分からない体調不良のことを思い出したせいだ。
ついで思い浮かんだのは、訪ねてきたサーシャリオンが、不可解そうににおいを嗅いでいたことである。
(あれってもしかして、毒に気付いてたのか?)
修太は無言でじっとササラを見る。彼女はひれ伏したまま、「申し訳ありません」と繰り返し呟いている。
修太の頭に、いけすかないカザの顔が浮かび、衝動的にササラに問う。
「ササラさん、あのカザって奴の命令か? あんたを殴ったのもあいつ?」
「……申し訳ありません」
ササラは謝っただけだったが、そうだと答えたも同然だった。
修太はがしがしと頭を掻くと、はあと大きく息を吐く。
「何かよく分からねえけど、ササラさんは良い人だ。どうせ命令されて断れなかったとかそういうところだろ? 謝罪は受け入れるから、もういい。それよりその怪我、手当てしてきてよ」
「……申し訳、ありません」
ササラは額を更にぐぐっと床に押し付けて、涙のにじんだ声で謝った。修太は対応に困って、頭を掻くしかない。
「ははは、変わった子どもだなあ。怒らぬのか?」
青年が面白そうに問う。修太は茶化されるのを鬱陶しく思いながら返す。
「怒ってるだろ、あのカザって奴に」
「まあ、そうだな。――娘、手当てしてまいれ。私はこの者とゆっくり話したいのでな」
「……畏まりました。日ノ宮様、シュウタ様、御前失礼致します」
ササラは挨拶をして、静かに部屋を出て行った。
彼女が立ち去ると、室内に束の間、静寂が落ちた。修太は油断なく青年を観察し、思い浮かんだ質問をする。
「お兄さんは、ヒノミヤという名前なのか?」
「日ノ宮は、称号だ。他国でいう国王と同じような立場だな」
「王様?」
突拍子もない答えだ。修太は青年を上から下まで眺めてみる。冷静そうな雰囲気は、修太には偉い身分というより、神社の神主に近い印象があり、しっくりこない。
「本当? 嘘ついてるんじゃないだろうな」
「真実だが……仮に嘘だとして、それが分かったところでどうする。旅人であるそなたには、いや、私と会ったことのない下位の民には本物かなど区別が付かないだろう。それに、そなたがここにいる時点でどうしようもない」
「それもそうだな……。じゃあ、質問を変える。何でそんな偉い人が、旅人の子どもの部屋になんかにいるんだ?」
修太の問いかけに、日ノ宮はうんうんと呑気に頷いて、のんびりと答える。
「そうさのう、そなたが水神様への生贄に選ばれたから、かな」
「……は?」
修太は面食らって、目を丸くした。