3
――おかしい。
修太は不安に駆られていた。
いつもなら、少しは体力が回復している頃合いだというのに、ちっとも気分が良くならない。
微熱で頭がぼんやりしていて、何もする気になれない程だ。体がだるい。
(こっそり魔力混合水を飲んでるんだけどな……)
修太はササラに見つからないよう、こっそり飲んでいた。
状況が分からない以上、手の内を見せるべきではない。それぐらいの機転が回る程度には、ハプニングに慣れてきた。
魔力が少ないせいで体調が悪いのだと思っていたが、もしかして風邪でも拾ったのだろうか。
修太は寝たり起きたりを繰り返し、深夜、揺さぶられて起きた。
目を開けると、ダークエルフの青年姿をしたサーシャリオンが覗きこんでいた。
夜闇で見るとびっくりする。思わず叫びかけたが、サーシャリオンに口を手で塞がれたので騒ぎにはならずに済んだ。
「お前……びっくりするだろ!」
修太は小声で抗議した。
「だが」
「しーっ」
サーシャリオンが普通の声でしゃべりだそうとするのを、修太はすぐに止めた。口元に指を立て、隣の部屋を示す。
「傍付きとかいう、なんだろ、世話係みたいな人が隣にいるんだ。なあ、ここはどこなんだ? これ、どういう状況?」
聞きたいことを全て口にしたところで、興奮しすぎて酸欠になったのか、額が重い感じがして、自然と修太は右手を頭に当ててうつむいた。
サーシャリオンがさっと肩に手を添える。ささやくような声で訊く。
「おい、大丈夫か。なんだ、思ったより具合が悪いな」
「大丈夫なんだけど……なんかだるいし、熱っぽいんだよな。それにちょっと胸がムカムカする」
「風邪だろうか。うーむ、我にはよく分からぬなあ。……ん?」
くんくんとにおいを嗅ぐサーシャリオンの様子に、修太はちょっと引いた。
「え、くさい? ここに来てから拭くくらいで、風呂に入ってないもんな……」
病人特有のにおいが自分からしているような気がして、気になり始めたところだ。
「いや、そうではなく……。薬草か?」
「魔力吸収補助薬をもらってるから、それかな」
「そうか、気のせいかな」
「何?」
ぼそりと呟くサーシャリオンの横顔はけげんなものだったが、修太の問いに、サーシャリオンは首を横に振る。
「いや、何でもない。ひとまず様子を見れて安堵した。迎えにきたら引き渡すという約束を、あちらが違えてな。我が連れ出してやってもよいが、その様子ではもう少し休んだ方がよかろう。ちなみに何か嫌な真似をされておるか?」
「いや、俺は上げ膳据え膳で寝てるだけだよ。具合悪いから、まだ傍付きのササラさんにしか会ったことない。なあ、だからどういう状況……」
問い詰めようとする修太の手に、サーシャリオンは便箋を差し出した。
「ケイからだ。お前達にしか分からぬ文字で概要が書いてある。折を見て読むといい。――すまぬが、我は行くよ。また来る」
「あ、おいっ」
呼び止めるも、サーシャリオンは先程修太がしたみたいに、口元に指先を立てて静かにするように指示し、そのまま足元の影へと沈んだ。サーシャリオンが消えた瞬間、床に黒い波紋が立ち、そのまま消える。
「お呼びになりましたか?」
そこで戸が開いてササラが顔を出した。修太はさっと布団の中に便箋を押し込んで、何でもない顔をしてそちらを振り向く。
「あ、すみません。喉が渇いたなって思って……」
水差しは枕元に置いてある。それを取ろうとすると、ササラが優しく制して、代わりに湯呑についでくれた。
「何かありましたら、いつでもお呼び下さいませ」
ササラはすっと頭を垂れると、現われた時と同じように静かに去った。
彼女が立ち去ると、ほっとした。修太の心臓は早鐘を打っているようだ。ササラは足音を立てないので、急に現われるからびっくりする。
(あの気配を絶って、いつの間にか傍にいる感じ、グレイ達みたいだな……)
ササラはかよわそうな雰囲気でいて、実は手練れなのかもしれない。
翌日の昼間、修太はササラの目を盗んで、啓介からの手紙を読んだ。
修太がここに来るまでの経緯と、啓介達の行動について読んで溜息を吐く。
ここの人達はどういう理由か知らないが、約束を破って、修太を聖殿から出さないつもりのようだ。
(いや、理由なんて俺が〈黒〉だからってことで充分だけどさ。でも、腹立つな。聖殿にいるだけで役に立つなら、俺の意志なんか関係ないってことかよ)
頭では冷静に判断できるが、面白くない。
ひとまず大人しくしておいて、夜中、ササラが寝静まった頃を見計らって部屋を抜け出した。
(暗いな……)
明かりが無いだけで、こんなに物が良く見えないとは。
修太は足音を立てないように気を付けて、廊下をそろりと進んだ。なんとなくこちらが出口ではないかと思う方に進む。
構造が分からず、適当に進むと、明かりが漏れる部屋を見つけた。
ギターに似た弦楽器の音と、歌が聞こえてくる。
(こんな時間に何してるんだ?)
不審に思いつつ、明かりを避けて、廊下に戻る。一度戻って、分岐点を反対方向に行こうと決めた時、突然、扉が開いた。
「――おや」
赤い髪と黒い目をした三十代程の男が、目を丸くした。ガラス玉のついた額飾りをつけ、黒衣を身に纏っている。
「夜中に部屋を出るなんて、規則違反だよ」
さしもの修太も、不意打ちで見つかったせいで顔をひきつらせて固まっていると、後ろから小さな足音がした。
「シュウタ様! 見つけましたよ。勝手にお部屋を出られてはびっくりしますわ。厠でしたらお呼び頂ければ……こ、これは長様。大変失礼いたしました」
静かに出てきたのに、ササラは気付いて追いかけてきたらしい。慌てていたが、修太の前に立つ男を認めて、廊下に正座して頭を下げる。
「ササラか。ということは、君は新入りだね。迷子?」
「うん……」
まさか逃げようとしていたなんて言えない。修太はここぞとばかりに子どもらしい、物の分からぬ態度をとった。
世間知らずの馬鹿な子どもを演じていた方が、相手も油断するだろう。
「トイレに行きたくなったけど、いつもこの人を呼ぶのは悪いだろ。寝てるのを邪魔したくなくて……」
男はやんわり笑い、幼子に言い聞かせるように告げる。
「気にしなくていい。傍付きは好きにコキ使っていいんだよ。我慢するより、頼る方がこの者達は喜ぶ。なあ、ササラ」
「まことその通りにございます。気を遣わせてしまい、大変申し訳なく……」
床に手をついたまま、ササラが怯えたように震えた。
もしかして彼女に何か罰がいくのだろうかと、修太はふと気が付いた。別に彼女が憎いわけではない。自分の浅い考えに内心で舌打ちし、鈍感めいた仕草をする。
「寒いの? すみません、えーと、オサさん? 女の人は体を冷やしたらいけないって、父さんが言ってたから、もう戻っていいかな」
自分のあどけない喋り方に、心の中でゾッとする。善良だが鈍感な態度というのは、啓介という良い見本を見てきたから、すぐに真似出来た。
「ああ、いいとも。ササラ、厠に連れていっておやり」
「畏まりました、長様」
男は一つ頷いて、修太と視線を合わせる。
「私はこの聖殿の長、カザという。次からはカザ様と呼びなさい。名を呼ぶことを許可する」
「はい。あの、カザ様」
「何かな?」
鷹揚な態度をとっているが、一瞬、カザの態度に苛立ちが紛れているように見えた。気付かない振りをして、修太は当然聞くだろうことを問う。
「船に、俺の父さんと仲間が一緒に乗ってたんだけど……知りませんか? 無事なのかな」
「無事って?」
「たくさんのモンスターが襲ってきたから、頑張って鎮めようとしたんだけど……どうなったのか覚えてなくて」
しおらしい態度で修太が問うと、カザはハッと胸をつかれたような顔をした。そして、悲しげに眉尻を下げる。
「いずれ知るだろうから教えるけど……君の知り合いは皆亡くなったよ」