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スオウ国の港に着いても、啓介達はまだ船を降りなかった。
魔法を全力で使ったせいで、いつかのように修太が寝込んでしまったのだ。熱が出ていて、ずっとうなされている。
啓介は傍について看病していたが、そこへグレイが顔を出した。
「ケイ、どうだ、そいつの具合は」
啓介は首を横に振る。
「すぐには動けそうにないよ。目も覚まさないし……」
「アストラテの時も、一度寝込んだら二日は寝てたからな。だが、船の中にいるより、陸の医者かヒーラーに診せた方が良いんじゃないか? お世辞にもゆっくり休める環境とは思えん」
グレイの言う通り、船内は空気がこもって暑い。小さな窓を開けたところで、あまり意味は無い。病人を蒸し風呂に放り込んでいるようなものだ。
「そうだね。船を降りて、ひとまず宿を探そうか」
「ああ。――だそうだぞ」
グレイは廊下の方を振り返った。心配顔をしているピアスやトリトラが隙間から部屋の中を覗き込んで、ほっとした様子で肩を落とす。その後ろからフランジェスカが言う。
「二人とも、大袈裟だぞ。こいつがぶっ倒れるのはこれで何度目だ? いつものことだろうが」
「もう、フランジェスカさんてば! カラーズにとって魔力が減るのがどれだけ怖いことか分からないわけないでしょ? あたしみたいなハーフはそんなに影響はないけど、カラーズは違うのよ。魔力が減りすぎてショック死する人もいるんだからね!」
ピアスが涙目で食って掛かると、フランジェスカは明らかに弱った顔をして後ろへ下がった。
「落ち着け、ピアス殿。私が悪かった。ったく、仕方ないな……」
大きな溜息を吐いたフランジェスカは、グレイを押しのけるようにして部屋へと入る。そして修太の傍に膝を着くと、右手で修太の額に触れた。指先を曲げるような仕草をすると、その手が光る。
「何してるの、フランさん」
啓介の問いに、眉間に皺を寄せてフランジェスカは返す。
「魔力を少し分けてやっている。〈青〉が水に魔力を含ませて、魔力混合水を作るのと同じ要領だ。私はあまりヒールの魔法は得意じゃないから、気休めだがしないよりマシだろう。――ほら」
修太の表情が和らいだところで、フランジェスカは魔力を分けるのをやめた。
「まったく世話の焼けるクソガキだ」
悪態を吐いて立ち上がるフランジェスカ。
「ありがとう!」
立ち去る背中に啓介が礼を言うと、フランジェスカは手を軽くひらひらと振り返す。だが、廊下に出た所で、感激したピアスに抱き着かれてうろたえた声を出した。
「ちょっ、なんだ、ピアス殿!」
「うわーん、大好き、フランジェスカさん! なんだかんだ言って優しいわよね!」
「分かったから離れてくれ。ただでさえ暑いのに、参るじゃないか」
ピアスは素直に離れたが、嬉しそうににこにこ微笑んでいる。フランジェスカはふいと顔をそむけて、踵を返す。
「下船の準備をしてくる」
照れて赤い顔を隠すようなフランジェスカの様子に、サーシャリオンは笑う。
「素直に心配すればよかろうに」
「うるさいぞ、サーシャ。私はそんなクソガキのことなんか心配してない!」
きっちり言い返し、自室へと入るフランジェスカを、ピアスも追いかける。
「あっ、私も! ケイ、シューター君のことよろしくね」
「勿論だよ」
返事をすると、啓介は他の面子にも言う。
「皆も準備してよ。船を降りるよ」
それぞれ返事をして、荷物を取りに部屋を出て行った。
甲板に出ると、啓介は船長室前にいるダール船長を見つけて、声を掛ける。
「船長、お世話になりました」
ダールはすぐにこちらに歩いてきた。
「いやいや、それはこちらの台詞です。ありがとう。お陰で船は沈まずに済みました。それに、イミルやラミルを助けてくれたこと、感謝します」
ダールは礼を言うと、申し訳なさそうに目を伏せた。
「私にとっては彼らも大事な仲間に代わりないんですが、今回の件で嫌われてしまったようです」
「二人はもう下船を?」
「ああ。行きつけの宿があるから、そこに向かいました。〈海風屋〉にいますので、もし会いたいなら行ってみて下さい。それから、報酬は冒険者ギルドで受け取って下さい」
そこまで言うと、ダールはちらとグレイが背負っている修太を見た。
「彼の具合はかなり悪そうですね」
「魔力をほとんど使い切ってしまったみたいで。連れが魔力を分けてくれたんですが、しばらく寝込むと思います」
「それなら良いヒーラーがいるから、そちらに……」
ダールが医者を紹介しようとした時、船の左舷の側、タラップの下の方でどよめきが上がった。
何事かとそちらに近寄ると、港にはたくさんの人が集っていた。
緑や青の着物に似た服を身に着けた、赤い髪の人々だ。スオウ国の民だろう彼らの間を、黒い衣装を着た少人数の隊列が通り抜けてくる。人々はすぐに道を開け、彼らに恭しく頭を下げた。
黒い衣装の隊列はすぐに船に乗り込んできた。全部で六人いる。右手に、トップが木の葉に似た形状の杖を持っている。髪色は赤く、明暗の差はあるものの目の色は全て黒い。
「失礼する。我々は南の聖殿の者だ。海上での見事な鎮めぶり拝見した。この船の魔物避けの方だろうか? 是非お目通り願いたい」
「これは夜御子様方……。いえ、魔物避けではなく、こちらの旅の方が助けて下さったんです」
ダールが示すと、彼らは修太を見て目を丸くした。
「なんと、こんな幼き方があのような奇跡の御業を? ああ、熱が出ている……。なんとおいたわしい」
隊列の中で最も年配の男が、悲しげに眉尻を下げる。
「ああ、具合が悪いんでな。これからヒーラーに診せるんだ。邪魔をしないでくれるか?」
道を塞ぐ彼らに、グレイが遠慮なく言った。
だが彼らに堪えた様子は無い。年配の男が申し出る。
「夜御子は我が国では宝だ。どうかその方をこちらで預からせて頂けないか? 回復したらすぐにお返しいたしますから」
苦しんでいるのが耐えられないとばかりに、悲壮な顔をする人々。
啓介は苦笑して返す。
「いえ、そんな……。こちらで休ませるので、大丈夫ですよ」
「〈黒〉でないあなたに、どうして大丈夫だと分かるのです? 私どもは同じ〈黒〉の仲間として、彼を気遣っているのです!」
力説する男に続き、他の夜御子達も続く。
「良いヒーラーもいます」
「ゆっくり休める環境もありますよ。薬師もいます!」
「どうか私達にお預け下さい!」
仕舞には、その中の女性の夜御子が耐えられないという様子で泣き始め、事態の収拾がつかなくなった。
「ど、どうする……?」
困った啓介は、年長者であるフランジェスカやグレイ、サーシャリオンの顔を見る。トリトラが横から口を出した。
「怪しいし、なんか気持ち悪いよ。やめた方がいいんじゃない?」
「だが、彼らの言うことも一理ある。こいつは〈黒〉としての知識をどこかで手に入れた方が良い。ついでに教えてもらってくればいい」
フランジェスカが打算的な事を口にし、グレイを一瞥する。
「さてな。少なくともそいつらの言葉に嘘はない」
そこで、ピアスが挙手した。
「ねえ、皆さん。心配だから、私達もついていっていいかしら?」
その問いを、彼らはいっせいに否定した。
「それはなりません! 聖殿に〈黒〉でない余所者は入れません。傍付きでさえ一ヶ月の審議を経て決まるのです。時間が足りません」
「一ヶ月? そんなにかかるの?」
驚くピアスに、夜御子達は大きく頷く。
「間違って白教徒が紛れこんでは事ですからね。それぐらいでちょうどいいのですよ」
「なるほど、少なくとも安全そうだ」
サーシャリオンが呟いた。そして啓介を振り返る。
「もう面倒だから、預けてしまえ。魔法で目印を付けておくから、何かあれば我が出ればよかろう」
「どっちでもいいけど、そいつの顔色どんどん悪くなってっぞ」
あっけらかんと付け足されたシークの言葉に、啓介達は修太に注目した。確かに先程よりも顔から血の気が失せている。
啓介は決断した。
「分かった。じゃあ、預けます。俺は春宮啓介です。そいつは塚原修太。二日後に引き取りに伺いますから、その聖殿という場所を教えて下さい」
啓介の問いに、夜御子達の緊張が和らいだ。明るい顔になる。そして、それぞれが指差した。
見れば、海へと張り出した塔のような土台が見える。
「あちらが南の聖殿です。南の一の聖殿と聞けば、誰もが教えてくれますよ。全部で四つあるので、お間違えのないように」
年配の男はそう言うと、早速修太を背負う役目を変わった。
「これはすぐに手当てしないとまずいですね。急ぎ戻ります。――では失礼します、春宮殿」
その挨拶とともに、夜御子達はいっせいにお辞儀をして、船を降りていった。
「では船長、俺達も行きますね」
啓介も続こうと、ダールを振り返る。彼は何故か苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
「ええ……。ハルミヤさん、私はこの国にはよく世話になっているので、これくらいしか出来ないが……。ラミルとイミルのいる宿に行くことをすすめるよ。彼らの方が詳しいから」
「は? 何の話です?」
きょとんとする啓介に、ダールは静かに首を横に振り、右手を上げた。
「ではね、気を付けて」
「ありがとうございます……」
啓介は違和感を感じて不思議に思いながらそう返し、船を後にした。