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断片の使徒  作者: 草野 瀬津璃
スオウ国 夜宮編
234/340

 5



 まるで波との鬼ごっこのようだ。

 大波を引き起こしたオーガーの群れに追われ、船はスオウ国へと向かっていく。

 遠くに見えていた島影は、すでに陸地がはっきりと分かるまでに近付いていた。

 波は一度崩れて、その勢いで流れに乗った船は更に加速したが、オーガー達はしつこく追いかけてくる。

「船長、このまま行くと、スオウ国を巻き込んでしまいます!」

 船員の誰かが叫んだ。

「分かってる! だが、どうしろっていうんだ!? こっちにしか逃げ場が無いんだ!」

 ダール船長は怒鳴り返した。

 斜めに進路をとればすぐに追いつかれそうな程、オーガー達は後ろまで迫っている。直線距離だからなんとか逃げおおせている状況だ。

「魔物避けは何してる!」

 他の船員が叫んだ。

 船縁にしがみついていた修太は、そこで初めて、魔物避けの双子が船長室の前にへたりこんでいるのに気付いた。三つ編みの方が倒れていて、それをもう一人が必死に揺さぶっているが、船員の問いに言い返す。

「イミルが魔力不足で倒れた! 俺一人じゃ無理だ。俺とイミルは、一緒に魔法を使うことで効果が増幅されるんだ。その状況だってあの量は抑えきれない!」

 少年の声には涙がにじんでいた。半分パニックに陥っているのだろう。

「なんだよ、肝心な時に使えねえ!」

「どうしてこの船に乗ったんだ!」

 あちこちから非難の声が上がるのを、船長が怒鳴ってやめさせる。

「やめろ! 希望してきた〈黒〉の中じゃ、この二人が一番強かったんだ。それをお前らも知っているだろう!」

 だが、死の恐怖の前に、船員達は気持ちを抑えきれないようだった。

 少年は震えながら、守ろうとするかのように、倒れた片割れを抱きしめている。

 甲板は分かりやすく殺気だっていた。もし何か起爆剤でもあれば、簡単に魔物避けの二人を殺してしまいそうな、そんな嫌な空気だ。

 修太でさえ息を潜めて成り行きを見守っていると、風音や水を切る音、騒がしい声の中でさえよく通る低い声がした。

「ごちゃごちゃうるさいな」

 啓介だった。

 据わった銀の目が、鈍く光って船員達を睨みつける。

「ケイ?」

「お、おい……」

 ピアスと修太は思わず声をかけたが、結局黙った。静かに怒っている啓介の迫力に圧倒されたのだ。

 大波に追い立てられる中、啓介は手遊びに波に向けて魔法を使う。雷が落ちて、何匹かのオーガーが霧へと変わった。

「倒れるまで頑張った子達にかける声がそれか? 良い大人が情けない。俺も必死にやってるんだ、騒ぐのはやめてくれ」

 お願いするような口調だが、それは実質、命令だった。

 啓介の左の指先で、電気がバチリと音を立てて光る。

「もし手元が狂っても、俺のせいじゃないからね?」

 そう言うと、啓介は鮮やかに微笑んだ。

 美しく整った顔に浮かべられた笑みは、見る者の目を釘づけにし、背筋を凍りつかせた。仄かに毒を含んだ笑みに魅入られながら、目を逸らせない。視線を外したが最後、恐ろしいことになりそうな、そんな怖さもあった。

 甲板の上は静まり返った。

 風や水の音は絶えず聞こえているはずなのに、何も聞こえないようだった。

 修太は溜息を吐き、啓介の左膝の後ろを思い切り蹴った。

「うわっ!?」

 間抜けな声とともに、啓介は甲板に転がった。

「やりすぎだ、馬鹿」

 修太はそんな啓介を見下ろして、文句を言う。啓介は尻餅を着いた格好で、心外そうに眉を寄せる。

「だって、ひどすぎるよ! あの子達、頑張っただろ!」

「だってとか言うな、きもい。――ああ、悪いな。でもこいつを怒らせたお前らも悪いんだぜ」

 修太が周囲に向けてひらひらと手を振ってみせると、ようやく皆の緊張が抜けた。船縁にしがみつくようにへたりこんだピアスが涙目で言う。

「ナイスよ、シューター君。怖かったぁ!」

「別にもう少し続ければ良かったのに。私もあの言いざまには腹が立った。ケイ殿は流石だ」

 フランジェスカはつまらなさそうに言う。

「止めろよ。ったく、面倒くせえな。啓介、つまりはあいつらを助けりゃ、お前の気は治まるんだな?」

 修太の問いに、啓介は銀の目をパチパチと瞬く。嬉しそうに立ち上がった。

「ああ! 手伝ってくれるのか?」

「手伝わないと、どっちにしろ纏めて沈む。アストラテと似た状況だから、やり方は分かる」

 修太はそう答えると、啓介を見上げる。

「いいか、俺はあんまりやりたくないけど、お前が望むから魔法を使う。お前は何をする?」

「もちろん、シュウの援護と、後始末!」

「もう一つ忘れてる。あの二人のフォロー」

 啓介の顔にぱあっと明るい笑顔が浮かんだ。大きく頷く。

「分かった! 任せてくれ」

「よし、任せた」

 修太が右の拳を突き出すと、啓介も右の拳を突き出した。軽く拳を合わせると、修太は船長室の方に向かう。被りっぱなしだったフードを外し、双子の前に立った。少年の肩を軽く叩いた。

「――手伝う。だからお前も頑張れ」

「えっ」

 少年はぽかんとした声を出した。そんな少年に、修太は薄らとした笑みを向けた。

「今回だけだぞ。俺は情に厚い奴は好きだし、それにあいつの頼みもあるからな」

「〈黒〉……」

 修太の目の色に気付いて、少年が呆然と呟く。修太はそんな少年の額を軽く指で押す。

「おい、しっかりしろよ。給料もらってんなら、ちゃんと働け」

「わ、分かった。俺も使う! イミル、ちょっと我慢してろ」

 少年はイミルという少女を床に寝かせると立ち上がった。少年は修太と向き直り、フードを外す。

 癖のある赤い髪を後ろで束ね、意志の強そうな目は黒い。日射しの下で見ると、修太よりも若干色合いが明るいようだ。

 少年は修太よりも背が高い。啓介と同じくらいの身長で、年齢も今の外見年齢と同じくらいに見えた。

「俺はラミル。よろしく」

「塚原修太だ。修太でいい。よし、じゃあやるぞ。あいつらを落ち着かせるんだ」

「ああ!」

 前からの友人だったかのように自然と頷き合うと、修太とラミルはそれぞれ後方を振り返った。

 ラミルは両手を握りしめる仕草をした。

 すると黒い目が青く光る。何かが起きているのかもしれないが、落ち着かせる対象が多すぎて変化は分からない。

 修太も続くことにした。

 一度目を閉じる。

 いつものように、穏やかな花畑を思い浮かべる。

 赤や黄の花が咲き乱れる草原。青い空。羊雲がゆっくりと通り過ぎていく。

 心が落ち着いたのを認識して、修太は目を開けた。

 黒かった目が、青く光っている。

「――落ち着け」

 そしてやはりいつものように、修太はモンスター達へとそう呼びかけた。



 修太とラミルが鎮静の魔法を使った瞬間、大波の中で、オーガー達は石のように動きを止めた。

 今にも船を飲み込もうとしていた大波が、その形を溶かす。まるで土の山が泥となって流れ落ちるかのように、音も無く静かに消えた。

 そして、穏やかな海が戻った。

 オーガー達が水面にぷかぷかと浮かんでいなければ、先程まで襲われていたとは信じられない程だ。

 波間から船をじっと見つめていたオーガー達は、やがて緩やかに身を反転させ、大海の方へと去っていった。

 船の上に、歓声が上がった。



「やった! 成功した! すごいな、お前。俺達なんかよりずっと力が強い……」

 興奮したラミルは、隣にいる修太を口早に褒め、そこで言葉が途切れた。

 無言のまま、前のめりに倒れる修太を、ラミルは腕を差し出してかろうじて受け止めたが、支えきれずに共に床に転がった。倒れたままうめく。

「うえ、吐きそう……。おい、ちょっと、俺も調子悪いんだけど! ……って気絶してる。おいおい、俺一人にどうしろって言うんだ!」

 気絶している二人の〈黒〉の間で、青ざめた顔のラミルは座り込んだまま途方に暮れる。

「ごめんごめん、シュウをありがとう、ラミル君」

 そこへすぐに駆けつけてきた啓介が修太を請け負った。それで気が抜けたのか、ラミルは口に手を当ててうつむいた。つらそうだが、声を絞り出して言う。

「……こっちこそ、ありがとう」

「ん? ああ、シュウに後で言ってよ。その方が喜ぶから。こーんな無愛想な顔してるけど、困ってる人を放っておけない良い奴なんだ」

 にこっと笑い返し、啓介は修太を背負う。

「そうじゃなくて。いや、それもあるけど。さっき、嫌な空気の時、庇ってくれただろ。……ありがとう」

 ラミルは礼を言うと、フードを被って顔を隠してしまった。

 案外照れ屋なのだろうかと啓介は意外に思いながら、微笑み返す。

「どういたしまして。――さて、フランさん、手伝ってもらっていい?」

「ああ。その子を船室に運ぶんだろう? 任せておけ。君も担いでやろうか?」

 フランジェスカがラミルを一瞥すると、ラミルはとんでもないと首を横に振る。

「女に運んでもらう程、落ちぶれちゃいない!」

 よろけながらも立ち上がるラミル。明らかな強がりだが、フランジェスカは満足げに頷いた。

「それぐらいの気概が必要だ。合格だな」

「フランジェスカさんてば、何の話よ」

 ピアスが呆れ顔で口を挟むと、フランジェスカはイミルを両手で抱えながら返す。

「なにって、将来性の問題だ。男はこれくらいないとな」

「あら。それってかなりの褒め言葉じゃない? 良かったわね、ラミル君。この人、男の人にとっても厳しいのよ」

 ころころと笑うピアスに、ラミルは疲労の滲んだ顔で返す。

「そう、どうでもいいから部屋に行こう。お姉さん、こっち」

「ああ」

 客室へと向かう啓介達の前に、船員達が立つ。

「ありがとう! お陰で命拾いした。助かったよ」

「こんなに強い〈黒〉がいるんだな。あの群れ全部を鎮めちまうなんてすごいぜ。夜宮様レベルだ!」

 修太を褒める声があちこちで上がる。

 シークがひゅうと口笛を吹く。

「すげえな、チビスケ。〈氷雪の樹海〉で見た時よりずっと多いってのに、鎮めちまった」

「漆黒ってすごいんだね。あんまり〈黒〉は会ったことないけど、出来ても船の周囲だろ?」

 トリトラも感心しきりのようだ。

「アストラテでも圧巻だった」

 グレイがぽつりと呟くと、船員が食いついた。

「えっ、アストラテって、昨年あったオーガーの大災害のことか? 津波で町が半壊にされただろ」

 グレイが首肯を返すと、修太を見る目が更に熱を帯びる。

「すげえ、アストラテの奇跡を起こした〈黒〉だってよ」

「二次被害を食い止めたんだろ。船乗りの間じゃ有名で、しばらくあちこちの商家が探してたよな」

 なんだかすごいことになっていたらしい。啓介は戦慄した。

 ざわめく人々がいる一方で、ラミルに謝る者もいる。

「悪い、ラミル……。さっきは、その、どうかしてたよ」

「すまなかった」

「いいよ。……分かってる」

 そんな彼らに対し、ラミルは冷めた声で返した。退()くように言い、船員達が横へとずれて出来た道をずんずん突き進んでいく。

 口では許すと言っているが怒っているのだろう。それも当然だと、啓介はラミルの強張った背中を眺めながら、胸中で息を吐いた。


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