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甲板に出ると、船員達が荷を積むのに追われていた。ひとけの少ない船長室のある後方に移動した修太と啓介は、改めて船を見回す。
啓介が感心した様子で言う。
「日本のフェリー程じゃないけど、結構大きい船だよな」
「ああ。サマルさんの船よりは小さいけど、確かに大きい」
その通りだと返す修太に、啓介は問う。
「サマルさんって誰だっけ?」
「レステファルテで、俺とフランジェスカを海賊船から助けてくれた海軍提督だよ。グレイの雇い主だった人」
修太の説明に、啓介は思い出したと声を上げる。
「リコさんが話してた偉い人だね。懐かしいなあ、リコさん達、元気にしてるかな?」
「さあな、あの馬鹿王子にボコボコにされてなきゃいいけど……。それか、あの二人、次に会ったら結婚してるかもしれないな」
船縁の上に両腕を乗せて、港を眺めながらそんな話をする。啓介は怪訝そうに銀の目をパチパチと瞬かせた。修太の話は寝耳に水だったようだ。
「え? その二人って恋人同士だったのか?」
「サマルさんの片思いみたいだったぞ。サマルさんの分かりやすい好意に、リコさんは全く気付いてくれないらしい」
「ああ……」
お気の毒にと言いたげに、啓介は肩をすくめた。修太は苦笑する。
(こいつもピアスに全然気付かれてないもんな。他人事じゃないか)
ピアスが自分はモテないと思い込んでいるせいだから、結構道程は遠いように思える。
「頑張れよ、啓介」
「え、何で俺? 今、リコさん達の話じゃなかった?」
思わず応援してしまった修太に、啓介はきょとんと問い返す。
「……なんでもねえよ」
失礼なことを考えていたので、口にするわけにもいかない。修太は話を誤魔化し、視線を港から甲板へと戻した。船の上空では海鳥が何羽も舞い飛び、甲高い鳴き声はうるさい程だ。セーセレティー特有の湿度を帯びた暑さと、生ぬるい潮風が混じって、心地良いとは言えない。
そんな中、若くても十代後半くらいの船員達はせっせと荷物運びに精を出している。そこでふと、小柄な二人が目にとまった。
船長室の傍に積まれた木箱の陰で、一人がしゃがみこんでいて、もう一人が心配そうに肩に手を置いている。どちらもフードを目深に被っているが、三つ編みに結った一房の長い銀髪が零れているので、一人は少女のようだ。
「イミル、大丈夫か?」
「平気よ、ラミル。ちょっと気分が悪いだけ……」
そんな会話が聞こえてきた。
修太はちらと啓介を見た。
「あそこの子、もう船酔いしたのかな」
「まだ動いてもないぜ?」
啓介は不思議そうに返したが、次の瞬間には彼らの方に歩き出した。
「ねえ君達、具合悪いの? 大丈夫?」
親切心を発揮する啓介に対し、二人はさっと身を寄せ合った。明らかに警戒した態度で、一人が首をきっぱりと横に振った。
「なんでもない。行こうぜ、イミル」
「うん……」
イミルと呼ばれた三つ編みの方は頷いて、もう一人と共に客室のある階段へと向かってしまった。
それを見送り、啓介はガシガシと後ろ頭を掻く。
「不審者扱いされちゃったなあ」
「珍しいな、お前があの対応されるって……。俺ならしょっちゅうだけど」
こんなこともあるんだな、と修太は感心を混ぜて呟いた。修太が落ち込んでいる啓介の腕を軽く叩いて励ましていると、傍で啓介達のやりとりを見ていたらしい船員が、啓介に声をかけてきた。
「悪いな、兄ちゃん達。あの二人は、この船の魔物避けなんだよ」
「え、そうなんですか?」
「客じゃないのか」
啓介と修太がそれぞれ返すと、船員は苦笑交じりに続ける。
「ああ。他人への警戒心が強いから、初対面の時はだいたいあんな感じだ。そっちの兄ちゃんは護衛だったよな? あの二人が甲板に出てきたら、真っ先に守ってやってくれよ。でないとモンスターに船を沈められちまう」
「なるほどね。分かった、仲間にも伝えておくよ。教えてくれてありがとう」
啓介が笑顔で片手を上げると、船員もにかりと歯を見せて笑い返し、踵を返す。彼が船の左舷に取り付けられたタラップを降りて、波止場に積まれた荷物の山へ向かうのを見送りながら、修太はぽつりと呟く。
「へえ、〈黒〉か。久しぶりに見たな」
「俺も、リコさん以来だよ。本当に会わないもんなあ、〈黒〉って」
大きく頷く啓介。修太は少し考え込む。
「俺は〈白〉もあまり会ったことねえけどな。お前以外じゃ、フランの上司と、あのふざけた勇者くらいか」
「〈白〉かあ、俺もあんまり会ったことないけど、冒険者の中にたまに見かけるから、〈黒〉みたいにほとんど見かけないってことはないな。それと、シュウ、知り合いならあとサーシャもじゃないか?」
「そういやそうだな」
目の色で判断するなら、サーシャリオンは〈青〉と〈緑〉と〈白〉の三色のカラーズってことなんだろう。だが、神竜だけあって常識外れなこともするので、修太にはよく分からない。
修太はフードを目深に引き寄せながら、その下で眉間に皺を刻む。
「なんか、俺が〈黒〉だって分かると、皆驚くだろ。あの珍獣みたいな反応って微妙な気分になるんだよな」
「うーん」
啓介は腕を組み、空を仰いで考える。そしてパッと明るい顔で修太を振り返った。
「分かった、イリオモテヤマネコとか、ニホンカモシカだ」
「はあ?」
いきなり何の話だと怪訝な顔になる修太に、啓介はぐっと右の拳を握り、目をキラキラと輝かせて力説する。
「見かけたらラッキー、ってことだよ!」
「……嬉しくねえ」
何がそんなに楽しいのかと胡乱に思う修太に対し、何故だか興奮している啓介は、心底楽しそうに笑いながら修太の肩を叩く。
「すっげえな、シュウ! お前、幽霊や超常現象やUFOと同列なんだな!」
「おい、待て! 何だその解釈は、聞き捨てならねえ。つーか、お前の中では、イリオモテヤマネコとUFOが同列なのかよっ? どういう思考回路してんだ!?」
久しぶりに変人発言をする幼馴染にどん引きしながらも、ツッコミを入れる修太。だが啓介の暴走は続く。
「そっかあ! 流石、俺の幼馴染! 素晴らしい!」
「全然素晴らしくねえよ! 変な妄想に俺を巻き込むんじゃねーっ!」
思わず修太が啓介の襟首を掴んでがんがん揺さぶっていると、船長室の扉が開いて、ダール船長が出てきた。修太はそれに驚いて、啓介の襟から手を放す。
ダールは周囲をじっくりと見回すと、船員達に向けて怒鳴るように言った。
「よーし、お前達。出航準備にかかれ!」
「イエス、サー!」
船員達の低い返事があちこちで聞こえてくると、続けて上の方からけたたましい音が鳴り響く。
修太がそちらを見ると、物見台にいる船員が丸い鉄板を金槌で叩いていた。
いつの間にかタラップは外され、船員達は船を繋ぎとめていたロープを回収し、碇を巻き上げる。それが終わると、次は帆を張る準備に取り掛かった。
修太と啓介は、忙しく動き回る船員達の様子を見守る。
そこへ客室の方から階段を上ってきたフランジェスカが、修太達に声をかけた。
「ケイ殿、出航するぞ。我らは仕事だ」
「うん、分かったよ、フランさん」
啓介が返事をすると、フランジェスカのすぐ後ろにいたピアスが付け足す。
「トリトラ達は、貨物室を含めて一通り船内に異常がないかチェックしてくるって」
「グレイは?」
啓介が問うと、修太達の後ろから返事があった。
「俺はここだ」
グレイは船長室から出てきた。
「航路や予想されるモンスターの出没地点など、一通り船長に確認しておいた。トリトラとシークが戻ったら説明する」
「流石、グレイ殿。仕事が早いな」
フランジェスカは素直に褒める。啓介も笑顔で礼を言う。
「助かるよ、ありがとう。でも、モンスターってオーガーの群れだけじゃないのか?」
「たまに海の大蛇が出るらしいぞ。他に危険なのは、爆弾魚だそうだ」
「爆弾魚……? 何それ」
修太の質問に、グレイは淡々と返す。
「俺も見たことが無いが、この辺の海域に生息してるそうだ。だいたい人の頭くらいの大きさで、海面に浮かんでいるから、見つけたら避ければいいらしいが……。何でも刺激すると爆発するそうだ」
「生きてる魚雷じゃないか……!」
ゾッとした様子で啓介がうめく。修太も顔を引きつらせた。
「なるほどな、ではそいつの処理は私と……ん? そういやサーシャがいないな」
得意な魔法で対応するつもりらしいフランジェスカが名乗りを上げたが、そこで不在の一人に気付いて周りを見回した。
「たぶん昼寝してるよ……。呼んでくる」
苦笑いを浮かべた啓介はそう宣言すると、すぐに客室へ向かった。
「サーシャは本当、ブレないよな」
修太の呟きに、残る三人は呆れとともに頷いた。