16
「ぐえっ」
固い地面に放りだされた啓介は潰れた声を出した。
「あたた……。ぐえっだって、こんな声、初めて出したよ……」
思い切りぶつけた右肘をさすりながら、啓介は体を起こす。手の平に柔らかい感触がしたのでそちらを見ると、真っ白い花を下敷きにしていた。
双子山脈で見たような白い花畑の美しさに、痛みも忘れて見入る。
そしてなにげなく顔を上げた啓介は、こちらを見下ろす青い双眸と目が合って仰天した。
「うわ、近っ!? いた!」
近すぎる顔に後ずさった拍子に、支えていた手が滑って後ろに倒れる啓介。その拍子に、白い花弁が幾つか宙に舞い、光に変わって消えた。仰向けに寝転がった啓介の視界には、岩壁と、ぽっかりあいた穴、そこから覗く空が見えた。
「『ホラー映画』とはなんだ、迷い子よ」
啓介の視界に割り込んだ少女は不思議そうに問う。腰まである真っ白な髪がさらりと揺れた。白いワンピースに、白い肌。裸足で佇む彼女のことを啓介は知っていた。
「オルファーレンちゃん! また幽霊に会えるなんて感激だ!」
パッと飛び跳ねるようにして起き上がる啓介。
「我は幽霊ではない。この世界を創造せし者だ、異界の迷い子よ。否、我が断片の使徒。相変わらず変な奴だな」
オルファーレンは呆れたように呟く。そんな彼女の姿は前のように明滅していない。はっきりとした存在感があり、薄らと光っているようにも見えた。それが美しさからの錯覚なのか、本当に光っているのか、啓介には判断が付かなかったが。
「それで」
「うん?」
「『ホラー映画』とは何だ」
まだ質問が続いていたらしい。啓介はホラー映画のことを思い浮かべ、説明しようと言葉を纏めたところで、オルファーレンは頷いた。
「なるほどな。そういう娯楽か。何を変な顔をしている。心を読んだだけだ。しかし異界には変わったものがある。幽霊や死人などが見たいなら、墓場で働けばいいだろうに」
「うーん、死体や幽霊を見たいんじゃなくて、怖さとストーリーを楽しんでるんだと思うけど、まあいいや」
啓介は細かいところは突っ込まないことにした。ホラー映画を見たことが無い人に、面白さを教えるのは難しい。
啓介は気を取り直し、オルファーレンに微笑みかける。
「オルファーレンちゃん、元気そうで良かった。結構心配してたんだよ」
「ああ、そなたらのお陰だ。だが、消滅が遅くなっただけで完全ではない。力がいくらか戻ったから、世界の均衡を僅かに戻すことは出来た。糸のねじれを伸ばしただけのようなささやかなものであるが……」
「ですが世界として見れば大きな一歩です、オルファーレン様。我も安堵いたしました」
聞き慣れた声が慇懃に言った。啓介はそちらを見て、顔に苦笑を張りつかせた。
貴公子のような金髪の青年が、倒れているエルフの青年の背中を踏みつけている。サーシャリオンの顔には邪悪な笑みが浮かんでいた。
(見なかったことにしていいかな……?)
そう考えた時、啓介は背中を押されて再び花畑に倒れた。
「わあ!?」
「うぐっ。――あ、悪い、人間の少年……」
倒れ伏した啓介の上にドミノのように倒れてきたのはウェードだった。
「ぐはっ」
「おや、すまない。ウェード殿」
更にその上にフランジェスカが着地して、ウェードともども啓介もうめいた。慌てた様子でウェードの背中から飛びのくフランジェスカ。
パチパチと拍手の音がして、サーシャリオンの笑い声が響く。
「ふ、はははは! 最高だな、そなたら!」
「サーシャ、笑うなよっ! ウェードさんも早く退いてくれ、重い!」
「ああ、悪い……。――あ、アーヴィン殿下!」
ウェードはサーシャリオンの傍で平伏しているアーヴィンを見つけて、そちらへ駆けていった。
「何て格好をされているのですか! さあ、起きて下さい。そっちの男が敵ですか? 雨降らしの聖樹の方は片が付いたので帰りましょう」
「ウェード、座れ」
「は?」
「今すぐに座れ! そして頭を下げなさい! すぐに!」
「いきなりどうしたんですか、殿下」
ウェードは訳が分からないと反論するが、アーヴィンに腕を引っ張られて座った。
「創造の女神の御前で失礼でしょう!」
「は? 創造の女神?」
理解不能という顔をしているのはウェードだけではなかった。フランジェスカもきょとんとアーヴィンを見下ろし、周りを見回す。そこで真っ白な少女を見つけて目を丸くする。
啓介はへらりと笑う。
「そうだよ。この子がオルファーレンちゃん! この世界の創造主なんだって」
フランジェスカとウェードは硬直したが、オルファーレンの神々しさを目の当たりにして、すぐに我に返った。
「何故、ちゃん呼び!?」
「どうしてそんなに親しげなんだ!」
同時に叫ぶフランジェスカとウェード。ウェードは青ざめた顔でよろめき、アーヴィンの隣に平伏した。フランジェスカはすぐさまその場に片膝をついて頭を下げる。
「異界の迷い子、これが正しい反応だ」
オルファーレンはぴくりとも表情を変えないまま啓介に言った。
「え、ごめん?」
啓介もあんな風に土下座するべきなんだろうかと考えたところ、オルファーレンは首を横に振る。また心の声を読んだらしい。
「そなたらは必要ない。異界の迷い子であるのに加え、使い走りをさせているからな」
「そんな! 俺が助けたいって言ったんだよ。気にしなくていいのに」
「ふふ、我をちゃん呼びするのは初めてでな、面白いから構わぬ。ところで黒い方はどうした?」
「シュウならあっち――地上に残ってるよ。俺達だけ来たんだ。サーシャが暴れてるのが見えたから止めに……。そういえば、どうしてあの人はサーシャに踏まれてるんだろう」
啓介は出来れば触れたくなかったことを渋々訊いた。黒い表情をしているサーシャリオンが不気味で関わるのは遠慮したいと思ったが、流石に見過ごせない。
「我に新たなハイエルフをと乞い願い、我が断ったら暴れだそうとしてな。サーシャリオンが取り押さえた。我がドラゴンは本当に頼りになる」
オルファーレンは薄らと微笑んだ。するとサーシャリオンは頬を紅潮させ、あっという間に機嫌が良くなった。
「オルファーレン様の危機に駆け付けるのは当然のこと! ありがたき幸せに存じます」
胸に手を当て、慇懃な礼をするサーシャリオン。足元で敵を踏んだままでなかったら、もっと様になっていただろう。
「むしろ消し炭に変えてもよろしかったのに、オルファーレン様はお優しいですね」
「約束を反故にしたのは我だ。それに怒るのは当然だろう」
サーシャリオンの物騒な言葉に、オルファーレンはさらりと返し、思案気にサーシャリオンの足の下にいるエルフを見つめる。
「古の約束に従い、花の民の願いにこたえてやりたいが、木の民を過去から呼び出すにはちと力が足らぬ。新しく作るにはもっと足らぬ。ゆえに不可能だ。それに今は均衡を戻すのに手いっぱいでな。そなたらで新しき未来を選び、紡ぐことだ。木の民に与えし我が使命も白紙に戻そう」
オルファーレンはそう言うと、両手を合わせた。
瞬間、リーンと鈴の音が岩壁に囲まれた一帯に鳴り響く。
オルファーレンはアーヴィンを見下ろして告げる。
「木の民、花の民、双方好きなように生きていくが良い。ただし、自然を守る生き方を守らねば、いずれそなたらは滅ぶだろう。とくと胸に刻め」
「はい、心に刻みます!」
アーヴィンは平伏したまま、はっきりと答えた。
オルファーレンは満足げに頷き、聖樹リヴァエルのうろを示す。
「雨降らしの聖樹は、二度とここには繋がらぬ。我からの使命が無くなったからだ。そして、そなたらの用もこれで終わった。さあ、再びそのうろから帰るがよい。……サーシャリオン」
帰るように促した後、オルファーレンはサーシャリオンを手招いた。まるで飼い主に呼ばれた犬のように、サーシャリオンはオルファーレンのもとに飛んでくる。
オルファーレンはサーシャリオンに屈むように示し、その頭を撫でる。
「我が使徒への助け、感謝する。世界を楽しんで見ておいで、我がドラゴンよ」
そして、その美しい顔に華やかな笑みを浮かべた。サーシャリオンは感極まったように目を緩ませる。
「オルファーレン様、我が主。どうか心安らかに過ごしますように。断片は必ずやあなたのもとに届けます」
「ああ」
オルファーレンは頷く。そして、次に啓介を見た。その時には笑顔は消え失せ、冷たい人形のような表情に戻った。どうやらオルファーレンが笑顔を振りまくのは身内限定らしい。
「異界の迷い子よ。そなたらはよくやっている。新たに餞別を与えよう。受け取るがいい」
オルファーレンは足元に咲く白い花を一つ手折った。花は光に変わり、それが消えるとその場に木箱があった。
「ただの着替えだ。子どもは成長が早いからな。黒の子にも渡すように。さあ、行くがよい。次に会う時は、その本に全ての断片が封じられた時だ」
「ありがとう、オルファーレンちゃん。シュウにも渡しておく。じゃあ、また。体調には気を付けてね!」
オルファーレンが頷くのを横目に、啓介はリヴァエルのうろを振り返る。折しもサーシャリオンが、敵のエルフをうろに投げ込んでいる所だった。
「さ、行こう。皆」
未だ頭を下げている三人に声をかけたが、三人は動けずにいる。ぶるぶると震えているのに気付いて、啓介は目を見張った。
「ケイ殿には改めて尊敬を覚える。よくこの空気の中で立っていられるな……」
うめくように呟くフランジェスカ。啓介は首を傾げる。彼女が何を言っているのかよく分からない。
「この世界の者には、オルファーレン様は重い存在だ。目の前にドラゴンがいるよりもずっと畏怖を感じる」
サーシャリオンがそう説明をしながら、アーヴィンの後ろ襟を掴んで、まるで猫の子にするように持ち上げて、そのままうろへと投げ込んだ。ウェードも同じような末路を辿る。
流石にフランジェスカにそれをするのは可哀想だと思った啓介は、フランジェスカの手を取って、肩に寄り掛からせて連れていくことにした。
「なんかよく分かんないけど、まあいいや。じゃあ、失礼しました!」
啓介は軽く右手を振ると、フランジェスカと共にうろに飛び込む。最後にサーシャリオンは別れ際にオルファーレンに呼び止められ、少し話す。それから一礼し、うろの中へと姿を消した。