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「――おい、待て」
グインジエを歩き回ってようやく見つけた宿の一室で、修太は疲れたような声で言った。
「ん?」
寝台にかかっている布団をバサバサと振っていたフランジェスカは、手を止めて振り返る。
怪訝そうな顔を見て、修太はますます頭痛を覚えた。
「なんで普通に二人部屋なんだ?」
フランジェスカは目をパチパチと瞬く。
「二人旅だから、二人部屋だろう。おかしいか?」
「おかしいだろ! お前、女なんだったら少しは気にしろ!」
思わず説教をかましてしまう。妙齢で独身の女がこうも気にしないなんて問題ありすぎなんじゃないだろうか。自分が家族だったら速攻止めると思う。
フランジェスカは修太の言葉にしたり顔で頷き、それからやはり気にした様子もなく言う。
「ああ、なるほど。男女で同じ部屋なのが気になるのか。貴様なんぞ、ただの子どもだ。端から見れば、別々の部屋をとるほうが違和感があるぞ」
それに、と付け加える。
「さっきも言っただろう。この国の治安は良くないと。私は護衛だ。別々の部屋では護衛できないのだから、同じ部屋で寝起きして当然だろうが」
フランジェスカの言い分は分かる。分かるが、修太は疲れ果てた気分になる。
「俺の実年齢、十七なんだけど……。というか、それだと啓介がいても同室か?」
「そうだ。その時は三人部屋だな」
「……はあ、分かった。勝手にしろ」
どうせ夜になればフランジェスカはポイズンキャットの姿だし、朝になってもテントでは修太の横で寝入っていたのだから、大した差は無い。気にする修太がおかしいのだろうか。男のくせして小さいことを気にしすぎとか? いやいや、そんなまさか。
フランジェスカは視線を布団に戻し、また端を持ってバサバサと振り始める。窓を開けているからまだマシだが、寝台が二つ置かれ、足元に毛織の絨毯が敷かれているだけの狭い室内に埃がたって、修太はくしゃみをした。そこそこ質の良い宿だからきちんと掃除されているようなのに、元々埃っぽい土地柄なのでこの有り様だ。
「さっきから何してるんだ、あんた」
鼻をこすりながら問う。
「毒虫がついているとも限らないからな、念には念を入れているところだ。貴様も布団を振れ。――よし、枕も平気だな」
フランジェスカはそう言いながら、寝台の下を覗きこみ、特に異変がないのを見ると頷いた。
「そんなに危険なのか?」
「危ないのは毒蜘蛛だ。中には噛まれただけでショック死するものもいる」
「……分かった、俺もする」
毒蜘蛛と聞いてタランチュラを思い浮かべてしまった修太は、ゾッとしない気分で布団を掴むと、バサバサと勢いよく振った。結果、虫が落ちてくる気配はなく、埃がたつだけで終わった。
「一度脱いだ靴を履く時は、靴を逆さにすること。脱いだ服を着る時は振ること。それから、生水は飲まず、必ず沸かすこと。特に水は危険だ。一見すると綺麗でも、飲んでみると腹を下すこともあるからな」
旅の心得を重々しく話すフランジェスカに、修太も頷きを返す。日本でも、海外に行ったら、水はミネラルウォーターを買うか沸かして飲めという教えがあるのは知っている。ただし、服や布団を振るようにと聞いたのは初めてだけれど。
「それからシューター。貴様、美味い食べ物をくれるからと言って、知らない人間についていくのではないぞ」
寝台に腰かけた修太は、じろりとフランジェスカを睨みやる。
「俺はそこまでガキじゃねえ」
低く呟けば、フランジェスカは鼻を鳴らした。
「どうだか」
*
黄土色の乾いた大地に吹く風で、時折視界が黄色い砂風に遮られる。そんなオジェ荒野を爆走している大きな亀が一匹いた。サンドタートルという名のモンスターである、黄色い体と茶色の甲羅を背負ったその亀の背に、人影が二つ。
その人影のうちの一つである啓介は、甲羅の背に座ったままのんきに荒野を見回す。落ち着いた態度でいるのもあって、ホワイトグレーの髪が風に煽られ、涼しげに見える。
「お~、こんなに走っててよく疲れないな。サーシャの部下さんはすごいねえ」
「我が竜の姿で飛んでも良いが、人間の街がパニックになるだろうからなあ。ほんに助かる」
褐色の肌と尖った耳、短い黒い髪と青と緑と銀が混在するオパールのような不思議な目をした青年――サーシャリオンは目を細くして呟く。
東回りで旅人用の門からレステファルテに入国後、オジェ荒野を歩く啓介達の前にこの亀が現れて、恭しくサーシャリオンに頭を垂れ、運んで差し上げると申し出てきたのだ。
〈黒〉のような鎮静の力はもたないが、サーシャリオンは創造主の側近という立場な上に、モンスター達の頂点にいるラスボス級モンスターらしく、その威圧感だけでモンスターは思わず正気に返って従ってしまうのだという。とは言うものの、完全に闇堕ちしているモンスターだけはどうにも出来ないそうだが。
あとはサーシャリオンがモンスター達に情報収集を頼んで、修太達の足跡を追って進んでいるところだ。本当にサーシャリオン様様である。
そもそも、サーシャリオンがいなかったら修太達と三人で逃げることを選択していたと思うが。
「しっかし、シュウの奴、バ=イクですっ飛ばしたなあ。たった一日程度でどこまで行ってるんだ?」
少しは手前で待つとかしてくれればいいのに。
親友であり幼馴染の少年を思い浮かべつつ、啓介は溜息を漏らす。荒野で待つより街で待ったほうが良いと考えたのだろうというのは容易に想像がついたが、同時にあまり深く考えていないのだろうとも思う。
隣で地図を眺めていたサーシャリオンが地図を形の良い指で示す。
「このまま北上するとグインジエという名の街に着くようだぞ。我はレステファルテをうろついたことが無いゆえ、どんな所か分からぬが……」
そう呟くサーシャリオンだが、声は楽しげだ。暑いのが嫌いだけれど、見た事の無いものには好奇心がうずくのだろう。かくゆう啓介もまだ見ぬ街に胸を弾ませている。エレイスガイアに来て初めての街だ。どんな所なのだろう。
啓介は銀の目をキラキラと輝かせながら、砂埃の向こうに霞む街を見つめる。見た感じはアラビアンナイトに出てきそうな街だ。
「もう少し近付いたら、徒歩に切り替えよう。じゃないと、やっぱりパニックになるよ」
啓介の言葉に、サーシャリオンは頷く。
「そうだな。――しかし暑くてかなわん。ケイ、そなた、頭に何か被るなりせよ。暑さで倒れるぞ。人間は脆い生き物なのだから、気を付けなくては駄目だ」
帽子もかぶらず風に当たるままにしている啓介に、サーシャリオンはそっと忠告する。
「風が涼しいから暑くないけど、サーシャがそう言うなら何か被るよ」
啓介は素直に頷いて、旅人の指輪から着替えを取り出して物色し、白フード付きのマントを選んだ。
*
その日、修太達は夜が来る前に早めの夕食をとり、宿の部屋に引きこもった。
旅や暑さからくる疲れで修太はややへばり気味だったし、フランジェスカは日が落ちるとポイズンキャットの姿に変わってしまうからだ。
ランプを灯した部屋でごろごろと寝転がりながら、修太は旅人の指輪から革張りの本を取り出した。『エレイスガイアの歩き方』という名の分厚い本だ。暇つぶしをしようと考えた時に、エレイスガイアに来て初日に指輪の中に本があったことを思い出したのだ。
寝台の上にあぐらをかき、ノコギリ山脈で汲んだ湧水の入った水筒を片手に本に視線を落とす。ときどき魔力混合水を飲むようにしないと、すぐに気分が悪くなるので面倒臭い。
「うわー……、なんだよこれ。カラーズについて載ってるし」
初日に不気味だと思って本を避けたのがいけなかった。修太がフランジェスカを質問攻めにした時の答えがまるまるっと載っている。
どうやらこの本はガイドブックらしい。オルファーレンが異界の人間である修太達に気を利かせて用意してくれていたのだろう。
更にページをめくると、魔法についての簡単な知識や、白教についてや、ちょっとした歴史も載っている。それから旅で役立つ豆知識として、食べられる野草や薬草と毒草の見分け方、食べて問題の無い魚と毒のある魚、食べられる動物などが図付きで綺麗に載っている。
主要な国の簡単な情報も載っているし、冒険者ギルドというものが存在していることも書かれている。冒険者ギルドは、旅をするなら使うと便利らしい。そこで働けるのは十五歳からだけれど、依頼を出すことは支払い能力さえあれば誰でもできるようだ。旅の間に護衛が必要になったらここで人を雇うと便利という旨が書かれている。
「冒険者ねえ……」
探検家や傭兵とは違うのだろうか? よく分からないので、説明に目を通す。
「冒険者とは、ある意味では便利屋である。兵士に頼むまでもない雑用を、金を払って頼んだり、人手が足りないのを補うべく、臨時で傭兵を募集する為の場だ。依頼は採取依頼、雑用依頼、護衛依頼、討伐依頼に分けられ、護衛依頼と討伐依頼は戦闘力が必要になる。その為、ギルドに入る際に簡単な試験を受ける決まりがある」
修太はふうんと呟く。
冒険者には兵士崩れやどこにも所属したくない腕のある戦士などが多いらしく、金で動くために国や町に仕える兵士には軽く見られる反面、実力が認められて名が売れれば、尊敬や憧れの対象となることもあり、その辺の王侯貴族よりも余程一目置かれる存在になる場合もあるようだ。
(アマチュアだと侮ってたら、その辺のプロよりレベル高くてすっげえなこの人、みたいな感じの印象か?)
修太はそう解釈した。
兵士がプロの戦士としたら、冒険者はアマチュアの戦士、という感じだろうか。会ったことも見たこともない人達だから、これで良いのかもよく分からないが。
修太はパタンと音を立てて本を閉じた。
そんな人達に会うことはないだろうし、頭の片隅で覚えておけばいいだろう。
ポイズンキャットに変わったフランジェスカが自分の寝台の上で丸くなっているのを見つつ、本を指輪の中へと仕舞う。
「ふう、今日も疲れたな」
水筒の水を飲みながら、やれやれと呟く。バ=イクに乗っている時は、平坦な道を思い切り飛ばせたので楽しかったが、グインジエの町中に入ってからがきつかった。香水のにおいも香辛料のにおいも好きになれない。鼻が麻痺するくらいに慣れるのを待つしかないだろう。
水筒もまた指輪に仕舞い、布団の中に潜り込んで就寝態勢に入る。かなり早い時間なのだろうけれど、することがないのだから寝てしまった方がマシだ。
「おやすみ」
誰にともなく呟いて、ランプの明かりを消す。
そして、そのままあっさりと眠りに沈んでいった。
――コンコン
夜更け頃、修太は物音に目を覚ました。
「?」
なんだろうと目をこすりながら身を起こす。フランジェスカも起きたらしく、闇の中で藍色の目が光っている。小さな声でニャアと鳴いた。
――コンコン
物音はどうやら扉をノックする音のようだ。
夜中に誰だろう。部屋を間違えているんじゃないかと眉を寄せる。
そもそも声をかけてこないのに違和感があり、ここは物騒な国だからと開けるのを躊躇い、無視することにする。本当に大事な用だったら、何かしら声をかけてくるはずだ。
それで再び布団に収まろうとしたところで、カチンという音が響いた。
(え)
思わず扉を凝視して固まる。
暗くて見えなかったが、音からして、今、鍵が回らなかったか?
そう思った瞬間、扉が静かに開いて人影が三つ、部屋に乗りこんできた。
「なっ……むぐ!」
声を出しかけた時にはすでに布を口に押し当てられて寝台に押さえつけられていた。
!? なにごとだ!? 意味が分からん!
理解不能な展開に目を白黒させて呆然としていると、人影がささやく。
「おい、こっちの寝台には誰もいないぞ! 姉がいるっていう話じゃなかったか」
「知らねーよ、そいつに訊けよ」
「駄目だ、すぐにガチャルが効いてくる」
姉? がちゃる?
何の話だと思っていると、猛烈な睡魔に見舞われて目蓋が重くなる。押しつけられてる布に薬でも染み込んでいたのだろうか。
「こいつが魔物避けで合ってるんだろうな?」
「大丈夫だ、あの時のガキだって、ちゃんと確認した」
眠るまいと意識を起こしていたが、そこで限界がきた。訳が分からないまま、修太の意識は闇へと落ちた。
水の注意は普通として、靴や服の確認については、エジプトでの発掘に行っていた人の話を参考にしました。サソリよりも蜘蛛の方が危ないらしいですよー。




