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「――おい、ラヴィーニャ、どういうつもりだ」
トルファは不機嫌さを隠さない低い声で訊いた。
ラヴィーニャは不思議そうに小首を傾げた。彼女の周りには刃物を構えた反逆者側のエルフが五人いた。彼らも驚いた顔をしてラヴィーニャを見つめ、ラヴィーニャが散歩じみた足取りでそちらに近付くと、恐れたように後ろへ下がった。
「答えは簡単ですわ。彼らがわたくしを人質に取りたいっておっしゃるから、そうさせてあげようと思いましたの」
「お前、オレに守れと言ったよな!?」
「ええ。守って下さるでしょう?」
頷くラヴィーニャの前で、トルファの顔を様々な感情が通り過ぎた。今にも爆発しそうな怒り、思惑を考える冷静さ、混乱を経ての無表情。正しくは、トルファは怒りが突き抜けすぎて顔から表情が消え失せたのだった。
「お前のその、マイペースの癖に主張だけは押し付けるところが、オレは昔から大嫌いだった。今も嫌いだ」
「まあ、わたくしはトルファ様のこと、好きですわよ。文句を言いながらも約束を守る律義なところが。ですがどうして怒るんです? 短気ですわね」
「怒るに決まってんだろ、ふざけんな! 自分からのこのこそいつらの方に出向きやがって! しかもオレのマッディー達を蔦で動きを止めてまで! ふっざけんな!」
怒りをあらわにするトルファの後ろで、マッドレディー達がその通りだと言わんばかりに首肯している。ラヴィーニャ側のエルフ達はといえば、頭が痛そうに額を手で押さえたり、天を仰いで嘆いたりしている。
「魔女様の怒りももっともでございますわ、ラヴィーニャ様! 何故自ら危機に突っ込まれるのです!」
ラヴィーニャの侍女が怒りで顔を真っ赤にして叫ぶ。
ラヴィーニャは相変わらず平然とした態度で、一つ頷いた。
「よい質問ですわ。わたくし、お兄様の無事を知りたいの。だってお兄様、先程この方達の仲間に捕まったのですって。怪我もされてるそうですわ。植物達が教えてくれましたの」
「アーヴィンが? あいつ、何考えてんだ!」
トルファは再び怒鳴った。
「そうですわねえ。お兄様のことですから、イファを追い出す為の口実作りではないかしら。それとも」
「なんだよ」
「単に面倒になったので、この方々の要求を叶えてしまおうっていう魂胆か」
「……クソ、どっちもありえる上に読めねえ。アーヴィンの考えだけはオレにも分かんねえよ」
「わたくしだってよく分かりませんわ。お兄様って分かりやすいようで分かりにくい方ですもの」
ラヴィーニャはのほほんと微笑み、敵側のエルフ達をちらと見る。
「さあ、参りましょう。雨降らしの聖樹のうろ、そちらに御用があるのでしょう? ハイエルフのみしか立ち入れない聖域、時の泉に」
顎をつんと上げ、さあとっとと連れて行けと言わんばかりのラヴィーニャの大きな態度に、さしもの敵側もたじろいだが、動揺しつつも案内を始めた。
「オレはお前には付き合いきれねえぞ、ラヴィーニャ! 大事な客の様子見に行く」
トルファの宣言に、ラヴィーニャは足を止めて振り返る。
「まあ、よろしいのですか、トルファ様。あなたにとって一番大事なものは、天の貴き方だと思ってましたわ」
「そうだ。そしてあの方の望みに応えることこそが最優先だ。オレはあの方が何を望まれているか知っている。それはお前を優先することじゃないんだよ、ラヴィーニャ」
トルファは鋭く言い放ち、ラヴィーニャに背を向けてすたすたと歩き出す。それを敵のエルフ二人が止めようと飛び出してくる。
「止まれ! 仲間を呼ぶ気か? 邪魔はさせない!」
トルファは彼らをじろりとにらむ。はしばみ色の目には鋭い光が浮かんでいた。
「へえ、お前らごときがオレの歩みを止められるとでも? 思い上がるんじゃない」
トルファは鼻で笑い、低い声で返した。その瞬間、どこからともなく風が吹き、木の葉が渦を巻いて辺り一帯を激しく飛び回った。
つむじ風に巻き込まれ、悲鳴を上げるエルフ達。
やがて木の葉の乱舞が止むと、トルファやマッドレディーの姿は消えていた。
「あらまあ、本気で怒らせてしまいましたわ。まったく短気な方」
呆然と佇むエルフ達の中で、ラヴィーニャだけは呆れたように呟いた。
*
「ケイ、大丈夫か?」
肩を揺すられる振動で目を覚ました啓介は、うつぶせに倒れていることに気付いた。なんだかあちこちが痛くて顔をしかめる。そこで意識を失う直前に見た植物の塊を思い出した。
「フェル! ロット!」
連れのことを思い出して即座に身を起こした啓介は、周囲を見回す。
そんな啓介の傍らにしゃがみこんでいたサーシャリオンは呆れ顔を作る。
「起きて真っ先に他人の心配か。このお人好しめ。そっちの二人のことか? 気絶しておるだけで命に別状はない。それよりそなたは平気か?」
「なにが?」
「なにがときたか! 自分を見てみろ」
連れが無事だと分かって安堵した啓介は、大仰に驚いてみせるサーシャリオンを不思議に思いながら自分自身を見下ろした。
「うわ、何だこれ!」
腕や足のあちこちに草が巻き付いている。その箇所が痛むので、草を引きちぎって外して袖をまくると、ロープ状の痣が出来ていた。幸い、服から出ていた肌だけ切り傷が幾つかある程度だった。
啓介は草をブチブチと引きちぎり、その場に放り捨てて立ち上がる。
「いてて、でもまあこの程度で済んだのは恩の字かな。アーヴィンさんを狙ってた人達、意外と親切だね」
「親切! そんな感想が出てくるとは、面白い奴だな。我は襲撃を仕掛けてきた輩は全員返り討ちにしてきたぞ」
「一緒にいたエルフは?」
「そちらもお寝んねしておる」
「サーシャ、まさか……」
「我は彼らには何もしておらぬ。誤解するな」
啓介がサーシャリオンが気絶させたのではないかと想像し、悲しげな顔を作ると、サーシャリオンは驚いたように否定した。
「それなら良いんだけど……。サーシャはアーヴィンさんを見なかった?」
「見ておらぬぞ。雷が二回落ちるのを見て、そなたを探しておったのだ。ここに来た時には誰もいなかった」
「アーヴィンさん、弓矢で狙われていたんだ。それを止めようとしたらこうなったんだけどさ。アーヴィンさん、ここにいないってことは大丈夫なのかな? ひとまずシュウの所に戻ろう。あの三人のことが心配だ」
啓介はそう話しながら、旅人の指輪から取り出した黒輝石を、フェルとロットの周囲に置いて結界を張る。彼らが寝ている間に猛獣やモンスターに襲われては目も当てられない。
サーシャリオンはふむと呟く。
「なんだ、そなたも黒狼のことは心配せぬのだな。あ奴ら、そなたのことは強いからと心配せぬだろ?」
「そりゃあ心配だけど、たぶん怒られるよ。俺に心配されなくても平気だって」
啓介は苦笑とともに返す。するとサーシャリオンはなるほどと笑った。
「それは一理ある。我が心配しても馬鹿にするなと返しそうだ」
サーシャリオンはひとしきり笑うと、真面目な顔に戻って言う。
「よし、ではあ奴らのことは置いておいて、シューターらのもとに戻るとしよう」
サーシャリオンは何かを包むように手の平を合わせ、パッと広げる。すると光で出来た小鳥が現われた。
思わず目を奪われる啓介の前で、光の小鳥が空へ舞い上がる。
「すごい! なにあれ」
「偵察用の鳥だ。先に敵がいれば旋回して教えてくれる」
「なるほど~」
「〈白〉の魔法だ。そなたも作れるぞ」
緑の上着を翻し、サーシャリオンは光の小鳥を追って歩き出す。啓介は暇が出来たら作ってみようと考えながら、サーシャリオンの隣に並んだ。