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遠くで聞こえた雷鳴に、仕留めた鹿を肩に担ぎながら、シークは顔を上げた。空を一瞥してみたが、雨など降りそうにもない快晴が広がっている。
シークは疑問を解消する為、手っ取り早く相棒を振り返る。
「なあ、トリトラ。さっきからあっちの方、雷が落ちすぎじゃねえか?」
「少し間を置いて二回だね。あの方角だし、あの白い人の魔法じゃないの?」
あまり興味が無い様子で返すトリトラ。捕まえた鳥の足を縄で結び終えると、右手でぶら下げるようにして持つ。全部で五羽、吊るされていた。ブルーグレーの目には、不満と言わんばかりの険が滲んでいる。
「なんだかなあ。食べる為じゃない狩りって、悪い事してる気分。競い事なんかで獣を狩るのは好きじゃないな」
「祭祀した後、食べるんだろ? 貰ってけばいいじゃねえか。燻製にでもすりゃ、しばらく飢えずに済む。――んなことより、少しは気にならねえのかよ」
「モンスターでも出たんじゃないの?」
トリトラの返事はそっけない。眉間に皺を寄せたまま、獲物を見下ろしている。そして、吹っ切れたように首を横に振った。
「やーめた。これ以上は狩らない。充分手に入れた。これ以上は余計だよ」
「ま、そうだな。師匠も大物捕まえたみてえだし」
シークも同意しながら、森の奥から歩いてくるグレイを見た。巨大な黒い猪に似た動物――ヤミシシの後ろ足を縄で縛り、それを引きずって歩いてくる。涼しい顔をしているが、相当な重量のはずだ。
「師匠、やりましたね!」
「ああ」
シークの称賛にただ頷きだけを返し、二人の元にやって来たグレイは、先程雷鳴が聞こえた方角を見る。
「集合場所にこいつを置いたら、あちらに行く」
結論だけ呟いて、グレイはすたすたと集合場所に向けて歩き出す。
シークやトリトラは慌ててグレイの後に続いた。トリトラは怪訝な顔で問う。
「どうしたんですか、師匠」
「さあな。キナくさく感じただけだ」
「そうですね。たぶんあの白い人の魔法だと思うんですけど、あいつ、強いですし、自分でどうにか出来るんじゃないですか?」
トリトラがシビアな事を口にする横で、シークはしかめ面をした。
「お前、ほんっと手厳しいよな。こえー」
「あれこれ心配したって仕様が無いだろ。それに自分で解決した方が成長する」
「まあ、そうだけどなあ。今の状況忘れんなよ。何が起きたっておかしくねえんだ。――お前、あのチビガキに恨まれたって知らねえぞ」
シークがお節介を焼いて忠告すると、トリトラの表情が固まった。
「何で僕がシューターに恨まれるのさ」
「あの白い奴とチビガキって、俺とお前みたいな感じだろ? 親友で相棒。俺、助けられる状況で同胞がお前のこと見捨てたら、逆恨みするな。弱かったお前が悪いとも思うんだろうけど」
「うわ、何だよその例え。君が危機に陥るんならともかく、僕はそんなヘマはしない」
「ああ? なんだと!」
「なんだよ、やる気?」
シークとトリトラは拳を固めてにらみあったが、ふと前方を見て、グレイの背中が随分小さくなっているのに気付き、喧嘩をやめた。慌ててグレイを追いかける。
「ちょっと待って下さいよ、師匠!」
辿り着くや声をかけるトリトラ。そんな彼を、グレイはちらと一瞥する。
「さっきの質問の答えだが。ケイに何かあれば、サーシャが駆けつけるだろ。他に問題が起きていないか、状況確認が最優先だ」
冷静な指摘に、シークとトリトラはなるほどと声を揃える。状況把握は自衛における基本的な事だ。
「――まあ、俺が敵でも、こんな狙いやすい場所なら確実に狙うがな。あの王子も、分かってて行動してるはずだ。ああいう胡散臭い奴が、対策を講じてないはずがねえ」
グレイは不愉快そうな声音で断定した。トリトラも渋面で返す。
「別にどっちでもいいですよ。僕はあの王子は嫌いなんで、評価する為に考えるのも御免です」
「何でそんなに嫌うんだろうなあ、師匠もトリトラも。あの王子さん、いつも機嫌良さそうだし、薔薇だけ友達って、見てて面白いじゃねえか」
シークは呑気に言う。
グレイとトリトラはしばし無言でシークを見つめ、やがて首を横に振って歩みを速めた。
「ケイと同レベルだな。付き合ってられん」
「頭が残念なだけじゃなくて、目も悪いなんて。可哀想な奴」
グレイに続いて、憐みを込めて言うトリトラ。
「はあ? 何言ってんだ。おい、ちょっと!」
訳が分からないとしきりに首を傾げつつ、シークも足を速めた。
*
留守番組の待機場所には、日除けと突然のスコール対策で、ちょっとした天幕が張られていた。鮮やかな黄色や赤に染められた布が、時折風にふわりと揺れる。その下で、女性達は木のベンチに座って男達の帰りを待つ。
衛兵以外は女性がほとんどなので、当然のようにこの場所は騒がしい。
彼女達は旦那や恋人や息子についてや、美容、食べ物、この後の行事の流れなど、さまざまなことを次から次へと話している。洪水のように流れていく言葉達に修太は圧倒されていた。
エトナやピアスは、話しかけられれば笑顔で答えている。フランジェスカは気まずげに、ときどき返事する程度。修太は無言で合槌といった状況だ。
なんだかなあというような困り顔をしたフランジェスカが、まるで逃げ道を探すかのように辺りを見回し、なにげなく右隣に座るフランジェスカの横顔を見ていた修太と目が合った。
「……なんだ」
眉をひそめて問うフランジェスカ。
「ちょっと見てただけだろ。睨むなよ」
目が合っただけで睨まれるなんて心外だ。修太はしっかり言い返し、ふっと遠くを見る。
「……すごいな、よく話題が無くならないよ」
「ああ、それには私も同意する。だが、お前はケイ殿に言わせれば聞き上手なんだろう?」
「話を聞くのは好きだけど、ここはなんだか熱気が怖い」
「私もだ。種族が違えど、やはり女性というのは似たような感じなのだな」
フランジェスカは悟りを得たかのように呟いた。
男勝りでさばさばしているせいだろうか、フランジェスカは女達の輪に加わるのが苦手そうだ。修太は勿論のこと苦手だ。楽しげに笑い合う女性達を遠くから眺める分にはいいのだが、騒がしいのが不得意なのでどうしても気後れする。
修太とフランジェスカはそろって溜息を吐いた。
華やかな女性達の中で、ここだけ明らかに浮いている。
その時、遠くで雷鳴が聞こえた。さらに遅れてもう一つ。
「不自然な雷だな」
フランジェスカが呟いて、雷が鳴った方角を見据える。
『ラヴィーニャの勘は当たりかな』
「うおわ!」
誰もいなかったはずの左側からの声に、修太は驚きのあまりベンチから転げ落ちそうになった。
声がトルファのものだったので、また神出鬼没に現われたのかと思ってそちらを見て、再度驚く。目や鼻や口は輪郭だけしかない泥人形――侍女のお仕着せに身を包んだマッドレディーがこちらを見下ろしていた。異様なそれに思わずベンチの上で後ずさると、背中がフランジェスカにぶつかった。すると鬱陶しげに肩を押されて前に戻される。
「邪魔だ」
「驚いているいたいけな子どもになんてこと言うんだ、お前。もう少し良心ってやつがないのか!」
「はあ? 普段は子ども扱いするなと言う癖に、こんな時だけなんだ、貴様。だいたい、お前が怖がったって可愛げなど欠片も無い。鬱陶しいだけだ」
「…………」
そこまで言わなくてもいいだろう。修太はこっそり落ち込んだ。いたいけ云々については半ば冗談だったのに。
『何をそんなに驚いてるんだ。さっきから隣にいただろ』
マッドレディーはトルファの声でそう言って、能面な顔をこちらに近付けるように身を屈めた。
修太は意味も無く降参のポーズを取り、耐え切れずベンチを離れてマッドレディーから距離を取る。
「気付かなかったんだよ。つーか、まじで怖いから顔を近付けるな! いや、そもそも何で人形からトルファの声が?」
『オレの魔法だ。同調出来て当然だろう』
人形らしいカクカクとした動作で首を傾げるマッドレディー。修太はきょとんとする。
「同調? なにそれ」
「トルファ様はこの人形と感覚を共有している、ということですか?」
フランジェスカの問いに、マッドレディーは頷いた。
(そういう意味か。へえ、すげえな……)
魔法というのは未だによく分からないが、すごいというのは分かる。
『こっちも面白くなってきた。こりゃあいい、大地に属する魔女に植物で喧嘩を売るか。悪い子にはお仕置きしねえとなあ』
なにやら物騒なことをマッドレディーは呟いて、最後に一言。
『じゃあな、そっちも頑張れよ』
それを最後に、マッドレディーからは声が聞こえなくなった。
「は? なにそれ」
訳が分からない。しきりと目を瞬く修太を、マッドレディーは天幕の後ろの方へと押しやった。
立ち上がり剣を抜いたフランジェスカが、憂鬱そうに言う。
「〈黄〉の魔法は相性が悪いのだよな。シューター、援護しろ」
「いや、だから何が……」
謎な会話についていけない修太は、先程まで騒がしかった女性達がいつの間にか静かになっていることに気付く。
「え!?」
訝しく思って振り返った修太は、驚愕に目を見開く。
大半のエルフ達が地面に倒れたりベンチに寄りかかったりして眠っている。衛兵は全員眠っている。
天幕の真ん中に小さな木が生え、そこに鮮やかな紫色の花が咲いていた。黄色い花粉がそこから飛び、いまだ起きていて驚いているエルフの女性にぶつかると、しゃぼん玉が弾けるようにして飛散する。そしてまた、一人の女性がふらっとその場に倒れた。
(あれを吸うと眠るのか!)
予想だにしない攻撃手法だ。
「ライラ草の花よ。花粉を吸わなきゃ害は無いわ」
ドレスのどこに隠していたのか、短剣を構えたピアスが花から距離を取りながら言い、エトナが頷いて、残っている女性達に指示を出す。
「ええ、その通り。眠るだけで害はないわ。皆、離れなさい!」
彼女達はさっとその場を離れ、エトナの傍に集まった。一人のエルフを除いて。
「駄目よ、大人しくてしていて下さい。大丈夫、眠っているうちに全てが終わります」
緑色のドレスに身を包み、銀髪と黄土色の目を持ったエルフは困ったように言う。そして、両手を祈るように組んだ。
瞬く間に生えたライラ草を、すかさずマッドレディーが蹴り倒した。
緑のドレスを着たエルフはますます困った顔になる。
「どうか抵抗なさらないで。かよわい女性達につらいものを見せたくないという気遣いですのよ」
「ふざけるな。何が気遣いだ! こんな状況で眠る方が恐ろしい!」
フランジェスカがきっぱりと言い返すと、こちら側のエルフ達はそろって同意の声を上げた。それぞれ敵対心を隠さずに構えを取る。
エトナがいつもと変わらない落ち着いた態度で、じっと銀髪のエルフを見つめる。
「いったい何が目的です?」
エトナの問いに、彼女は小首を傾げる。
「王宮の方はすでにご存知かと思っていました。新たなハイエルフを呼び出す為の準備ですわ。毎年、この日に祭礼を行うのは意味があるのです」
不思議そうな彼女の様子に、修太はそういうことかと腑に落ちた。
(ラヴィーニャ王女は勘が鋭くてこの日が危ないと言ってたんじゃない。本当は、どうしてこの日が危ないか理由を知ってたんだ!)
ハイエルフというのがキーワードなら、ハイエルフの間に伝わる秘密に関係するに違いない。あのお茶会の日、もしラヴィーニャがふてくされなかったら、何故危ないのかという詳細も教えてくれていたのかもしれない。
修太は自分達の運の無さに内心でうめく。
銀髪のエルフは重ねて言う。
「どうか抵抗なさらないで。――あなた方の家族がこのまま森で死んでもいいのかしら?」
この問いに、修太や女性達はひるんだ。ここでの抵抗が、あちらの危険になる。それは恐ろしいことだ。
だが、フランジェスカだけは鼻で笑った。
「抵抗しないことで、あちらが無事で済むという保証もない。そんな脅しは無意味だな」
「――そう、残念です。眠っていてくれたら、苦しい思いをさせずに済んだのに……」
銀髪のエルフは悲しげに言い、祈るポーズを取る。彼女の足元の土が盛り上がり、瞬く間に巨大な岩製ゴーレムを作り上げた。更に、三体のゴーレムが土の中から現れる。
「うわあ、久しぶりに見たな。ゴーレム……」
修太は顔を引きつらせた。
銅の森にあったヘリーズ村の結界内に入り込んだせいで、ウェード率いるエルフ達に襲撃されたことを思い出す。
「困ったな。私の不得意分野だ」
そうぼやきながらも剣を構えるフランジェスカ。フランジェスカでは倒せないだけで時間稼ぎは出来るのだ、戦うつもりなのだろう。
「あたしはあれ相手に戦うのは無理だけど、爆弾で援護なら出来るわよ?」
ピアスが可愛らしく小首を傾げながら、物騒なことを言った。
そんな中、エトナが柔らかく微笑む。
「大丈夫です、心配なさらないで。ゴーレムの扱いは得意中の得意。皆様、力を合わせてあのゴーレムを止めましょう」
残ったエルフ達の返事が上がる。
(俺も頑張ろう!)
女性達だけに任せるなんてとんでもない。迫りくるゴーレムを見据えて、修太は自分に気合を入れた。