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「話だけってのも味気ない。そこの侍従、茶を用意してくれ。オレにはリコ・ベリーのジャムをたっぷりな」
ミストレイン王国王城の客室に、トルファの呑気な声が響いた。
幾らグレイが話を聞くことにしたとはいえ、落ち着きすぎだろうと修太はトルファに胡乱な目を向けた。だが、そんな視線を自由な魔女が気にするわけもなく、彼女はさっさとリビングのテーブルについてしまった。イファ・ソルジアものんびりした足取りでそちらに続く。
(……うん。やっぱりこの二人、一筋縄じゃいかねえわ)
マイペースな彼らの様子に、修太は心の中で呟いた。
トルファの注文を受け、ラインがすぐに部屋を出て行く。
修太はちらとベランダを振り返り、トリトラの様子を確認する。トリトラは相変わらず据わった目をしたままだ。シークが彼の酔いをさまそうと声をかけているが、トリトラはそんなシークを不思議そうに見ている。
「あんなに酒に強いのに、トリトラは今日はいったいどうしたんだよ?」
修太は思わずそう聞いた。トリトラやシークだけでなく、グレイが酔っぱらっている姿は一度も見た事が無い。彼らはまるで水を飲むようにかぱかぱと酒をあけていくのだ。唯一、修太はフランジェスカが二日酔いになって寝込んでいるのは見た事があった。
シークは後ろ頭をがしがしとかき、うーんとうなる。
「たぶん、金色の酒のせいかな。初めて見る酒があって、トリトラは美味いって飲んでたけど、俺には甘すぎたから無理だったんだ」
「蜂蜜酒か? 胸やけしそうだな。こいつには合わない組み合わせだったんだろ」
こちらに歩いてきながら、グレイが言った。手には水の入ったグラスを持っている。
(お、意外と優しいとこあるんだな……)
弟子に手厳しいグレイだが、悪酔いしている弟子には流石に優しくするようだ。そう感心した修太は口元に笑みを浮かべた。
だが、グレイはトリトラの前に来ると、グラスの水をトリトラの頭の上にぶちまけた。
「えええ!?」
思わず修太は悲鳴を上げた。
どういうことだとグレイとトリトラを交互に見比べる。若干巻き添えで濡れているシークは、顔を引きつらせていた。トリトラはぼんやりとグレイを見上げるだけで、怒ることも無い。
そんなトリトラをじっと観察していたグレイは、首を横に振る。
「――駄目だな、完全に酒に呑まれてやがる。シーク、ちょっと庭にでも転がして来い。そのうち目が覚めるだろ」
「ちょっとグレイ! 手厳しすぎるよ、それは! ベッドに寝かせてやったらどう?」
「そうすよ、師匠! こいつ、顔だけは女顔なんすから、その辺に放置してたら危ないですって。暴漢に襲われたらどうするんです! こいつ、ボコボコにするから相手が悲惨ですよっ! 前もそうだったじゃないっすか」
修太に続いてシークも抗議する。
(は? なにそれ、どういう事態だよ!)
その内容に修太は目を剥いた。途中まではよく分かる心配だったのが、最後には綺麗にずれた。
「……そうか、ここでそんな騒ぎを起こしたら面倒だな。その辺に放置しておけ」
「そういう問題なのか?」
目を瞬き、修太が唖然とシークに問うと、彼は首を傾げる。
「そういうもんだろ? どこでも危険と隣り合わせなんだ、油断したら危ねえのはこいつだからな。師匠は肝に銘じて反省しろって言ってるんだよ」
あっけらかんと返すシーク。
(そんなこと、グレイは一言も言ってねえよな!?)
なんてポジティブ解釈だと修太は驚いてしまったが、グレイが特に否定をしないのを見ると実際にそういう意味の行動らしい。
(黒狼族の師弟間の教育って意味分かんねえ……)
呆れる修太に、シークは胸を張って言う。
「言っておくけど、こんなに優しいのは師匠くらいなもんだぞ。他の師匠なら、その時点で縁を切られるだろうな。勝手に死んでろって」
「……そ、そう」
見捨てないだけ優しいという話なんだろうかと、修太はひとまず頷いた。
(グレイって、黒狼族の中だと優しい方なのか?)
思わずグレイを見上げると、彼は眉間に皺を刻んでいた。
(こえええ)
グレイの悪人面に震え上がる修太に、シークが更に言う。
「あはは、師匠、照れてる。――いでえ!」
「変な解釈をするな、気持ち悪い」
シークの頭に拳骨を落とし、心底嫌そうにグレイが言った。
(おいおい、本当に優しいのか? どう見ても怖いだろ!)
修太はシークの目がおかしいんじゃないかと疑う。シークはやっぱり残念な頭をしているのだと可哀想に思っていると、グレイがじろりと修太を見た。
「……それで、お前は怪我はねえのか?」
「え? ああ、無いよ。あわやってところで二人が助けてくれたから。そこまではトリトラもまともだったんだけどな……。そんなに怒らないで、許してやってくれよ。完璧な奴なんかいないって」
修太はここぞとばかりに頼んだ。正直、しかめ面のグレイは普段の無表情よりも怖いのだが、これ以上トリトラが不当な扱いを受けるのは見ていられない。
するとベランダに沈黙が落ちた。
眉間に皺を寄せたまま、グレイはしばし黙っていたが、やがて短く呟く。
「……分かった。シーク、部屋に運んでやれ。これからさっきの話を聞く」
不機嫌そうな低い声ながらグレイはそう言うと、ベランダから客室へと移動した。
「ありがとうございます、師匠!」
「あ、ありがとう……」
声を張り上げるシークに続き、修太も礼を言う。グレイからの返事は無かったが構わない。
グレイが完全に部屋の奥に行くと、シークがぼそりと小さな声で呟いた。
「やーっぱチビには甘いよな、師匠」
「なにが? さっきは優しいって言ってたじゃねえか」
「よっこらせっ」と呟きながらトリトラを背負うシークに、修太は訊く。
「一族から出てる師匠の中では優しい方だって言ったんだ。そんでお前には甘い」
「……よく分からん。どこが甘いんだ?」
「んー、そうだな。例えばお前がとんでもない犯罪をやらかしたとして」
「あ、ああ」
物騒な例えだと思いつつ、修太はシークの答えに耳を澄ます。
「断罪する時、苦しまないように一瞬であの世に送ってくれるレベル?」
「……うん。お前の答えを気にした俺が馬鹿だった。ごめんな」
修太は目にちょっとした悲哀を浮かべながら、シークにそう返した。頭痛をこらえる。
(物騒すぎてどこが甘いんだか分からねえ!)
黒狼族の考え方はよく分からない。何度目かになることを考えながら、修太も部屋の中に戻った。