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広間の一番前、一段高い場所に立ったアーヴィンは杯を手にゆっくりと周りを見回した。
「今日のよき晴れの夕べに、よく集まってくれた。今日は長年私に仕えてくれた家臣達をねぎらい、我が国で初めてとなる客人達を歓迎する宴だ。存分に食べ、飲み、騒ごう」
アーヴィンは美しい顔に微笑みを浮かべると、右手の杯を高く掲げる。
「恵みの晴れに、乾杯!」
その声に、広間に集った人々は唱和する。
「乾杯!」
ざわざわと心地よい雑音の中、啓介はご馳走に舌鼓を打っていた。
(うーん、美味い! シュウも来れば良かったのに、もったいない)
客室で出される食事も充分豪華でおいしいが、宴だけあって種類が多い。キノコ料理や肉料理、果物が多いが、目で見ても楽しめる色鮮やかな見た目をしている。味は素朴なものが多いが、素材の味が生きているのでおいしい。
(キノコの炭火焼きは無さそうだな。今度、森で拾って、焚火で焼けばいいんじゃないかな。そうしよう)
代替案を思い付いたところで、給仕の注いでくれた飲み物を口にする。カッと喉を焼く感覚に、思わず口元を押さえる。
「これ、もしかして酒か?」
赤色の綺麗な水はジュースに見えたが、酒だったようだ。
おいしいような気はするが、啓介は給仕を呼んで酒以外を頼んだ。
「なんだよお前、酒飲めないのか?」
トリトラと乾杯しては一気にグラスをあけていたシークが、にやにやと笑いながら啓介に絡んできた。肩に腕を回された上、体重をかけられる。啓介は椅子に座っているからマシだが、それでも十分に重い。
「うわ、酒くさっ。開始三十分でどれだけ飲んだんだよ」
「えー、どれくらいだよ、トリトラ」
啓介が苦情を言うと、シークは左隣の席に座るトリトラを一瞥する。トリトラはテーブルに並んだ酒瓶を数える。
「瓶で三本かな。ここの果実酒はおいしいね」
トリトラはにっこりと穏やかに微笑んだ。
(酒瓶とトリトラ、似合わないなあ)
外見が少女めいているので、違和感がものすごい。それを口にしたら張り倒されるからしないが、ものすごく似合わない。反対にシークは様になっているが。
改めて二人を眺めた啓介は、しみじみと頷いた。
「二人とも、本当に似合ってるね、その服」
黒一色の上下に、青や赤の糸で草花が刺繍された衣装は彼らによくマッチしている。普段から黒服だからしっくりくる色だというのもあるが、バランスのとれた体型や顔立ちの美しさが黒により引き立てられている。下手に飾りのついた服よりも余程彼らの魅力を引き出しているようだ。
「はん、お前に言われるとすげえ微妙な気分になるぜ。なんだよお前、どこの王子だよ」
「シークもそういうこと言うんだな」
「なにが?」
「お世辞だよ。無理に褒めなくていいよ。俺は一般庶民だから普通だ」
啓介の返事に、シークは苦々しい顔をしてトリトラを振り返る。
「うわー、こいつ本気で言ってんぜ」
「シューターが苦労するわけだよね」
「何でそこで修太の名前が出てくるんだ?」
よく分からない話の流れに、啓介はきょとんとする。するとシークとトリトラは肩をすくめて答えなかった。
「まあいいや。お前もいい歳なんだし、酒くらい飲めるようになっとけよ」
頭を切り替えたらしきシークが、再び啓介に絡んできた。手にしたグラスを押し付けてくるので、啓介は両手を前に突き出して拒否する。
「いらないよ。俺はまだ未成年だから、酒は飲まない」
「あん? どこの決まりだよ、それ」
「俺の故郷」
「だったら知るか。ここはミストレインだぜ、この国のルールに乗っかればいい」
「どうせ成人したら嫌ってくらい飲むんだろ? だったら今は飲まなくていい」
頑なに断る啓介に、シークはイラッときたようだ。
「お前、俺の酒が飲めないってのか?」
「君の酒じゃないだろ」
しつこいシークが啓介もまた鬱陶しくなってきた。互いに不穏な空気になってきたところに、呆れた声がかかった。
「やだ、もう。こんな所で喧嘩始めないでよ~?」
グラスを押し合っていた啓介とシークは、一時休戦してそちらを見た。薄ピンク色のワンピースドレスを身に着けたピアスと、藍色のドレス姿のフランジェスカがいた。ちょうどグラスを持つ形になっていた啓介は、ピアスの服装にドキッとした拍子にグラスを取り落した。
「あっ、もったいねえ!」
「シーク、貴様、酒の前に何か言うことはないのか?」
フランジェスカがじろりとシークを睨む。
「着飾った女性には、世辞の一つでも言うのがマナーだ」
「二人とも、よく似合ってるよ。騎士さんがドレス姿で来たのはちょっと意外だったけど、海の宝石みたいだよ」
にこりと微笑んだトリトラが、そつなく褒めた。フランジェスカは気まずげに身じろぎする。
「そこまであからさまに褒めなくていい」
「僕は嘘は言わないけど?」
不思議そうにするトリトラ。
「ねえ、君もそう思うだろ?」
笑顔で話を押し付けてきたトリトラに焦りつつ、啓介はすぐに落ち着きを取り戻し、満面の笑みを浮かべる。
「もちろん。フランさん、とっても綺麗ですよ! それにピアスも。とても……その、とても可愛い。うん。その花、いいね」
ピアスを褒める時は、ちょっとぎこちなくなったが、なんとか言い切った。頭や首に白い花のコサージュをつけているピアスは、パッと明るく微笑む。
「本当? 私もこれ、気に入ってるの。ありがとう」
嬉しそうに礼を言った後、ピアスは会場入りが遅れたことを詫びた。
対応してくれた侍女達がはりきりすぎて、気付けば約束の時間に遅れていたそうだ。
「グレイとサーシャが参加してるのは意外ね。あれ? シューター君はどうしたの?」
「体調が悪いから部屋で留守番だよ」
啓介はそう答えながら、ピアスにばれない程度にちらちらとピアスを見た。幅広の袖と、刺繍されたチュニックを、ロングスカートのワンピースの上に着るのは同じだが、襟元は大きく開いていて、綺麗な鎖骨が覗いている。結い上げた銀髪は複雑に編み込まれていて、それだけで芸術品みたいだ。
(花の妖精っていたらこういう感じなのかな……)
すっかり脳内が花畑と化している啓介は、随分メルヘンなことを考えている自分が恥ずかしくなって、ピアスから目を逸らし、ピアスの見ている方を見た。そこでは、エルフ達と楽しく酒を飲むサーシャリオンと、中年の男性エルフに何か話しかけられてうんざり顔のグレイがいた。
(なんて対照的な二人だ……)
面倒そうにしているグレイを見たら、ちょっと頭が冷えた。それでトリトラやシークに視線を移すと、二人はにやりと笑い、啓介の肩をポンと叩いてきた。
「まあ、頑張れよ、クソガキ」
「分かりやすくて面白いけど、もう少し表情筋を引き締めた方がいいかもね。師匠ほど頑張らなくてもいいけど」
トリトラが笑顔で毒を吐き、啓介はグレイに聞こえなかったかと冷や汗をかいた。
「え? え? いったいどういう……」
戸惑う啓介に構わず、トリトラはするりと席を立つ。
「ご婦人二人はこちらの席へどうぞ。何か食事を取ってきてあげるよ」
「珍しく親切だな、トリトラ」
「ありがたいけどちょっと気持ち悪いかも」
フランジェスカやピアスが好き勝手に言い返すと、トリトラはやれやれと肩をすくめてみせる。
「失礼だなあ。僕は女性には優しい方なんだけど。特にこういう場ではね」
顔を一瞬だけしかめたトリトラだが、足取りは楽しそうに、部屋の中央に置かれた食事の置かれた長テーブルへと歩いていってしまう。
「あんなこと言って、普段はあたし達のこと、絶対女扱いしてないわよねー」
あいている席に腰掛けながら、ピアスが口を尖らせる。フランジェスカもピアスの隣の席に落ち着いた。
「あ? 女扱いしてんだろうが。でなきゃもっと冷たいぞ、あいつ。こいつへの態度を見てたら分かるだろ」
琥珀色の酒の入ったグラスを片手に、シークが言った。
啓介は苦笑する。
シークの言う通りだ。基本的に黒狼族の三人は啓介とは最低限しか関わろうとしないが、トリトラは特に顕著だ。それどころかたまに毒舌が飛んでくる。
(たぶん、シュウがいなかったら、絶対に俺らとは行動してないよなあ)
そう思うとこうして席を同じくしているのは奇跡だ。
「お前だって冷たいだろうが」
朱色の果実酒を一口飲み、フランジェスカがシークへ突っ込む。
「俺は師匠とトリトラ以外は皆似たような対応してんだろ。あいつは態度を使い分けるから性質が悪い。性格悪いからなあ」
あははと明るく笑うシーク。笑うところか謎だったが、啓介も笑っておいた。
「なに馬鹿笑いしてんの、シーク。アホっぽい」
ご馳走の乗った皿を手に戻ったトリトラがシークに毒を投げる。
「お前が性格が悪いって話だよ」
「人のいない場所で悪口言うなよ。嫌な奴」
「あ? 悪口ってのはそいつがいない所で言うから面白いんだろ。第一、性格が悪いのは事実だろーが」
「君は頭が悪いけどね」
トリトラはさらりと言い返し、フランジェスカとピアスの前に皿を置いて、席に戻った。女性達は口々に礼を言う。
「ほらな、性格悪いだろ。口も悪い」
シークはけけっと笑い、グラスをあおる。
「僕みたいな奴の方が長生きするからいいんだよ。良い奴は割と早死にだ。君なんてまさにそうだから気を付けなよ」
トリトラの言葉に、啓介はなんと返せばいいか分からず、引きつり気味の笑みを返した。
「それは確かに言えるな。サーシャを見ろ、長生きだろう。あいつ、一癖も二癖もあるからな」
話に便乗し、フランジェスカがサーシャリオンをこきおろす。
(なんなんだ、この皮肉合戦……)
酒が入るとシニカルになる人間が揃っているのだろうか。
慣れない空気に啓介は困惑する。
「おい、白いクソガキ。酒くらい飲めないとモテねえぞ」
「だから飲まないって……はあ」
シークが再び絡んできた。啓介は投げやりに言い返した。