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「今日も雨は降ってないな」
修太は窓の外を眺めながら、一人ごちた。
ミストレイン王国に入って以来、一度も雨が降っていない。
この国は雨降らしの聖樹の影響で、一年の大部分の日が雨が降ると聞いていたから不思議だ。噂はガセだったのだろうか。
「それは今が止雨期だからでございますよ」
客室付の侍従であるラインが、至極当然といった口調でそう答えた。
「止雨期?」
修太はラインへと視線を向ける。他の皆もラインに注目したが、当のラインは衣装箱から衣類を取り出すのに忙しくて気付いていない。だが説明は返った。
「一年のうち、一ヶ月ほど雨が止む時期のことです。恵みの晴れですね。――ああ、これが良い」
黒い生地で出来た衣服を両手で掲げ、あちこち観察した後ラインは満足げに頷いた。そして、その服を右隣にいた侍女に渡す。侍女はすぐにそれをハンガーに掛け、持ってきた台へと引っ掛けた。
今晩の宴では、客達はエルフ流の正装を身に着けて参加しなくてはいけない。それでラインは準備に追われているのだ。修太達はというと、食堂に集合して、ラインが選んだ服を着る為に待機している。
エルフ流の正装は、幅広の袖がついた詰襟の服の上に、前面に草木や花の刺繍が施されたチュニックを着て帯を締め、ズボンを履く。靴は刺繍や飾りが付いた布や革製のブーツや靴だ。そして、角型の帽子を被るのだが、この帽子は後ろにひらひらした布がついたものと無いものがあるらしい。色はさまざまで、紫と銀と金以外の色ならどれでも良い。
衣装箱の山や台を見ていると、うんざりしてしまう。とはいえ、選べと言われないだけマシである。
一番最初に試着することになった啓介が、侍女に青色の衣服を着せられながらラインに問う。
「ねえ、ラインさん。毎日雨が降っていると野菜を育てるのは難しいと思うんですが、どうされてるんです?」
「野菜は温室か雨避けの下で育てます。雨避けの場合は、水はけが良くなるように溝を周囲に掘った場所です。育てるのは大変ですが、森に行けば何かしら食べ物は手に入りますので、多少不作でも問題にはなりません。そうそう、我が国ではキノコがよく育つので、キノコ好きが多いんですよ」
確かにこれだけじめじめしていれば、キノコが育ちやすいだろう。
(栄養価が高いキノコで、食料をカバーしてるのか?)
修太はエルフ族の食料事情について思う。実際に生活してみないと、どうなっているかまでは把握出来ないように思えた。
(俺らの中にキノコ嫌いがいなくて良かったな)
修太達の中には、あまり食べ物の好き嫌いをする者がいない。修太や啓介以外、余程、体に合わなくて毒になるものを除けば、好き嫌いをする程の食料的な余裕がない状況で育った者ばかりだからだ。
(炭火焼きのキノコが出たらいいなあ)
修太は夕飯の内容を想像して、宴が待ち遠しくなった。
「これで終わりです。お疲れ様でした」
「ありがとうございました、侍女さん。見ろよ、これ。格好いいな!」
ぼんやりとキノコ料理に想いを馳せていた修太は、侍女と啓介の声に我に返った。そちらを見ると、白をベースに青の差し色を施された衣服を身に包んだ啓介が立っていた。帽子も含めてよく似合っている。
「似合ってるぞ。アーヴィンと絵師が喜びそうだ」
修太の率直な感想に、啓介は照れ笑いを浮かべる。
「ラインさんの見立てが良いんだよ。ありがとう、ラインさん」
「どういたしまして」
ラインは淡々と返事をするが、満更でもなさそうだ。修太が初めて目にする、微かな笑みを目元に浮かべている。
(こいつ、また一人味方を増やしやがった……!)
驚くべき人たらしの才能だと啓介に改めて恐れおののいていると、ラインは次に試着する人の名を呼んだ。
そして、着飾ることに気乗りしない様子の黒狼族達が着替え終わり、サーシャリオンがノリノリで青色の衣装を身に纏うと、修太の順番が来た。
「――あ」
修太を見て、ラインが小さく呟いた。
「何か問題か?」
普段より若干煌びやかな黒い衣装を身に纏ったグレイがラインに一瞥を寄越す。修太もラインをどぎまぎと見た。自分の時だけいったいどうしたのだと不安が首をもたげた。
「子ども服の用意を忘れておりました。申し訳ありません。直ちに探して参りますので」
ラインが頭を下げ、焦った様子で扉へ向かう。
ここに至るまで、すでに試着開始から二時間は経っており、外は夕闇に包まれ始めていた。今から服を探して着つけても、宴開始の指定時刻には間に合わないだろう。
修太は即座に判断し、ラインに声をかける。
「待って下さい、ラインさん」
「はい?」
すでに扉の取っ手に手をかけていたラインがいぶかしげに振り返る。
「俺の分はいいですよ。なんとなく体調が悪くなってきたので、出来ればここにいたいです」
「しかし……」
「夕飯さえ持ってきてくれれば構いませんから。お願いします」
修太が重ねて言うと、ラインは渋々頷いた。
「畏まりました。では荷物を片付けて退室致しますね」
そして、ラインや侍女達は、箪笥の乗った浮遊する台車とともに部屋を去っていった。
「なんであんな嘘ついたんだい? シューター」
ライン達がいなくなると、トリトラが不思議そうに訊いてきた。
「どっちにしろ、このままじゃ時間に間に合わないだろ。後から会場入りするなんて悪目立ちするの嫌だし、騒がしい場所は苦手だから不参加になるちょうどいい機会と思ってさ」
修太は別にライン達の手間を惜しんだわけではない。目立つのが嫌だっただけだ。
修太の返事に、トリトラはよく分からないという顔をした。普段から目立っていて人の目に慣れている者は、目立ちたくない者の気持ちは理解出来ないのかもしれない。
「それに俺はしょっちゅう寝込んでるから、アーヴィンの野郎も不思議には思わないだろ」
「確かにのう」
サーシャリオンが同意した。
「啓介、俺の宴への不参加は代わりに謝っておいてくれ。それで炭火焼きのキノコが出た時はお土産にくれ」
修太が啓介に頼むと、啓介が笑った。
「分かった。炭火焼きのキノコな、了解。でも本当にいいのか? エルフの宴、楽しそうなのに」
「騒がしいのは好きじゃないし、アーヴィンの顔を見たいわけでもないし。割とどうでもいいかな」
「……本当にどうでもいいんだな。分かった」
諦めたように頷く啓介。
なんだその反応はと修太は訝しく思ったものの、分かったならいいかと納得した。
「エルフの国に入れてもらった立場上、宴には出ないとまずいからな。俺らは行くが、不用心な真似はするなよ」
最後に、グレイが注意したので、修太は大人しく頷いた。
啓介達が宴に出かけた後、部屋に一人分の食事が運ばれてきたが、ラインはすぐに宴の手伝いに行かねばならないらしく、食器はテーブルに置いたままにするように言われた。
当初は、客室はもぬけの空になるはずだったのだ、ラインに予定があっても驚かない。
修太は手早く食事を済ませると、茶器の乗った盆を手にベランダに出た。そこにはテーブルと椅子が置かれているので、修太はその席について熱い茶を飲む。ついてきたコウが、修太の足元に寝そべった。
ミストレインはセーセレティー精霊国同様、じっとりと湿った暑い気候だが、この客室は二階にあるので、風が通って涼しい。
(グレイには不用心な真似をするなって言われたけど、ここでくつろぐくらいはいいだろ)
修太はこういう、一人の時間が好きだ。他人が嫌いなわけでも、人間嫌いでもないが、たまにこうして一人で風の音を聞いていると落ち着くのである。
そんなことを口に出すと、啓介に爺臭いと言われるので秘密にしているが。
木の枝が風に鳴る音が聞こえる。
星が明るい夜だ。
耳を澄ますと、遠くから宴の賑やかな声の切れ端が届く。
祭りでにぎわう大通りから、一本奥へと道をそれたような、そんなわびしさも混在している。
(良い夜だな……)
それら全ての空気が心地良い。
修太はぼんやりと藍の闇へ目をこらす。
その目がふと、青く淡い光の群れを捉えた。