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「トルファさん、そんなこと言ってたんだ」
啓介はへえと呟いて、考え込むような仕草をした。
戻ってきた啓介やグレイにトルファの話を伝えたのだが、どうも啓介の反応は修太には面白くない。
「どうして“楽しそう”って顔してんだよ、お前。面白がりのサーシャ菌にでも感染したんじゃないだろうな」
「なんだよそれ、サーシャに失礼だよ」
啓介はそう言ったが、ツボに入ったのか笑っている。お前も充分失礼だから安心しろ。
「いや、不謹慎だけど、ファンタジー小説みたいだなって思ってさ。追い出された側が故郷に戻って一波乱起こすってよくあるだろ」
「お前らの故郷はどれだけ物騒なんだ」
「グレイ、啓介の話はただ例えだよ。物語や劇でよくある内容って意味」
「……そうか」
不審げに口を挟むグレイに修太が解説すると、グレイは理解出来ないというように目を逸らした。そして、いまだに笑い続けている啓介を咎めるように、ひたりと見据える。それにぎょっとした啓介の顔から笑みが消える。
「ミストレインのことはエルフ以外誰も知らん。奴らは約束を守り嘘を吐かないが、秘密主義だ。隠すと決めたことは一切外には出さない。その魔女が忠告するってことは、国内で起きていることが本当に面倒なんだろうよ。淀んでいるのは分かるのに、何が原因かがはっきりしない。そういうことだ」
そんな風に重々しく語られると、雨降らしの聖樹のある地がラストダンジョンに思えてくるのでやめて欲しい。グレイが言うと説得力があって恐怖感が倍増するので余計に。
「そうだね。白黒はっきりしないことが怖いっていうのは、こないだのダークエルフの件で身にしみた」
啓介はしみじみと頷く。更にグレイは言う。
「俺は何度も、貴族に関わるとろくなことにならないと言っている。ケイ、お前、あの王族である迷子エルフ一人で困っている癖に、面白がる余裕がよくあるな。もう少し緊張感を持て」
「誤解しないでくれよ、グレイ。俺はアーヴィンさんのことも面白いと思ってるから」
修太だったら縮こまっているに違いないグレイの厳しい態度へ、啓介はにこりと笑みを返した。
室内で猛獣と対峙しているような空気に、修太は冷や汗をかく。
「ごめん、グレイ。啓介がこういう態度なのはいつものことだから気にしないでくれ。何も考えてないように見えて、ちゃんと考えてこういう態度だから心配しなくていい。まあ、グレイがピリピリするだけの警戒する理由が他にもあると思うんだが」
修太はグレイと啓介の間に割って入るようにして、グレイに謝った。グレイは少し雰囲気を和らげ、仕方ないなというように息を吐く。
「貴族っていうのは、敵対した相手の、どんな小さな落ち度も拾い上げて武器に使う。例えば、誰々という貴族はつまらない人だな? と訊いてきて、ハイだの頷きだの返せば、それでそいつは終わりだ。この男が陰口を言っていたと追い込む材料にされる。つまらん奴が王だった場合はどうなると思う? 最悪は王政批判をしたとして、反逆罪で処刑だ」
淡々と語るグレイ。修太はごくりと唾を飲んだ。正直、身分制度というのがそこまでのものだとは思っていなかったので、見通しの甘さに背筋が冷える。
「社会的に潰す方法もあれば、毒殺や事故死に見せかけた襲撃なんて手を使う奴もいる。王位継承でごたついている城の中に入るってのは、顔だけ笑ってる悪魔の巣に手ぶらで出向くようなもんだ。――どうだ? 少しは面白くなくなったか」
薄らと笑みのようなものを浮かべ、グレイは啓介を一瞥した。
ニヒルな笑みが様になりすぎだ。恐ろしい。
居合わせたとばっちりに修太は青ざめ、啓介を凝視する。すると願いが通じたのか、啓介は素直に謝った。
「悪かったよ、グレイ。そんなに脅かさないでくれ。でも、どうしても楽しみなんだ」
おいコラ、啓介。グレイの眉がまた寄ったじゃねえか、怖いだろ!
「だって考えてもみてくれよ。人間じゃ誰も入ったことがない、エルフの国なんだぜ? どんな所かって想像するだけで楽しみになるじゃないか」
銀色の目をキラキラと好奇心に輝かせ、身を乗り出すようにして啓介は言う。その熱気に圧されたのか、それとも分かってないことに更に怒りを覚えたのか、グレイの眉間の皺が深くなった。苛立たしげに黒い尾が揺れている。だが、啓介は両の拳を握って熱弁する。
「それにどろっどろした王宮事情も面白そうだ! ああ、大丈夫大丈夫。グレイの忠告は分かってるから、下手は打たないよ。そりゃあ俺はグレイ程の人生経験はないけど、正直、グレイよりは対人関係は良いと思ってるよ。敵と味方とグレーゾーンくらい見分けられるって。な、修太!」
「てめえ、そこで俺に振るんじゃねえ!」
雑な纏め方をする啓介に怒りを覚えるが、啓介はにこにこ笑っているだけだった。しかもさりげなく失礼なことを言っている。
グレイはしばらく沈黙した後、はあと溜息を吐いた。説教を諦めたらしい。
「……シューター、お前は分かったのか」
こっちに矛先が向いたことに慌て、修太は大きく頷く。
「とてもよく分かりました!」
「子どもを狙うほど腐っていないことを期待するが、何が起きるか分からねえ。ケイ、お前はフランジェスカにでも心構えを教われ。あの女はまがりなりにも元騎士だ。俺よりも貴族には詳しいだろ。俺はまあ、一度毒を盛られた程度の経験しかないんでな」
「いやいや、充分な経験だと思うよ!?」
修太は思わず叫んだ。グレイがやたらと貴族に不審感を露わにする理由が垣間見えた。
――レステファルテの貴族、怖っ。
グレイは自分のトランクの上に置いた紙袋から、薬入れのような小さな木箱を取り出して、修太と啓介に放り投げた。
両手で木箱を受け止めた修太は、花の絵が彫り込まれた木箱を見下ろす。
「これ、何?」
啓介が問うと、窓辺に座ったグレイは煙草に火を点けて一服した後、静かなトーンで答える。
「解毒剤だ」
「え?」
「は?」
解毒剤?
「劇薬の時は効果を弱めるし、弱い毒なら中和する。怪しいと思ったら、飲み食いする前に一粒飲んでおけ」
平然とした態度でそう言うと、グレイは興味を失くしたように窓の外を見た。話は終わりのようだ。
「へえ、こんなものがあるんだな。便利だ」
「……お前、ほんとお気楽だよな」
感心して微笑む啓介の豪胆さに、幼馴染ながら呆れる修太だった。