10
「ったく、啓介の奴……」
別れ際に豆本と霧の観測帳を預かった修太は、ダークエルフ達の村である〈石の森〉を出ると、「アホかあいつは」と口の中で文句を呟いた。
「霧の観測がそんなに大事か……?」
うろんな目で、観測帳を見下ろす。溜息と共に、旅人の指輪へと仕舞った。観測帳はパッとその姿を消した。
「相変わらず変人だよねえ、彼。見た目は良いのにもったいないというか……残念?」
トリトラが両腕を組み、うなった。そんなトリトラに、シークは腕で後ろ頭を支えながら言う。
「んなことより、俺はさっきの村長の方がおっかなかったな。カラーズの話をしてた時のあいつの目、レステファルテの商人と同じ目ぇしてたぜ」
「俺は海賊と似てるように思った」
修太は渋い声で呟いた。
イルドネのあの目は、修太や啓介を人間ではなく物と見ていた。レステファルテ国で海賊にさらわれた時の事を思い出す。やっぱりあの時の海賊の目と似ている。
「失礼だぞ、お前達」
山中を歩く足を止め、ロノがじろっと修太達を睨んだ。彼の先導で集落から離れていた為、修太達も自然と立ち止まる。
フランジェスカは悠々とした態度で問う。
「だが、間違いではあるまい? 彼は金稼ぎを好むのか?」
「あの方は、我らの未来の為に常に頭を悩ませているんだ」
我慢ならないという様子で、ロノは声を荒げた。苛立ちを隠しきれていないようで、金の目が神経質そうに細められる。
だが、フランジェスカはあえて気にしない態度で更に言う。
「いったい何に頭を悩ませているのか知らぬが、貴様らがビルクモーレでしたことは事実だ。だから私には不思議でならない。ロノ殿、間違ったことをしていないと信じているのなら、何をそんなに苛立つ必要がある? 堂々としていればいい」
率直な言葉だった。
あまりにも核心を突いたことをフランジェスカがあっさり口にしたものだから、修太達は思わず黙り込んで、ロノの様子を伺った。今までの態度から彼はきっと怒ると思ったが、意外にもロノは目を見張って凍り付いていた。呆然と、鍋で頭でも叩かれたみたいに。やがて風が吹いて木々の枝を鳴らして通り過ぎると、その音でロノはハッと我に返り、修太達から目を背けた。
「……ああ、そうだな」
そう短く返し、再び山を歩き出すロノ。
なんだかその声が自信がないものに聞こえて、修太は怪訝に思う。ちらりと足元を歩くコウに目を向けると、目が合ったコウは「クゥン?」と不思議そうに鳴いた。コウも変に思ったのかもしれない。
(ダークエルフ達にいったい何が起きてるんだ……? 花紋病と魔女以外にも、他に何かあるんだ、きっと)
修太は歩みを再開しながら、そっと後ろを振り返る。
熱帯樹の枝葉で、すでに〈石の森〉への洞窟を見ることは出来なくなっていた。最後尾からついてきている村守の男二人が、顎で進むように促すので、また前へ向き直りながら、修太は訳もない不安にとりつかれた。
(啓介、大丈夫だよな……?)
イルドネの様子が怖かったから不安だ。死んだ時に感染者が出るのだから、殺されることはないと信じたいが、それ以上に心配なのがカラーズに価値を見出していたことだ。
魔法使いを使って金儲けをしたいなら、奴隷商に売る以外にも出来ることはある。答えは、血だ。力の強いカラーズの血を用いた血染めの糸での魔法陣の刺繍は、大きな財産になるのだから。
(あいつ、白銀だからな。それだけ見たら、良いカモだよ)
血に魔力を宿すカラーズにとって、流血とは魔力を失うことと同じ意味を持つ。啓介やフランジェスカなら多少は平気かもしれないが、同じことを、魔力欠乏症を患う修太がされたら命に係わるのは簡単に想像がつく。だからといって、並みの人間でも流血は危険な事だ。失血多量で死ぬかもしれない。
ピアスが上手くガードしてくれることを祈ろう。
(そういやあいつら、どさくさ紛れで二人っきりじゃねえか。啓介よ……がんば)
何となく不憫になって、修太は心の中で声援しておいた。
啓介のことだ、きっといざ二人になるまで二人きりだという事実に気付かないだろう。それで気付いた時には内心大慌てに違いない。それで我慢大会なんだろうなあと予想がつく。
修太は置いてきた幼馴染のことで、色々と考えながら必死に足を動かす。容赦ないスピードで山を登るものだから、リーチが短い修太はついていくのが大変だ。それに朝から魔力不足を引きずっているので、そろそろ気にしないフリもきつくなってきた。
ダークエルフ達が村へ戻るまでの辛抱だと自分に言い聞かせ、修太はうんざりした気持ちで登り坂を見上げた。
*
一方その頃、啓介は修太の心配通り、内心大慌てだった。
(うわああ、そうだ、ピアスと二人きりなんじゃないかーっ)
この後がどうなるのかということばかり気にしていて、そんな大事なことに気付いていなかった。
啓介は頭を抱えたい衝動と、ラッキーだと喜ぶ声とのせめぎあいの中で、一人もだえていた。
「どうしたの、ケイ」
「ううん、何でもない」
七面相をする啓介を怪訝そうに見るピアスの問いに、啓介は爽やかに笑って首を振った。
「ダークエルフの家って面白いね。家というか、洞窟だけど」
荷物から取り出したランプに、火の代わりに〈白〉の光の魔法をかけて、明かりの代わりにしながら、啓介は“家”を見回した。魔法の光は、蝋燭や油による火よりも明るく辺りを照らし出し、余裕で立って移動出来る高さはある天井を露わにする。
ラフィオラの隣の“家”だという洞窟は、中で二つに分かれていた。一つは寝室で、一つは居間兼台所のようだ。部屋の真ん中に扉があって、その向こうが寝室らしい。前の住人の荷物がそのまま置いてある為、それを使うように言われた。ラフィオラによると、前の住人は花紋病で亡くなったそうだ。
「家の中で火を使うのは基本的に禁止だよ。明かりは使っても一つの部屋で一つだけって決まり。空気が薄くなるからさ、分かるでしょ?」
部屋の戸棚を調べて食料が腐っているのを見つけ、ラフィオラは顔をしかめながらそう教えた。
「これは捨てよう。あとこっちもだね。水も捨てないと……」
嫌そうにしていた割に、ラフィオラは面倒見が良い。男勝りだし、年齢的に考えれば姉御肌というのかもしれない。啓介から見ても大人には見えないが、それを口に出したら怒るだろうから言わない。
物珍しげに洞窟を見回していたピアスは、真面目な顔でラフィオラに問う。
「ラフィオラさん、料理とお風呂とトイレはどうすればいいの?」
「トイレは共用の物だよ。風呂は村の奥に滝があるから、そこの水場で水浴び。料理は、奥の畑の傍にカマドがあるから、そこでするの。後で案内するけど、トイレはともかく、他のことはお前達だけで行くのはやめた方が良いわね。石を投げられても知らないよ」
石を投げる?
そこまで余所者が、いや、他種族が嫌いなのか。
排他的で閉鎖的な集落だ。分かっていたことだが、なんだか思っていたより厳しそうだ。
啓介やピアスの不安を読み取ったのか、ラフィオラはふんと鼻を鳴らす。
「村長に頼まれたからには、ちゃんと面倒見るわよ。だからそんな風に不安そうにしないで、鬱陶しい。――なによ」
啓介がラフィオラを驚きの目で見たことに気付いたようで、ラフィオラは面倒くさそうに睨んだ。普通なら機嫌が悪くて怖いと思うかもしれないだろうが、ラフィオラは最初から機嫌が悪いので、啓介は特に億劫に感じない。思ったことをそのまま口に出した。
「いや、意外だなって思って。俺らのことは嫌いなのに、イルドネさんの言う事は守るんだね」
「当たり前でしょ。村長の言うことは絶対なの。村の長である前に、一族の長なんだから。あんなに聡明で気を配れる方、そうそういないんだから」
えっへんとばかり胸を張るラフィオラ。
仕草の一つ一つがやはり子どもじみているのだが、当の本人は気付いていないようである。
啓介が生温かい視線をラフィオラに向けていると、ラフィオラはすぐに不機嫌の皮を被り直した。
「とにかく! とっとと準備するよ。夜になったらお前、きっと動くどころじゃなくなるからね」
「え? 夜?」
「すぐに分かるわよ。植物は夜に成長するの。その病気も同じよ」
辛いことを思い出したのか、ラフィオラは浮かない表情になる。そして、この時ばかりは啓介に同情的な目を向けていた。
不吉なものを感じた啓介は、これはきちんと備えておかなければと決意をする。
「だからね、あんたはあっちの部屋で、扉を閉めて寝なさい。でないと、こっちの子はうるさくて眠れないだろうからね」
「どういうことなの?」
ピアスが慎重に訊く。
「花紋病にかかった者は、下がらない熱と嘔吐にさいなまれながら苦痛のうちに死んでいくのよ。でも最初のうちはそうでもないわ。苦しいのは夜の間だけ。その期間がどんどん長くなっていくの。それで、その花が頬まで成長したら、ジ・エンド」
「……そうなの」
ピアスが悲しげに瞳を揺らし、啓介を見た。
「あの……さ、ピアス。つらかったら、今からシュウ達に合流しても構わないよ?」
きつい目に遭うのは啓介なのに、ピアスの方が泣きそうなので、啓介は思わずそう口に出していた。自分のことでこんなに心を痛められる方がずっと耐えがたい。
だが、ピアスは首を振った。
「いいえ、ここにいるわ。あたしが行ったって足手まといだろうし……何より病気の時に誰も傍にいないのって寂しいでしょう?」
思いやりの気持ちが温かく、啓介の胸がドクリと鳴った。
ピアスは本当に、優しくて良い娘だ。それを再確認した。
「そうだね……。ありがとう」
今は痛みがないから実感が湧かないが、暗い予感に不安に揉まれそうになる意識が上向いた。
礼を口にして、啓介は笑った。
「はいはい、いちゃつくのは後にして片付けるわよ」
しんみりしていると、ラフィオラが心底迷惑そうに言った。
そんなことをした覚えはないが、何となく気恥ずかしくなったので、啓介はそれは聞かなかったことにして、荷物の整理に努め始めた。