9
双子山脈の兄山の中腹に、その洞窟への入り口はぽっかりと口を開けていた。そこだけは灰色の岩肌が露わになっている。入り口の両脇では篝火が焚かれ、二人のダークエルフの青年が槍を持って立っており、ロノを見つけて会釈した。
「守長! 彼らはいったい?」
警戒する門番に、ロノは事情を説明し、いったん修太達をそこで待機させて、ロノは洞窟へと姿を消した。やがて戻ってくると、村長の許可が下りたと言って、修太達を中へと手招いた。
「村に入る前に、武器はここで預かる。それから、妙な真似をしてみろ、捕縛して牢にぶちこむからな?」
ロノは低く脅しをかけ、修太達から武器を取り上げ、野営地を取り囲んでいた方のリーダーのダークエルフ――レガンに管理を任せた。
「魔女の討伐の時には返してもらえるんだろうな?」
フランジェスカの問いに、ロノは頷きを返す。
「当たり前だろう。素手であの魔女の相手をさせる程、俺達は鬼じゃない。それに、成功率を上げる為にも、武器は必要だ。まあ、無理だとは思うがな」
相変わらず、ロノは修太達の戦闘メンバーの腕を信用していないようだ。
(サーシャがいるから、大丈夫だと思うんだけどな)
修太は心の中で呟く。
それに、パスリル王国一番の剣士であるフランジェスカ、レステファルテで名高い冒険者のグレイもいるのだ、よっぽどの事がない限りは上手くいくだろう。
「さあ、行くぞ。ついて来い」
修太達はロノの背を追いかけて、洞窟へと足を踏み入れた。一番後ろからラフィオラがレガンや他のダークエルフを伴ってついてきて、睨みをきかせているせいでちょっとだけ落ち着かない。
鍾乳石が垂れ下がる暗い通路を抜けると、広々とした空間に出た。
暗い場所から急に明るい場所に出たせいで、眩しい。やがて目が明かりに慣れたそこには、広大な地下都市が広がっていた。
「すげえ……」
修太はあんぐりと口を開け、テラスになっている場所から眼下の光景を見下ろす。
乳白色をした洞窟をくり抜いて作られているらしく、ところどころに住居のように穴があったり、せり出したりしていて、仕切りが設けられている。
「地下に暮らすのはドワーフだけじゃないのよ。分かったら、足を止めずに進みなさい。出来そこないのクソガキ」
後ろから刺々しい声が飛んできた。もちろん、声の主はラフィオラだ。気のせいではなく、嫌われたようだ。身長が小さい発言が気に食わなかったのだろう。
「俺の名前は、修太だ。出来損ないのクソガキじゃない」
「出来損ないを出来損ないって言って、何が悪いのよ。それにあんたはクソガキでしょ?」
「じゃあ、あんたのことはチビのダークエルフって呼ぶぞ」
「そういうとこがクソガキだって言ってんのよ!」
ラフィオラが切れた。
「どっちもガキだろ」
「うるさいわよ、レガン!」
ラフィオラのすぐ後ろにいたレガンがぼそりと呟いて、ラフィオラに思い切りにらまれた。
「だいたい、何なのよ、あんた。フードをずっと被っちゃってさ、陰気くさい!」
そう言うラフィオラはフードを外している。長い黒髪を無造作に背に流し、褐色の肌をした小作りな顔をさらしていた。ぱっちりした琥珀色の目と、小さな鼻、赤い唇は美少女というにふさわしいが、目が大きいせいか、顔を見ても子どもっぽく見える。いや、むしろ大人にはどう見ても見えない。
修太は淡々と返す。
「ひとの勝手だろ」
「生意気!」
ラフィオラは更に憤然となる。その言葉に、シークが同意するように頷いた。
「ああ、俺もこのチビは生意気だと思う」
「……うっせえよ」
何、便乗してんだ、この野郎。
修太はシークへも悪態を返す。
すると、啓介がこちらを振り返り、苦笑を浮かべて口を挟んだ。
「シュウ、落ち着けよ」
困った様子で、静かにするように口元に指先を当てる。
「分かった。悪い」
そうだった。啓介をここに残していくのだから、あまり波風を立てるのは良くない。
修太は素直に謝って、口をつぐんだ。
「うわ、なんなの。素直すぎて気持ちわる……」
「ラフィオラ、いい加減にしろよ。そんなんだから、お前はいつまでも小さいんだよ」
「どこがよ!」
ラフィオラは今度はレガンにくってかかっている。
身長以外に何があるんだろう。
修太は内心で首をひねりつつ、うんざりした様子のロノが早く来いと手振りで示すので、足を滑らせないように気を付けながら、スロープ状の通路を下へと下りていった。
「長、先程お話した人間達です」
「――ああ。この少年がそうなのか?」
「ええ」
ロノは丁寧な口調でそう言って、椅子に座る老人に、啓介を示した。歳のせいか髪の色が灰色の老いたダークエルフの男は、その金の目で、敷物に座る修太達を見る。観察するような、鋭い眼差しだ。
村長のいるこの家――というより、洞穴というべきなのか、この区画は円形のホールになっており、床には絨毯が敷かれている。そして、壁には動物や模様などのさまざまな刺繍が施された色とりどりの布がかかっていて、部屋を豪奢に飾り立てていた。更に、鹿の頭部や、極彩色の鳥の剥製も飾られている。
「私はこの〈石の森〉の長、イルドネだ」
イルドネの声はしゃがれていたが、威厳に満ちたものだった。一つの部族を束ねる長の貫録がある。
自分が名乗ると、修太達にも名乗りを要求し、名を聞き終えたイルドネは、啓介の腹の花紋を確認すると、深々と椅子に腰かけた。
「まったく、人間にまで被害が及ぶとは……。こんな奥地に来る人間は滅多といないから油断していた。だが、その理由が奇跡の霧を探しになど……馬鹿馬鹿しい」
不愉快そうに呟き、「しかし」とイルドネは続ける。
「お前達があの魔女を討伐してくれるならばありがたい話だ。出来るものかは怪しいがな」
ロノと同じことを言い、イルドネは大きく頷く。
「だが、まあいい。どちらにせよ、その少年を山から出すわけにはいかない。駄目元でお前達に賭けてみることにしよう。さすれば、パスリル王国まで行く手間が省けるというものだ」
「パスリル? いったい何の話だ?」
故国の名前が出たからか、フランジェスカがピクリと眉を上げた。
「ふ。お前達が無事に戻れた時に、祝いに話してやる。――それより、その少年の待遇の確認だったな? そうだな、ラフィオラ、君が彼の世話役になりなさい」
「え!? 何故ですか、村長!」
非常に嫌そうに顔をゆがめるラフィオラ。
「ロノが先に戻るように言ったのに、聞かなかったそうだね、ラフィオラ」
「うっ。だ、だって、出来損ないなんか信用出来ないし、何かあったら困るから……」
「同じ事を考えたから、ロノは君を先に帰そうとしたんだとは考えなかったのか?」
「うう……」
ラフィオラは居心地が悪そうに身を縮めた。
「お前を野放しにすると、魔女の討伐についていきそうだからね。そうならないように、彼の世話役は君に任せることにする。いいね?」
「はい……」
渋々ながらラフィオラが受け入れると、イルドネはふっと笑った。
「何か入用なら、後でおいで。まあ、彼らも野営していたのなら最低限の荷物はあるだろうが」
「はい、分かりました」
どうやら、啓介は客としてそれなりの待遇は受けられそうである。
もっと粗雑な扱いを想像していた修太が少し驚いていると、グレイが口を開いた。
「意外だな。世話役を付けるとは」
「そうしなければ、その少年の命の保証は出来ないのでね。我らは人間が大嫌いなのだ。あんな、短命な、出来損ない……。美しくない。それに彼らは山や森を荒らす」
ダークエルフならではの美学がありそうである。それがどういうものか分からないが、とにかく人間が嫌いだということは分かった。
(お目付け役がいないと、殺されるような所なのか、ここ。啓介、大丈夫かよ)
修太がちらりと啓介の様子を伺い見ると、啓介はただ困ったように微苦笑を浮かべていた。
「長よ。そなたらが人間嫌いなのは別に構わぬが、我らが戻った時、そなたらの手でケイが傷を負っていた時は、我がきっちり報復するのでな。せいぜい気を付けることだ」
洞窟がまるごと氷漬けだなんて嫌だろう?
サーシャリオンが、目に物騒な光を浮かべて、愉快げに微笑んだ。
「はぐれごときが、いい気になるな」
対するイルドネも、目付きを尖らせてサーシャリオンを睨む。
その狐狸のどす黒い睨みあいに、修太は冷や冷やした。
イルドネはサーシャリオンがダークエルフの姿をとっているせいで、群れからはぐれたダークエルフ扱いしているが、実際は巨大な竜なのだ。怒らせたら一呑みにされてしまうかもしれない。
「サーシャ」
啓介がやんわりとサーシャリオンの名を呼んだ。
「大丈夫だよ」
本当に心配していない様子で、啓介は穏やかに笑いかける。それを見て、サーシャリオンの鋭い気配が消え、穏やかなものに戻る。
「何故そう言いきれる?」
「うーん。あのさ、サーシャ。信頼を求めるんなら、まずこっちが信頼しないと上手くいきっこないと思うよ」
「……まったく」
少し呆れを含んで、サーシャリオンは息を吐く。
「分かった。では、我はそなたのその考えを信頼して、この者らを信頼しよう」
「うん。ありがとう」
人の良い笑みを浮かべ、啓介は嬉しそうに頷いた。
「ふん、おかしな人間だ」
イルドネはふいと目を反らす。だが、明らかに先程の険悪な空気は消えていた。
そこへ、フランジェスカが声を上げる。
「イルドネ殿、すまぬが、我らが魔女の討伐に行く間、そこの子どもとこっちの娘もこちらに置いていっても構わぬか?」
「ええ!? フランさん、何言ってるの?」
「そうだよ!」
ピアスと修太が声を揃えて反論するのに、フランジェスカは武人の冷静な態度で返す。
「今回のヤマは危険すぎる。ケイ殿ならともかく、ピアス殿では荷が重かろう。シューターはもっとだ。お前達を庇う余裕はないかもしれん。特にシューターは」
「そんなに念押ししなくてもいいだろ! っていうか、モンスターがいるんなら、むしろ俺がいた方がいいだろ。それくらいしか取り柄ねえしよ、俺」
修太がそう言い返すと、イルドネが面白そうに修太を見た。
「そこの子ども、お前はもしや〈黒〉か? 顔に傷でもあるのかと思っていたが……。ラフィオラ」
「はい、長。ちょっと顔を見せてもらうわよ」
「うわ」
言えば取るのに、この暴力女!
ラフィオラが勢いよくフードをはぐものだから、修太は後ろに倒れかけ、ラフィオラを睨んだ。それを上から覗きこみ、ラフィオラははしゃいだ声を上げる。
「へえ、すっごいじゃない。綺麗な黒ね!」
「そりゃどうも……」
真正面から褒められて、修太は文句を言えなくなった。溜息混じりにそう返す。
あんなにキーキーわめいていた癖に、ラフィオラは今度はキラキラした目で褒めてくるのだ。感情がころころと変わるので、余計に子どもっぽく見えた。
「これはいい。白銀に、漆黒か! 力の強いカラーズはいるだけで価値がある。置いていくのは構わない。死なせるのは少し惜しい」
イルドネの金目がギラついて見えて、修太は不気味に思えて身を引いた。心なしか、啓介も危険に思えたようで、強張った顔になっている気がする。
「い、いや、俺は行くんで、お構いなく。啓介、後で豆本を貸せよ」
「え? ああ……そっか。そうだね」
この遣り取りで、フランジェスカは断片の封印のことを思い出したようで、修太がついて来ることは渋々承諾した。
「そうだったな、それなら仕方がない。イルドネ殿、ピアス殿は構わぬだろうか?」
「そうか、惜しいが、あの魔女への対策には必要だろうな。そちらの娘か? 危険そうでもないし、構わない。看病役が必要だろうからな。ただし、そちらの少年と同じ家で過ごしてもらう」
「ええ、分かりました。ご厚意に感謝します、長様。ケイ、安心して。あたしがついてるからっ」
先程の反論は嘘のように大人しく感謝の言葉を口にしたピアスは、ぐっと手を握って、啓介を励ました。
(さっきの悪寒、ピアスも感じたわけだな……)
きっと啓介を一人置いていったら、何か危ないかもしれないと思ったんだろう。ピアスの菫色の目には、庇護欲のようなものが浮かび、やる気に満ち溢れている。
「よろしく」
啓介も知り合いが残ることに安堵したようにそう返した。
「では、ラフィオラ。その二人を居住区へ案内しなさい。お前達はすぐに討伐に向かうのだ」
イルドネは手にしている杖でコンと床を叩き、面会の終わりを告げた。




