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「ここにその死体があったのか? 何もないぞ。においもない」
啓介が案内した花畑まで足を運んだグレイは、周囲を見回してそう断定した。
「えっ、嘘!?」
啓介は銀の目をまんまるくして、せわしなく辺りを探した。この近距離で道を間違えるはずがない。
そうして探していると、ふと、さっきの女性が寝ていた木の板を発見した。
「いや、間違いないよ。ここだ。この板の上に寝てたから……」
「だが、あるのは死体ではなく花だ」
まるでそこに人が寝ていたかのような形で、白い花がこんもりと咲いていた。先程の事を思い出し、啓介は再び悪寒を覚える。これではまるで、死体が花に変わったかのようだ。
恐れが首をもたげる。その気持ちを首を振ることで追い散らし、啓介は木の板の傍に膝をついた。
「よく分からないけど、サーシャならこの花が何か分かるかもしれない。聞いてみよ……うっ!?」
そして、花を摘もうとした時、不意打ちで後ろ襟を掴まれた。訳が分からないうちに後ろに乱暴に引きずられ、啓介の口からは息が吐き出される変な音がした。尻餅をついた格好で苦しさにげほっと咳き込んで目を瞬くと、ついさっきまで啓介が座っていた場所に、一本の矢が突き刺さっていた。
目をみはった啓介は気を抜いていた自分を叱咤し、急いで立ち上がって得物に手を伸ばす。横ではすでにグレイがハルバートを構え、前方をにらんでいた。
「汚い手でそれに触るな! それはセネシャの花よ!」
円を線でつないだような紋様がえがかれたフード付きのマントを被った少女が、弓矢を構えて、向こう側の空き地の端から叫んだ。
袖から覗く肌は褐色だ。もしかするとダークエルフだろうか。
ダークエルフの結界地からは随分離れた場所にいるはずだが、どうしてこんな所に?
啓介は少女との睨みあいの状態を維持したまま、怪訝に思う。
「ケイ、無駄に動くな」
ふいにグレイが囁く声で言った。
「え?」
「ゆっくり周囲を見ろ」
そう促され、少女を刺激しない程度の動作で周りを確認する。
空き地を囲む形で、木陰の闇に紛れ込むようにして、ダークエルフの戦士達が弓を構えて、啓介とグレイを狙っていた。こちらは顔を隠していない為、黒い髪と褐色の肌、尖った耳が見えたので間違いない。
(いつの間に……!)
彼らにとっては、この山は庭同然なのだろう。それを思い知らされる光景だ。
このままでは狙い打ちされて殺される。
フリッサの柄を握る手が汗ばむ。
どうしようと打開策を練ろうと動き出した啓介の頭は、しかしグレイの動作によって思考を急停止した。
グレイがおもむろに上着からジッポライターを取り出したせいだ。
(何をする気だ?)
そう思ったのは、啓介だけでなかったようだった。木陰から鋭い声が上がる。
「貴様、何のつもりだ!」
「……別に。口がさみしくなっただけだ」
まるで周囲にいる彼らのことなど視界にうつっていないかのように、グレイは紙煙草に火をつけて、息を大きく吐く。煙がふわりと空中に撒かれる。
皆がその動作に毒気を抜かれた時、グレイは火を点けたままのジッポライターを白い花の上に差し出した。
「――さて、話をしよう」
「話だと! お前、今の状況が分かってないみたいね!」
最初に声を上げた少女が、怒りに満ちた声で叫んだ。ぎりっと弓弦を絞る音が聞こえた。
グレイは感情に薄い顔のまま、ちらりと少女を見る。
「分かっているが?」
「分かっていない! 話は対等の位置に立ってこそ出来るものよ。こちらが優位にいるのだから、おかしいでしょう! いいから、セネシャから離れろ!」
激昂した少女は弓を放とうとしたが、傍らから出てきた別の者に止められた。
「やめなさい、ラフィ。今、彼を射ってはセネシャの花に火が落ちてしまう」
小声でたしなめるのを聞いて、はらはらと冷や汗をかいていた啓介は理解した。グレイがこの花を盾にとっているのだ、と。
それを証拠に、グレイはにやりと口端を歪ませた。
「分かったか? 小娘。俺達は対等だ。お前達は俺達を狙い、俺はこの花を人質にとっている」
「この卑怯者っ!」
「別に弓を射っても良いんだぜ? そうしたらこの花が燃えるってだけの話だ。簡単だろ?」
「―――っ」
歯噛みする少女。周囲のダークエルフ達も殺気立つ。
(グレイ、それ、まるっきり悪役の台詞……)
一方、一緒にいる啓介は嫌な状況に胸がドクドクと激しく鳴っている。針山の上を綱渡りしている気分だ。
啓介は一つ深呼吸をすると、フリッサを足元に投げ捨てた。そして、両手を上げて声をかける。
「えーと、落ち着いて。この花が何なのか分からないけど、そちらが何もしないなら、グレイだって何もしないから。な?」
確認するようにグレイを振り返ると、グレイは表情の見えない顔でじっと啓介を見た。
「そうだな。おい、そんなにこれが大事なら、まずは武装を解け。俺達はたまたまここに迷い込んだだけだ」
「その言い分は聞けない! お前達は明らかにその花を探していた!」
森の中から誰かが叫んだ。男の声だ。
「俺が探していたのは、女の人の死体だ。こんな所にあったから、埋葬するべきか考えて探してたんだ!」
啓介もまた、声の聞こえた方へ叫び返す。
人の体から花が咲く奇妙な光景を確認したかったのもあるが、嘘は言っていない。
「死体だと?」
少女の声色が変わった。驚愕と戸惑い、そのどちらも混ざったような声だ。
周囲を取り囲むダークエルフ達の間にざわめきが広がる。
何かに動揺しているらしいのを肌で感じるが、理由は分からない。
少女は弓矢を下ろした。それを合図に、周囲のダークエルフ達も武器を下ろす。
「人間! 死体を見たというが、それには花が咲いていたの? それとも咲いていなかった?」
「え……と。正確には、まだ生きてて。声をかけた時に亡くなったんだ」
啓介がそう返事をすると、辺りがシンと静まり返った。
何だろう?
嫌な沈黙だ。
啓介は訳が分からず、この場にいる唯一の仲間であるグレイを見上げるしかない。グレイもまた、不穏な空気を感じたのか、目付きを鋭くさせた。
「――いったい何だ? 何か問題が?」
グレイの問いに、少女は大きく頷いた。
「大有りよ! 黒狼、あんたはどうなの? その場にいたの?」
「いや、いなかった。俺だけ」
「……そう」
啓介が答えた内容に、少女は溜息を吐く。そして、厳しく言い放つ。
「人間、お前を帰すわけにはいかなくなった。山の外に感染者を出すわけにはいかない」
「感染者……?」
不穏な言葉に息を飲む啓介に、少女は静かに頷いた。
「……そう。花紋病のね」