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「追手の気配無し!」
「こっちも平気です、師匠」
移動しながらも様子見に出ていたシークが戻ってきて報告すると、その声に呼応するように、木の上からトリトラが叫んだ。周囲を見回していたグレイは、頭上に手を上げてトリトラに下りてくるように示した。
「サーシャが氷漬けにしてきた奴らが、一番外の警戒網だったみてえだな」
「つまり、彼らが倒れているから追っ手が無いわけか。分かりやすい理由だ」
納得して返すフランジェスカの隣に、木の上からトリトラが落ちてきて、すたっと身軽に着地した。
ビルクモーレのダンジョンが閉鎖されているからとはいえ、トリトラやシークはグレイについてきたお陰で、こうして偵察などにこき使われている。修太には大変そうに見えるが、二人はグレイを心から尊敬しているようで、グレイの頼みは率先して聞いている。役立てることを純粋に喜んでいるようだ。黒狼族の師弟関係はどれもこんな風に良好なんだろうかと修太は不思議に思う。
「サーシャ、断片は近いのか?」
啓介が少し先の坂の上、岩の上に立つサーシャリオンをふり仰ぐ。どこか遠くを見ていたサーシャリオンは、光によって緑や青や銀に見える不可思議な目を啓介に据えた。
「――ああ。どうやら弟山脈との間の谷間にあるようだ」
そう答えたが、どこか腑に落ちなそうな態度で、ぼうっと南の方を見つめるサーシャリオン。
「何かあるのか?」
違和をかぎとった修太の問いに、サーシャリオンは首を傾げる。
「あるといえばある。断片の気配が二つあるように感じるのだが……、ふむ、よく分からぬ」
「何だ、珍しく煮え切らない答えだな」
グレイが口を挟む。
「分からぬものをどう答えろというのだ? 二つあるように思えるが、一つはやけに気配が薄いのだ。まるで消えかけているかのようだ」
「断片が消えることってあるの?」
目を丸くした啓介が、慎重に問いかける。
「あれはオルファーレン様の力の断片だ。オルファーレン様が消えかけているのは知っているだろう? オルファーレン様から遠く離れた力から消えていくのは当然だ。幾つかは封印した折にすでにオルファーレン様の元に戻っているが、他も消える前に回収しなくてはならぬ」
サーシャリオンはそう答えると、ひらりと赤い極彩色の上着の袖を振るようにして、きびすを返す。
「早く行こう。この話をしていると、我がオルファーレン様の元に行きたくなるからな」
「サーシャ、行きたかったら行っておいでよ。俺らは谷へ探しに行くから」
「駄目だ、ケイ。この山でそなたらの元を離れるわけにはいかぬ。お前達に何かある方が我には困るのだ」
はっきりとした返事だ。啓介は、サーシャリオンがそう言うなら良いんだけどと言って話を切り上げる。
双子山脈の兄弟を分ける谷間にあるという断片が気になるのか、サーシャリオンはそれっきり黙したまま、早足で山を登っていく。兄の方の山脈を越えなければ、谷間に出られないのだ。
修太らは時折、追手が来ないか気にしながら、歩みを進めた。
双子山脈の間の谷に降りていくと、水源地が近いのか、巨大な岩がごろごろと転がっている間を、細い川が勢いよく流れていた。
川岸以外は鬱蒼と木々が生い茂っており、修太達は歩きやすい川岸を東へと歩いている。
「断片は上流の方にあるのか? それともまた山登り?」
すでに日が傾きつつあるオレンジ色の空を眺め、修太はサーシャリオンに問いかけた。昼間に魔法を使ったこともあり、ぐったり疲れ果てていたが、態度に出さないように気を付けて必死についていっていた。だが、正直なところ、そろそろ限界だ。疲れすぎて足がもつれ、さっきから何度か転びかけている。
「ああ、まだ先だが、山登りはしなくて済みそうだぞ」
「それならこの辺で野営にしよう。こいつが限界だ」
サーシャリオンの返事に、フランジェスカが修太をくいっと親指で示してみせた。
「別に……平気だ」
修太は口元をヘの字にして強がったが、フランジェスカにはお見通しのようで、すっぱりと切り返される。
「どこがだ。さっきから何度か転びかけているのに私が気付かないとでも? 周囲に気を配りつつ、隊列にいる他の者の様子にも気を配る。護衛の基本だ」
「そうだったの? シューター。きつかったんなら言ってくれりゃいいのに。気付かなかったよ」
すぐ後ろを歩いていたトリトラが申し訳なさそうな顔をした。
それはそうだろう。修太の後方を歩く三人――トリトラとシーク、グレイはときどき偵察で輪を離れていた。外敵にばかり気をとられていれば、目の前のことには気付きにくくもなる。それに、基本的にこの三人は護衛が苦手だ。
「さようか、すまぬなシューター。先の事ばかりに気をとられていた。そこの空き地で野営にするとよい。我は少し先まで行って、湧水を汲んでくるよ」
サーシャリオンは短く謝ると、素早く思考を切り替えた。上流に向けて大きく踏み込んだかと思えば、その場から大きく跳躍する。そして、上流の方へと、あっという間に姿が遠ざかった。
「はやっ!」
啓介は驚いて目の上に手をかざしてサーシャリオンの背中を見送ったが、すぐに状況を思い出し、全員を見回す。
「えーと、とりあえず野営地を作ろっか」
その言葉に、皆の返事がそれぞれ返った。
河原の傍で野営をした翌朝。
啓介は一人、野営地を離れて山の中に少し入った場所にいた。火番をしていたグレイには断っている。
そして、用を足し、その辺の大きな草の葉にたまった朝露で手を洗って野営地に戻ろうとした時、どこからかうめき声のようなものが聞こえた。
「ん?」
足を止め、振り返る。
そして、腰の剣帯に装備しているフリッサの重さを意識する。何かいるのかもしれない。確かめる為、フリッサを抜いて構えながら、声のした方に踏み出した。
「あれ? おっかしいな、この辺から聞こえたんだけど……」
茂みを掻き分けて進むと、開けた場所に出た。ちょっとした広場のような空地があり、小さな赤い花がぽつぽつと咲いている。
そんな花畑の中に、人が横たわっていた。
「大丈夫ですか?」
人が倒れているのは大変だと、啓介はためらわずに駆け寄った。尖った耳をした褐色の肌と黒い髪を持った女性は、判然としない意識のまま空を見つめている。
よく見てみると、ダークエルフの女性は、板の上に寝かせられていた。それに気付いた啓介は眉をひそめる。
何でこんな所に?
他に誰かいないのだろうかと周りを見回すが、ひとけはない。
きっと何か不穏な事情があるのだろうと啓介は考えたが、だからといって解決手段は思い浮かばない。ただ、このまま放置していては少なからず女性が死ぬだろうということは分かる。
困って女性を見下ろした啓介は、女性の左頬に白い花の文様が浮かび上がっているのに気付いた。
「花……?」
そう呟いた瞬間。
「う、あああっ!」
女性が突然、大きなうめき声を上げ、痙攣するように上半身が上へと持ち上がり、再び地へと落ちる。
その瞬間、何かが女性の胸の間を突き破って飛び出した。
「!?」
驚いた啓介は、尻餅をついた。その何かが自分の身にふりかかって見え、慌てて自身を見下ろすが、何もついていない。
何だったんだろうと、動揺してうるさい心臓をなだめながら女性を見る。
「あ……」
女性はすでに事切れていた。
苦しそうな表情のまま、目を閉じて動かない。
その女性の胸の間からは、白い花が顔を出していた。小さな花だ。六枚の花弁の間に、黄色い花粉が見える。
だが、それを目にした啓介の背中はゾクリと粟立った。
本能的な恐怖といっていいかもしれない。
人が死んだ時、その体から植物が身を突き破って生えてくるなんて、おぞましいことだ。
気分が悪くなり、訳も無く後ろにずり下がる。
そして、恐怖に耐えきれなくなり、女性の死体から少しでも距離をとりたくて、その場から逃げ出した。
しばらく野営地を離れていた啓介が戻ってきたかと思えば、幽霊でも見たような蒼白な顔をしていた。
朝もやが漂う中、焚火に枝を放り込んでいたグレイは、尋常でない啓介の様子に眉を寄せる。
もし本当に幽霊が出たとして、この少年は間違いなく喜ぶから、違う理由のはずだ。
「何だ? 道にでも迷って、変な虫にでも出くわしたか?」
グレイは小さな声で問うた。
まだ日が昇ってすぐだから、グレイの二人の弟子以外の者はまだ寝ている。トリトラとシークは、起きるなり、下流の方に妙な動きがないか偵察に行っていていない。
「い、いや、違うんだけど……ごめん」
啓介は野営地のすぐ傍で、頭を抱えてしゃがみこんでしまった。グレイには吐きたいのを我慢しているように見えたが、啓介はしばらくじっとしていると、立ち直って苦笑混じりの笑みを浮かべた。
「さっき、そこで変なの見ちゃって……」
まだ青い顔に冷や汗までにじませた啓介は、そう言って、さっき見た光景を語った。