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「あれが双子山脈か。空から見てもそっくりなんだな」
セーセレティー精霊国の南の国境を越えた修太達は、今はサーシャリオンが呼んだ子分――もとい、サーシャリオンを敬うモンスターの背に乗って空を飛んでいた。このハナドリという名の鳥のモンスターは、頭の羽の形が薔薇にそっくりだ。鳥自体が薔薇の香りまでするので、珍妙なモンスターである。鼻が良い黒狼族達にはちょっと不評だが、このモンスターの羽を集めてクッションにするのがセーセレティーの貴族の流行らしい。
「えー? 何だってー?」
右隣に座る啓介が、左耳に手を当てて問うてくる。
「空から見てもそっくりなんだなって!」
「聞こえない!」
「もういいっ」
ただの独り言なので、何度も説明したくない。
修太は会話を打ち切ったが、返事が聞こえなかったらしき啓介は怪訝な顔をしている。風の音で修太の声が聞き取れないのだろう、気持ちはよく分かる。だから、会話の打ち切りを、首を振ることで示した。
やがて、先頭を飛んでいたサーシャリオンが、ハナドリに下に下りるように促し、修太達が乗るハナドリも滑空を始め、浮遊感と落下の不安で、修太はしがみつく手に力をこめた。
「やっぱりダークエルフの旦那ってずるいよね。歩いて二週間はかかる距離を、空を飛んで四日に縮めるんだから」
双子山脈のふもとに着陸したハナドリから降りると、先に降りていた面々の方にトリトラが歩いて来て、呆れ混じりにサーシャリオンを称賛した。言われたサーシャリオンはにやりと笑みを返す。
「影の道を使っていいなら、一瞬で済むぞ? 大雑把な場所に飛ぶだけならな」
「うわ、やっぱり反則」
「トリトラ、サーシャはこの世界の神様の一番の部下なんだぞ。存在自体が反則だから諦めろ」
修太は短く口を出し、風で外れたポンチョのフードを被り直す。そして、周囲を見回した。
木々は鬱蒼と生い茂り、細くうねるように伸びた枝や幹からは気根が垂れている。ヤシの葉に近い木々や、シダのような植物が多いので、熱帯雨林の中にいるのがよく分かる。
「それで? ここは双子の兄弟のどっちなんだ? それとも姉と妹か?」
「双子山脈は兄と弟よ。北の方が兄。こっちは兄の方ね、北だから」
ピアスがさらりと返し、それから怪訝な顔を作る。
「ねえ、それより今言ったこと、本当? サーシャって魔王じゃなかったの?」
「それ、僕も聞きたい」
トリトラも自分の存在を主張する。
「魔王っていうのは、一般的に見た立場の話。サーシャリオンは神竜だ。世界的に見ると、サーシャリオンはオルファーレンという神様の側近」
修太の説明を聞いて、シークがしかめ面になる。
「何だそれ、ややこしいな」
「見る立場で変わるんだよ。モンスターの頂点に立っている、神様の側近で、ぐうたらな竜って覚えておけば完璧だ。な、サーシャ」
修太はサーシャリオンの腕をポンと叩いた。しっかりと頷くサーシャリオン。
「うむ。その通りだ」
「認めるなよ」
「サーシャって素直よね。何言われたら怒るのか分からないわ」
シークとピアスはそれぞれ呟いた。
「そうだな。オルファーレン様のことを悪く言われたら、竜の姿に戻って一飲みにしてやるぞ?」
サーシャリオンは楽しげに言ったが、目は笑っていなかった。蒸し暑い山にいるというのに寒気を覚える。
「絶対に言わないわ!」
大声で宣言するピアスに同調し、皆、頷く。サーシャリオンは満足げに首肯する。
「うむ。その方が身の為だ」
「ははは……」
啓介が困ったように笑い、変な空気になった場をごまかす。修太もまた、フードの下で苦い顔になっていた。
(こいつ、ときどき危ないよな。気を付けよう)
飄々として自由気ままに過ごしているから、うっかり忘れそうになるのだが、巨体を持った竜なのだから危ないのだ。
「お前の逆鱗が分かったのは良いとして、この山、歩き回るには準備が足りていなかったな。ヒルがうようよいそうだ」
フランジェスカが嫌そうに眉を寄せて呟くと、ピアスも同意の声を上げる。
「ほんとね! ズボンに着替えてくるんだった。ちょっと着替えてくるから、君達、こっち見るんじゃないわよ」
うんざりしたように言い、ピアスは地面に座ったままのハナドリの向こうに行く。巨体を持つ鳥モンスターなので、そうするだけで姿が見えなくなった。
「何でズボンに着替えるんだ? それに何してるの、フランさん」
啓介が不思議そうに呟き、フランジェスカを見る。そのフランジェスカはというと、ブーツを脱ぎ、靴下の中にズボンの裾を押し込み始めていた。
「肌の露出を控える為だ。ヒルは靴のちょっとした隙間などから中に潜り込んで、肌に吸い付いて血を吸うからな。しかも痛みがないから、気付いた時には血まみれになっているということもある。どうだ? 想像するだけでうんざりするだろう?」
確かにうんざりした。
想像した修太はすぐにフランジェスカの行動を真似した。啓介もそうだ。サーシャリオンは何もしなかったが、グレイ達も手慣れた様子でズボンの裾を靴下の中に押し込み、荷物から塩を取り出して、靴下に揉みこみ始める。
「ほら、お前達も塩を揉んでおけ」
グレイが塩の入った皮袋をぽいと投げ渡し、修太は慌てて受け取り、目を丸くする。
「塩? 何で?」
修太の問いには、トリトラが説明する。
「ヒルは一度吸い付くとなかなか離れないからね。こうしておくと、うっかり靴の中に入っても離れやすくなるから」
「間違っても無理に取るんじゃないぞ、血が止まりにくくなるからな。火であぶって取った方が良い」
修太や啓介がきょとんとしているのに気付いたグレイが、更に付け足した。
「ふうん? 見たことねえから、よく分かんねえな」
「だね」
修太と啓介は顔を見合わせ、首をひねりながら、言われた通りに念入りに塩を揉みこんだ。見よう見真似で一仕事を終えて顔を上げると、グレイがトランクから、両端に紐が付いた黒い布を取り出して、ブーツの上に巻いて、上と下を結んだ。
「ったく、面倒だな……」
本当に面倒くさそうにグレイは呟いたが、紐が緩まないようにしっかり結びつけている。
布は足首から膝の高さまであるようだ。
いったい何をしているのだろうと修太がじっと見ていると、気付いたグレイが教えてくれた。
「これくらい念入りにした方が良いんだ。奴ら、ほんの隙間から潜り込むからな」
「そうなのか」
ヒルという生き物については知っているが、そんなに面倒な生き物なのか。
「はい、準備出来た! いつでも行けるわよ~」
ちょうどそこに着替えたピアスが戻ってきた。いつもはキャミソールのような上着とヒラヒラのスカート姿だが、肌の露出を減らすために薄い生地の白色の長袖と、青いズボンに変わっている。革製の手袋をはめ、後ろにベールのような布がついた帽子まで被る重装備だ。
こういう探検家のような恰好をしていると、綺麗で格好良く見える。美人って得だ。
「すごくよく似合ってるね。格好良いよ」
啓介が笑顔で褒めた。
「ありがとう。でも、格好良さではフランジェスカさんには負けちゃうわ」
ピアスもにこやかに返しながら、茶目っ気のある事を言い、フランジェスカに微笑んだ。
「それはどうも、ピアス殿」
気を良くしたのか、フランジェスカはおどけて返す。
(お前ら、とっとと付き合えよ)
こんな風にナチュラルに仲良くされると迷惑なんだが。
塩の入った袋を手の中で無駄に握ったり開いたりしながら、修太はヒルよりもげんなりして、心の中でうめいた。