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「クリムさん、話って何? 俺で相談に乗れるか分からないけど」
話があるというクリムに連れられ、ピアス宅を出た啓介は、人数がまばらな水路脇の土手で足を止めたクリムを見た。
緊張しているのか強張った顔をしたクリムは、真剣そのもので、そんなに困ったことでもあるのだろうかと啓介は身構えた。
「ケイ様」
クリムは大きな丸眼鏡の向こうで、ハシバミ色の目で睨むように啓介を見つめ返した。
そんなクリムの呼びかけに、啓介は僅かに苦笑を浮かべる。様と付けるのはやめるように言ったのだが、クリムが聞いてくれないせいだ。そんな大層な人間ではないから困る。
「えーと、何かな?」
花嫁行列でクリムやフランジェスカと別行動した時みたいな問答をするのは御免なので、聞かなかったことにして問い返す。
「ケイ様って、付き合っている人はいますか? 婚約者、許嫁、恋人、もしかして奥さんとかいらっしゃいます?」
「いや、どれもいないけど……。流石にこの年齢で奥さんはいないんじゃ」
「早い方だと十五歳で成人すると同時に結婚する場合もありますよ?」
「そうなんだ……」
この辺りは早婚でもおかしくはないらしい。成人と認められる年齢が低い分、結婚も早いようだ。
初めて知った事実に目を瞬く啓介。それに対し、クリムは安心したように肩を落とした。
「ああ、良かった。では私が告白しても問題ありませんね」
「へ?」
てっきり人生相談かと思っていた啓介は、意外な言葉を耳にして、再び目を瞬いた。
(告白?)
啓介の頭に、郷里での出来事がよぎった。何かイベントがある度、女生徒に呼び出されて告白されていたのだ。
そう言われてみれば、クリムの啓介を見る目は彼女達と似ているように思えた。自分のファンだと言う面白い人だなあとしか思っていなかったので、ここに至るまで気づかなかった自分を殴りたい。
心の中で自分を蹴り飛ばしている啓介の前で、クリムは照れた様子で頬を赤く染めながらも、真剣な面持ちで話を切り出す。
「ケイ様、私、ビルクモーレで一目惚れしてから好きです。見ていて、良い人で優しい方だという所を知ってもっと好きになりました。私とお付き合いして頂けませんか?」
はしばみ色の大きな目が、熱をはらんでじっと啓介を見上げる。
どうやら本気のようだというのは分かったが、啓介の胸中には苦いものが浮かんだ。
「――ごめん。付き合えない。クリムさんのことは面白いとは思うけど、そういう風に好きじゃないから……ごめん」
この言葉を口にするのは、何度目だろう。自分はそんなに出来た人間ではないのに、好きになってくれて、勇気を出して告白してくれた人達の気持ちを考えると苦々しい気持ちでいっぱいになる。
それでも、簡易な気分で付き合いたいとは思えない。
相手の方が傷つくのに、意図に添えないで落ち込む自分が嫌だった。
少しうなだれ気味でそう返事した啓介は、クリムが「友達としてよろしく」という常套句を口にするかと予想した。しかし、クリムは違うことを口にした。
「やっぱり……ピアスさんのことがお好きだからですか?」
「え……?」
ピアス?
どうして彼女の名前が出るのだろう。
不思議に思う啓介の前で、クリムはほんのりと苦笑いをしている。
「陰からずっと見ていたので、嫌でも気付きました。ケイ様、普段から優しいですけど、ピアスさんには特別に優しいですもんね。無理だろうなとは思ってたんです。でも、どうしても伝えたかった」
そして、クリムは涙混じりの小さく笑みへと変えた。
「私があなたを好きだったっていうことは、出来れば覚えていて欲しいです。未練があって申し訳ないですけど、忘れられるなんて寂しすぎますから」
「……うん、忘れない。告白してくれてありがとう」
啓介もまた、口元に少し笑みを浮かべて礼を言った。
すると、クリムはくしゃりと顔を歪め、くるりと啓介に背中を向けた。
「――もう、行って下さい。私はこの後、サーシャさんのことをギルドに報告していきますから」
「……うん、それじゃ」
その肩が震えているのに気付き、啓介はその場を立ち去ることにした。そうして、ピアス宅への道を戻ろうときびすを返すと、後ろから嗚咽混じりの泣き声が聞こえたが、クリムの気持ちに応えられない自分はただ無言で足早に遠ざかるだけだった。
(特別優しい、か……)
そして、一人で通りを歩く間、啓介の頭の中に、クリムの言葉が何度もこだました。
今まで気付かなかったが、言われてみるとそんな気がした。
(俺、ピアスのことが好きなのか……?)
啓介は、自身の左胸の辺りに、右手を当てて考えてみる。
(好きってなんなんだろうな)
恋愛感情での、そういう気持ちの“好き”が、家族や友達への好意とどう違うのか、啓介にはよく理解出来ない。
だが、ピアスが誰かに告白する姿を想像すると、何だか胸にもやっとした黒い感情が生まれることに気付いた。
「あーっ、もう! 最悪だ、自分!」
それで、やっと分かった。
啓介は道端で頭を抱え、自分自身を罵倒する。通りがかった人がぎょっとしたように啓介を見たが、啓介はそれを無視して、また道を足早にずんずんと歩いていく。
情けない話だ。告白してくれた人の口から指摘されて気付かされるなんて。クリムにはきっと残酷なことだっただろう。
そう思うと、ひどい自己嫌悪に襲われた。だから、心の中で自分を蹴りつけて穴に埋める想像をした。少しだけ気が和らいだが、そんな情けない自分は、すぐに穴から復活して、大きな顔をし始めるから、また蹴り落とさなくてはいけなくなる。
「そっか、そっか……。これがそうなのか」
思い返すに、ピアスと初めて会った時から、妙に気にかかっていたし、無意識にピアスの姿を探している自分もいた。
宇宙人や怪談以外のことで、こんなに気にかかる事に出会ったことがあったか? 答えは“否”だ。
気付いてみれば、修太がときどき妙な発言をしていたことの意味も分かった。――例えば、こんな言葉を。
――お前、そろそろ気付いた方が良いと思うぞ。
とか。
(これの事かあああ!)
他の時にも似たようなことを訊かれたし、昨日なんて、やたらとピアスの話を出していた。気付かせようという修太なりの気遣いだったのかもしれない。
啓介は急激に顔に熱が上り、口元を左手で覆いながら、気付いてしまった感情といたたまれなさに動揺する。
(うわあああ、こんなに気付かないなんて、俺ってそんなに鈍かったのか……!?)
付き合いたいと思えるような女の子がいたらいいなとずっと思っていたのに、自分が気付かないせいで危うく取り逃がすところだった。
(クリムさん……、ほんとごめん。あんなことまで言わせるなんて、俺、最低だよ……)
自分がどれだけ無神経なのか思い知り、啓介は再び落ち込んだ。
気付いてしまえば簡単なものだ。むしろ、何故、今まで不思議にも思わなかったのか自分に問いたい。
気持ちが浮いたり沈んだり、七面相しながら歩く啓介を、通りすがる人々が不審な目で見ていることにはさっぱり気付かず、啓介はこの後どうしようかと対応を悩みながら、帰路を行く。何ともなかったピアスの家が、近付くのが難しい難所のように思えた。
ピアス宅の敷地に入ると、玄関口でそわそわと歩き回っている修太が、啓介に気付いて足を止めたのが見えた。修太の足元にはコウが座り、その向こうの玄関脇では、グレイが壁に背を預けて立ち、煙草を吸っている。
「あ、啓介、お帰り! えーと……、いや、何でもない」
何か物言いたげな様子だが、口にするのはやめたようで、修太は口を閉ざした。しかし、やはり何か言いたそうな視線を感じた。
普段、無愛想な修太だが、啓介には修太が黙っていても何か言いたそうにしていることは分かる。他の人でも親しくなれば気付ける、修太の意外と分かりやすいところだった。普段が物静かなので、用がある時は態度でだいたいばれるのだ。
「もしかして、クリムさんのことを聞きたいのか?」
「……え!?」
どうして分かったんだというように、口をぱかっと開け、一歩後ずさる修太。啓介は苦笑する。
「違うの?」
「いや、そうだけど……。もしかして付き合うのか?」
「いいや、お断りしたよ。――俺、クリムさんに指摘されてやっと気付いた。今まで気を遣わせてごめんな」
「は?」
唖然と固まった修太は、意味を掴んだのか、大きくのけぞった。
「ええええ!? それでようやく気付いたのかよ! てゆか、お前、あの女にそれ言わせるって最低だな!」
信頼している幼馴染からの痛恨の一撃を加えられた一言に、啓介は頭を抱えてしゃがみこむ。
「うわああ、それ以上、言わないでくれ! 俺が最低なのはよく分かってる!」
「あ、わりい。そ、そんなに落ち込むなよ。なっ?」
珍しく激しく落ち込んでいる啓介に驚いたのか、修太が慌てた様子で宥めてきた。――が、
「お前がその鈍感のせいで、今まで好意を全部スルーしてきたのに比べりゃ、全然マシだって! な!」
「シューター、追い打ちだと思うが」
「へ!? あ、ごめん!」
グレイの指摘で、修太は自分が墓穴を掘ったことに気付いたようで、ぎょっとしたようにもう一度謝った。
「いや……いいんだ。指摘してくれてありがとう」
乾いた笑みを浮かべる啓介。ぐっさぐっさと言葉の矢が突き刺さって、瀕死寸前だったりするが、礼の言葉は口から出た。
「で……さ。シュウ」
啓介はどんよりと落ち込みながら、修太に問う。こんなことを訊いて、修太との友情が壊れないだろうかと不安だ。
「俺、いいのかな。お前、ピアスのこと好きなんだろ?」
騒がしい女子が苦手だという修太が、珍しく仲が良いのがピアスなので、啓介はそうなのかなと思っていた。
「は……?」
「何を言ってるんだ、お前」
だが、修太だけでなく、グレイまで唖然と固まったので、あれっ? と違和感を覚える。啓介がピアス宅に戻りづらかったのは、好きだと自覚した人がいることと、幼馴染の恋愛を応援したいという気持ちがあったせいなのだが……。
しばらく場を沈黙が支配した。やがて、噴火が起きる。
「俺を巻き込むんじゃねえ、面倒くせえ! 俺は恋愛方面の好きじゃねえよ!」
修太のこの返事には、啓介もむっとなる。
「あんなに魅力があるのに、何だよ、その言い方! 失礼だろ!」
「ああもう、気付いたら気付いたで面倒くせえなっ! 違うんだから良いだろうがっ」
「う、まあ、そうなんだけどさ……」
珍しく気迫たっぷりに修太に怒鳴りつけられ、啓介は頭に上った血があっさり引いて、身を縮めた。今の修太は啓介より子どもで小柄だというのに、迫力がすごい。
そんな幼馴染に、啓介は恐る恐る問う。
「あのさあ」
「今度は何だよ」
どこか煩わしげに問う修太の態度にめげず、啓介は問う。
「俺、どういう態度でいたらいいと思う? 何かポカやらかしそう」
「…………」
「……シュウ?」
一度黙り込んだ修太は、今度こそぶち切れた。
「知るかっ! そんなことくらい、てめえで考えろ!」
ドンと左肩を小突いてから、修太は足音も荒く部屋へと消えていく。コウが慌てた様子で開いた戸口から中へ滑り込んだ。
何で急に怒るんだと目を瞬かせていると、グレイが可哀想なものを見る目で啓介を見ているのに気付いた。
「まあ……怒るだろうな。相談する相手が間違っている」
「じゃあ、大人の意見は?」
めげずに問いを重ねる啓介。グレイは一度沈黙した後、ふぅと煙草の煙を啓介の顔に吹きかけた。ゲホゴホと咳をする啓介に、グレイは一言返す。
「自分の心の声を聞くことだ」
返事になっているような、いないような、そんな言葉だった。
グレイもまた、屋内へと姿を消すのを見送り、啓介は首をひねる。
「自分で考えろってこと? それとも好きなようにしろってこと?」
どっちにしろ、上手い逃げ言葉に思えるのは、啓介がうがちすぎなんだろうか。
(うーん、急にアピールしだして嫌われるの嫌だし、少しずつ頑張ろうかな。でも、どうすりゃいいんだろうなあ)
ここが故郷だったら、雑誌を買って体験談を読んだりして学ぶのだが。
啓介はしばらく外に突っ立って、今後の行動方針について考え込むのだった。
*
――その後。
「だから言っただろうが、恋愛事に首を突っ込むとろくなことがないと」
「分かってて首突っ込んだんだよ、うるせえぞ、フラン」
「それに、何も変わらなかった上、あの女の良いとこ取りで終わったな」
「グレイも言わないでくれって言ってるだろ。――てゆーか、もう! 二人ともうるさい! 放っといてくれよ!」
友人の為と動いたが、結局空回った修太をフランジェスカとグレイがからかい、そんな大人二人に怒る修太の姿があったとか。