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「って、満喫しちゃ駄目だろ!」
ピアス宅に戻るなり、修太は裏庭の井戸の傍で、一人、自主反省会をしていた。
そんな修太の傍に座ったコウが、がっくり落ち込んでいる主人を心配そうに見上げている。
「いや、だけど俺はよくやった。考えた通りに話が進んだはずなのに、啓介が気付かないでスルーするから不味かっただけで」
井戸の淵に手をついて、中を覗きこみながらぶつぶつ呟く。暗い井戸の底で、水面がゆらりと光を弾いている。
それを眺めていると、荒れていた心が落ち着いてきた。井戸の底なんてあんまり見た事はなかったが、綺麗なものである。もっとよく見ようと身を乗り出すと、ふいに肩を掴まれて後ろに引っ張られた。
「あまり身を乗り出すな。落ちるぞ」
「!?」
いえ、むしろ驚いたせいで落ちそうになったんですけど。
口端に煙草を引っ掛けているグレイを見上げ、修太は心の中で呟いた。気配を消して背後に立つの、本当にやめて欲しい。ひやっとしたせいで、心臓がバクバクとうるさい。
「あ、ああ。グレイか、びっくりした」
苦情は胸の内に仕舞いこみ、修太は遠回しに驚いたことを伝える。グレイは気付いているのかいないのか、凪いだ表情で煙草の煙をふうと吐き、ぽつりと問う。
「なんだ、お前の方も何かあったのか?」
「“も”?」
怪訝に思った修太は、すぐにそれを心配に変えた。
「グレイ、何かあったのか?」
この人が困っているのだとしたら、相当大変なことが起きたに違いない。重大事件勃発かとはらはらする修太に、グレイは首を振る。
「俺ではない。ピアスだ」
「ピアス? 何、工具で怪我をしたとか?」
アイテムクリエートのことを、細工の職人みたいなものか、機工技師みたいなものかと考えている修太は、真っ先にそちらの心配をした。
「あの小娘と喧嘩したらしいが……。俺に言わせてみれば、あの小娘が一方的に何か言っていたように思えるがな」
「喧嘩!? まさか殴り合いか!?」
「そこまでひどくない。口喧嘩だ。野郎じゃねえんだ、正妻と不倫妻の喧嘩じゃあるまいし……」
え、グレイ、女同士の喧嘩の怖い例を知っているのか?
修太はそちらが気になったが、無理矢理思考を引き戻す。
「くそー、あの女、何しでかしたんだ。なあグレイ、何を話してたか、分かるか?」
「違う部屋にいたからな、そこまでは知らん。だが、ピアスは落ち込んでいたように見えた」
「……それを俺に言うのって、俺にどうにかしろってこと? もしかして」
「どうとでもすればいい。お前が最近、ケイやピアスのことを気にしているから、一応教えてやっただけだ。俺はこういうことは向かんが、ケイに言うのがまずいというのは流石に分かる」
クリムは啓介のことが好きで、ピアスを鬱陶しく思っているのだから、ここで啓介が仲裁に出て行くと確かにややこしくなりそうだ。
「うん、分かった。こっちで様子見とく」
修太は眉間に皺を刻み、口を引き結ぶ。恋に目がくらんだ者は、男女どちらとも面倒だ。特にそれが恋敵の排除に動くと厄介である。
「で、お前は何があった」
「何にもないよ。だから落ち込んでるんだ。啓介にピアスのことを考えさせようとして、成功したのに、上滑りして終わった」
がっくりとうなだれる修太を、グレイは無言で見下ろす。そして、しばし後、どこか愉快そうに問う。
「放っておく気になったか?」
「全然!」
修太はがばっと顔を上げ、半ばムキになって返した。
「反対だろうとなんだろうと、俺はやるからな! やる気をなくさせようったって無駄だ」
「誰もそんなことは言っていない。ただ、疲れるばかりで何の益にもならないことを、よくそんなに気合を入れてしようと思うものだと感心しているんだ」
「やっぱりそうなんじゃねえかっ。俺だってこういうのが向いてないのくらい分かってるし、お節介だとも思ってんだよ。くそーっ」
グレイの容赦の無い言葉が、心にグサグサと突き刺さった修太は、負け惜しみを呟いて、その場から逃走した。
グレイはぽつんと井戸の傍に立ち、こんなことに必死になれるなんて平和だなと思い、青空を仰ぐ。その視界に、屋根に座ったダークエルフの青年の姿が映った。
「のう、グレイ。シューターは、このクソ暑い中、何をあんなに熱くなっているのだ? 面白いことか?」
〈白〉の魔法で、日光を反射するオレンジ色の防壁を周囲に漂わせたまま、三角屋根に器用に寝転んでいるサーシャリオンに、グレイは首を振る。サーシャリオンに首を突っ込ませては、更に面倒くさくなるのは目に見えている。
「つまらんことだ。――そもそもお前、いつ戻ってきた?」
「少し前かの。町を見るのも飽いた。フランジェスカと二人というのもつまらぬものだ。出店歩きかと思えば、地理を覚える為に探索しているとはな。あーつまらぬぞー」
真面目なフランジェスカらしい発言だが、グレイも似た事を昨日していたので、それについては触れないことにした。初めて来た町で、何かあった場合の退避ルートは知っておくべきだというのがグレイの常識だ。
サーシャリオンは何かを考えるような仕草をし、啓介の居場所を口にする。
「ケイは家の中か」
サーシャリオン特有の魔法での目印とやらで判断しているのだろう。グレイはそう考えながら、答えを返す。
「あの婆さんに、ピアスの手伝いを言いつけられていたぞ」
「ちっ、遊ぼうと思ったのに」
舌打ちしたサーシャリオンは、屋根の上をごろごろと転がる。よく落ちないものだ。
「ガキみてえなことを言うな」
「グレイ、そなたのその無表情を見ている方がつまらぬ。あっちに行け」
「…………」
しっしっと犬でも追い払うような仕草をするサーシャリオンを軽く睨み、グレイは裏庭を後にする。
息抜きのつもりで出てきたが、ピアス宅から出た方がマシそうだ。
そうして家を出ようとした時、門の横に赤い髪が見えた。何か怒って出て行ったはずのクリムが、門脇からピアス宅を覗き込んでいる。
「どう見ても不審者だぞ、小娘。入るのか立ち去るのか、どちらかにすべきだ」
「うひゃっ、わわ、申し訳ありません! 何でもないです!」
クリムはババッと門から離れ、グレイに怯えて顔を青くし、ぺこぺこと頭を下げてから逃げ去っていった。
――ピアスと喧嘩をして気まずいが、啓介には会いたかった。そんなところか。
事情を察したものの、だからといって何もするつもりもなく、ただ、目障りだからどこか他所で騒げと不満に思うだけだ。
何もすることがないから、この町で売っている酒でも見に行こうかと、グレイは市場の方に足を向けた。