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エトナと共に村の外れにあるノコギリ山脈からの湧水まで水汲みに行って帰ってくると、ウェードが眉を吊り上げて家から出てきた。
「いかがされた、ウェード殿」
フランジェスカが問うと、ウェードはきっとこっちを睨んできた。
「勝手にうろつくなと言っただろう!」
「あらあら、ウェードったら。私がお手伝いを頼んだのよ」
ウェードの母であるエトナがやんわりといなすと、ウェードはそこでエトナと、フランジェスカと啓介が桶を手にしていることに気付いたようだった。
「そうだったのですか。それならばいいのですが、あの子どもは一緒なのですか?」
エトナに丁寧に問うウェード。エトナは首を傾げ、フランジェスカと啓介は顔を見合わせた。
「それって修太のことですか?」
啓介が問うと、ウェードは頷く。
「ああ、部屋にいないんだ。どこに行ったんだ?」
イライラした調子で呟くウェードに、エトナがおっとりと言う。
「お父さんなら知っているかもしれないわ。お留守番してくれていたはずだもの」
「え? 父さんは家にはいませんでしたが……」
「ではそこではないの?」
エトナはゆったりした口調で言い、倉庫を指差した。言われてみれば確かに引き戸が開いている。
ウェードはつかつかとそちらに歩いていく。
フランジェスカ達も、桶を玄関脇に置くとそちらに向かう。倉庫の中を覗くと、奇怪な形の白い物の前に座り込んで、セスと修太が話していた。いや、正しくはセスが一方的に喋りまくっているのを修太が大人しく聞いている、というのが正しい。
「父さん! 人間をここに入れるなんて、どうかしてる!」
怒髪天をつくような勢いで怒鳴るウェードに、セスは朗らかに笑いかける。
「いやいや、そんなことはないぞ。彼はなかなか話が分かる。バ=イクと似たような機械に乗っていたことがあるらしいのだ。ええと、何て言ったかな。げん……」
「原動機付き自転車です。でも、こっちの方がずっと素晴らしいと思います。故郷じゃ排気ガスが空気を汚すっていうのが問題視されてましたから」
「そうだろう、そうだろう。私達は自然を愛しているからな、自然に悪いものは作らないのだ」
修太の返事にセスは相好を崩し、肩を揺すって笑っている。
ウェードは唖然とした。父であるセスは朗らかな性格であるし、人間にも甘いところがあるが、初対面の者相手にここまで感情を顕にすることはないのだ。
「よしよし、後で試しに乗せてやろう。おいで、シューター君。朝食がまだだろう? 私も茶を飲むことにするから、同席してくれ」
「すいません、ご馳走になります」
「子どもが気にするな! ん? どうしたウェード、そんな所に突っ立っていると邪魔だろう」
しかも実の息子を邪魔扱いし始めた。
ウェードはむすっとするが、セスは陽気に笑い飛ばしただけだった。
「ちょ、父さん。人間をバ=イクに乗せるなんて……」
「固いことを言うな。開発者は私だぞ、文句は言わせん!」
「父さんっ」
全く聞く耳を持たず、セスは修太を連れて母屋の方に向かっていく。それを追いかけていくウェードを見送り、フランジェスカは啓介と顔を見合わせる。啓介は楽しげに笑いを零す。
「シュウって、同級生や年下には受け悪いけど、年長者にもてるんですよね」
「は?」
フランジェスカは啓介の楽しげな顔を唖然と見る。奇妙なことを聞いた気がした。
「あの硬派な感じが印象良いみたいで。それに聞き上手だし、相手が話してたらずーっと聞いてますから、相手も安心して話せるみたいで」
「……誰が聞き上手だって?」
「修太ですよ。あいつ、祖父母がいるのに憧れてたから、老人には特に優しいんです。老人の長話も昔話も喜んで聞きますよ? お陰で、うちも話の長い祖父がいるんですが、修太を連れてくれば祖父の機嫌が良くなって大助かりで。特に母さんが喜んでましたね」
「あの人は老人ではないだろう……」
「でも年長者で話好きじゃないですか。そういう人に好かれやすいんです。修太も、フランさんの前にいた時が嘘みたいに大人しいでしょ?」
確かに。気味が悪い程大人しい。
フランジェスカはこくこくと頷いていた。
「ま、フランさんと話す時みたいな方が珍しいんですけど。シュウは静かな所が好きで、必要じゃなければ話しませんから、どっちかというと無口な方で」
「……確かに、話しかけなければ黙っていることが多いが。だが、誰の話をしているのかと疑うな」
とりあえず、自分達も母屋に向かうことにした。
玄関脇に放置していた桶を持ち、エトナの案内で台所の甕まで運ぶ。そして食堂に顔を出すと、食事を摂っている修太と茶を飲んでいるセスがいた。その隣にはウェードもいる。
セスは楽しげに次から次に話をし、修太は絶妙なタイミングで相槌や返事を返している。それでますます調子づいたセスが熱心に話しだすのだ。話が終わる前にウェードの我慢の糸が切れたらしく、ウェードはうんざりした顔で食堂を出て行った。「同じような話ばかりするんだから、聞いてられない」とぶつぶつぼやいていた。
エトナが出してくれた茶を飲みながらセスの話に耳を傾けてみたが、だんだん眠くなってきた。修太のように、「今、初めて聞きました。面白い」という真面目な顔をし続けるのは無理だ。
そういうわけで、啓介とともに早々に退散した。
エトナがにこにこしながら、手伝いしてくれないかと声をかけてくれたから助かった。
結局、二人は夕方まで延々と話していたようだ。
エトナが夕飯にしようとセスを止めなかったら、朝まで続いていたような気がする。
エトナに話を止められてセスは残念そうな顔をしていた。「こんな所で話を切って申し訳ない」と修太に謝り、修太も修太で残念そうに「もっと話を聞きたいから、また話して下さい」などと勇者な発言をしていた。その返事にセスは上機嫌に微笑み、遅くまで引き止めたからと今日も泊まるように言った。
フランジェスカは初めて修太に尊敬のような念を覚えた。自分だったらまず敵前逃亡しているはずだ。
ポイズンキャットに変わった後、ウェードの部屋で修太が啓介と話していて、セスがこんな話をして、こういうことがあって、歴史はこうで、と色んなことを簡潔に纏めていた。それを聞いてみると確かに話は面白い。話の続きを聞けないのが残念だと修太が言っていたのは本音だったらしく、本気でがっかりしていた。
(こいつら、止めなかったらいつまで話してるんだ?)
少し興味を覚えたが、試す気にはなれなかった。
エルフの住むヘリーズ村滞在四日目。
そろそろ出立しようかと思ったが、修太がセスに連れられて長老達の集まる集会所に出かけてしまった。
エトナが困ったように微笑んで謝る。
「ごめんなさいねえ、セスったらシューター君のことがよっぽど気に入ったみたいで。あんな風に誰かを振り回す人じゃなかったはずなんだけど……」
「いえ、それは構わないのですが。あまり長く滞在してもお邪魔でしょう?」
「そうでもないわよ? あなた達、家のことを手伝ってくれるからとても助かってるもの」
にっこりと微笑むエトナは女神のように麗しく、話しているだけで、心がほっこりと温まる感じがする。
「ただ、ねえ……」
エトナはちらりと食堂を見た。
「そうですね……」
フランジェスカもちらりと食堂を見た。
セスの機嫌が上がるのに反比例して、ウェードの機嫌が下がっていくのだ。
「やっぱり早めに出た方がいいかもしれないわ。あなた達に迷惑がかかるのは、私も嫌だもの」
「はは……」
フランジェスカは曖昧に笑うしかなかった。
*
こんな風にフランジェスカがエトナと交流を温めている間、啓介はというと、持ち前の明るさから人嫌いなエルフを無意識に魅了しまくって、エルフの若者たちの間ですっかり人気者になっていた。水汲みや手伝いの合間に見かけた村人に挨拶をしていただけなのだが、いつの間にか女だけでなく男も親しげに話しかけてくるようになり、エレイスガイアのことをよく知らない啓介はここぞとばかりに色んなことを教えて貰った。
例えば、ここ、ヘリーズ村はパスリル王国内にあるが、白教の信者はおらず、〈黒〉に対する差別は一切ない事。魔法の発動条件の例。あちこちの異常気象やモンスターの凶暴化、不思議現象が起きている場所もあること、などなど。
特に不思議現象について熱心に聞いていたら、物好きだなあと呆れられたが、皆、知っていることを教えてくれた。
「隣国のレステファルテはね、海に面しているから漁業や船舶での商取引が盛んなのよ。でもね、最近は海賊も多いらしいわ。まあ、最近っていってもここ十年くらいだけど」
「そうそう。あと、おかしな話なんだが、幽霊船が出るっていう噂があるんだぜ」
「幽霊船!?」
目を輝かせる啓介にびくりとしつつ、エルフの若者達は更に続ける。
「そう。それに加えて、誰もいない海から歌声が聞こえてくるって話も」
「セイレーンの呪い歌っていうらしいけど、聞いても呪われるわけじゃなくて、なんだか無性に悲しくなるだけっていう話だよ?」
「ごめんね、ケイ。私達は滅多に外に出ないから、王国内とレステファルテのことまでしか分からないの」
「税の納付と、隣国への行商でくらいしか、外に出ないからさぁ」
「あ、でもな。冒険者になるって旅に出た人もいるんだぜ。方向音痴だからやめとけって止めたのに、聞かなくてさあ。アーヴィンさんていう人なんだけど、もし見かけた時に迷子になってたら助けてやってな」
「アーヴィンさんていつ出て行ったっけ?」
「五年前じゃない?」
「えー十年前だよ」
「十三年前でしょ?」
若者とはいっても、エルフでいう若者とは百歳くらいまでを指すらしいので、あまり深くは考えないことにする。
ともかく噂のアーヴィンさんは、長年村に戻って来ていないらしい。それってもしかして遭難して死んでるんじゃないかと思ったが、口には出さないでおいた。
情報収集が出来た上にエルフ族の友達がたくさん出来たので、啓介としては大満足だった。
*
正午過ぎ、長老の集まる集会から帰って来た修太は、手に果物や菓子をたくさん抱えていた。
珍しく上機嫌に薄らと笑みを浮かべている。
色んな話を聞けて楽しかったようだ。
恐らく、長老達も楽しかったのだろう。押しつけられたという果物や菓子が良い証拠だ。
それから、村を出る前にと、セスが倉庫からバ=イクを引っ張り出してきた。
啓介やフランジェスカも興味を覚えて、倉庫の前で、修太がバ=イクに試乗する様を見学することにした。
「ここに魔力をチャージすると、二時間は続けて乗ることが出来る。これは私の魔力の色に合わせているのでね、今回は私が魔力をチャージしよう」
「ありがとうございます」
「うむうむ。でな、ここがブレーキで、これがアクセルで……」
セスから一通り説明を効くと、修太はヘルメットを被り、バ=イクにまたがった。エンジンをかけると、静かに車体が浮きあがる。エアバイクのようなものみたいだ。
そしてアクセルに当たるボタンを押すと、バ=イクは動き出した。
浮き上がってボタン操作が基本であるという違いだけで、操作方法は原付と似たようなものだ。
修太はすぐにコツを掴んで、上空高く浮かび上がって空の散歩を楽しんだ。
「セスさん、ありがとうございました! すっげえ楽しかった!」
「そうかそうか」
セスはにこにこと笑い、大きく頷く。とんとバイクに手を置く。
「じゃあ、このバ=イクを君にあげよう」
「へ!?」
「父さん!?」
修太とウェードの声が重なった。
「いやいや、そんなわけにはいかないですよ。これないとセスさんが大変じゃないですか」
「いいや、また作ればいいから問題ない。君は魔力欠乏症のせいであまり体力がないのだろう? これがあれば旅が楽になると思うのだ」
そして、にやりと笑う。
「それに、初めて乗っただけで、ここまで乗りこなした者には初めて会った。スノーフラウも、その方が嬉しいだろう」
修太は唖然とセスを見上げる。
「スノーフラウって……」
「このバ=イクの名前だよ。これは三台目でね、名前を付けてあげたんだ」
セスはどんどん話を進めていく。
「魔力の設定を変えて、メンテナンスもするから、あと三日滞在してくれ。その間に手入れの仕方を教えてあげよう」
「や、でも、そんな、悪いですよ」
うろたえて両手をぶんぶんと振る修太に、穏やかに笑いかける。
「私が勝手に君を気に入ったんだ。どうか貰って欲しい」
「う……」
年長者の、促すような笑みというのに修太は弱い。
困った。
こんな高価そうなものを貰うわけにはいかないと分かっているのだが、好意を断ってセスががっかりするのは嫌だ。
少しの間、究極の選択を迷うかのように悩んだ挙句、セスのにっこり笑顔に負けて頷いた。
「……好意に甘えて、頂きます」
「ありがとう!」
「う……。それはこっちの台詞ですよ」
修太は気まずげに頬を指でかく。
そんな修太をセスは倉庫に促す。
「ではさっそく、メンテナンスなどを教えようではないか! なんだったら一から作り方でも」
「あなた」
エトナがにーっこりと微笑んでセスの前に立つ。薄らとこめかみに青筋が浮かんでいる。
「いい加減にしなさい。お客さんを朝から引っ張り回して! 彼はウェードの患者さんで、病み上がりだっていうのに! こっちにいらっしゃい!」
「あっいたたたた! エトナ、痛い!」
セスの耳を掴んで母屋に引っ張っていくエトナに、セスは悲鳴を上げて抗議する。母屋の扉が閉まると、辺りはシーンと静まり返った。
不気味な静けさだ。
「まったく、本当はそれは俺が貰うはずだったのだがな」
ウェードが恨みの混じった視線を向けてきて、修太はうっと肩をすくめた。
「わ、悪い。それなら今からセスさんに断って……」
「いい。俺は新しいのを貰うから。父さんがこんなに楽しそうなのは久しぶりに見たから、それでチャラにしてやる」
ウェードは愉快気に笑った。
「エルフは長生きだから、この村は時間が止まっているようで退屈なのだ。たまには良いのかもしれぬな、余所者というのも」
そして笑いながら母屋の方に帰って行った。
修太はきょとんとウェードを見送る。
いったい何がどうしてウェードの機嫌が直ったのか分からなかった。
けれど、人間嫌いのエルフ達にどうやら受け入れられたらしいぞと気付くと、胸の奥がじわじわと熱くなってくるようだった。
第二話、終了。
一つウェードの名誉のために注意を。ウェードはマザコンでもファザコンでもありません。エルフ族の村では、父母を絶対尊敬するような教えがされているせいです。しつけ教育ってやつですね。
あまり更新する気はなかったのですが、筆が止まらないので、第四話くらいまでハイスピードで更新することにしました。