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一方、ダークエルフの少女を追いかけていた啓介は、フランジェスカと合流した後も路地裏を疾走していた。
走るうちに路地裏を通り抜け、畑と牧草地のある区画に出た。
少女を見失って周囲を見回すと、屋根伝いに跳ねる姿を見つけた。再び小道を走り出す。
「しつこいなぁ!」
少女は舌打ちし、更に速度を速めた。
屋根を走り、隣家の屋根に飛び移り、また走る。その身軽さには驚嘆を覚えるが、高低差が無い分、啓介達の方が有利だ。ただ、街の壁を越えるまでに捕まえなければ勝ちはない。
左を並走するフランジェスカが、啓介に策を促す。
「ケイ殿、魔法を使うんだ。牽制してもいいし、攻撃で屋根から落としてもいい」
「えっ、俺、手加減苦手なのに」
「このまま逃がせば、他の地に被害が及ぶやもしれぬ。食い止めるなら今だ」
フランジェスカの言葉は、正義感に溢れる騎士らしいものだった。言っていることは最もだ。
「分かったよ、フランさん。牽制してみる!」
出来るだけ威力を低くしようと考えながら、啓介は右の人差し指をピッと上げた。
空がキラリと光り、直後、ドォンという音がして、雷が少女の少し前の屋根に着弾した。
「ぎゃっ!」
目の前で起きた落雷に驚き、足を止めた拍子に、少女は足を滑らせた。
「え、や、きゃーっ!」
四角い日干し煉瓦積の屋根なので、軒はなく、手を引っ掛けることも出来ずにそのまま地面へと落っこちた。
「やばっ」
慌てた啓介がそちらの路地に回り込むと、地面から生えたハエトリグサに似た食虫植物の群生に尻餅をついている少女の姿があった。
「何すんのよ! 危ないでしょうがぁっ!」
食虫植物をクッションにすることで助かったらしい少女は、啓介に怒鳴る。その横からずいと前に出たフランジェスカが、少女の喉元に長剣の先を突き付けた。
「あんな化け物を放っておいて、よく言えたものだな」
「ひっ。ご、ごめんなさいーっ!」
少女は悲鳴を漏らし、両手を上げて無抵抗の意思を示す。
「なんて言うと思ったか!」
どうやらその動作が、少女の魔法発現の方法だったらしい。フランジェスカの足元の地面が盛り上がり、バランスを崩したフランジェスカが身をよろけさせる。啓介もまた、よろけて地面に両手を付く。
「このクソガキ!」
「うぐっ!」
と同時に、顎への強烈な痛みと共に、啓介は後ろへひっくり返った。
去り際に啓介を蹴り飛ばしてから、少女は再び逃走した。
(うあああ、いてぇーっ! ちょ、痛い! マジで痛い! 顎より、舌噛んだのがやばい!)
拍子に歯で口内を切ったらしく、金臭い味がした。
「だ、大丈夫かっ、ケイ殿」
顎と口を押えてうずくまる啓介を、フランジェスカは覗き込む。啓介は涙目でぶんぶんと首を振った。
「あの小娘、ケイ殿を蹴り倒すとは……!」
更なる怒りを覚えたらしきフランジェスカだったが、すでに影が小さくなった少女の追跡は諦め、啓介の介抱をすることにしたようだ。
「ケイ殿、診せてみろ。応急処置程度で良ければしてやる」
何も喋れない啓介は、ひたすら頷いて、治療を乞うた。
「それで逃がしたわけね」
「すみません、ベディカさん……」
冒険者ギルドに報告に来た啓介は、しょんぼりと肩を落として謝った。
ベディカはやんわりと啓介の左肩に手を置いた。
「ああ、そう気にしなくていいわ。期待はそんなにしていなかったの。恐らく、追い詰めていたら、またあの化け物を出したと思うから、むしろ無事で良かったわ」
優しさが余計に胸をえぐり、啓介は更にうなだれた。
滅多と失敗しないタイプなので、こういう失敗をすると落ち込む方だ。それでも、すぐに挽回しようと考える方でもある。
「ケイ殿、失敗くらい、誰でもするものだ。経験を重ねて成長するのだから、今後に繋げればいい」
「……ありがとう、フランさん。でも、ちょっとだけ落ち込ませて」
暗い空気を放つ啓介を、ベディカとフランジェスカは苦笑と共に見る。
「とりあえず、あの子どもは出て行ったわけね。実験とやらをしてこの街を掻き回してから。ダークエルフは何を考えているのかしら。これは我々人間と妖精達との共生を乱す重大なる違反行為だわ」
応接室の長椅子に腰掛けた格好で、腕を組むベディカ。そのベディカの前の長椅子に、啓介達は並んで座っている。
「ベディカ殿、他の地でこういった事件の前例は無いのか?」
フランジェスカの問いに、ベディカは首を振る。
「事件が起きてすぐに伝書を回してみたけど、そんな事例はないそうよ」
「そうか……。ふむ、ここを実験の地に選んだとすれば、この都市の特徴が真っ先に浮かぶな」
「ダンジョン……か。そうね。ここでモンスターに似たアレを放っても、皆、新種のモンスターとしか思わないでしょうから、密かに実験するつもりなら、確かに打って付けだわ」
胸糞悪いけど。ベディカは付け足して、吐きそうな顔をした。
「秘密裏にしたいんなら、街中に出てきたアレはどう説明するんです?」
啓介が疑問を零すのに、ベディカやフランジェスカは首を振る。
「さあ、私はあいつらじゃないから分からないわ」
「そうだな。だが、推測としては二点の場合が考えられる」
軍人の顔になったフランジェスカが話すのを、ベディカは無言で見つめる。まるで話の先が分かっているように頷くだけで、口出しはしなかった。
「一つ目は、対人、もしくは妖精を相手とした実験をしたかった場合だ。ダンジョンにアレを放ったものの、死人や怪我人が出たことでダンジョンは封鎖され、人はいなくなった。だから外に出て襲わせた。――だが、この場合、もし相手が誰でもいいのなら、わざわざこの都市を選ぶ理由がない。その辺の街路で誰かが通りがかるのを待ち伏せすればいいだけだ。だから、もしこちらが要因の場合、人や妖精の中でも、戦闘力のある者を選んだことになる」
「なるほど。二つ目は?」
啓介の相槌に頷き返し、フランジェスカは続ける。
「二つ目は、単なる化け物の暴走という推測だ。襲撃対象が見つからなくなったアレが、ダンジョンの外へ勝手に這い出した」
「二つ目だったら、随分お粗末な理由だわ。でも、あの子どもでもアレを操りきれないのだとしたら、その理由も頷ける。他にも、ダンジョンにいるモンスターを仮想の敵としたかったが、結果的に人間や妖精に被害が集中した、っていう場合もあるわね」
ベディカはつまらなそうに補足した。フランジェスカはしかめ面で言う。
「しかし、ベディカ殿。あの小娘の人間を見下した発言といい、この街を狩場としてしか見ていない可能性が高い」
「ええ……。随分マシになってきたとはいえ、妖精族の人間蔑視は根強いわ。だから、ダークエルフ達がそういう思考をしていたとしても理解出来る。妖精達はたいてい里に引きこもっているから、人間社会の中では妖精は少数派で、立場的に人間が強くなっているだけで、実際は古来からそんなに変わってないわね。本物の人間嫌いは、そもそも自分達の領域から外へは出ようともしないわ」
「そうなんですか? でも、どうしてそんなに人間を嫌うんです?」
啓介の問いかけに、ベディカは自身の顎を形の良い指先でするりと撫でる。
「そうねえ。彼らがよく理由にしていることだと、争いを好まないからっていうことみたいよ。人間は領土を求めて戦争することが多いから……。でも、その根っこにあるのは、彼らの変化を嫌う性質だと私は思ってる。寿命の長さが違うから、価値観が根本から違うのもあるわね」
「寿命の違いか……。そっか。長く生きるのに、住み慣れた場所での生活を脅かされるのは確かに迷惑かもしれないね」
「ええ。だから、彼らは森の奥深く、簡単には攻め込まれない場所で暮らしているわ。森を焼き討ちされたら終わりだけど、木は大事な資源だから、そんなことを考える王は滅多といないしね」
滅多ということは、たまにはいるのだろうか。ベディカの言葉を頭で反芻しながら、啓介はそんな疑問を胸中で呟いた。
「――まあいいわ。推測はここまでにして、あとはこちらで処理するよ。調査隊の依頼を出すにしろ、一度国王への報告と冒険者ギルド間での話し合いも必要になるから。もし依頼を出した時に暇だったら、引き受けることも検討してくれると嬉しいわ」
ベディカをそう言って立ち上がることで、話を切り上げた。
啓介とフランジェスカも、それ以上話すこともなかったので、退室する。
応接室を出て、廊下を歩きながら、啓介は不思議で仕方ないことをフランジェスカに問う。
「ねえ、フランさん。変化を好まない妖精族なのに、どうしてこんな、わざわざ争いの種になることをしてるんだろうね?」
「……そうだな。私には分からぬが、何やら逼迫したことでもあるのかもしれぬな。まあ、我らは巻き込まれないように気を付けるしかない。……もう遅いかもしれんが」
フランジェスカは苦々しく言う。啓介も苦笑を返しつつ、ダークエルフの住まう地へと思いを馳せる。
「――双子山脈、か」
レステファルテ国とセーセレティー精霊国をへだてる、二つ並んだ大山脈の名を口にし、ちらりと窓から外を見た。快晴の空から光が降り注ぎ、大地に濃い影を落とす様子が、何故か啓介の心に不安を残した。




