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「お前達には悪いが、私はお前達を呼びだした上で牢屋に放り込むような命令はしたことはないし、そも、父上からもそのような命令は受けていない」
話を一通り聞いた男――カラクは、物思いにふけるようにして赤い目を細めた。ふくよかなという表現が似合う、上品に見える恰幅の良さをしているカラクは、纏っているオーラが常人と違うせいか、高貴な男性と呼ぶに相応しい空気を持っていた。ただ、遥か上から見下ろしているような威圧感があるせいで、話しかけにくくもある。
「――最近、ゴルドがどこかよそよそしい気がしていたが、何を勝手に動いているのだろうな。我が家を預かる家宰の身でありながら嘆かわしい」
「貴殿は私どもの話を疑わぬのですか? 怪しい者呼ばわりはしていましたが」
フランジェスカの問いに、カラクは目を伏せ、ふっと明らかに馬鹿にして鼻で笑う。
「私は王宮で海千山千の輩と狐狸どもを相手にしているのだぞ? 貴様らのような、いかにも善人な顔をした者くらい、一目で見分けがつくわ」
否定してくれるのは嬉しいが、遠回しに馬鹿にされている気がして、フランジェスカは心の内で不快感を覚えたが、顔には出さない。貴族でありながらこうして話を聞いているだけマシだ。ちらりと横に視線を向けると、ピアスは複雑そうな顔をしていて、素直な啓介は「ありがとうございます」と少しずれた返事をしていた。
「では、貴殿は、あの牢にあった真新しい血についてもご存知ないのですか?」
「血? ――ふむ、少し前に賊が侵入した報告を受け、軽く痛めつけて放り出しておけと命じた覚えはあるが、真新しいとなると知らぬ。私は、ここ一月は、愚弟の件で召喚されるまでずっと王宮に入り浸っていたからな。仕事が溜まっているのだ。ただでさえ忙しいというのに、あの古狸が妻子と旅行になんて出かけるのだから……っ。――と、これは貴様らには関係ない話だが、宰相付き第一補佐官がどれだけ忙しいか、平民には想定も付かぬだろうよ」
よほど腹に据えかねているのか、カラクは愚痴混じりに言い、ついでに三人を軽く見下した。
「そこに愚弟がさらわれる事件だ。あの馬鹿が、だから王女殿下の旅行は反対したのだ。べた惚れだからと、仮にも責任ある王族を甘やかしおって……」
責任を取るどころかややこしくするくらいなら、家に引きこもっていろとまでカラクはぼやいた。
これはなかなかストレスが溜まっているようだと啓介は苦笑する。見た目からでも、カラクの疲労がたまっているのは簡単に分かる。ここで寝ていたのも、よっぽど疲労困憊していたせいなんだろう。
「だいたい、父上も母上もアレを甘やかすから、アレはあんな甘い見通ししか出来ずに、こんな厄介事を引き寄せるのだ。護衛兵を連れて行かないなど、アホか。馬鹿だろ、大馬鹿だ。見つけたら、一発殴った上で謹慎処分一ヶ月だ」
カラクの赤い目が怒りと苛立ちで燃えているのを見て、啓介達三人はそっと視線をかわす。テリースの未来に同情する。
カラクはそこまで文句を口にして気が済んだらしく、手をヒラヒラと払う。
「――もう帰ってよいぞ。何やら家宰の素行に問題があるようだ。しばらく泳がせて探りを入れる。貴様らを牢に放り込んだということは、今回の件に噛んでいるに違いないからな。ああ、言っておくが、旅人の分際であまり裏市場を騒がすな。たまに大物が潜んでいるからな、蛇の尾かと思えば竜だったという場合もある。貴様らの旅の仲間など、私にはどうでもいいが、ついでに見るくらいはしておいてやる。とにかく他所者の分際で掻き回すな」
そして、手早く何かを記した紙片をフランジェスカに投げ渡す。
「あの愚弟の情報があったら、ここに連絡しろ。赤い鷹宛てにすれば、私の元に届く」
言うだけ言うと興味を失ったらしく、カラクは書類の山に手を伸ばして目を通し始める。その眉が瞬く間に寄るのを見ながら、フランジェスカが問う。
「連絡をとれるのはありがたいですが、カラク殿。我らにどこから帰れと言うのです? 一応、逃亡の身なのですが」
「ああ、そうだったな。面倒だな……。――おい」
カラクが短く声をかけると、すぐに側の木陰から、芥子色の地味な色合いをした服を着た壮年の男が現れた。腰に短剣を差している以外は軽装で、顔の上半分に烏を模したような面を被っている。
「そいつらをゴルドに見つからぬようにして外に出せ。手段は任せる」
「――はっ」
地に片膝をついた姿勢で頭を下げると、男はすぐに立ち上がり、啓介達についてくるように身振りで示した。
「すげえ、忍者だ……!」
途端に目をキラキラさせて男に素早く間合いを詰めた啓介から、男は動揺したように身を引いた。
「俺、啓介っていいます! ケイって呼んで下さい! よろしくお願いします、忍者さん!」
憧れの眼差しを向けられた男は、無言で啓介を見下ろす。その視線に、「何言ってんだコイツ」というような色合いが含まれているのは、フランジェスカやピアスには容易に想像がついた。
「ニンジャが何か存ぜぬが、よろしくする気はない。若様に迷惑をかけるな。とっとと付いてこい」
感情に欠ける声での返事に、しかし啓介は更にヒートアップする。
「すげえ、冷たい! 忍者だ!」
「…………」
訳の分からないことを叫んで感動を表す啓介を、男はやはり冷たい空気で見つめ、背を向け、すたすたと歩き出す。
「ケイ殿、落ち着け。――では、失礼した、カラク殿」
「あ、ごめん、フランさん。つい感動して! カラクさん、ありがとうございました!」
「失礼します」
ピアスも礼をして、烏面の男について三人は歩きだした。
奇妙な闖入者達を見送ると、カラクは小さく溜息を吐く。
「――おかしな輩どもだったな。旅人というのは、皆かように奇人ばかりなのか?」
小さく呟くと、近くに潜んでいる影に命令を下す。
「ゴルドの監視に付け。それから、捜索についての報告を」
すぅと柱の陰から現れた烏面を付けた灰色の衣服の女が、膝を付き、報告を始める。一通り聞いたカラクは、口元を微かに歪める。
「本拠地が壊滅、か。アレの死体がないのは僥倖か。――どうせなら死んでくれればいいものを」
煩わしげに呟くのに、女がそっと口を出す。
「それでも救出されるのでしょう?」
「当然だ。とんでもない愚図だが、我が家の発展に必要な駒だ」
「…………」
「“花”には追跡を続行させよ。“月”にはゴルドの経歴の洗い直しを。―― 十年も仕えていながら、とんだ喰わせ者だ。あそこまで完璧に経歴を詐称したのなら、上物が引っかかりそうだな」
暗く歪んだ笑みを浮かべるカラクは、どこか、獲物を見据えた蛇のような空気をしている。まるで裏切りを楽しんでいるかのように見えた。
そして、カラクはふと思いついたように更に命令を出す。
「“雲”に、あの輩どもの監視にしばらく付くように伝えろ。何故、牢に入れたのか気にかかる。――以上だ」
「しかと承りましてございます」
女は頭を下げると、すっと立ち上がり、柱の細い陰に溶け込むようにして姿を消した。
*
「――“サラマンダーの鎧亭”。ここだ」
簡易地図の書かれた紙片を見ながら、啓介達がいるだろう宿へ案内したグレイは、一つ頷いた。
王都にある宿の名前には、サラマンダーや火トカゲと付く物が多い。どうもサラマンダーは縁起物扱いみたいだ。耐火布の材料になるトカゲなので、防火の祝福がある名だというのが王都の人々の考え方らしい。
サラマンダーの鎧亭は、修太がアレン達と宿泊した火トカゲの鱗亭よりも、幾らか立派な門構えをしていた。白い漆喰で塗られた四角い形の建物は、壁に草花の紋様が刻まれていてお洒落だし、あちこちに草花が植えられている為に明るい雰囲気がある。中級の宿といったところか。
だが、一歩中に入ると、右の開いたままの扉から見えた食堂を兼ねた一階は、がやがやと騒がしい空気に満ちていた。
それを横目に廊下を奥へ進み、正面の奥にある階段の前にある、受付カウンターに顔を出す。十五歳くらいの少年が店番をしており、修太達を見てぺこりと会釈した。
「いらっしゃい。お泊まりですか? 食堂のみのご利用でしたら、そちらの扉からどうぞ」
「ここに、ケイ、ピアス、フランっていう名前の旅人が泊まってるって聞いたんだけど、分かる?」
銀髪と茶色の目をした少年は、フードを目深に被る修太を見て、次にグレイ、サーシャリオンを見て、若干警戒するような目をした。
「約束してるんですか?」
「ううん。一緒に旅してる仲間で、落ち合うつもりで来たんだけど。問題あるなら、上の人に訊いてきていいよ」
客の情報をおいそれと漏らせないだろう。信用に関わってくる。下っ端店員の気持ちはよく分かるので、修太が言うと、少年はあからさまにほっとした顔で、食堂の方に駆けて行った。
「父ちゃん! 人探ししてる客が来てるんだけど!」
「ん~? ちょっと待ってろ、ダミィ。母ちゃん、これ、運んでおいてくれ。よろしく!」
「はいよ。すぐに戻ってよ!」
手を洗い、前掛けに引っかけたタオルで手を拭きながら、ちょび髭が印象的な男が出てきた。
「人探しってぇと、どんな用件で?」
首をひねる男に、修太はさっき話したことと同じ事を口にした。
男はまじまじと修太を見下ろす。
「黒いフード、濃い緑色の上着、背はこんくらいで、子供のくせに達観した物言い……。おお、お前が、シューター・ツカーラって小僧か!? なんだ、ってぇと、後ろの奴らは盗賊だったりすんのかい?」
何やらぶつぶつ言っていたかと思えば、カウンター脇に立て掛けていた箒を手にして、構えだす店主。
「こちとら、サラマンダーに足を火傷させられるまでは、冒険者してたんだ! おい、ちびっこ、こっち来い! ダミィは衛兵呼んで……」
「待った待った! この二人はちゃんと仲間だから! それからちびっこじゃねえ!」
勘違いはもういい。疲労を覚えながら、修太は大急ぎで否定する。
「はあ? そうなのか? 悪人面と、うさんくせえ面したダークエルフなのに?」
「……ああ、うん。まあ、うちの善人代表は別行動してたから、そんな風に見えるのかな……」
修太はぼそりと呟き、頬を掻く。啓介とピアスがいないだけで、こうも対応が変わるものなのか。
さっきダミィ少年が警戒を顕わにしたのは、後ろの二人のせいらしい。
「でもな、ケイの坊主は、ちびっこが盗賊にさらわれて探してると言ってたが」
「自力で逃げ出してきて、仲間とギルドで落ち合ったんだよ」
面倒臭く思いながら、修太はそう説明し、無理矢理話を切り替える。
「とにかく! そのケイはここにいるんだよな? 会いたいんだけど、いいかな」
「あのお客さん達なら、昼頃に出かけたっきり戻ってないよ。えーと、どこ行くって言ってたっけ? 父ちゃん」
ダミィの問いに、店主は箒を元の位置に戻しながら、斜め上を見る。
「確かレト家のご当主様に呼ばれて出かけてったな」
「レト家だと!」
サーシャリオンが一歩前に出て、店主の方に身を乗り出す。飄々とした雰囲気がなりをおさめ、真剣そのものの表情のサーシャリオンは、顔が美麗なだけあって迫力がある。店主は怖気づいたみたいににじり下がる。
「シューターを見つけたと思ったら、今度はケイか! これだから人間どもは面倒なのだ!」
心底面倒臭そうに頭を抱え出すサーシャリオン。
「おい、サーシャ。フランとピアスが抜けてる……」
「その他のことはどうでもいい」
「…………」
そうか。サーシャリオンの中では、啓介と修太以外はその他で一括りされているのか……。これだけ一緒に旅してきて、その評価はひどいと思うが、サーシャリオンに常識を語っても仕方ないので諦める。
「サーシャ、何も問題事に巻き込まれていると決まったわけではない。鬱陶しいから下がれ」
グレイの面倒そうな声での言葉を受け、確かにそうだと思ったのか後ろに戻るサーシャリオン。
「――店主、とりあえず、しばらくこの宿に滞在したいのだが、三人部屋はあいているか? それから、犬付きだ」
とりあえず問題事は先送りにして待ちの姿勢に入ったらしいグレイは、今日の寝床を確保すべく、店主に問い掛ける。お行儀良く座ったコウは、ぱたぱたと尻尾を振り、大人しくしてますというポーズを取る。
「追加料金がかかっていいなら犬もいい。ただし、食堂と風呂場へ連れてくるのは禁止だ。ダミィ、部屋の余りは?」
「三階の角部屋があいてるよ」
「あの部屋だと、朝と夕の食事付きで三人で一泊1500エナだな。犬は300エナ。だから一日1800エナの計算だ。風呂場の使用料込みだ。何日泊まる?」
「では一応、一週間としておくか」
「そうなると……」
店主とグレイが宿泊代のことを話し合い始めたので、修太はサーシャリオンの顔を見上げる。
「サーシャ、出かけてってすれ違うと面倒だ。とりあえず待とうぜ」
「そうだな」
虚空を見つめる仕草をしていたサーシャリオンは、頷き返す。
「ケイの位置は把握している。いざとなれば、我が様子を見に行こう」