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断片の使徒  作者: 草野 瀬津璃
セーセレティー精霊国 王位継承準備編
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 4




「ほら見ろ、貴族に関わるとろくな目に遭わぬ」


 じとじとと湿り気がある、かび臭い牢屋の中で、壁に背を預けて座り、フランジェスカは腕を組んだ姿勢で吐き捨てた。不機嫌を隠さず、むっすりと口を引き結んでいる。


「何でなの、意味分からないわ! もう! 横暴! 最低! バッカじゃないの! うう、いったーい!」


 一方、ピアスは荒れており、がつんと牢の鉄格子を蹴って、逆に痛みで足を抱えてうずくまった。


「ピアス、そんなことしちゃ駄目だよ。怪我するよ?」

「もう遅いわ、ケイ……」


 自業自得とはいえ、涙目で啓介をにらむピアス。啓介はうっとたじろいだ。涙目で上目遣いで睨むという仕草が可愛かったせいだ。ランプの明かりしかない薄暗い場所でも、ピアスの可愛らしさは健在である。


「はあ、何でこんなことに……。シュウを探し回ってたのがここまでされる程まずいことだったのか? 訳分からないよなあ」


 啓介はがっくりとうなだれ、壁に背を預けて座る。

 呼び出しに応えてレト家に顔を出し、そこで家宰(かさい)――家の仕事を家長に代わって取りしきる人のこと――と話をした後、盗賊の一味を捕まえたので会うかと問われ、それで手掛かりが掴めればとついてきたら、そのまま騙されて牢屋に閉じ込められたのだった。


(むしろ、テリースさんのことも情報掴めて都合が良いんじゃないかと思うんだけど……)


 疑問符を飛ばしまくって考えていると、フランジェスカがぼそりと言う。


「我らが動くことで、テリース殿へ危害が増すかもしれないという懸念から動いているにしては、少々不穏すぎるな。大人しくしていて欲しいだけなら、騙し討ちのような真似をして牢に入れるのは不自然だ。しかも、ご丁寧に〈黒〉以外の魔法封じがかけられた牢屋などと」


 啓介とピアスは、フランジェスカの方を見た。剣聖とも呼ばれた有能な女性騎士は、眉に皺を寄せて更に続ける。


「我らから何らかの情報を引き出したいのか、それとも、何かの邪魔なのか。前者であった場合、そこの道具が気になってくるな」

「…………」

「…………」


 フランジェスカが視線を向けた方へ、啓介とピアスもちらりと視線を向けた。見ないふりをしていたが、どうしても視界に入って来る、血なまぐさい拷問器具が、牢屋の向かいの空間に置かれていた。中央の天井からは、手枷付きの鎖がぶら下がっていて、それがろうそくの明かりに照らされて異様な存在感を放っており、どうしようもなく不気味だ。


「真新しい血痕があったのといい、最近使われたらしいな。レト家とやらは随分後ろ暗いところのある家なのだな。まあ、貴族などそんなものか」


「落ち着いているのがすごいわ、フランジェスカさん……」

「慌てても仕様あるまい?」

「そうだけど……」


 ピアスは納得いかないというように、口をへの字に曲げる。そして、うるっと目を潤ませる。


「もしこのままアレを使われて死ぬような目にあったらどうしよう……。冒険者として仕事をしていて死ぬんなら覚悟は出来てるけど、意味の分からないことに巻き込まれて拷問される覚悟なんかないわ」

「ピアス、俺もだから安心して。というか、普通はそんな覚悟しないから」


 啓介は苦笑してピアスをなだめながら、きょろりと周囲を見回す。


「うーん。抜けだすにしても、便器は壺だし、水道はない。窓もない。鉄格子の隙間を抜けようにも、小さい子どもか痩せてるような人じゃないと無理だよなあ」


 ここは地下牢だから、大声で騒いでも誰の耳にも届かない。一計を案じる啓介は、鉄格子と鉄格子の間の隙間を見た。ちちっと小さな鳴き声がして、ネズミが素早い動きでランプの光源内から暗がりへと姿を隠す。


「それこそああいうネズミくらいじゃないと通れないわよ、こんな隙間……」


 ピアスははあと溜息を吐く。

 しばらく沈黙が落ち、ふと啓介とピアスは顔を上げる。


「……ん?」

「ネズミ?」


 視線は無意識にフランジェスカに向く。


「何だ? どうしてそこで私を見る?」


 気まずげに身じろぎするフランジェスカ。

 ピアスはキラキラと輝かしい表情になり、フランジェスカににじり寄る。そして、がしっとフランジェスカの手を握った。


「フランジェスカさん!」

「な、なんだ」


 気圧されて身を引くフランジェスカだが、あいにくと背後は壁なので大した距離は離れられなかった。


「そうよ、フランジェスカさんがいるんだもの。どうにかなるわ!」

「は?」


 目を瞬くフランジェスカに、啓介もうんうんと頷いて言う。


「そうだよ。あの面白くて個性的な特技があるんだから、この隙間くらいいけるよ」

「特技?」

「「変身の特技だよ!」」


 啓介とピアスは声を揃える。


「うっ、私にポイズンキャットになれというのか!? シューターもサーシャも側にいないのに?」


 嫌そうに身を引くフランジェスカに、ピアスは更に近付く。


「そうよ! このまま意味不明な仕打ち受けて死にたいの? 死にたくないでしょ? あたしは死にたくないわ! 手があるんなら試すべきよ! でないとあたし、フランジェスカさんのこと呪っちゃうから!」


 口調は軽いが、菫色の目は真剣味を帯びており、フランジェスカは頬を引きつらせる。


「いや、だが、しかし……」


 闇堕(やみお)ちが……と言い訳しようとするフランジェスカ。そこへ啓介が畳みかける。


「フランさん、お願いします。手を貸して下さい! ここで活躍出来るのは、フランさんしかいないんです!」

「う、ケイ殿まで……」

「お願いします! 猫に変身して下さい!」

「うっ」


 フランジェスカは啓介を慕っているから、啓介に必死に頼まれると弱い。ピアスもまた、善良な娘なので、うるうると目を潤ませて懇願されると悪いことをしている気分になってくる。これが修太だったら、誰がするか馬鹿がと切り捨てられるのに。


「……わ、分かった! 分かったから、二人してそんな目で見るな!」


 罪悪感に支配されたフランジェスカはたまらず了承する。その瞬間、啓介とピアスは揃ってぱあっと表情を明るくし、互いの手をパチンと叩きあった。


「ありがとう、フランジェスカさん!」

「流石です、フランさん! 頼もしい!」


 囃したてるピアスと啓介の姿に、フランジェスカは「はは……」と曖昧な笑みを零す。不本意だが、そうするしか道は無かった。



      *



「毒が塗られていなかったのは幸いでした……。それにこのアジトに医者がいたことも」


 スラム街に住む“先生”こと、元王宮付き医師だった老人が避難していたお陰で、キッカは一命をとりとめた。他にも数名、怪我をしていたスラムの住人もまた、治療されて助かっていた。

 テリースは床にへたりこんで、ほうと安堵の息を零す。先生に続いて治療に奔走していたので、テリースは手が血まみれな上、あちこち汚れていた。


 スラムの住人であり、セイズの仲間達の避難所は、すでに地に沈んだ建物の一部に木で骨組を組んで出来ていた。だから見た目があちこち歪なのだが、〈黄〉が魔法で補強しているので、印象よりも遥かに頑丈だ。


 そして、そこからは井戸へ通じる道と、他に二つ、逃げるのに具合の良いトンネルが掘られており、一つは廃倉庫の一画、もう一つは王都の端にある集団墓地の墓穴に通じている。


「キッカお嬢さんはとにかく安静にしろ。そっち五人の重傷者も同じだ。逆らったら、分かっとるだろうな……?」


 先生はくるんと巻いた不思議な髭を指先でいじりながら、その青い目をぎらりと光らせた。手に持つ薬瓶を見て、にらまれた患者達はそろって無言で頷く。この老人、言い付けを守らない患者に、特に苦い薬や沁みる薬を処方するので有名だったので、スラムの住人達は先生を頼りにする反面で、とても恐れていたりする。


「ったく、思ったより早く落ちたたぁいえ、なんで一ヶ月以内に落ちねえんだ、セイズ! 賭けに負けただろうがよ!」

「うるせえな、てめえまで賭けてんじゃねえよ、くるくる巻き髭爺(ひげじじい)!」


 セイズはくわっと怒りの形相で怒鳴る。

 しかし、灰色の衣服に身を包み、長く伸びた灰色の髪を後ろで三つ編みにしている先生は、緑色の四角い帽子を被り直しながら、気にした素振りすらない。


「俺を庇って怪我までした上、死にそうな顔で恋人になりたかったなんて言われてみろ! 幾ら俺でも(ほだ)されるわ! 悪かったな!」


 やけくそで怒鳴るセイズを、仲間達は見て、そっと目元を押さえる。


「ああ、キッカの(あね)さん、その根性がすごいっす……」

「脱帽もんだ……」

「そうでもねえと、このクソかてえ(あたま)した(かしら)を落とすのは無理だ」

「姐さんの粘り勝ちかあ。ざまあ」


 好き勝手呟く仲間達を、セイズは頬を引きつらせて見る。


「てめえらな……!」


 しかしセイズは怒りを深呼吸で紛らわし、ふんを息を吐く。


「まあ、なんだ。てめえら生きのびて良かったよ。今のとこ、三十はいるな? となると、十五人は殺られたか……」


 木箱に腰かけた格好で、セイズは顎をしゃくる。

 沈痛で重苦しい空気が、避難所内に立ちこめている。皆、やりきれないという顔をして、足元を見つめたり、意味もなく頭を抱えたりする。そのうち、一人の若者が憤然と立ち上がった。


「なあ、頭! なんでそいつを生かしてるんだ! そいつのせいで、こっちはこんな目に遭ったんだぞ!」



「馬鹿が。このお坊ちゃんはそもそも俺らがさらってきた。それにこのお坊ちゃんの兄貴がこいつを殺したがってるのは、こいつのせいじゃねえ。第一、こいつを殺してみろ。これ幸いと、手段選ばねえで口封じされるだけだろうが。そんな相手の意図に乗ってやる筋合いはねえよ」


「でも! メルド達はもう帰らないんだろ! それなら、取引は不成立じゃねえかよ!」


 怒る若者を、セイズは小さく溜息を吐いて見る。


「そもそもが不成立だったってぇことだ。あいつらがたまたま忍び込んで賊として捕まって、仲間がいるのを知って、まんまと利用されたんだよ。殺しに来たところを見ると、あいつらはもう殺されてるだろう。お陰で助けようとしたこちらは被害が半端ねえ。――だが、俺は仲間を助けようと思ったのは、微塵も悔いちゃいねえ」


 セイズが隻眼である赤い左目が、ぎらりとほの暗く光る。


「てめえらはどうだ、後悔してんのか?」

「……して、ません。むしろ、俺もそんなドジ踏むかもしれねえ時に、見捨てられねえんだってほっとした」


 うなだれ気味に、若者は白状する。年配者は、そんな若者を微笑ましげに見る。視線に気付いた若者は爆発する。


「んな目で見るんじゃねえよ! クソ親爺ども!」

「いやあ、素直で可愛いなあと思ってよぉ」

「流石、殻ついたヒヨコだな。ぎゃははは」

「うるせー!」


 一気に場が騒がしくなる。


「うるせえのはてめえらだ、静かにしろ。ったく。――とにかく、だ。ここまでされて黙ってられる程、俺はお人好しじゃねえ。だが、こいつの身代金はあてにならねえ。ということは、だ。むしろこいつと取引すればいいわけだ」


「え?」


 ぼんやりと場の流れを見ていたテリースは、目を瞬く。セイズの指先が自分を向いているのに気付くと、後ろを振り返り、壁しかないのに気付いて、自分自身を指差し、えっ? と首を傾げる。セイズはにやりと悪い笑みを浮かべた。


「テリースだっけ? あんたは悔しくねえのか? 実の兄貴にここまでコケにされてよ」


 テリースはへにょりと眉を下げ、そろりと目を反らす。


「兄上に嫌われているのは知ってましたから、今更です」


 セイズはチッと舌打ちをする。


「それでも男か、てめえ! 一発くらいぶん殴ってやろうとくらい思え! お前の命は勿論だが、一歩間違えば、あの王女様だって危険にさらされてたんだぜ?」


「――え?」


 テリースは顔を上げる。意外だと思ったのだ。


「あの王女に何かあって、責任取らされるのは誰だよ?」

「……あ」

「つまり、そういうことだ。なあ、お前、ここまで見くびられて少しは腹立たねえのか? 幾ら美形でもな、ああいうのも醜いっていうんだ。クソ忌々しい」

「…………」


 テリースはぎゅっと両手を膝の上で握り締め、薄汚れた床を睨みつける。

 自分を嫌う兄。利用された盗賊達。たくさんの怪我人と死体。王女。危険。

 色んなピースがぐるぐると脳裏を駆け廻る。


「私は……」


 テリースはうつむいたまま、ぶるぶると身を震わせる。兄に逆らうことなんて、一度も考えたことはなかった。あんなに出来た人なのだから、こんな不細工な自分を嫌うのはむしろ当然だと思っていたのだ。


 昔からすぐに睨まれたり、意地悪をされていたから、兄のことが苦手だった。出来ることなら関わりたくないと避けていたのである。

 けれど、こんなことになっては、もう避けることも逃げることも出来ない。

 自分一人の問題なら良かった。けれど、ムルメラが巻き込まれるのだけは許せない。


「私、は……」


 ぐぐっと手を握り締め、背筋を伸ばすと、テリースはキッと顔を上げる。


「私は、兄にどうしてこんな真似をするのか聞きたいです。それから、王女様に手を出すなって、一発、な、な、殴りま、す!」


 ぶるぶる震え、冷や汗を流しながら兄に立ち向かう決意をしたテリースを、皆、締まらねえなあと生温かい目で見つめた。あんまりにも頼りない風情に、不安の方が募る。しかしセイズはばしっとテリースの肩を叩いた。


「おっしゃ、よく言った!」

「はい!」

「俺らも協力してやっから、お前、俺達を庇って、ついでに報酬弾んでくれよな。赤字なんだ」

「は……?」


 目を瞬くテリースの肩をがしっと掴み、セイズは凶悪な笑みを浮かべてにじり寄る。


「なあ、まさかノーだなんて言わねえよなあ?」


 硬直したテリースは、ふと周りを見て、盗賊達が一様に暗い笑みを浮かべてこっちを見ているのに気付いた。そしてすぐに悟る。味方が誰もいない、と。


「ハ、ハハ……。ももも勿論デス」


 それ以外、どう答えればいいというのか。テリースは引きつり笑いを零しながら、自分はもしかしてとんでもない道に誘導されたのではないかと、遠い目になった。



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