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断片の使徒  作者: 草野 瀬津璃
セーセレティー精霊国 王位継承準備編
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第二十二話 片恋の君へ 【後編】 1



 ランプの鈍い光に照らされた食堂は、控え目なざわつきに包まれている。その片隅で、アレンは酒の入ったグラスを片手に、カタログをめくっていた。

 みしっと軋む床板の音を拾って顔を上げ、そこにいた人物にアレンは片眉を跳ね上げる。


「おや、珍しい。酒嫌いがこんな時間に食堂にやって来るなんて」


 食堂兼宿屋のような形をした安宿は、夜はたいてい酒場として運営していることが多い。

 図体のでかい野性味溢れる外見のくせに、酒のにおいすら好まないディドが、食堂に足を運ぶのは大変珍しいことだったりする。


「あの坊主を寝かしつけてきたんで、出てきただけですよ。やっと寝たのに起こしたら意味がないんで。ったく、調子が悪いならそう言やあいいもんを……」


 鼻の頭に皺を寄せてうなると、ディドはアレンに一言断ってから向かいの席に座った。給仕に熱い茶を注文する。

 どこかおっさんじみている上、熱い薬草茶が好きだったりと趣味が渋いせいで三十代後半くらいに見えるディドだが、実は二十代後半だったりする。灰狼族の年齢は分かりにくいが、これにはアレンも驚いた覚えがある。老けすぎではないかと。


「シューター、体調が悪かったんですか?」


 それは気付かなかった。


「魔力欠乏症っていう持病があるんだそうですよ。それですぐに体調を崩すとか。盗賊の所にいる間、魔力混合水を補給出来なかったせいで調子が悪いんだそうです。水を飲んで寝ておけば治ると本人は言ってました」


「ふうん。人相の悪い毛むくじゃらのくせに、目端がききますね」

「……さりげなく根に持つの、やめてくれませんかね」


 疲労たっぷりにディドはぼやく。それから気を取り直して言う。


「妙に大人びた、変なガキですね。ま、嫌なにおいはしないんで別に良いですが……」


 そして運ばれてきた茶のカップを傾ける。


「嫌なにおい、ですか?」


 興味深い話だと、アレンはディドの狼頭を見上げる。


「はい、害のある奴とない奴ではにおいが違うんですよ。俺にとって害のある奴は、すごく嫌なにおいがするんで分かりやすいんでさ。あの黒狼族の野郎が認めてるだけあって、あのガキは害のあるにおいは全くしませんね」


 アレンは色違いの両目を僅かに瞠る。


「え? あの子ども、あの時の黒狼族の男に認められてるんですか? 人間なのに? どうしてそんなことが分かるんです?」

「へえ。奴ら、認めてる奴の名を呼ぶ時は、名の持つ力が違いますから。人間には分からないっすかね? 俺らには感覚で分かるんですが……」


 説明しにくいのか、ディドはぽりぽりと頬を掻く。


「そうなんですか、それは興味深いお話ですね」

「ま、奴らの判断基準は分かりませんが、同胞以外、特に人間を認めるのは珍しいんで、面白いと思います」

「そうなんですか? 僕は黒狼族とはほとんど話したことがないので、よく分かりませんが……。誇り高い戦士が認めるにしては、あの子どもは弱すぎやしませんか?」


 アレンには不思議だったので、ディドに問うと、ディドはぶんぶんと首を振る。


「俺もそう思いますがね、奴らの考えなんか理解したくもありませんので、どうでもいいです」


 けっと鼻で笑うディド。


「あなた方一族同士が仲が悪い理由は知りませんが、喧嘩しないで下さいよ。面倒臭い。もし次があった時は、殴って止めますから」

「……蹴り飛ばされることと違いがあるように思えませんが」


「誰が拳で殴ると言いました? 剣でぶん殴るに決まっているでしょう?」

「それ、殴るって言いませんよね? 死にますよね?」


「そんなに柔ではないと信じています」

「意味不明な信頼を寄せねえで下さい!」

「注文の多い人ですね……」


 やれやれと首を振るアレン。ディドは口端を引きつらせ、何か言いたげにして、結局、黙った。


「そういや、旦那。明日、回る店は決めたんで?」

「ええ、当たりはつけました。この近辺にある店になるので、あの子も連れていってみましょうか? 宿にいるよりは退屈しないと思いますよ」


「明日の体調次第ですね。ガキってのはすぐに熱を出して寝込むから、明日にならねえと分かりません」

「子持ちみたいな発言ですね。結婚してましたっけ?」


 アレンの問いに、ディドはぐっと喉を詰まらせ、げほげほと咳き込み始める。


「妻帯してたら放浪者になんかなれませんよ。前にも話しましたが、俺の一族は、居残り組と放浪組に分かれるんです。十八までに妻帯しなかった者で、主人探しをしたい者だけ長老の許可で放浪出来ることになってるんで」


「長男以外は割と外に出るんでしたっけ? 子沢山の一族は大変ですね」

「まあ、四つ子なんてざらですからねえ……」


 見た目が狼そっくりなだけあって、灰狼族は一度の出産で子をたくさん産む特性がある。そのだいたいは双子であることが多く、多くて五つ子という場合もある。そのせいで集落が飽和状態になるので、食料難に見舞われるのを防ぐ為、男の大部分は旅に出るのだ。女も希望を出せば旅に出ることが出来る。ただ、黒狼族と違って追放されるわけではないので、いつでも帰ることは出来る。


 灰狼族の集落はセーセレティー精霊国の西にある荒れ地で、体力を生かして荒野を開拓し、畑にして生活している。長年の努力の末、富んだ土地になり、穀物や芋類を行商人と取引出来るまでになっている。


「あなたも双子なんでしたっけ?」

「はい、俺は兄の方ですね。弟のザドとは五年近く会ってないんで、何してるか知りませんが」

「人相の悪い毛むくじゃらがもう一匹ですか……、むさ苦しいですね」


 眩しい笑顔でアレンは失礼なことを口にする。


「笑って言わんで下さい」


 はあ。ディドは黄昏た溜息を零す。アレンは気にした素振りもなく、にこりと笑う。


「明日の予定は決まりですね。僕もそろそろ休むとしますよ」


 パタンとカタログを閉じ、アレンはお代をテーブルに置いて席を立つ。


「俺も上がります。おい、給仕の嬢ちゃん、お代、ここに置いとくからな!」

「了解で~す。ありがとうございました~」


 明るい声を背に受けながら、ディドはアレンに続いて二階へ続く階段を上りだした。





 ふっさふっさ。ゆらゆら。

 目の前でもこもことしつつもふわっとした灰色の尻尾が揺れている。

 修太がそれに気をとられてうずうずしていると、こつんと側頭部を小突かれた。


「ちょっと、聞いてるんですか?」

「ごめん、全く聞いてなかった」


 修太の返事に、アレンははーっと大仰に溜息を吐く。


「これから防具屋に入りますが、武具類には触らないようにして下さい。鎧の下敷きになって怪我をしたいなら止めないのでどうぞご自由に、とお話ししてたんです」


 そんな話をしていたのか。

 分かったと頷く修太を見て、アレンはちらりと横にいるディドに視線を向ける。


「こんな毛むくじゃらの尻尾の何がそんなに面白いんです? ずっと気をとられて上の空だったでしょう?」


 いや、あれは見ずにはいられないと思うぞ。

 修太は心の内でごにょごにょと言い訳をする。


「俺の尻尾はそんなに格好良いか? ふふん、俺は坊主と仲良くやれそうだぜ」


 にやにやしてディドは何度も頷き、だはははと笑いだした。アレンは面倒臭そうにディドを見る。


「シューター、うちの舎弟がつけ上がるんで、余計な真似をしないで下さい」

「あんたはもうちょっと従者に優しくしてやったら?」


「勝手に付きまとってくるむさ苦しい狼男なんかに、どうして優しくしてやらねばならないんです? 僕を主人と決めた彼が悪いんですよ」

「…………」


 本気で勇者って柄じゃないよなあ、こいつ……。

 修太はディドを可哀想に思った。ディドはがくっと肩を落として落ち込んでいる。


「さあ、中に入りましょう。ここ以外にも、あと四軒は回る予定なんですから」


 ディドをさっくり放置して、アレンは防具屋に入っていく。


「今からでも主人を変えられないのか?」


 アレンが店に入った後、修太はディドにこっそり問う。


「これが無理なんだよな。主人だと決めちまうと、ついていって手助けすることしか考えつかねえからよ。それにアレンの旦那はなんだかんだで良い人だからなあ」


 なんだかんだでというところに、その他諸々の悪い部分が含まれているようだ。


(主人に仕えるのが誇りかあ。難儀な一族だな……)


 相手が悪人だったりしたら、それは不毛な主従関係になりそうだ。その点、その他諸々は置いておいて、アレンを選んだディドは見る目があるのだろう。


「おら、行くぞ」

「ああ……」


 ディドに促され、防具屋に踏み入れる。


「おお」


 防具屋と言うから、盾や鎧がずらっと並んでいるのかと思ったが、盾と鎧は部屋の左半分を占めているだけで、残り半分は服屋のようになっていた。棚に平積みされた衣服や、ハンガーにかかった様々な服が所狭しと並べられ、他にもベルトやポーチ、鞄や帽子、靴まで揃っている。


「……防具屋だよな?」


 思わずディドに確認する。ディドは鷹揚に頷いた。


「ああ、そうだぞ」

「服屋と防具屋って何処が違うんだ?」


「何処ってお前、服屋は普通の布で作った服が売られてて、防具屋はモンスターから採取した糸で織った布製って違いがあるな。あんまりべたべた触るんじゃねえぞ。単価が恐ろしく高いからな。ちょっといい服屋の十倍はするぞ」


「分かった、近寄らない!」


 修太は服に伸ばしかけていた手を素早く引っ込めた。


「はは、買ってくれるんなら気にしなくていいぞ。坊主、その服もなかなかの品だが、うちの品も負けてねえぞ? 子ども服はそっちの棚だが、オーダーメイドも受け付けてるからよろしくな」


 丸眼鏡をかけた店主がにやっと笑って言った。ドワーフの男で、ちりちりした長いあごひげが印象的だ。


「子ども服……」


 迷宮都市ビルクモーレには子ども服屋がなく、仕立屋で幾つか服を作ったのだ。既製服だとどんな物があるのか興味が惹かれた。――が。


「アレン、うるさい」

「何も言ってませんけど?」

「笑ってるのがうるさい」


 子ども服という単語がツボだったのか、アレンがくつくつ笑うので、修太はじろっと睨んだ。

 その後、アレンとディドがサラマンダーの皮で作られた耐火布製の衣服を物色している間、修太は子ども服の棚を見ていた。草や花が刺繍された民族衣装もどきから、シンプルなシャツ、貴族の子弟が着ていそうなひらひらしたシャツなど色々あったが、だいたいの値段が5000エナくらいだったので買わなかった。


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