10
地面に下ろされて目隠しを外された。
光の眩しさに目を細めながら、きょろりと周りを見回す。どうもまだスラム内のようだった。
薄汚れた町並みと、ときどき暗い目をした人間が地面に座っている。他種族はいないようだ。
「いいの、ここで下ろして」
「おう。アジトからは離れてるから、ここからは覚えられても問題ねえ」
目隠し布を鞄にしまい、代わりに腕輪のような木製の輪がつき、紐がついているものを取り出すクレイグ。
「ほれ、これ付けとけ。迷子紐」
まじか。
「ここじゃ、子どもにこれを付けるのが普通なのか?」
うろん気に輪っかを見下ろす。どこから見ても普通の腕輪だ。
「王都ではそうだな。何だ、ベルトに付けるタイプもあるが、そっちが良かったか?」
「いや、こっちが良い! でも、何でこんなの持ってんの?」
「ガキの面倒はよく見るからな。頭がたまにどっかからガキ拾ってくるんだが、拾うだけ拾って、世話は俺に丸投げするからよ。奴ら、ちょろちょろして、目を離すとすぐにどっかにいなくなる。人さらいにもでさらわれたら、娼館に売り飛ばされるかもしれねえだろ? それか、レステファルテの人買いどもに捕まる可能性もある。拾ったからにゃあ面倒見ねえと寝覚め悪いだろうが」
クレイグは呑気な口調で言い、雑談するような態度で更に付け足す。
「一番厄介なのは、魔法薬の被験者にされることだな。特に、カラーズなんてのは厄介だね。どの色にも効くのか、魔法薬調合の狂人は知りたがる。最終的には廃人になって捨てられるのさ」
「……廃人」
「あと、たまーに麻薬売りなんてのもいるから、道端で怪しげな食べ物を買うんじゃねえぞ? 徐々に中毒にしていって、大物売りつけるのが奴らのやり方だ」
「スラムは悪人の集合場所なのか?」
思わず嫌悪感丸出しで訊いてしまう。クレイグ達があんまり呑気なので、そう酷い場所ではないのかと思っていたが、違うらしい。
すると軽く頭を叩かれた。
「バーカ。俺らはそういうのは排除してるよ。お前、人さらいや人買い、魔法薬調合の狂人や麻薬売りが傍にいてみろ。こっちだって危ねえだろうが」
「……確かに」
「確かに俺らは盗賊だから、お前さんからすりゃ悪人だろうがよ。魔法薬調合の狂人は、違法薬師ってやつだよ。過激な人体実験したのがばれて、薬師ギルドを追放されたような奴らのこと。薬師ギルドの認可がなきゃ、薬は売れないからな。麻薬売りは違法じゃねえが、あんまり歓迎はされねえな。特にデナドーラっていう、ハート型した白い葉っぱは駄目だ。あれは中毒率が高い上、致死率も高いんでな、持ってるのが分かっただけでも牢屋行きだぜ? って、お前さんに言っても知らねえだろうがよ」
かかかと笑うクレイグ。なかなか恐ろしいことを口にしている割に、能天気そのものだ。
「そういう奴らは、スラムにはいねえ。俺らが追い出すからな。代わりに、町の路地裏や、人が寄らねえような薄暗い場所、人波にも紛れてることがある。ま、昼間は路地裏に行かなきゃ安全だ」
だんだん不安になってきているのが分かったのか、クレイグはそう付け足して、修太のフードを目深に被らせる。
「とりあえず、目は隠しとけよ? 違法薬師に捕まった〈黒〉はひっさんだぞ~? どういうのまでなら魔法が効かないか、良い材料になるからな」
「……分かった。気を付ける」
修太は神妙に頷いて、自分で腕輪をはめた。
(スラムを出てから逃げよう。そうしよう)
で、路地裏にも行かない。よし、良い考えだ。
「へ~、ちゃんと掃除されてるんだな。レステファルテと違って綺麗だ」
セーセレティー精霊国の王都は、レステファルテ国の王都のように汚い所ではなく、きちんと清掃されていて綺麗な見た目をしていた。
「そりゃそうだ。街道に面してる家は、家の前の街道の手入れをする義務がある。手入れを怠ると税金に響くからな」
そうやって調整しているのか。
「それで掃除もするってこと?」
「そういうこと」
「クレイグさんって物知りだよな」
「物知りねえ。こんなの、ここで暮らしてる奴なら、誰でも知ってらぁ」
わははと肩をゆすって笑うクレイグ。
「へえ、そうなの。じゃああれは何?」
ハンドベルを伏せたような形の聖堂を指差して問う。
「ありゃ、聖堂だな。祖霊と精霊を祀ってるんだ」
「じゃあ、あっちは?」
雑踏を歩きながら、こんな風に修太は次から次へと質問を投げかける。クレイグは質問に答えるのが好きらしく、得意げに答えていく。
前を向いて、長々と語っているクレイグをそっと見上げると、修太は腕輪を外し、近くにいた犬の首輪に巻き付けた。
(クレイグさん、ごめん!)
内心で謝り、人波に飛び込む。小さな少年である修太の姿は、あっという間に見えなくなった。
「っていうわけだ。どうだ? 分かったか? 他に質問あるなら受け付ける……ぞ?」
いい気分で笑顔を浮かべて振り返ったクレイグは、そこに修太がいないのに気付いて呆けた顔をした。
「え? あれ?」
一瞬、どうしてこうなったのか分からなくて、舌を出して尻尾を振る雑種犬を見下ろす。迷子紐の腕輪が犬の首輪に巻きつけられていた。
事態に気付いたクレイグは顔を赤くする。
「くそ、やられた! あのガキ、逃げやがったな!」
自分の説明好きを逆手にとるとは、なんて小癪なっ。
興に乗っていたせいで不注意になっていたことは棚に上げ、クレイグは怒る。
迷子紐を回収すると、八つ当たりで犬を蹴飛ばしてから、クレイグは雑踏に駆けこんでいった。
(とにかく、ギルド! 冒険者ギルドに行って、その後、宿を探して……)
連れとはぐれたと言って、ギルドにいさせてもらおう。ついでに宿を紹介して貰えたら尚良い。もしくは、臨時で護衛を雇ってもいいかもしれない。ビルクモーレ滞在中に貯めた金があるから、しばらく分の護衛代にはなるだろう。
雑踏の人の波を駆け抜け、それらしき建物がないか探して回る。
かなり安直に考えていたことを、修太はすぐに後悔した。
(広い……。どこに何があるのかさっぱり分からねえ)
ここがメインストリートかそれに次ぐような通りなのは分かるし、商店が多いのも分かるのに、目当ての建物が見当たらない。
冒険者ギルドは、一目でそれと分かるように草原に突き刺さった剣の紋章が刻まれた旗か看板がかかっているのだが、それが見当たらないのだ。
そのうちクレイグに捕まるのを想像し、足を止められずにうろうろとさまよう。
そうしているうちに、通行人とぶつかって尻餅をついた。
「あたた……。すみません」
痛みに顔をしかめ、謝りながら立ちあがると、ぶつかった相手は低い声を出した。
「ああ~? なんだ、クソガキ。何ぶつかってんだぁ?」
よりによって、草木の柄の刺青をした柄の悪そうな男にぶつかってしまうとはついていない。連れの男も一緒になって、ガンつけてくる。
「身なり良いじゃねえか、お前。なあ、ぶつけた足がいてえんだ。治療費寄越せよ」
「えっ?」
修太はきょとんと目を瞬く。
まさか使い古された文句を聞く日が来るとは思わず、意外さからきた言葉だった。しかし二人は脅しが効いたと思ったようで、更に勢いづけて言う。
「おい、いててて。骨、折れちまったかな」
「大丈夫か? ひでえ奴もいたもんだな」
「…………」
これはどう反応すべきなんだろう。返しに困った修太は、とりあえず問うてみる。
「ええと、痛いんでしたら、治療師の所に行きますか? 冒険者ギルドに行きましょう」
ついでに冒険者ギルドまで案内してもらおうと小ずるいことを考える。
「んなこと良いんだよ。いいから、治療費払えって。なあ?」
肩にポンと手を下ろされ、にやりと笑われる。悪者の笑みそのものだ。
修太は面倒臭くなって、溜息を吐いた。呆れを混ぜて言う。
「ちょっとぶつかったくらいで骨折なんて、そんなにやわなの、あんた」
男の笑みがぴしっと強張る。
「だいたい、こんな子どもを恐喝するって程度が知れてるよな。もっと金持ってそうな大人を選べよ」
「こ、この、クソガキッ!」
遠慮をかなぐり捨てた修太の物言いに、大して気が長くなさそうな男達はすぐに頭に血が昇ったようだ。
何か間違ったことを言っただろうかと首を傾げてみる。ますます顔を赤くする二人。一触即発の空気が流れたところに、呑気な声が割り込む。
「おい、お前ら。話聞こえてたぞ。なに小僧相手にムキになってんだよ、大人げない」
呆れ度八割はかたい声にそちらを見ると、見上げる程大きな灰狼族が立っていた。大きな斧を背負っている。オレンジ色の目がじろっと男達を見下ろすと、灰狼族の巨躯を前に、男達はひるんだ。へらっとした笑いに変わる。
「ははは、ちょっとからかっただけですよ」
「そうそう。悪かったな、坊主!」
二人はへらへら笑い合いながら、路地裏の方に逃げて行った。ものすごく小物臭のする奴らである。
「おい、小僧。お前、こんなとこで一人で何してんだ? 仲間達はどうした?」
そいつらを鼻で笑って見送った後、灰狼族の男はそう問うてきた。
「え?」
「え? じゃ、ねえよ。おら、あの、気に食わねえ黒狼族とかよぉ」
修太はまじまじと灰狼族の男を見上げる。
「何でそのこと知ってんの? あんた誰?」
「なぬぅ!」
灰狼族の男は大袈裟に身を揺らす。
「誰とは、随分な言い草だな! ついこないだ会ったってのに」
「人違いじゃないですか?」
「においが同じなんだから、間違うわけねえだろ!」
何だと、面倒臭い人間違いだなあ。
埒があかなくて修太はイライラし始める。こんな人違いに関わっている暇はないのだ。
「ほら、切り株山で会っただろ。アレンの旦那の従……」
そこまで言えば、答えは分かった。
修太は顔を明るくし、ポンと手を叩く。
「ああ、パシリ!」
「ちっげーよ! 従者! パシリじゃねえ!」
修太は首をひねる。どこが違うのだろうか。あのエセ勇者アレンが舎弟呼ばわりしていたのは記憶に新しい。
「大概正直なガキだな……。ちくしょう。そりゃパシリっちゃパシリかもしれねえけど、断じて違うぞ。俺は認めん」
少しはそう思っていたらしく、灰狼族の男改め、パシリ改め、ディドはぶつぶつとぼやく。
「それでその従者さんが、ここで何してんの?」
「旦那と王都に観光に来てな。この都市の名物、サラマンダー焼きや、耐火布で作られた服なんかを買いに来たってわけだ」
屋台を見ると、大ぶりな肉の串焼きが店頭に並んでいた。いいにおいに腹がクウと切ない音を立てる。朝ご飯が果物だったので物足りないのだ。
「で、お前はどうしたよ。連れはどこだ? 子どもがこんなでけえ町を一人でうろつくんじゃねえ」
「それがやむにもやまれぬ事情ってのがあってさ! なあ、冒険者ギルドに行きたいんだ。連れてって下さい、お願いします! あと串焼き買いたい!」
ディドは後ろ頭をがしがしとかく。
「まあそれくれえならいいけどよ。宿とらねえと、俺が旦那にどやされるんだよ……」
「やっぱ、パシ……」
「言うな!」
怒られた。
気が短いなあ、この狼男。