3
いくら距離を稼ぐといっても、食事はとらなくてはいけない。それにトイレ休憩も入れなくてはならなかった。
トイレ関係は男女でいると本当に困る問題だ。こんなだだっ広い草原では身を隠しようもなく、どうしようもないので、互いに少し離れた所で後ろを向くしかない。これが馬車でもあれば、物理的にさえぎられるので、少しは精神的にゆとりが生まれるだろうに。
軍ではどうしているのかと聞いたら、簡易の衝立を使うのだと教えてくれた。兵士は男性が多いが、魔法の腕があるのならば女性の兵士も活躍できるので、割合的には男性と女性で6:4くらいなのだそうだ。
「具合、どうだ?」
啓介の問いに、修太は小さく頷く。
「食事食べたらマシになった」
「確かに、顔色が改善されているな。だが、まだ足手まといレベルだ」
「…………」
フランジェスカが堅苦しい口調で言うので、苦い顔をする。本当に容赦ない奴だ。
溜息をつきつつ、手元の椀に乗った野菜で包んだ肉の香草焼きを見る。また溜息が出る。野営料理は面倒臭い。修太だと手際が悪いとかでフランジェスカが作ってくれているし、フランジェスカの料理の腕は意外に良いからありたがいが、修太ではここまで作れるだろうかと思ってしまう。啓介は教えれば上手くこなすだろうが、家ではほとんど料理をしないから期待できない。
「私の料理に不満でも?」
焼いた芋を頬張っていたフランジェスカがむっすりと問うのに、首を振る。
「いや、うまいよ。ちょっと味付けが薄いけど、薄味は身体に良いしな」
「薄味? これが普通だぞ。王都内ではどこでもこんな味付けだ」
「え、そうなのか? もっと塩をかけたりしないのか?」
「そんなもったいないことができるわけないだろう! 塩は高価なのだぞ!」
面食らって目を瞬く。
「調味料って高いのか……」
「ああ、そんなものだろう? だからたいていはこうやって香草で味付けをする。香りも良いからな。それから、隣国のレステファルテはパンが主食だが、我が国は芋が主食だ。パンを食べたいのなら、隣国まで我慢するのだな」
フランジェスカは味付けよりも主食が違うから不満を抱いたと思ったようで、そんな話をした。
「違うよ、フランさん。俺達の故郷は米っていう穀物が主食なんだ」
啓介が口を挟むと、フランジェスカは首をわずかにひねる。
「“米”か。ああ、確か、北の島国にそんな名前の穀物を主食にする所があるな」
「米があるのか!」
修太は興奮気味に身を乗り出す。
珍しく表情を輝かせている修太に、フランジェスカはぎょっと身を引く。
「あ、ああ……。雪降る大地でも作れるように品種改良されていると、前に商人が言っていた。我が国では一部の貴族しか買わない珍味らしいがな」
「まじかよ! よっしゃあ! 絶対に米買うぞ。鍋で炊くとうまいんだよなあ」
頬をほころばせて郷土の料理に思いをはせる。もうあの食事にはありつけないのではないかと諦めていたから、思わぬ収穫だ。醤油やマヨネーズやソースも見つけられるといい。マヨネーズやソースは作れないこともないだろうが、醤油は作り方すら知らないから売っていて欲しい。
「魚もいいなあ。今度、釣りしようぜ」
食事のことを考えると心がおどる。できることならテーブルで待ち構えていて、胃袋に消化していく役目だけうけおいたい。
修太の呟きを拾い、啓介が合点したような顔をする。
「シュウはさ、働きづめだからここに来て疲れが出たんじゃないか? せっかくの休みも外で釣りしてるだろ?」
「同じぼんやりするなら釣りしてたほうがマシだ。啓介の家と違って、うちは昼寝してたら家から叩きだされるんだよ」
「美春さん、しつけ厳しかったもんなあ」
長年の習慣というものは恐ろしいもので、例え両親がいない今ですら、いつの間にかその習慣を繰り返してしまうのだ。だらけていると、耳の奥に母親の叱責が蘇るのだから不思議だ。
思い出にふける合間にも、パクパクと野菜包みの香草焼き肉を食べ、もぐもぐと咀嚼する。食事の時間が一番の至福だ。たいていの嫌なことは忘れられる。
「ケイ殿、こいつは見かけと違って働き者なのか?」
「そうなんですよ、フランさん。見えないでしょ? でも、忙しくしてる方が好きみたいで、いつも何かしら用事があるんです」
「お前ら、俺を何だと思ってるんだ……」
軽い疲労感を覚えて、額に手を当てる。
「えー、だってシュウってさ、縁側で茶を飲みながら新聞読んでそうな感じだぜ?」
「俺はまだ十七だ! 老人じゃねえ!」
さすがに切れた。
これは怒っていいところだよな?
食後もまた背負われる羽目になった。
フランジェスカに足手まといだと言われれば、修太は反論できない。
たしかに言う通りだ。フランジェスカと啓介の歩くスピードは尋常じゃない。競歩並だ。何かに追い立てられてでもいるようなスピードなのに、歩いている二人はほがらかにお喋りまでしている余裕っぷりなのである。
――無理。リーチ云々以前に、この体力馬鹿どもに付き合う体力がない。
軍人であるフランジェスカなら、性別を差し引いても体力があってもおかしくはないのだが、何故、修太と同じ現代っ子のはずの啓介までこんなに体力があるのだろう。
(ほんと、末恐ろしい奴……)
スポーツ万能ぶりはここに来ても健在か。
そして、昼間はときどき休憩を挟んで草原を歩き続け、夕方になると野宿の準備をした。
夜になると、フランジェスカの姿がポイズンキャットの姿に変わる。
啓介は驚いた後、「変身すげー!」と大はしゃぎし始めてうるさかった。
啓介はテンションを上げまくり、フランジェスカの耳や羽を引っ張り、それにぶち切れたフランジェスカに爪で思い切り引っかかれていた。
*
「う……?」
朝日が顔に当たってまぶしい。
それ以前に、なんだか暖かい気がする。暖かい……?
目を開けたら目の前に赤い布が見えた。
ん? 赤?
「うっわぁぁぁ!? なんでここにいるんだ! てめえ!」
革張りの丈夫なテントには、不思議な紋様が赤い糸で刺しゅうされている。大人二人が寝れるくらいの広さなので、今は子どもである修太には広かったけれど、問題はそこではない。背を向けて寝入っているフランジェスカに心臓がひっくり返るかと思った。
「うるさいぞ。朝から騒がしい奴だな」
騒いで起こされたせいかやや不機嫌そうに眉を寄せつつ、ひょいと半身を起こし、右手で青みがかった黒髪をぐしゃりと掴んだ。あくび混じりにその髪を整え始める。
「夜中にな、テントに隙間があったから入り込んだら、意外に快適で寝てしまったんだ。なんだこのテントは、春とはいえ外は冷え込むというのに、暖かすぎるだろう!」
訳の分からない逆切れをされた。
「その魔法陣が気温調節でもしているのだろうがな。ずるいぞ、これがあれば遠征も楽になるだろうに」
「知るか、そんなん。つーか、それだけなら啓介のほうに行けよ」
修太の言葉に、フランジェスカはふふんと鼻で笑う。
「お前の方がチビだから広いだろうが」
カチンときたが、怒りを押し込めて修太も嫌味を返す。
「実際は、猫の姿だと啓介がうるさいからだろ」
事実だったのか、フランジェスカは黙り込んだ。小さく舌打ちまでしている。修太はふふんとほくそ笑みつつ、口を開く。
「一つ良いことを教えてやる。啓介の不思議大好きは筋金入りだ。色んなことに巻き込まれるだろうから、覚悟しとけ」
「…………」
モンスターに化けたというのに怖がるどころか喜んでいた啓介を思い出したのか、フランジェスカは神妙な顔で黙り込んだ。その顔がすごく面倒臭そうに歪んでいくのを、修太は内心で笑って見ていたが、啓介に関しては互いに他人事ではないのが嫌なところだった。
朝の騒動後、朝食前にと啓介とフランジェスカは鞘入りの剣での稽古試合を始めた。
恐らく、昨日の夜に猫の姿でいた時に耳や羽を引っ張られまくった鬱憤を晴らす目的もあったのだろう。フランジェスカの容赦の無い剣による打ち込みに、啓介が引きつった顔で対応していた。
フランジェスカが圧倒的に強かった。
フランジェスカはすっきりした顔をしていたが、改善すべき点などを啓介に教えていた。副団長だけあって部下を指導することもあるのか、その姿は様になっている。
その間、修太はその辺で草を引き抜いて集めるのに忙しかったが。草原での焚火の燃料集めだ。フランジェスカが水の魔法で水分を抜いてくれるから使えるけれど、そういえば薪のことが頭から抜けていた。
(しっかし、ほんと面倒くせえな……)
〈赤〉でない限り、火を付けるのは火打ち石を使わなくてはならないらしく、面倒臭い。しかもフランジェスカが用意していた種火になるものが、動物のフンを乾かしたものだから臭うのだ。
(ライターでもマッチでもどれでもいいから、誰か作ってくれよ!)
自分は技術なんてないから、アイデアだけ提供するから作って欲しい。食事が大好きなのに、食事の用意の度に憂鬱になるのだから勘弁して欲しい。