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セーセレティー精霊国の国境は、水底森林地帯を抜けた所であり、コルドラトーは国境の町と呼ばれている。
水底森林地帯からセーセレティー精霊国に入国し、安全を確保した所で、プルメリア団は歩みを止めた。町に入ってすぐの場所はちょっとした広場になっており、プルメリア団は通行の妨げにならないよう、馬車を道端に寄せ、馬もそちらに寄る。
徒歩である為にやや遅れて入国した修太達は、すぐにハジクの訪問を受けた。
「先程のお話の続きなのですが……。我が主が礼をしたいと仰せです。まず先に皆様のお名前を伺いたいのですが、宜しいでしょうか」
ハジクは伺いを立てているが、実質は名乗れと言っているようなものだ。セーセレティー精霊国にいる時点で、セーセレティーの王族の命令は絶対だから当然と言える。
慣れない事態に困惑しながらも、修太達はそれぞれ名乗った。フランジェスカは故郷で慣れているのかはきはきと言い、グレイも依頼人との関係で慣れているのかそつなく返す。が、セーセレティーの民であるピアスはどもりがちで、緊張しているのが見てとれた。啓介はいつものように人懐こく名乗り、修太は普通に言ったつもりが、思ったより無愛想になってこっそり落ち込んだ。そして、サーシャリオンはどこか偉そうに名乗ったのだから、ある意味、流石だ。
「あの鮫を倒したのはケイ殿ですから、ケイ殿だけいらして下さい。他の方はこちらにてお待ち頂けますよう」
「え」
啓介はぎょっと身を引く。
それはそうだろう。いきなり仲間から離されて、一人だけで王女に会えと言われたら、庶民なら誰でも戸惑う。
「あ、あの、俺、礼儀とかよく分からないので、失礼になると思うんです。ですから、お礼なんていいですよ」
慌てて断ろうとする啓介を、ハジクはにこりと笑ってとどめる。
「承知してますから大丈夫ですよ。それに、王女殿下は、少し言葉遣いがなっていなくても怒ったり致しません」
「は、はぁ……」
啓介は曖昧に頷くが、顔は嫌そうだ。ここに残りたいと全力で主張しているが、ハジクは気付いているだろうに流している。
「ケイ殿、こういう場合は行かない方が失礼になる。ケイ殿なら大丈夫だろう。こっちのガキだと不安だがな」
おい、何でこっち見て言うんだ、てめえ。
修太はフランジェスカを睨む。
フランジェスカの後押しは根拠の無いものだったが、啓介の緊張を解くには充分だったようだ。
「あはは、頑張ってみるよ」
そして啓介は第二王女の馬車に行き、三十分後、手に金貨入りの袋を携えて戻ってきて、ものすごく困った顔で頭を下げた。
「ごめん、どういうわけか王都まで話相手になることになった」
後ろ頭をかきながら、何でこうなったんだろうと首をひねる啓介。
「何が大丈夫だよ、フラン。問題大有りじゃねえか」
修太の突っ込みに、フランジェスカは渋面になる。
「いくら私でも、まさか気に入られて逆に面倒になるとは思わぬわ」
「すみませんでした……」
啓介は本気で申し訳なさそうに肩を落としてうつむいた。
*
コルドラトーで補給をしてから一泊した後、何故か王都に同行することになった修太達は、急遽馬を与えられることになった。そのことに、王女殿下の馬車に同乗することになった啓介はさておき、馬に乗れない修太は困った。
修太のことはハジクも困ったようだった。曰く、第二王女は子どもが好きではないらしいとかで。
そこで、荷物運搬用の黒塗りの馬車の方に乗せて貰えることになった。荷物を積み直し、座席を一人分のスペースだけあけ、そこに乗るように言われた。
グレイやフランジェスカが二人乗りにすると言ったが、場合によっては駆け足になるので子どもには辛いだろうというハジクの気遣いを聞き、結局、その形になった。
「こちらも急にお話したのです、これくらいのことはさせて下さいね」
やんわりと言うハジクは本当に優しそうで、この人、絶対に子持ちだと修太は確信した。
荷物運搬用でも馬車は馬車。板の座席にクッションを敷いただけだったが、居心地は良く、うとうとしているうちに休憩時間になった。
修太が馬車を降りると、コウが足に纏わりついてきた。軽く頭を撫でてやってから、仲間の元に向かう。皆、昼食の準備に追われていた。
第二王女の乗る馬車の前に瞬く間に天幕が組み上げられ、王女はそこで昼食を摂るようだ。
「啓介は?」
「ずっとあっちだぞ」
グレイがあっさり返事し、ハムと野菜を挟んだパンを手渡してきたので受け取る。
「ありがと。でも、これだけ?」
両手サイズのパンで作ったサンドイッチ二個じゃ量が足りない。
「馬での移動が多いからな、昼は軽めにしておけ」
「分かったよ……」
体調面を考えての台詞だったので、それ以上は反論しないで受け入れる。
その向かいで、ピアスがくすくす笑う。
「ほんと食い意地張ってるわよね、シューター君たら。それなのに聞き分け良いんだから、子どもらしくないというか……」
「ピアス殿、こいつがいつ子どもらしかった? どこもかしこも老人くさいだろうが」
「まあ否定はしないけどね」
「うるせーよ、フラン。あとピアスも否定しろ」
失礼な奴らだ。
パンを頬張りながら、胸中で悪態をつく。
「どうだ、体調の方は?」
車座になって座っており、修太の右隣に胡坐をかいているグレイが質問を投げる。
「気付いたら居眠りしてたから、いつもより調子良いよ」
「あまり寝ると、夜に眠れなくなるぞ」
フランジェスカがしれっと口を出すのに、修太はむすっと返す。
「分かってるよ、それくらい。でもすることねえんだから仕方ねえだろ」
それから、ちらっと天幕の方を見る。
「なあ、啓介って、いったい何の話をしてるんだ?」
「さてな。会話は聞こえぬが……」
フランジェスカはそこで眉を寄せる。
「先程、ちらっと見た感じ、王女殿下はケイ殿をいたくお気に召しているのは確かだな」
そう言ったところで、荷物運搬用の馬車の影で見知らぬ青年がしくしくと泣き出した。
「そ、そんなぁ~っ。ムルメラ様、私というものがありながらぁっ」
わっと泣き出した青年は、鈍く光る黒銀の髪をポニーテールにしており、額の真中に青い石がくる形の銀細工のサークレットをしている。そこだけ見ると女性のようだが、黒の詰襟の上に緑色の上着を重ねた神官のような服を纏った姿は、やや華奢ではあるもののどう見ても男性だ。細身の眼鏡をしていて、それが飾りに見えるような、繊細な作りの顔をしている。セーセレティーの民から見ると、間違いなく不細工認定される顔だ。つまり修太から見るとかなりの美形である。
最近、美形との遭遇率が高くないかと胡乱気に思いながら、ひそひそと問う。
「なにあれ」
するとピアスがしかめ面をする。
「しっ、駄目よ、目を合わせちゃ」
そんな、変質者みたいに言わなくても……。
「そうだな。厄介なことになりそうだ」
グレイがしれっと同意して、きっぱり無視し始めた。
「そうか? 面白そうだと思うがなあ」
サーシャリオンはちらちらと青年を見るが、フランジェスカが首を振ってたしなめる。
「やめろ。絡んできたらどうする?」
総意でもって無視することが決まり、修太は哀れに思ったが、やっぱり面倒くさそうなので無視することにした。
「ううっ、ひどいです~。絶対、聞こえてたでしょ。ねえ、話を聞きたいと思いませんか?」
怪しい青年は期待をこめてこっちを見ている。するすると寄ってくるので、流石に無視出来なくなった。
「ったく、何なのだ。というか、貴公はどなただ?」
車座の一画にやって来て断りも無しに座った青年は、しゃきんと背筋を伸ばす。
「はい! 私はテリース・レトと申します! 現大祭祀長の側位を勤めてます」
「側位ですって!? そ、それは、大変失礼致しました」
ピアスが顔色を変え、急に畏まって頭を下げた。だが、他の面々はきょとんとしている。
「側位? 何それ」
修太がつい口に出した瞬間、テリースはいじけだした。
「ええ、ええ。分かっております。私の職務が影が薄いってことは……」
キノコでも生えてきそうなくらい、湿気た空気を放つテリース。正直、鬱陶しい。
「うちの国が精霊と祖霊祭祀を大切にしているのは知ってるわよね? その祭祀を勤める祭祀官のトップが大祭祀長様なの。その側位ってことは、つまり、補佐みたいなものよ」
ピアスの小声での説明に、皆、なるほどと理解した。
(つまり秘書か……)
「そんな大事な役目の人が、こんなとこにいていいのか?」
ふと疑問を持って問うと、大事な役目と言われて機嫌を直したテリースは頷いた。
「はい。側位は私の他に二人いるのです。私は今は休暇中で、婚約者であるムルメラ様の旅に同行させて頂いているのですよ」
誇らしげに胸を張るテリース。普通にしていれば見られる感じなのに、色々と勿体ない。
「第二王女殿下の婚約者ということですか!?」
ピアスがすっとんきょうな声を上げる。
「はい! ですが、ムルメラ様ときたら、あのケイとかいう少年の相手ばかりなさって、私のことは無視されるのです……。ま、いいんですけどね。無視されるのはいつものことなので!」
おいおい、そんな元気良く言うことかよ。
ぐったりする修太である。
「あんまり清々しく無視されるので、なんだか見つからないのが楽しくなってきたくらいです」
にこにこするテリース。
どうしよう。泣けてきた。
というか、そこに楽しみを見出しちゃ駄目だろ。人間関係最悪じゃねえか。
「どうしてそんなに無視されるのです?」
丁寧語に変わったフランジェスカの問いに、テリースは苦笑する。
「私が稀に見る醜男だからです。気持ち悪いから顔も見たくないそうなのですよ……」
ちょ、やめて。ますます泣けてくるから!
修太から見ると目を瞠るような美形なのに、この国の美的感覚はやっぱりおかしいと再確認する。フランジェスカも理解不能という顔をしている。
「そこまで言われて、よく婚約者でいられるな」
グレイも流石に驚いたように質問をする。
「ええ、はい。よく言われます……。ですが、私はあの方のことが好きで好きでたまらないので、例え嫌われていても婚約者でいられて嬉しいのです。近いうちにプロポーズするつもりなんですよ!」
にへらと笑うテリース。
その締まりの無い顔はイラッとくるが、当の相手に毛嫌いされていることを思えば可哀想にもなる。
「だから、毎日、あの方に会えるように精霊様にお祈り申し上げているのです!」
拳を握り、力説するテリース。
「へ、へぇ……」
努力の方向性を間違っている気がするのは修太だけなんだろうか……。
「あの方は本当に美しくていらっしゃるのですよ。ふくよかでいて、つぶらな瞳は美しい青灰色をしていて、美しい御髪は滝のような銀色で。花のような、いいえ、あれはもう、下界に舞い降りられた天女様に違いありません!」
つまり、ぽっちゃりした感じの、小さな青灰色の目をした長い銀髪の女性なわけだ。
しかし、女性を褒める言葉でこんなにかゆくなったのは初めてだ。
テリースは一人でヒートアップすると、にへっと笑った。
「話を聞いて下さってありがとうございました! 元気が出てきたので、また頑張ってアプローチしてみます! まずはお昼に誘われるところから!」
ああ、切ない。
やめてくれ、俺の涙腺を崩壊させる気か!
「う、うん。頑張って……」
それ以外に何を言える? なあ、誰か教えてくれ!
皆、痛ましいものを見る目をして、テリースからそっと視線を外していたのは言うまでもない。