第二十話 黄石の魔女はお花がお好き
「見ろ、啓介。お前があんなこと言ったから、ほんとになったじゃないか!」
「ええー……、俺のせいって、そんなの横暴だよ」
修太がじろっと啓介を見上げると、啓介は不満げに口を尖らせた。
修太達の目の前には、大ぶりの一輪の花があちこちで溢れかえる花畑が広がっている。花弁は五枚で、鮮やかなオレンジ色をしており、縁だけ白い線が入っている。花粉は黄色く、時折、ふわふわと黄色い胞子のようなものを風に飛ばしている。
その花はゆらゆらと揺れている。
風に揺れているわけではなく、土台が動いているから揺れているのだ。
ようやく辿り着いた黄石の魔女の家は、体長四メートルはあるのではないかと思われる花ガメというモンスターが集まる、花畑ならぬ亀畑の中にぽつんとあった。藁製の屋根の上には、小ぶりな花が植えられ、玄関脇にも花壇がある。その家だけ見れば長閑な村外れの一軒家でも通じるが、周りを見るとどう見てもおかしい。
「これは我にもきついぞ。香りがきつすぎる」
鼻をつまんだサーシャリオンが低くうめくのは当然だ。修太ですら、むっと立ちこめる甘ったるい花の香りは気分が悪い。
グレイなど、ここに近付くより随分前の距離でダウン宣言し、手前の地点で野営するからと別行動になった。これ以上進むと寝込むか気絶すると言われては、修太達も何も言えない。あの時点で顔色が真っ青だったから余計にだ。
日の光の角度で、のんびりゆったり移動する花ガメの間を通り抜け、家の前に立つ。花ガメは特に襲いかかってくる様子はなく、ときどき「ボエー」とか「ヴォーゥ」といった奇妙な鳴き声を上げている。声というより低い音の土笛みたいな音といった方がしっくりくるかもしれない。
「何だ、まともなガーデニングもあるんじゃないか」
玄関脇の花壇に咲くオレンジ色の花を見て、修太が呟いた瞬間、ボコッと花が盛り上がり、花を甲羅に背負った緑色の小ガメが土の中から現れた。
「メェー!」
声を上げ、すたたたと走り、花の無い土に身を沈める小さな亀。
「って、“メェ”かよ! なんでだよ! お前、羊じゃねえだろ! そっちの大人を見習え!」
プライドはないのかと思わず叫んでしまう。
「んだよ、うるっせえな!」
玄関口で騒ぐ修太に苛立ったのか、家主が顔を出した。
十八歳くらいの見た目をした白い肌の少女で、モカブラウン色のワンピースに白いエプロンを付けており、尻の高さまで伸びる薄茶の髪を二房の三つ編みにしている。カントリー調の雰囲気だ。けだるげで、昼寝を邪魔された猫みたいな空気をし、ぱっちりしたはしばみ色の目で修太をにらんでいる。
「うっわ、人間のガキかよ。うっぜぇ。どっか消えろ。うちは公衆便所じゃありませんのでぇ。じゃ、さいなら」
少女はこちらが唖然とする暴言を吐き、扉を閉めた。木製の扉にかかったリースが揺れる。
修太は勿論のこと、他の面子もぽかーんとし、
「ぶっ」
啓介が吹き出したのを契機に笑いだす。
「あは、あははは! 公衆便所ってなんだ。た、大変だな、ガキってのは」
フランジェスカが本気でうけて、修太の背中をバシバシ叩いて笑う。その向こうで、啓介とピアスがひぃひぃ言いながら腹を抱えてうずくまっていた。そこまで笑うか。
「俺に言うな! だいたい、何でこんな僻地にわざわざ便所借りに来るんだよ! おかしいだろ!」
フランジェスカを睨みながら、修太は反論する。
一方、サーシャリオンとコウには笑いのツボが分からなかったようで、「?」と揃って首を傾げている。
「意味わかんねえガーデニングしてんじゃねーよ! 出て来い、魔女!」
怒りを木製の扉にぶつけ、ドンドンと拳で叩く。すぐに扉が開き、三つ編み少女が怒鳴る。
「だーからぁ、うちは迷子相談所でもねぇんだよ! うっせーぞ、クソガキ!」
可愛い顔して、不良かこの女。
「黄石の魔女、トルファだな?」
「あんだぁ? オレにお前みてぇなダークエルフの知り合いはいねぇはずだが……」
ずいと身を乗り出したサーシャリオンを、トルファは怪訝そうに見て、それから目を丸くする。
「この気配は、クロイツェフ様か!? なんでぇ、言ってくれりゃいいのに。茶ぁ出すからよ、入りな! てめえらもだ」
急に態度を変え、トルファは生き生きと笑い、家の中に招く。
流石、サーシャ。
修太は感心しながら、サーシャリオンの後に続いてトルファの家に入った。
「すげえ」
家の中は花で溢れかえっていた。
植木鉢に入った花や草木があちこちに置かれ、柱にはドライフラワーがかかり、テーブルには作りかけのリースがある。それを手早く片付けると、トルファは茶器を出してきた。
「うちにゃハーブティーしかねぇが、それでいいよな? ハーブクッキーも出してやる」
「おお、ありがたい」
四人掛けのテーブルについたサーシャリオンは、目をキラキラさせる。おやつを待つ子どもみたいだ。
修太と啓介、ピアスも椅子に座り、椅子のないフランジェスカとトルファは、トルファが持ってきた木箱に腰かけた。コウは修太の足元に伏せる。
皆、茶を飲んで、バジル入りのクッキーを食べ、互いに自己紹介をして落ち着いてから、トルファが話を切り出した。
「それで、急にどうしたんだい? ――あ、そっか。断片の回収の旅をしてるんだっけ? ガーネット姉さんから聞いてたのを忘れてた」
「うむ、まさしくその用件だ。そなたで四人目になる。どうだ? 一緒に来てくれるか?」
「やだね」
コトン。焼き物のカップをテーブルに置き、トルファはすげなく言った。
「やっぱ、封印されるのは嫌ですよね……」
啓介がしょぼんと落ち込むのに、トルファは左手をひらひらさせる。
「オルファーレン様の為なら戻ってやりたいんだが、ちっと戻れないわけがあってな。オレの代わりにこの仕事を引き受けてくれるっていうんなら、一緒に行ってやってもいい。オレで四人目なら、まだ封印まで時間があるしな」
男みたいな口調で言い、思案気な顔をするトルファ。ひたりと啓介と目を合わせ、探るように見つめる。
「俺に出来ることならします」
啓介は慎重に答える。
「ちょいと難しいけど、いいかい?」
「はい!」
「他の奴らは?」
皆、構わないと答える。
するとトルファは歯を見せてにかっと笑った。笑うと左頬に笑窪が浮かび、八重歯が目につく。
「いい返事だ。いいか、よーく聞けよ。お前ら、この森を東に抜けると、エルフの住むミストレイン王国があるのは知ってるな?」
全員が頷いたのを確認し、トルファは左の三つ編みの房を手でいじりながら話を続ける。
「オレは昔っからこの辺にいてな。道に迷ったエルフを助けることが何度かあって、エルフ達とは懇意にしてるんだ。それでな、つい三月程前のことなんだが、ミストレインの王が死んだんだ」
「死んだ? 王というと、ハイエルフだろう? あの病気にも怪我にも強いエルフの上位種が、何故?」
サーシャリオンの問いに、トルファは呆れ混じりに返す。
「死んだ王は酒好きな上に肉好きでね、長年の暴飲暴食がたたって、ぶくぶく太ってたんだが、ある日、野に狩りに出かけた時に見つけた木の実を食べて、食中毒で死んじまったよ。見分けのつきにくい木の実だが、毒見も頼まず食べたんだ。迂闊だった王の負けさ」
「ほう。森の賢者と名高いエルフに、そんな馬鹿がいるのか」
フランジェスカの容赦ない言葉には、驚きが混じっている。
「そうそう、馬鹿も馬鹿。それも大馬鹿。ついでに言うと、王には子どももいなくってね。誰が王になるかで頭を悩ましてるんだと。イファ……ええと、宰相なんだけど、イファが王になれよって言ったんだけどさ、駄目らしいんだ。王は代々、ハイエルフがなる決まりらしい」
トルファも容赦がない。
この二人、仲良くなれそうな気がする。
「ハイエルフねえ……」
ああ、嫌だ。ビルクモーレで会ったアーヴィンのことを思い出しちまったじゃねえか。
修太は嫌いなエルフを思い出し、腹の奥がムカムカしてきた。
「ハイエルフってのは、エレイスガイアが生まれた時、木のうろから生まれたエルフでな、花から生まれたっていわれてる今のエルフよかよっぽど出来は良いし、寿命も無いに近いんだが、いかんせん数が少ない」
なんか今、ものすごい話を聞いた気がする。木のうろからエルフ? キャベツから生まれてくる赤子の話並みに冗談めいている。しかしトルファが大真面目なところを見ると、実際にそうなのかもしれない。まったくもって理解しがたいが。
「ハイエルフはハイエルフとなした子でないとハイエルフにはならない。元々数が少なかった上、近親相姦を繰り返し、今じゃたったの三人――いや、王が死んだからな、二人しか残ってない」
「二人いるなら、その人達に王になってもらえばいいんじゃないですか?」
ピアスが口を出すと、トルファが顔をしかめる。
「それが出来ねえから困ってんだろうが。こないだ死んだ王はな、二百年前に王位に就いたんだが、その時、他の二人が邪魔だってんで、命を奪う代わりに国から追い出したのさ。戻ってきて欲しいなんて言って、すんなり戻ると思うかい?」
修太達は無言で目を見合わせた。
それは確かに、何の罠かと思うだろう。戻るとは思えない。
「第三者ってことで、オレは説得役を頼まれてな。ま、昔っから、相談役みたいなことしてっから、そうくるとは思ったんだけどさ。まあ、それはいいんだけどよぉ。一応、居場所は知ってたから手紙を出したんだが、ラヴィーニャ王女は連絡ついたんだが、アーヴィン王子が行方不明って返事が来たんだよ。まさか幽閉先の銅の森から勝手に出てるとは思わねえから、こっちは頭抱えててよぉ」
「へ、へぇ……」
「アーヴィンさんかぁ、へぇ……」
修太と啓介は乾いた笑いを零す。
しかし、幽閉先の森? 銅の森ってそういう場所だったのか?
マッカイス家の面々を思い出しながら、修太は怪訝に思う。あの異常な程の余所者嫌いは、この王位争いに理由があったのだろうか。いや、違うか。エルフは人間嫌いが多いって言うから、自衛反応だろう。
「ラヴィーニャ王女は、オレが迎えに来て城まで送り届け、安全の確認がとれるまで側にいるんなら帰るって言ってくれてっから、ちょちょいっと迎えに行ってやるつもりなんだが。困ってるのは残った王子だよ」
うんざりというように、トルファは深々と溜息を吐く。がしがしと頭をかき、あっという間に髪がぐちゃぐちゃになった。
「まじありえねえ。あいつ、ドのつく方向音痴の癖に、旅に出るとか。馬っ鹿じゃねえの!」
あんまりイラついたのか、トルファはどんとテーブルを叩く。
うわあ。ハイエルフでアーヴィンという名、しかも方向音痴。間違いなさそうだ。
その場にいる全員が、微妙な視線を交わし合う。
やがて、啓介がそろりと手を挙げた。
「あ、あのぉ~、トルファさん。俺達、そのアーヴィンさんに心当たりがあるんですが……」
「え!? マジか!?」
トルファは身を乗り出す。
「だったら、オレからの課題、アーヴィンを説得してミストレイン王国に連れてくる、は出来そうだな? 頼んだぞ! オレは鉄の森にいるラヴィーニャ王女を迎えに行くから、ミストレイン王国で落ち合おう。イファに連絡して、話つけさせとくから」
ああー、助かったー! トルファはどっかりと椅子に座り、気が抜けたように肩を落とす。
「一つ確認したいのだが、どちらが王位に就くのか決まっているのか? それともハイエルフ同士で結婚するのか?」
フランジェスカの問いに、トルファはぶんぶんと手を振る。
「まっさか、近親相姦は今じゃ禁忌だよ。死んだ王とアーヴィンとラヴィーニャは兄弟なんだ。王が一番上の兄貴で、次がアーヴィン、その次がラヴィーニャ。たぶん、アーヴィン王子が継ぐんじゃねえかな? そこは兄妹で話し合ってもらうけど、ま、心配すんな。王とは仲悪かったが、アーヴィンとラヴィーニャは仲良いからよ。どっちが王になっても悪いことにはならねえ」
闊達に笑うトルファ。見た目がカントリー調の美少女なのに、場末の酒場にいるおっさんに見えてきた。
「あい分かった。では、アーヴィンを連れてミストレイン王国に行こう。期限はあるのか?」
サーシャリオンが膝を叩き、話を纏める。
「いんや。早いに越したことはねえが、繊細な問題だ。事を急ぐ気はねえってイファは言ってた。でも、ま、一年以内なら嬉しいがよ」
「それだけあるなら充分だ。さっそく戻るとしよう。我はもう、ここのにおいに耐えられぬ」
話を急ぐなあと思ったら、そういうことらしい。サーシャリオンは席を立ち、旅立ちを催促する。キュウウンとコウも同意するみたいに弱々しく鳴いた。コウもきついようだ。
修太達は茶の礼を言い、席を立った。
「んじゃ、またな。気ぃ付けて行けよ!」
トルファは豪快に笑い、修太達を見送った。
「グレイ、ただいま! 具合、大丈夫か?」
グレイのいる野営ポイントまで戻り、見えた姿に修太が小走りに駆け寄ると、木の根元に腰かけていたグレイが物凄い勢いで立ち上がって退いた。
「……ん?」
一歩近づくと、一歩下がる。
「おーい? グレイ……?」
青い顔をしたグレイは、固い表情のまま言う。
「すまん。それ以上、近付くな。強烈なにおいがする」
「あ、あー……。なるほど」
あれだけ花ガメが密集している所にいたのだ、そりゃあにおうだろう。しかもグレイ以外の全員がにおいをつけているとなると、すさまじいものがありそうだ。
グレイは顔色は悪いし冷や汗もかいている上、黒い尾が逆立っている。心底嫌みたいだ。
「薬、効いてないの?」
ピアスが心配そうに問うのに、グレイは首を振る。
「効いているから立ってられる」
そんなにひどいのか。
それからしばらくの間、グレイは修太達から離れた地点を動くようになり、近付いたら距離をとられるのに地味に傷ついた。
(う……これはなかなかくるな)
アレンが距離をあけると傷つくとしきりに言っていたのを思い出し、胸中でこっそり謝る修太だった。
二十話、完結。
この回は短めです。次の話に入れるか悩みましたが、お話がどっちつかずなので、ここで切ります。
※ハイエルフやエルフの生まれ方や子孫の残し方などは私の創作なので、真に受けないで下さい。
エルフの上位種って言われてもよく分からない。ハイエルフ? 王族? もう訳わかめだから自分設定で行こう! という感じです。
だから、この作品内では、ハイエルフはエルフと違って寿命が無く、魔力も高く、植物と話せる、としてます。
元は北欧神話からきてる種族みたいですね。興味ある方はウィキとか調べてみて下さいまし。