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断片の使徒  作者: 草野 瀬津璃
パスリル王国編
114/340

 3



 確かにそこは、フローライトの言う通り、“高い場所”であり“開けた場所”だった。

 薮を突き抜けた先の崖の上に巨木が生え、そのてっぺんにツリーハウスのような建物があった。木の姿をした塔だと言われても頷けるような外観だ。木製の建物で、屋根は藁吹きなのが長閑さを誘う。その建物へは、木の幹を囲むように螺旋階段が続いているのが見えたので、そこから出入りするらしい。


「すっげ―――っ!」


 そのツリーハウスを見た瞬間、啓介は腹の底から叫んだ。

 目をキラキラ輝かせ、アスレチックでも目にした子どもみたいに駆けていこうとする。


「おい待て、落ち着け! 我に返れ! 呪われても知らねえぞ!」


 すんでで左手を掴まえて引き戻す。


「落ち着いてらんないよ! シュウも行こうぜ! すげえよ、あんな建物見たことない! 格好良い! 俺、ああいう家に住みたい!」

「お前の趣味が変なのは分かったから、落ち着けっ!」


 ったくこいつは、フランジェスカのことがあるのを知ってる癖に、変な物を見つけると我を無くすのだから困る。

 ツリーハウスの大木の梢には、昇り始めた双子月が引っかかっている。

 ウナウ。ポイズンキャット姿のフランジェスカが、不機嫌そうに低くうなった。修太の肩に乗っているので、耳に声が響いた。


「仕方ないなあ。ボクが先導してあげるよ」


 ふわっと姿を現したフローライトは、燭台の火を掲げて辺りを照らし出しながら、先を歩きだす。


「待って、俺も行く!」


 慌てた啓介が走り出す。もう大丈夫だと見て手を離したところで、ピアスも「魔女様、待ってー!」と横をすり抜けて駆けていった。


「ナウ!」


 たしっと右の前足が修太の頭を叩く。


「ああ? うるせえな、行けばいいんだろ、行けば!」

「ニャ!」


 とっとと行けと顎で示す猫にイラッとしたが、魔法の無効化の為についてきているのだからと修太も走り出した。


「もう、皆、単独行動禁止! 危ないだろ!」


 後ろからトリトラが叫び、ついてくる足音が響く。護衛をほっぽって駆けだすのだから、気にして当然だ。

 そうして、階段下で待機するシークとグレイとラゴニスを残し、全員で階段を上った。





 修太は階段を上りながら、きょろきょろと周囲を伺っていた。

 魔女の手下であるモンスターがどこかにいないかと思ったのだが、何も見かけない。


「姉様、フローライトだよ。久しぶり」


 木製の扉をノックして、フローライトが中に声をかけたが、何も返事は返らない。


「開けるからね、姉様!」


 フローライトは宣言し、問答無用で扉を開ける。鍵はかかっていなかったようで、扉はすんなりと開いた。

 家の中は、カントリー調で、ドライフラワーや食べ物が壁に掛り、手作り感溢れるキルトのマットが敷かれている。カーテンにも刺繍が施され、落ち着いた趣だった。どうやらこの部屋は食堂を兼ねているようだが、テーブルや床には埃が沈殿し、時すらも停滞しているかのようだ。

 入って左手に扉があり、そちらから誰かがすすり泣く声が聞こえてくる。


「姉様?」


 フローライトが不安げに呟き、そちらの扉に向かう。

 啓介がお邪魔しますと小声で言うのを横目に見つつ、修太も家に入った。

 そちらの小部屋に行くと、部屋の中央のマットに座り込む、足先まで届く白金の髪をした女性の後ろ姿が見えた。窓から降り注ぐ月光が、女性の髪を柔らかく照らし出している。

 女性は自身の髪に埋もれるようにして、地にうずくまり、顔に手を当てて泣いている。


「姉様? エメラルディア姉様っ、どうしたの? どこか怪我でも――……」


 その女性こそが、緑柱石の魔女(エメラルド・ウィッチ)らしかった。名はエメラルディアというようだ。

 エメラルディアの肩に手を当て、顔を覗きこんだフローライトの動きが止まる。表情に薄い顔に、恐れおののくような畏怖の色がはっきりと浮かぶ。


「そんな。姉様? いったいどうして……」


「フロウ! フロウ! もう嫌だ! 夜に飲まれる。(しもべ)も皆っ。どうすればいい? どうしたら良かった? 私は可愛いあの子達に手をかけてしまった! もう周りには誰もいない! 皆、霧に変わった。私が殺した!」


 エメラルディアはフローライトの肩に手を置いてすがりつき、叫ぶようにわめく。

 その顔が月明かりにさらされる。

 そこにあったのは、皺が刻まれた老婆の顔。

 若い身なりに、作られたような老婆の顔が乗っている。その不安定な不気味さに、修太は知らず知らずのうちに息を呑んでいた。


「私が、あの子達を……! あああああ。でもどうすれば良かったの? それが私の存在意義なのに。どうして守れないの? どうして? どうして? どうしてっ」

「姉様、落ち着いて……」


 フローライトの胸を拳でだんだんと叩きながら、緑の目から涙を零して泣くエメラルディアは、悲痛の叫びを上げ続ける。


「夜が来るわ、フロウ。夜が、今日も……」

「姉様……」


 フローライトは困惑に顔を歪ませ、エメラルディアの頭をぎゅうと胸に抱きしめる。

 エメラルディアの嗚咽が部屋を満たす。

 誰も身じろぎ一つ出来ず、壮絶な光景を見つめていた。

 ややあって、エメラルディアはふいに顔を修太の方へ向けた。


「あはは、あははは! 夜のにおいがする。そう、そこのポイズンキャット、覚えているわ! 私の一番の(しもべ)を殺した、愚かな剣士! そうでしょう!」


 その異様な迫力に、修太もフランジェスカもびくりとした。緑の目は憎悪で暗くにごっており、気を抜けば殺されそうな、そんな得体の知れなさがある。


「知ってる? 猫ちゃん。呪いっていうのは両刃の剣なの。あなたを呪った代償が、この醜い顔というわけ。いい気味だと思っているのでしょう!」


 何も言っていないのに、エメラルディアは怒りだした。


「何で? どうして? あなたはまだ生きてるの? ねえ? 夜に怯えて苦しみながら死んでいくように、ちゃんと呪いをかけたのに。私のオリガを殺しておいて、ねえ、どうして生きているの?」


 こんな明確な殺意は初めて向けられた。

 正確には、肩に乗るフランジェスカにであるが、視線にさらされている修太は怖気づいて動けない。

 ふらりと金色の塊が立ち上がり、覚束ない足取りで歩いてくる。泣きながら、憎悪を漂わせ、裸足でぺたりぺたりと床を踏んでやって来る。一歩、二歩、三歩……。


「っ」


 とうとう眼前に立ったエメラルディアは、ぼろぼろの緑色のドレスのせいで、幽鬼のようだ。その白くて細い腕を振り上げた瞬間、左腕を誰かに掴まれて後ろに下がらせられた。

 左頬にピリッとした痛みが走る中、訳が分からないままたたらを踏む。


「あら。失敗しちゃった」


 右手の爪が赤く染まっている。その指を、エメラルディアはぺろりと舐めた。


「――やばいよ、こいつ」


 修太の左腕を掴んだまま、トリトラがうめくように言う。

 そんなの見れば分かる。だが、口にする余裕はない。

 エメラルディアがもう一度フランジェスカに手を伸ばした時、フローライトがその腰にタックルした。


「姉様! もうやめて!」


 エメラルディアは弱っていたのか、その衝撃であっさりと床に倒れる。


「悲しかったよね? 寂しかったよね? 辛かったよね? ねえ、一人にしてごめんね。あとはもう、ボクがついてるから。お願い、もう誰かを呪ったりしないで」

「フロウ……」


 エメラルディアは放心して妹の名を呼び、そして、風で消える直前の炎のような、儚げな笑みを浮かべた。頑是ない子どもをなだめるように、フローライトの短い銀髪を指で撫でる。


「何を泣いているの? 大丈夫よ、その剣士を殺せばいいだけなの。そしたらきっと、オリガは戻ってくるわ。皆も。ねえ、また賑やかになって、楽しく暮らせるわ」


「姉様、姉様。しっかりして。僕は皆、霧に帰ったんでしょう?」

「違うわ。皆、隠れてるのよ」

「姉様……!」


 さっきと言っていることが変わり、エメラルディアは虚空を見つめ、ふふふと柔らかい笑みを零す。こんな風に柔らかに穏やかに微笑んでいるのが、エメラルディアの日常だったのかもしれない。


「エメラルディア。そなたに命ずる。――眠れ」


 見かねたのか、サーシャリオンがエメラルディアの前に立ち、その目元を手で覆い隠した。


「あ……」


 呆然とした声を漏らし、エメラルディアの体がすうっと透明に解けて消えていく。


 ――カラン


 そして、床には大粒のエメラルドが一つ、小さな音を立てて転がった。


「姉様……」


 フローライトが恐る恐る宝石を拾い上げ、胸に抱きしめて泣きじゃくる。


「辛かったね、姉様。もういいんだ。休もう。魔女の使命も何もかも忘れて、休んでていいんだよ」


 主のいなくなった家の中に、フローライトの声がひっそりと落ちた。





 エメラルディアは家族思いで優しい魔女だった。

 だが、その反面、とても不安定な性格をしていた。

 宝石姉妹に寿命はなく、生まれた時から姿が変わらない不老の存在だ。


 周りはどんどん老いて、やがて命を散らして消えていく中、彼女達は置いていかれて見守るばかり。フローライトや他の三人の姉はそのことを気にしていないけれど、エメラルディアだけは違った。


 僕に先立たれれば酷く悲しみ、人間と知り合ってその者が死ぬとひどく打ちのめされる。

 その度に精神を酷く消耗していった。

 とどめが、オルファーレンが衰弱したことで起きた加護の低下だった。

 僕となるモンスターは、主となる魔女の元にいれば、闇堕ちさえしなければ寿命尽きることはないのに、加護の低下によってその効果が薄れ、次々に闇堕ちして消えていった。


「中でも、オリガは格別な位置にいたんだ。姉様が生まれた時からずっと側についてる子だったから……。きっと死ぬわけがないって思ってたんだろうね」


 フローライトは沈んだ声で呟いた。

 フランジェスカがうなだれると、その頭を軽く撫でる。


「君は悪くないよ、猫ちゃん。闇堕ちした手下を殺すのは、主である僕らの役目でもあるんだから。そう出来なかった姉様が悪いけれど、出来なかったのも仕方ないと思えるから厄介だね」

「ニャア……」


 フローライトはほんのり苦笑する。


「姉様に呪いを解いて貰えたら良かったんだけど、これじゃ無理だ。完全に君を逆恨みしてる。もし対面したら、次はもっと重い呪いをかけるか、殺そうとするだろう。だから、君の呪いはガーネット姉様に頼った方が無難だろうね」


「ウナウ……」


 またフランジェスカは落ち込んで、耳をぺたりと寝かせた。


「ねえ、姉様のことを許せとは言わないけど、事情は分かっていて欲しいんだ」


 フローライトはフランジェスカに辛そうに言うと、エメラルドを手に握りしめる。


「姉様はボクが守る。そして、出てこないように抑えておくよ。だから、間違っても姉様の名前を呼ばないようにね」

「分かった……」


 啓介が呆然としたままで頷く。

 フローライトは困ったような顔で微笑み、エメラルドを握りしめたまま、空気に溶けるようにして姿を消した。




 場には何とも言えない沈黙が漂っていた。

 すごかったなと思いながら、修太は階段を下りた。


「あれ、チビスケ、頬のとこ怪我してんぞ」

「え?」


 階下に下りてシークにそう言われて初めて気付く。エメラルディアの爪がかすめたのか、頬に手を当てると手の平に血がべったりついた。

 顔をしかめ、旅人の指輪からタオルを出して、頬と手を拭く。


「浅かったみたいだね、もう血は止まってる。でも消毒しとかないと、爪だと炎症起こすかも」


 トリトラが言い、ポーチに手を突っ込んで、保存袋から塗り薬を取り出す。そして赤茶色の不気味な塗り薬を傷口に塗り、一つ頷く。


「うん、まあこれでいいでしょ。これ、よく効くからきっと大丈夫だよ」

「ありがとう」


 もしかして黒狼族の頑丈さにだけ通じる薬じゃないだろうかと怪訝に思ったが、気遣いは助かる。ただ、年下の弟扱いの態度なのが少し引っかかったが。


「全く、厄介な精神をしている魔女だな。あんなでは生きにくいだろうよ」


 十歳くらいの女の子がそんなことを呟くのは、とてもシュールだ。サーシャリオンをまじまじと見ていると、啓介が心配そうに問うた。


「サーシャも、辛い?」

「いいや。先立たれるのは当たり前。ただ、つまらないと思うだけだ」


 そう答えたサーシャリオンは、言葉に反して寂しそうに笑っており、その笑みが小さな痛みとなって修太の胸に深く突き刺した。


(……やっぱり、サーシャも辛いんだろうな)


 幾年も、変わることなく生き続けるのはどんな気分なのだろう。

 修太は短く息を吐き、濃い青に浮かぶ双子月を仰ぐ。

 月達は何も知らぬというように、優しくも淡い光を地上に投げかけていた。



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