2
人気のない場所を選んでも、すんなりと進めるわけではなかった。
地形のせいで回り道をせざるをえない場所もあり、街道を通らなくてはいけない所もあった。
モンスターや夜行性の動物の動きが活発になる夜間に移動する者は滅多といない為、いるとすれば、街道脇の広場で野営をする者か、伝令の為に夜間に馬を走らせる兵士くらいだ。
野営する者がいるせいで通れない時は、仕方なく森に戻って野営することもあった。黒狼族の三人が、レステファルテでの差別対策用の灰色のマントを着て尾を隠していても、子ども連れで夜間移動は不審がられるから、そうしなくてはいけない。そういう時は、朝になって野営の者達が去ってから移動し、また森に入り直した。
ちょっとした崖を下りたり、橋のようになっている倒木をつたって川を渡ったり、モンスターに道を訊いてヒカリゴケでぼんやりと明るい洞窟を通り抜けたり、思いがけない場所に薬草になる花畑が広がっていたりと、色んな場所を通り抜け、十日程かけてヒョルケ山の近郊まで辿り着いた時には、修太は随分くたびれていた。冒険みたいで面白かったけれど、連日続くとただのサバイバルだ。でも、一人じゃないから疲れてへこたれる暇があるのだと思う。一人だったら不安で仕方なかっただろう。
(少し肌寒いな……)
修太はコウの背に乗ったまま、ちらりと頭上を見上げた。
薄茶色の幹をした木々が枝を広げ、その赤い葉の隙間から雨粒が落ちてきた。それはコウの鼻の頭を直撃し、コウがグジュッと変なくしゃみをする。
今日は朝から雨が降っていた。
霧雨のような、しとしとと緩く降り続ける雨だ。ザッと降る通り雨より、こういう雨の方がじっとりと衣服を濡らし、体を冷やしやすいから良くないらしい。雨の降り方にも、風邪を引きやすい雨とそうでない雨があるのだという。
周囲には森のにおいと水のにおいが満ちている。
「どこで待ちあわせだったっけ?」
隣を歩くフランジェスカに問うと、フランジェスカは雨を気にする様子もなく、雨避けを兼ねたフードを指先で引き下ろしながら答える。
「村の西にある山道入口だ。場所なら私が分かるから、ついてこい」
前に一度来ているだけあり、フランジェスカの足取りは淀みない。
そうして、森の中を雫がついている落ち葉や下草の間を歩いていくうちに、あっという間にズボンの裾が泥まみれになった。
この雨で村人は外出を避けているようで、人っ子一人見当たらない。それを幸いに思いながらヒョルケ山の山道入口まで行くと、入口を示す大岩の上に子どもが座っているのが見えた。
村人かと肝を冷やすが、そんな場所で何をしているのかという疑問もある。
蕗の葉のような大きな草を手にして雨避けにしている子どもは、白い肌をしていて短い青い髪をした女の子だった。子どもは修太達を見て、にこっと笑う。
「やっと着いたか。待っていたぞ」
歳に似合わない老獪な話し方には聞き覚えがあった。女の子の正体はサーシャリオンらしい。
「なんだ、サーシャか。おどかすな。村人かと思っただろ」
修太の苦情に、サーシャリオンは笑顔で返す。
「だが、ここにおらぬでは苦労しよう? さあ、ついてこい。他の者は洞窟で雨をしのいでいる」
そして、修太達は案内されるままに、緑豊かな山道を上りだした。
洞窟は山を少し上った場所にあった。
上ってくるのが見えたのか、洞窟の入り口で見知らぬ男が腰を浮かし、こちらを凝視している。
「フラン!」
二番目を歩くフランジェスカに気付き、青みがかった黒髪の男が洞窟を飛び出してきた。雨でぬかるんでいる地をバシャバシャと蹴立てて走り、フランジェスカの元に辿り着くや両肩を手で掴む。
「おい、怪我はねえのか!?」
その勢いにフランジェスカは気圧されてややのけ反ったものの、こくりと頷き、フードについている口布に手をかけて引き下ろす。
「ああ。この通り元気だ。団長には閉じ込められていただけだ。何も問題無い」
「あの野郎、もし目の前にいたらぶん殴ってやるとこだ! おい、もし子どもでも出来てるんだったら、ちゃんと助けてやっから心配す……ぶごふっ!」
「……なんの心配をしてる」
実の父親に鉄拳をくらわせたフランジェスカは、強烈な迫力をもって、地面に尻餅をついたラゴニスを見下ろす。
最初は親子の感動の再会場面を邪魔しては悪いよなと見守る姿勢になっていた面々は、不穏な状況を前に固まった。
ラゴニスは地面に座ったまま、不思議そうに首を傾げる。
「あ? だって、おめぇ。男が女を閉じ込めるっつったら、そういうことする空気になるんじゃねえのか?」
「そういうことにはなっていない! 余計な心配をするな!」
顔を赤くして怒るフランジェスカ。物凄い剣幕に、ラゴニスもたじたじである。しかし返事を聞いてほっとしたように肩を落とす。
「ないんならいいんだ、うん。いや、お前、親なら娘の心配くらいするだろ? ――なあ? そっちのイケメンな兄ちゃんよぉ」
「俺に話を振るな」
思いがけず話を振られたグレイは、わずらわしげに返す。関わりたくなかったようだ。
すげない返事にラゴニスはつまらなさそうにするが、立ち上がり、マントの裾を軽く払って、洞窟を示す。
「ま、とにかくこっちに来い。嫌な雨だ。風邪引くぞ」
屋根の下に入れるのはありがたい。
無言のまま怒りをばらまいているフランジェスカが洞窟の方に歩いていくのを見てから、修太達も後に従う。奥行きは二メートル程であるが、幅広な洞窟は、この人数でも余裕で座れそうだ。
「のう、シューター。世の中の父娘というのは、あれが普通なのか?」
サーシャリオンがちょこんと頭を上げて問うのに、修太は顎に手を当てる。
「うーん。普通かは知らないけど、でも、仲良い親子で良い父親に見えるかな、俺には」
「そうなのか。娘が父親を殴り飛ばすのは仲の良い証拠なのか」
どこかおかしな納得をするサーシャリオンに、修太は苦笑する。
「いや、それはちょっと違うだろ」
「黒狼族の男がこんなにつるんでるの、初めて見たな」
互いに自己紹介をしあったところで、ラゴニスがグレイとシークとトリトラをしげしげと眺めて言った。
「俺も白教徒に睨まれなかったのは初めてだな」
グレイがやり返すと、ラゴニスは目を丸くしてから、かかと笑う。
「わりいわりい、あんたらには失礼だったか? 俺は不信心な白教徒だし、この機会に白教は抜けるつもりだからな、そう言わないでくれよ」
そう言って陽気に笑うラゴニスは、抜けた印象の中に鋭いものが見え隠れするような不思議な男だった。親しみやすいけれど、ある距離からは踏み込んでこないような、そんな感じ。直情的なフランジェスカと違い、どうも掴みにくい男だ。
修太が焚火に当たりながら、こっそりラゴニスを観察していると、思いがけない拍子にラゴニスがこっちを向き、ばっちり目があった。ぎくりとし、気まずく思って目を反らす。誤魔化しを兼ね、傍らに寝そべるコウの頭を撫でる。毛は湿ってて冷たい。
「坊主、そんな怖がらなくてもいいだろ! おじさん傷つくじゃねえか」
ラゴニスがぶぅぶぅと不平の声を上げるのに、ピアスが口を尖らせて言う。
「もう、おじさんったら。シューター君、パスリル王国人のこと警戒してるんだから、怖がらせないでって言ったでしょ! ただでさえ酒場の不良みたいな空気してるんだから!」
ぷりぷりと怒る様は可愛らしいが、言っていることはかなり強烈だ。
「ひでえぞ、ピアス嬢ちゃん。可愛い顔してるのに、ときどき毒吐くのやめてくれないか!?」
「うん。ときどき鋭い指摘するのは、ピアスの良い所だよね」
啓介がにこにこと褒める。
「うふふ、ありがと。ケイはよく分かってるじゃない」
ピアスは満更でもなさそうに微笑む。
「おい、シューター。うちの親父は、この通り、くたびれた不良みたいに見えるし目付きも悪いし口も悪いし、ついでに言えば片付けも料理もろくに出来ない駄目親父だが、良い人ではあるからそう警戒するな」
「ははは、フラン。ほとんど悪口な気のするフォローをありがとよ」
引きつり気味の笑顔で礼を口にするラゴニス。
ここだけとっても、上下関係がはっきりする一場面である。
ラゴニスは気を取り直すように咳払いをし、修太の方を向き直ってにかっと歯を見せて笑った。
「話は聞いてる。娘の面倒、ありがとよ。狂いモンスターにならずに済んだのはお前さんのお陰だと聞いてな」
「俺は特に何もしてない。浄化ならそっちのケイがしてる。だいたい、こいつは俺らの護衛をしてたんだから、礼を言われる覚えも無い」
持ちつ持たれつの関係だ。
修太がはっきり言うと、ラゴニスは後ろ頭を掻く。
「うん、まあな。でも礼を言いたいのが親ってもんだ」
どこか照れくさそうなそれを、修太は少し言葉を失くして見つめる。在りし日の父親と姿が被り、胸の奥が切ないような、焦がれるような、あいまいな感覚が湧き起こった。
またラゴニスから目を反らして頷く。
「……それならとっとく。どういたしまして」
「おう」
確かにこの男は良い父親だ。
修太の態度にラゴニスは困ったような顔をしたが、すぐに身を引いた。
「なんつーか、ケイの親友にしては大人しい奴だな。もっとこう、はっちゃけてる奴を想像してたから意外だよ」
「そいつと一緒にしないでくれ」
修太は思わず口を出す。
洞窟の奥側で、啓介がえっというように、きょとんと目を瞬いた。
*
しとしとと静かに降っていた雨は、夕方が近づくにつれて勢いを増していた。
「この天気だ。今日はここで野営して、朝になったら魔女探しに行くとしよう。崖が崩れたりしたらことだ」
フランジェスカの判断に誰も反対する者はおらず、朝方になって雨が止むまで、洞窟で待機した。
その夜の間、娘がモンスターになるのを初めて見たラゴニスは驚いていたが、面白がって羽を引っ張ったせいで、その娘に思い切り引っかかられていたりした。痛そうなのを除けば、平和な光景だった。
洞窟を出て、雨でぬかるんだ道を、湿った木の葉で足を滑らせないように気を付けて歩きながら、フランジェスカが毒づく。
「――クソ、あの魔女。絶対に見つけ出す!」
緑柱石の魔女のせいで酷い目にあっているフランジェスカは気合充分だ。
こっちは昨日の雨とここまでの疲労のせいで、起床したら喉ががらがらになって鼻がぐずぐずしているというのに、元気なものだ。修太はフランジェスカの背中を恨み半分に見つめ、中型犬の姿に変わったコウの隣をゆっくり歩く。
ピアスも体調を崩し気味らしい。涼しい気候が慣れないらしく、修太には涼しいこの気候でも寒いらしい。
だが啓介含めたその他は元気だ。その体力を分けて欲しい。切実に。
「姉様なら、あっちの方にいるよ」
ふいに紛れた声に、修太はぎょっとし、その拍子に木の葉で足を滑らせた。よろっとしたが、何とか踏みとどまる。
気付けば、啓介の隣にフローライトが立っていた。
「なに!? 誰!?」
「どっから湧いて出た!?」
トリトラとシークが声を上げて驚き、すかさず距離を取る中、ラゴニスもフローライトから距離をとっている。グレイは無言でハルバートを構えた。
「あ、待って待って。大丈夫だから! この人、オルファーレンちゃんの断片で、宝石姉妹の一人のフローライトさんだよ。グレイ、ハルバート仕舞って! 他の三人も武器に手をかけない!」
啓介が慌ててフローライトを背に庇い、構えた四人を取り成す。
「きゃああ、太古の魔女! 久しぶりだわ!」
一方で、ピアスは目を輝かせて興奮している。
「――ああ、ごめん。驚かせて悪かったね。ボクは宝石姉妹が一人、蛍石の魔女フローライトだ。何も害したりしないから、警戒しなくていいよ」
凹凸の無い声で、ぼんやりとした紫色の目を四人に向けるフローライト。茫洋とした空気が漂っている。
「魔女って聞こえたから出てきたんだ。姉様ならあっちの方にいるから、あっちに進むといい。姉様は風を操るから、いるとしたらきっと高い場所か開けた場所だ」
フローライトはヒントを出すと、じゃあねと言って、現れた時と同じくすっと消えた。
(相変わらずマイペースな奴……)
毎度びびらせられるこちらの身にもなって欲しい。そう思うのは我儘だろうか。
「あっちか! よし行くぞ!」
場所が分かってやる気が再燃したフランジェスカは、足音も荒く山道を反れて鬱蒼とした薮へと入っていく。どうも、道無き道を通らなくてはいけないようだ。