第十八話 呪いし魔女は月下に笑う 1
〈氷雪の樹海〉に戻ってきた翌日、フランジェスカが風邪を引いてダウンした。
極寒地帯の寒さと度重なる精神的疲労のせいだろう。
荷物は修太が女子部屋から預かっていた分があるが、部屋の隅に干していた衣服が一着分あるだけだ。元々荷物の少ないフランジェスカは、いつも持ち歩いている皮製の背嚢に防寒着を詰め込んでいたらしい。まともな着替えがドレスだけってどうなんだと頭を抱えていた修太の前に、折良くサーシャリオンが顔を出したので、荷物を取りに行ってもらった。荷物の置き場所も確認済みだったらしく、すんなり奪い返して戻ってきたサーシャリオンに、熱でふらふらしながらフランジェスカは心底ありがたそうに剣を抱きしめて礼を言っていた。
「お前、剣の方が大事ってどういうことだよ」
「衣類は後で買えるが、名剣はなかなか手に入らん。それに、これしきの熱がなんだというのだ!」
「はいはい、没収。……うっ、重っ」
青鞘の長剣を取り上げようとしたら、思いの外、重かった。手にずっしりくる長剣をよろよろ持ち上げ、テントの外に置く。
(こんなの振り回してんのか、こいつ……)
剣が重いとは知識としては知っているが、実際に触ったことはない修太には驚きだった。
「着替えあるんなら、着替えろ。厚着して、毛布被って寝てろ。起きてくるな!」
これくらい平気だと言い張り、赤い顔をしたままテントを出てこようとするフランジェスカに背嚢を押しつけ、テントに押し戻す。これでは、具合が悪いからとテントを譲ってやった甲斐がない。
「クソガキの分際で生意気だ」
「……病人の分際で生意気だ」
むっすり嫌味を言うので、修太も思い切り喧嘩腰に返す。睨み合いが発生したが、結局、具合の悪いフランジェスカが負けた。
ちっと舌打ちし、テントの奥に引き下がるのを見て、出入り口の掛け布を下ろす。なんて面倒な病人だ。
「そなたら、相変わらず仲が良いのう」
茶をすすりつつ、サーシャリオンがしげしげと言う。その向こうで、トリトラやシークがおかしそうに肩を揺らして忍び笑いをしているのが目に入り、じろっと睨んでおく。グレイは暇だと言って、狩りに出かけてしまった。熊の次は鹿だったが、今回は何を狩ってくるのだろう。猪だったりして。
「気持ち悪いこと言うな」
鳥肌が立ったじゃないか。腕をさすりながら、修太も炉の側に寄る。そして、ちらっとサーシャリオンを見て、質問を投げる。
「なあ、結局、上手いこと断片を回収出来たのか?」
「ああ、出来たぞ。お陰で王都は大混乱だ」
「聖樹ってそんなにすごいのか?」
「白教徒の心の拠り所そのものだな」
「うわあ……」
それは怖い。
「ピアスやラグ、ケイも青い顔をしておった」
「ラグ?」
「フランジェスカの父親だ。ラゴニスの愛称がラグ」
「え、そんな仲良いの?」
「いいや。仲良しな気がして面白いからそう呼んでいる」
「そ、そう……」
サーシャリオンの思考回路も啓介と同じでいまいちよく分からない。ときどきおかしいと思う。いや、ときどきじゃないか。
「で、その三人はどうしたわけ?」
「一週間後辺りには着くだろうな。王都からここまでは、徒歩で二週間かかるそうでな」
「何でいつもみたいにモンスターに乗っけてこないんだ?」
「途中が草原でな、目隠しになる場所がない故、目立つのを避ける為だ。どこから狙われるか分からぬからな」
もっともな返事だった。
「それもそうか……。リオン、啓介の方に戻ってていいぞ? こっちは平気だ」
「なになに、ラグがおるから少しくらいおらぬでも平気だよ。それより何か食べる物はないのか?」
「……つまり、食べに来たのか」
「うむ!」
良い返事である。
「仕方ねえなあ。ほら、木の実があるから食べたきゃ食え」
「そなたの茶も飲みたい」
「俺の茶? ブレンドティー?」
「それだ」
嬉しげににまにまするサーシャリオン。つい先程採取してきた小粒のベリー系の木の実を籠ごと渡し、旅人の指輪に入れている茶缶と、買いだめしておいた食料からじゃがいもに似た芋を三個取り出す。茶を淹れてやってから、芋を湧水で洗い、切れ目を入れて炉の上に足付きの金網を置き、塩をかけた芋を置く。
出来た焼き芋と木の実を嬉々として食べ尽くすと、サーシャリオンは戻っていった。
(こき使ってるし、いっか)
食べ物程度で機嫌が良くなるなら、用意してやるくらいは構わない。
(こういうことしか手伝えることが無いってのがなあ……)
お荷物感満載で、修太は自分にほとほと嫌気がさす。周りが有能すぎて肩身が狭いなんて初めての経験だ。グレイ達は邪険にしたりしないけれど、修太が嫌なのだ。
それから数日、フランジェスカの看病をしたり、のんびり生活して過ごした。狩りの仕方は教えてもらえなかったが、動物の捌き方と食べられる木の実くらいは覚えた。
*
「号外~、号外だよ~!」
王都から東に離れた街の中、道端でそんな声を上げながら少年が羊皮紙片手に通りがかる人に声をかけている。
「なあ、さっきから何してるんだ?」
フードを目深に被った少年が、そんな少年に声をかける。
「あっ、お客さん、こういうの見るの初めて? これね、新聞っていうんだ。最近、王都で印刷機が発明されて、こうして情報を売ってるってわけ。いつもは週一で情報誌を出してるんだけど、これはその号外。一部10エナだよ。どう、買ってかない?」
「一つもらうよ。はい」
「まいど!」
少年はにかりと笑顔を浮かべ、また道行く人々に号外と呼び掛け始める。
フードを目深に被った少年――啓介は、号外と書かれた新聞をなにげなく見下ろして、目を丸くした。慌てて宿に帰り、部屋に飛び込む。
「あら、おかえり。早かったわね。ついさっき出かけなかった?」
「ただいま、ピアス。それどころじゃないよ、これ見て。さっき道端で配ってた」
ピアスは小首を傾げて号外を覗きこんだが、すぐに首を振った。
「ああ、読めないわ。私、一般言語はそんなに得意じゃないの」
「そっか、ごめん。ええと、これにはこう書かれてる」
――王都を白竜が襲来! クロンゼック男爵邸、破壊される。民は王と大司祭に問題ありと各所で暴動。
「暴動になったのか」
四人部屋で、窓際のベッドに腰かけていたラゴニスが顔をしかめる。
「うん。まさか王様や大司祭の方に矛先向くとは思わなかったけど、これは予想内かな。でもそれだけじゃなくて」
啓介は更に記事を読む。
――メイドの密告により、クロンゼック男爵邸に悪魔憑きがかくまわれていたと判明。あの剣聖フランジェスカがそうだというが、真相やいかに。
ピアスとラゴニスの顔から血の気が引いた。
「……そうか、これをエレノイカは予見してたんだな」
「つまり、あそこで出て行かなかったら、今頃フランさんもラゴニスさんも神殿に捕まってたってこと……?」
口元を手で覆うピアス。
ラゴニスは頭を抱える。
「まずいな。ここまで堂々と名がさらされてるとなると、フランは王国内で指名手配されてるようなもんだ。神官に見つかった時点でアウトだな」
「今は聖樹問題の影に隠れてるからいいけど、冷静になった時が危ないね」
啓介も神妙に返す。
「もうやだ。この国、心臓に悪すぎるわ。それに、目的地の樹海のふもとにあるホワイトスノウ神殿が潰されて、ドラゴン討伐で騎士団や神官兵が集まってるらしいじゃない? お陰で色改めがないのは助かってるけど、このまま進んで問題ないのかしら」
ピアスが怖そうに身を縮める。
「王都が混乱してるとなると、派兵された騎士団と神官兵は王都に戻されるだろうし、その隙を狙うしかねえな。いっそのこと、別所で待ちあわせるって手もある。お前さん達、フランを呪ったっていう魔女に会いにヒョルケ山に行くんだろ? タニテ村は厳しくても、その手前の町か森で会うって手もあるぞ」
ラゴニスの案も一理ある。
「そうですね。次にリオンが戻った時に相談してみます」
啓介は大きく頷き、新聞にしては断片的な言葉しか並んでいない紙片をテーブルに置く。次に帰ってきた時、これをフランジェスカに届けて貰おう。
「あの兄ちゃん、現れたり消えたり、ほんとにおかしな奴だな。魔王で正体が黒竜なんてな。信じられねえよ」
「でも、そうなんですよ。それに、消えたり出たりって面白いから俺は好きですよ」
啓介が笑顔で返すと、ラゴニスはしかめ面をする。
「お前さんもたいがい変だよな」
「ありがとうございます!」
嬉しい台詞に礼を言ったら、皮肉だこの馬鹿と返された。ひどい。
*
弓のような細い姉月と、やや小さい半月の妹月は、冴え冴えとした光を地上へと降り注ぐ。その光も、白い葉をつけた枝に遮られ、地へは届かず、白い森に濃い青の影を落としている。
その白い森から、すぐ東にある、赤や黄の葉を付け茶色の幹をした森へと駆ける黒い影が二つ。
一人が先に進み、周囲を見回してから、右手を上げて手招きする。すると、その一人からだいぶ離れた後方地点で、もう一人が後ろに向けて合図をする。合図を受け取った三人目は、その傍らの茂みに潜んでいる狼に跨った子どもと猫に一つ頷いて、ついてくるように手で合図した。
彼らは声は出さず、全て手の合図で遣り取りし、虫の声と動物の声しか聞こえない夜闇の森を移動していた。
白い森から色鮮やかな森へと移動し、奥まった所に来て、人の気配がないことを確認すると、一番先頭の者が口を開いた。
「もういいよ。ここらには人気はないし、においもない。あるのは動物とモンスターのにおいだけ」
トリトラの言葉に、三人目の男――グレイも頷く。
「そうだな。この辺は人が立ち入らないようだ」
「師匠の言う通り。人の通った痕跡は無い。せいぜい獣道くらいだ」
シークがにかっと歯を見せて笑い、太鼓判を押した。
「冷や冷やするなあ。こんな感じでヒョルケ山まで行くなんて」
元の姿に戻ったコウの背に跨ったまま、修太はふぅと息を吐く。その右肩に張り付いているポイズンキャットも、同意だというようにニャアと鳴いた。
「かーっ、相変わらずシュールだな、その光景。動物使いならぬモンスター使いじゃねえか」
「魔動機よりこっちの方が目立たないって言うからそうしてんだろ。ま、確かにコウは足音立てねえし、隠れるのも上手いから、こうして良かったとは思うけどな」
シークを睨んでから、コウの首裏を軽く叩くと、コウは嬉しげに「ワフッ」と吠えた。
大変なのは、修太がコウから振り落とされないようにしがみつくことだ。毛を引っ張りすぎると痛がられるから加減が難しい。首輪でも手綱でも何でも良いから拠り所が欲しいところである。
「狼は狩りのプロだからね。そりゃ当然だ。それに森は彼らのフィールドだよ」
トリトラはあっさりとそう言った。
「だからまあ、囲まれないように気を付けないとね」
溜息混じりに言うところを見ると、この森には狼が棲んでいるようだ。修太がいるのに気にするのなら、動物の狼なんだろう。
「――休憩したら、また発つ。少しだけ休め」
グレイがぽつりと呟くように言い、シークとトリトラは返事をし、側の木の根に腰かけた。言ったグレイは木の幹に背を預けて立つ。修太もコウの背を降り、木の根元に座る。フランジェスカが肩を飛び降り、地面で丸くなる。コウも、修太の隣で寝そべった。
修太達は、ヒョルケ山を目指して東に移動していた。幸いにして、目的地までは森が続いていたので、闇と木々に紛れて夜間に移動し、昼間は人気の無い場所で休息することにした。リーリレーネは送ろうとしたが、今度は騒ぎになっては困るので、むしろ樹海で派手に騒いで騎士団と神殿の目を集めてもらうことにした。
樹海を出る時は、リーリレーネと雪乙女に寂しいから行くなとさんざん駄々をこねられて大変だったが、オルファーレンのことを持ち出したら渋々認めてくれた。リーリレーネなど、別れを嫌がって氷の檻に修太を閉じ込めようとまでして本気で面倒臭かった。もっとも、魔法の無効化が出来る修太は、触っただけで檻を壊せたけれど。
啓介達だけヒョルケ山に向かわせることも考えたが、フランジェスカを連れていきたかったし、なによりまた緑柱石の魔女が呪いをかけるかもしれないので、保険として魔法の無効化が出来る修太はいた方が良いという話になり、結局こうしている。
役立たずぶりが修太は嫌だったが、魔法を防ぐという点とモンスターを抑えるという点では役に立てるのは嬉しい。
「はぁ、ここいらは秋だったんだな。冬かと思ってた」
〈氷雪の樹海〉を出た途端、気温がぐっと上がり、過ごしやすい秋くらいの気温になった上、樹海隣の普通の森は黄色や赤の葉をつけていた。あちこちに木の実が落ちているのを見ても、どうも秋のようである。
「アキって何?」
トリトラが不思議そうにこちらに視線を投げる。
「え? 春夏秋冬の秋だけど。季節の名前」
「? アキ? 春と夏と冬なら分かるけど」
「ん?」
どういうことか分からず、互いに首を傾げる。
「こういう、実り多い季節のことだよ。しかも冬の手前だから涼しくて過ごしやすい時期だな」
何か別の言い方をするのかと思って、そう説明してみるが、よく分からないらしかった。トリトラはちらりとシークを見て、シークも不思議そうに首を傾げ、首を振る。
「レステファルテ国はいつも夏みたいだけど、セーセレティーは春があるんだから秋もあるんじゃねえの?」
修太の問いに、トリトラが答える。
「レステファルテ国は夏と冬があって、セーセレティーは春と夏と冬だよ。アキっていうのは聞かないかな」
常に暑い地域だとそうなるのか? 四季が当たり前の修太には理解出来ない感覚だ。だが、パスリル王国には四季はありそうである。
「実り多い季節なら、レステファルテは冬がそうで、セーセレティーはどの季節もそうだな」
グレイも会話に加わった。
冬が実りが多いっていうのは変な感じだ。
「セーセレティーすごいな」
感心する修太に、トリトラも同意する。
「うん。飢えることがないって点では天国だね」
「森に行けば、たいてい木の実がなってるもんな!」
シークが身を乗り出して主張した。
「あのじめっぽいのは苦手だけど、やっぱ食い物の貯蓄を気にしないで腹いっぱい食えるのはいいよなあ」
羨ましげにシークが呟く。
言われてみて、修太はふと思う。飢餓の恐怖がないからか、セーセレティーの民はのんびりした気性の者が多い気がするが、厳しい気候に生きるレステファルテの民はどこか鋭い目をしている者が多いような気がする。それに、レステファルテの民は生きることにがつがつしている。商人が力を持っているのも、そうした現れなのかもしれない。
物思いに沈んでいると、グレイが木の幹から背を離した。
「――休憩は終わりだ。進むぞ」
「了解!」
「了解です!」
すたっと立ち上がるシークとトリトラを横目に、フランジェスカが肩に飛び乗るのを確認してから、修太も立ち上がる。横に立つコウに声をかける。
「またよろしく」
「オンッ」
いちおう、活版印刷をイメージしてます。結構歴史は古いらしいのでチョイス。
パスリル王国は識字率が高い国なので、新聞レベルは読める人が多いです。
情報戦に強い国なイメージ。