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「やあ、元気にしておるか?」
ひょいと現れたサーシャリオンは、楽しげに笑った。
「おかえり。お前、来るのおせえよ。そんなにあっちは大変だったのか?」
ちょうど昼時だったのもあり、鹿肉を頬張りながら修太は訊いた。ちゃっかり炉の傍に座って相伴になりながら、サーシャリオンは更ににやにやする。
「いやぁ、面白いことになっておっての。観察しておったら日が経っておった」
そして、くくっと肩を揺すって笑う。
「人間というのはどうしようもないな。盲信は視野を狭くするし、嫉妬は実に醜い」
「何の話だ?」
サーシャリオンの向かい側に座っているグレイは、食事の手を止め、サーシャリオンに視線を向ける。
「フランジェスカだよ。あの団長と会って、真実を話して国を出ようとしたところ、逆に屋敷に閉じ込められておる。しかも愛の告白付きときた! わくわくするな」
「ぶふっ」
修太は盛大に吹き出した。
肉を喉につまらせ、げほげほと咳をする。見かねたトリトラが背中をさすってくれたが、なかなか咳が治まらず、ぜいぜい言いながら口元を袖口で拭う。
「だ、団長って、あの団長? ノコギリ山脈で襲撃してきた……」
「うむ。怜悧な空気は相変わらずであったな。〈白〉であるからプライドも高かろうの」
「そうか……」
やっぱりあの男、フランジェスカに惚れてたのか。
何となくそんな気はしていた。フランジェスカが右腕にしろ、初対面の修太ですら執着のようなものを感じ取っていたのだ。でなければ、水入り水晶のような高価な贈り物を一部下にやるだろうか?
「なあ、愛の告白ってどんな感じの?」
シークが興味津々に問うと、サーシャリオンはまたにやっとした。
「結婚申し込みだな」
「うひょー、やるなあ、そいつ! で? あの強そうな姉さんは何て返事したわけ?」
「予想外でうろたえておったが、親愛はあるが恋愛の情はないと断っておったな」
サーシャリオンがのんびり答えた中身に、修太達は静まり返った。
「え? じゃあ、待って。結婚を申し込んで断った相手を、屋敷に閉じ込めてるの?」
トリトラが恐る恐る問う。頬を引きつらせている。
「それって犯罪じゃないのか?」
シークがきょとんと目を瞬く。
サーシャリオンは飄々と返す。
「そうだろうが、恋に目が曇っておる輩のすることだからなあ。それに〈黒〉やダークエルフのような悪魔の下に返すくらいなら殺すとか物騒なことを言っておった」
「…………」
うわあ。昼ドラかよ。
修太は額に手を当て、天井を仰いだ。
「それであの女は無事なのか?」
グレイはちらりと修太を気にするように見て、ぼかして問うた。
「怪我はないし、闇堕ちもしておらぬよ」
「それもあるが、男女の問題なら更にあるだろう」
「貞操のことか?」
げふっ。修太はまた咳き込んだ。
「そちらも無事だぞ。夜はポイズンキャット化しておるし、満月の日はまだ遠い。それにあの男、昼間は仕事に出ている」
「そ、そうか……」
こんな心配をしている自分達に冷や汗をかきつつ、修太は居心地悪く呟く。
「そこでだ。我は良い事を思いついたのだ。王都にある大聖堂の庭に、断片が一つあってな。聖樹というのだが、それを回収するに当たり、騒ぎを起こして目を反らせようとな」
サーシャリオンはとても楽しそうに、浮き浮きと提案する。
「は?」
詳しく話を聞くと、聖樹は白教徒の拠り所になっている為、回収する際には気を使わねばならないらしい。
それはまた面倒そうだと考える修太達に、サーシャリオンは断片回収計画を披露する。
「……え、そんなことして大丈夫なのか?」
「問題ない! むしろ楽しくなりそうだ」
胡乱気な顔をする一同に対し、サーシャリオンは悪戯を思いついた悪ガキのような顔で、にやりと悪い笑みを浮かべた。
*
その日の、明け方の近い深夜。
修太達五人とコウは、リーリレーネの背に乗り、空を飛んでいた。
「やっぱやりすぎじゃねえ?」
修太がしぶとく問うのに、サーシャリオンはからから笑い返す。
「これくらいした方が、諦めもつくというものだろ」
「んなこと言ってるけど、本音は楽しそうだからってだけだよな?」
「よく分かっておるの、そなた」
「………はあ」
びっくり、なんて顔してんじゃねえよ。分かるに決まってんだろうが。
上空は風が強くて寒いけれど、サーシャリオンが風を和らげてくれているのでだいぶマシだ。
眼下には、黒い影の中に沈む家々が見える。
「さあ、リーリレーネ! そのまま西の外れに着陸せよ!」
――了解しました、クロイツェフ様!
その広大な王都へと、リーリレーネは滑空していく。サーシャリオンにこき使われて心底嬉しそうだ。声が弾んでいる。
腹が浮くような奇妙な浮遊感に背筋を強張らせ、リーリレーネの背中の突起にしがみついて耐える。
「その一番左の建物だ。そして一番西にある二階の窓だぞ? いいな。では、我は啓介の下に飛ぶ」
――こちらはお任せ下さい! ご武運を!
「そなたこそ、危なくなったら早々に離脱せよ」
サーシャリオンは強風の中でリーリレーネの背に立つと、修太をちらっと見て、にっと口端を引き上げて笑い、一瞬後には姿を消していた。
風の魔法が消え、一気に風圧が身に押し寄せる。
息が出来なくて焦ったのも束の間、リーリレーネは静かにクロンゼック家の庭先に着陸した。
――ふんふん、一番西の窓は……。ここか?
リーリレーネは窓に見当を付けるや、躊躇いなく窓へと頭突きをお見舞いした。
*
轟音とともに、窓ガラスが割れ飛び、壁に大穴があいた。
「フギャ!?」
ベッドで丸くなっていたポイズンキャット姿のフランジェスカは、音に驚いて飛び起きた。
さっきまで毒素を追い回して食べていたせいで、精神的に疲労していたところにこれだ。
(な、ななな、何だ!?)
仰天して窓を見て、巨大な青の目と目が合い、卒倒しかける。
(りゅ、竜―――!?)
目の前が一瞬暗くなったが、すぐに気を取り戻す。
壁に頭を突っ込んでいる白い竜の上に、見慣れた人影を見つけたのだ。
「お、いたいた」
竜の頭を危なっかしい動作でつたい下りる修太の横に、ハルバートを手にし、顔にマフラーを巻いて覆面しているグレイが身軽に飛び降りる。
「ニャア!?」
お前達、いったい何しているのだ!
通じないとは分かっていたが、フランジェスカは叫ばずにはいられなかった。
「ああ、これはサーシャが派手に騒げって言うからさ。まあいいじゃん、迎えに来てやったんだ」
修太はあっさりと言う。
「……ニャア、フギ」
そんな軽い感じで良いのか。
ここで納得してはいけないような気がして煩悶するフランジェスカが修太は不思議そうであったが、ベッドに近付いて両手を差し出す。
「話はサーシャから聞いてる。結婚申し込みを断ったのに、閉じ込められてるんだってな? お前もいっぱしに女だったんだな、良かったじゃん」
無神経な言い草にムカついて手をはたき落としてやろうかと思ったが、迎えに来てくれたのはありがたいので我慢した。
不機嫌なまま修太に近付くと、ひょいと抱えあげられた。
「じゃ、撤収するか」
この間にも、屋敷内は騒然とし、バタバタと走り回る音が聞こえてくる。すぐに駆けつけてきたのか、客間の扉が開き、ユーサレトが姿を現した。
一瞬、呆然と惨状を見たユーサレトであるが、すぐに我を取り戻し、剣を抜く。
「貴様、あの森で会った悪魔だな! よもやモンスターとともに乗りこんでくるとはな!」
そのユーサレトの後ろに、すっと侍女が一人と侍従が一人、ナイフを構えて立つ。侍女はファニアだが、侍従は知らない者だ。
「シューター、急いで! 撤退するよ!」
リーリレーネの頭の上から覆面姿のトリトラが叫び、ユーサレトの殺気に気圧されて立ちすくんでいた修太は慌ててそちらに駆け寄る。トリトラが手を貸してリーリレーネの頭上に引っ張り上げる最中、ファニアがナイフをトリトラめがけて投げたのを、トリトラはろくに見もしないで右腕を振るだけで篭手で弾き飛ばす。その隙間を縫うようにし、今度は侍従がナイフを投げてきたが、ひょいと左腕一本で修太を引き上げたトリトラは、身をそらしてナイフをかわした。カンと硬質な音がして、リーリレーネの鱗に弾かれて床に落ちる。
「小癪な真似を!」
ファニアが冷静さの中に苛立ちを込めてうなり、ナイフを構え直すが、手に痛みが走って取り落とす。
「はいはい、大人しくしててな、お二人さん」
やはり覆面姿のシークが、小石を親指で弾き飛ばし、侍従の手に当てる。侍従もまた、痛みでナイフを取り落とした。
その一方で、完全に怒っているユーサレトが修太とフランジェスカを狙って駆け寄ろうとしたのを、グレイがハルバートで剣を止め、防いでいる。
ユーサレトは激昂して怒鳴る。
「邪魔をするな!」
「それは無理な相談だ」
冷静そのものの声で、グレイは返事し、剣を弾き飛ばす。
一度距離をあけたユーサレトは、ダンと足踏みをする。すると剣先に暗闇の中でバチバチと音をたててほとばしる火花が浮かんだ。〈白〉の魔法だ。
「どけと言っている!」
グレイが舌打ちして下がる中、ユーサレトは剣を振り下ろした。
フランジェスカはグレイの今後を思って身を強張らせる。修太も痛そうに目を閉じた。
しかし、予想したことは何も起きず、グレイの前に青色の魔法陣が浮かんでいた。
「無効化……! 忌々しい悪魔が!」
「へっ?」
どうやら無意識に魔法を使ったらしく、怒鳴られた修太はきょとんとしている。
ユーサレトは我慢出来ないというように、身を引き裂くような声で問う。
「フラン、何故だ! これが答えなのか? どうして俺を置いていく! お前は俺の右腕のはずだ!」
その声があまりに悲壮だったので、フランジェスカは心臓を掴まれたような気分になった。
戸惑ったように、修太がフランジェスカを見下ろす。
その無言の問いに、フランジェスカは頷く。
「ニャア、ニャアニャア……」
――すみません、団長。もう私はこの国では異物なのです。
「フギィ、ニャオオン」
――もう元のようには戻れません。あなたの右腕でいられたことは、私の誇りでした。
「ニャア……」
――さようなら。
フランジェスカの別れの挨拶は、同情したらしきリーリレーネが通訳してくれた。ユーサレトはもうどうしようもないのだと痛感したのか、剣を持った右手をぶらりと下ろし、力無い目でフランジェスカを見た。
フランジェスカはペタンと耳を寝かせ、落ち込みながらも振り切るように目を反らす。
「ニャアン」
さあ、行こう。
フランジェスカが修太の服の袖を爪の先で引っ張ると、修太には何を言っているのか伝わったのか、分かったとの返事が返る。
「グ……いや、戻るぞ、こっちへ!」
名前を呼び掛けて口ごもり、修太がグレイに叫ぶ。
グレイは一足飛びにリーリレーネの頭上に着地し、リーリレーネは壁から頭を引き抜いた。
――しっかり掴まれ!
ばさりと翼を広げるリーリレーネ。
全員、突起にしがみつき、風に耐える動作をする。
竜の襲撃に騎士団が集まってきていたが、それをあざ笑うかのように、リーリレーネは庭先を飛び立った。強風が兵士達に叩きつけられ、悲鳴が上がった。
風と寒さに耐えながら、修太はどうしたものかと内心困り果てていた。
「なあ……泣くなよ」
声も弱り果てたものになる。
さっきから、フランジェスカが声も漏らさず、藍色の目から涙をぼろぼろ零して泣いているせいだ。
誤って小さなポイズンキャットが風にあおられて飛ばされないよう、腕で抱えながら、修太は途方に暮れる。
このどぎつい女はこんな風に泣くのかと、一番慰めようのない泣き方だと困っている。
「ゥニャア」
しかも泣くなと言ったら、どぎつい目で睨まれた。
泣いていない、と言っているのだろう。
やれやれと息を吐き、視線を横へ向ける。地平線に朝日が滲み、今まさに、森の向こうから太陽が顔を出したところだった。
ポイズンキャットの姿が揺らぎ、青い質素なドレス姿の女性へと姿を変える。
「うわ、なにその格好」
人の姿に戻ったフランジェスカは、すぐ側の突起にしがみつき、眉を寄せて修太を睨む。
「うるさい、好きでしてる格好じゃない。それに最悪だ。剣を取り返せなかった」
この涙は悔し涙ですと言わんばかりのフランジェスカの態度に、修太はそういうことにしておく気はなく、無神経だろうが問いを投げる。
「お前、泣く程にはあの物騒な奴のこと好きだったのか?」
「当然だ。恋愛ではなく、上司として心から慕っていた。あの方があんな風になるなんて、私は情けない。でもどうすれば良かったのだ? 同情で残っても、明るい未来などない。腐りながら死んでいくのはごめんだ。それでも、まるであの方を見捨てたようで、私は私がむごい人間な気がしてたまらない」
フランジェスカは悔しそうに唇を引き結ぶ。うつむいた顔に涙が伝い、風で飛ばされて消えていく。
「世界を知れて、真実を知れて、それで良かったと思っている。私は家族や友を守りたくて騎士になった。国の人々を守りたかった。だが、この国は大きな病にかかっている。いずれ合わなくなっていただろう。国を出るのが遅くなるか早くなるかの違いだ。だからと割り切っても、残していく者を見捨てることに変わりはない」
ぶるぶる震えながら、血を吐くように吐露するフランジェスカ。
本当に心がまっすぐで、だからこそ辛いのだろう。
弱っている者に鞭を向けるようなものだが、修太は言う。
「どうしようもない状況だったが、フランは自分でこれを選んだ。そのことを忘れたら駄目だ」
冷たいだろうと思う。
でも、そこを否定したら、こいつは立てなくなる気がした。
「あんたはまっすぐだよ。どんな状況でも、自分で選んで歩いてる。簡単なようで難しいことだと俺は思う」
遠回しの励ましに、フランジェスカはぐぐっと歯を食いしばる。
「うるさい! それくらい分かっている! 弱音くらい吐いたっていいだろうが、このクソガキ!」
振り返り、盛大に怒鳴るフランジェスカ。
涙を零して顔はぐしゃぐしゃでみっともなかったが、打ちひしがれたような様子は見えなかった。少し照れているのか、頬が赤い。
それがおかしくて修太が笑いを浮かべると、フランジェスカは気の抜けたように肩を落とし、耐えかねた様子で忍び笑いを始める。ぼろぼろと涙を零しながら、泣き笑いになる。
じっと身を詰めて様子見していた黒狼族達も、それでほっとしたように息を抜いた。
――どうして笑っているのか、我にはさっぱりだな。
悠然と空を飛びながら、リーリレーネは不可解そうに呟いたが、誰もその問いには答えなかった。
そして、その日。
啓介が断片である聖樹を回収したことで、王都は更なる混乱に陥った。
東から白い竜が来て王都を襲撃し、その間に聖樹が消える。
神の御使いが聖樹を取り上げたのだと、大混乱になった。
現国王に問題があるとか、現大司祭に問題があるとか。民は上の連中のせいだと決めつけて糾弾し、その座から引きずり落とせとデモを始める。
そんな中、白い竜の襲撃にあったユーサレトは、自信をなくした為と団長を辞め、止める暇もなく国に男爵位を返し、屋敷を引き払って荷物と剣を携えてふらりと姿を消してしまった。
しかしそれは大事件を前に、ごくごく小さな事件として片付けられた。
パスリル王国内は嘆きと不審に満ち溢れ、今まで保っていた大国としての均衡が、少しずつ崩れていくのだった。