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「ここで生活し始めてからものすごく体調が良いんだけど。何かが間違ってる気がする」
人里離れた樹海の奥深くで、野営の延長のような生活を送っているというのに、街にいる時より体調が良いってどういうことだ。
風呂から上がった後、前に雪乙女が森から拾ってきた木を前に置いて枝を折り取りながら、修太はやはり人として間違っているのではないかとへこんできた。
「体調良いなら良いじゃないか。何か問題あるの?」
炉の前に座って、濡れたコートを手で掲げて乾かしながら、トリトラが不思議そうに言った。シャツやズボンや肌着に替えはあるが、コートは替えがないらしく、濡れる原因になったシークに文句を言いながら乾かしていたところだ。
「この森になってる木の実は美味いし、動物が多いから獲物には困らないし、湧水も豊富だ。住み心地良いから当たり前じゃねえ?」
ばきんと派手な音を立て、熊の骨が二つに折れた。シークは木板に刺さった斧を抜き取り、折れた骨を横の籠に入れ、新しく熊の骨を置いて、また斧を振るう。骨はスープの出汁を取るのに使うらしい。白い蔦製の籠は、シークお手製だ。器用である。
「そうか……。砂漠に比べたらここは暮らしやすいんだな」
修太はぽつりと呟く。
黒狼族は、レステファルテ人に荒野で死肉を漁る尾を持つ狩人と言われ、恐れられ忌み嫌われているのだ。狩人生活が基本なら、確かにここは住み心地が良いだろう。
「ちと寒いが、冬場の砂漠の夜と似たような気温だからな。住み心地は確かに悪くない」
ハルバートの穂先を砥石で研ぎ、首を傾げてまた研いだりしながら、グレイがぼそっと呟くように言った。しゃこしゃこと鋭い音が家の中に響いている。
武器の調整は鍛冶屋がするのが基本なのかと修太は思っていたが、簡単な武器の調整くらいは自分で出来なくては一人前とは呼べないのだそうだ。刃を研いだり、具合が悪い部分を金槌で叩いて調整するくらいは出来るらしい。グレイは出来ないそうだが、人によっては、その辺に炉さえあれば、即席で鍛冶をする者もいるのだそうだ。
(なんか、ほんとすごいよな。この人達……)
野営のプロが三人も揃っているので、修太が出る幕は無い。手伝えるのは、薪用に木の枝を折ることと調理くらいだ。暇な時間は火打石を使う練習をしたり、洗濯や繕い物、読書をしている。
これがまた、この三人、縫物もなかなか器用にこなすので本気で出る幕がない。修太が下手すぎるように見えるくらいには針使いが上手だったりする。
皮製の鞄や手袋などを手作りする程度は造作も無いらしい。防具屋で買う方が丈夫だからあまり作らないそうだが、集落の外に出たばかりで金が無かった頃は服すら自作していたとか。レステファルテでは黒狼族は差別されているのもあり、店で売って貰えない場合も考え、身の周りのことは一通り出来るように育てられるらしい。とはいえ、人により得意不得意はあるようだが。
拾ってきた司祭の服を、丈が合うように調整していたシークを見た時は、あまりの似合わない光景にぞっとした。丈を合わせるだけでなく、青い布飾りを外し、金貨は鋳潰せば金になるし飾りにもなると言ってひっぺがしてもいた。
「砂漠に冬ってあるのか。いつも夏みたいな気がしてたな」
修太がグレイの答えに目を丸くして返すと、グレイは更に付け足した。
「セーセレティーで言うところの春はないが、夏と冬はある。冬場の方が気温が下がって過ごしやすくなるし、場所によっては氷が貼ることもある。だから凍死する危険もある」
ということは、前に墓場砂漠でサーシャリオンが竜の頭蓋骨の中を氷漬けにしたいと言い、砂漠で凍死なんて異常現象だと思ったが、そうでもないのか。
知らないことの方が多いから、グレイ達と話していると面白い。
「オジェ荒野の方が比較的寒くなる。ノコギリ山脈がある影響だな」
「へえ」
北が暑くて南が寒いのか。変な感じだ。
「さっすが師匠、物知り!」
「どこがだ。これくらいは集落でも教えられたはずだ」
「うぐ。覚えてなくてすみません」
がくっと肩を落とすシーク。
「大人が心構えを説いてる時、シークってすぐに寝ちゃってたから、覚えてないのは当然だよ」
「いいじゃん、トリトラが覚えてるんだから」
「自分で覚えろ」
「どうせ聞いてたって覚えられねえんだもん。それなら覚えられるトリトラに任せときゃいいじゃねーか」
トリトラに睨まれ、シークはぶうぶうと口を尖らせて反論している。
なるほど。シークは昔からこうやってトリトラを当てにしていたわけだな。ものすごく納得した。
「そういや、話変わるんだが。グレイ、リーリレーネがどこ行ったか知ってる? 風呂入ってる間にどっか行ったみたいなんだけど」
――ええ、知ってますよ!
窓を塞いでいる木の板を押しのけ、雪乙女が顔を出した。修太は眉を吊り上げ、ぴしゃっと言う。
「お前には聞いてない」
――そんな邪険にしなくてもいいじゃないですかぁ。お留守番してて暇なんですもん、お話しましょうよぉ~。
絡み方が面倒くさい。
「……で、どこに行ったって?」
――はい。一昨日に神殿を潰したじゃないですか。アレのせいで、昨日からこの国の騎士団や神官兵が樹海に攻めてきてるので、それのお相手に行かれてます。
「は!?」
―― 子分達に任せてるとうっかり殺してしまうので、主様が出張って、あらかた吹き飛ばして気絶させて回ってるんです。私もお手伝いしてるんですよ! 樹海の周囲を雪の壁で囲んで、越えてきた人間や灰狼族だけ叩き落としてるんです!
にこにこと微笑み、まるで今日は良い天気だなあというような朗らかさで語る雪乙女。
――〈赤〉のカラーズも出てきて面倒臭いですが、主様に敵うわけありません! ここは主様のテリトリーですもの。
「そんなことになってたのか……?」
――気付かなくて当然です、気付かないようにしていましたから。それにここまでやって来れる猛者もいませんし。
うふふと笑う雪乙女。
「でも、幾らリーリレーネでも、数の暴力には負けるんじゃ……」
――いえいえ、テリトリーさえ出なければ、ボスモンスターに有利ですから、そんなことは滅多とありませんよ。しかも主様はボスモンスターの中でも格が高い竜ですしね。
誇らしげに顎を反らし、更に続ける。
――多くのモンスターを押さえる為にボスモンスターが生まれるのですが、そのボスモンスターには相性の良い土地がオルファーレン様より与えられているのです。この森だってそうです。主様がいるから常冬なのではなく、常冬の森に主様が君臨されておいでなのです。
「ああ、そういう仕組みなのか」
確かに、ボスモンスターのいる場所は、そのモンスターが過ごしやすそうな環境ばかりだ。花の化身である森の主は緑溢れるクラ森、巨大な岩塩鳥であるポナやピリカは塔のような岩山の上に住み、羽ばたくのを邪魔するものは周りにはない。そして海で会ったシーガルドも能力を充分に発揮出来る場所にいる。分かりやすい答えだ。
「でも、それじゃあ啓介達が来た時にここまで入れないんじゃ……」
――クロイツェフ様がご一緒でしたら、何もしないで通しますよ。
それなら大丈夫なのだろうか。しかし……。
「サーシャの奴、いつ戻るんだろうな」
「心配?」
トリトラがちらりと青灰色の目をこちらに向けた。修太は頷き返す。
「白教徒の怖さは知ってる。フランが出奔してたのは、モンスターの呪いがばれたら身内に殺されるからだ。それにフランの仲間の騎士には、啓介が俺を庇ったのを見られてるし、〈黒〉擁護罪とやらが適用されると啓介も危ない」
懸念はそこだ。
トリトラは目を瞬く。
「それってあの強そうな女剣士のことだよね? 騎士って何の話?」
グレイやシークも修太を見た。視線にたじろぐ修太にグレイが問う。
「あの女がパスリル王国人なのは知っているが、騎士だったのか?」
「そうだよ。王国騎士団の何番目だかの団の副団長。剣聖フランジェスカって呼ばれてるらしい」
「剣聖!?」
トリトラがぎょっと声を漏らす。シークがきょとんとトリトラを見る。
「それって、この国で一番強い剣士って意味じゃないか! ちょっ、何でそんな奴と一緒にいるわけ!?」
「そうなのか!? ほんと何でだ!?」
シークもまた、目を丸くして問う。
「あいつが呪いを解く方法を探してて、それでその鍵が俺達の目的と被ったから一緒にいる。途中であいつがモンスターと取引して、呪いを解く情報を貰う代わりに俺達の護衛をする約束になったんだ」
「よく無事だったな、お前」
シークが感心して言うのに、苦笑を返す。
「いや、あんま無事じゃなかった。斬りかかられて、怪我したし……。殺されかけたけど、ちょうど夜になってな。あいつがポイズンキャットになったんで助かった。それで朝になったら気変わりしてて、監視って言われて一緒に行動する羽目になったかな」
斬られた右肩を何となく左手で押さえる。傷自体はかすり傷みたいなものだったから、もう痕も残っていない。
「あの女と仲が悪いのはそれでか?」
グレイの問いには首を傾げる。
「んー、それもあるかもな。流石に殺されかけて良い感情を抱けと言われても困る。まあ、あいつ大概性格がきついからな、それで合わないのもある。啓介との態度の差がすげえんだぜ。最初っから俺のことは呼び捨てのくせに、啓介のことは殿付けするんだから、ほんとムカつく」
思い出して腹立たしくなるが、それもすぐに治まる。
「ま、もう済んだ話だ。今は仲間だし、啓介に親切ならそれでいい。口も態度も悪い奴だが、約束を破る奴じゃないしな」
「ふーん。なんか大人な付き合い方してるんだね。すごいや」
「ほんとだよ。俺だったら嫌いな奴と一緒なんて無理だもんな」
トリトラやシークは口々に言う。
「仕方ねえだろ。最初は俺も嫌だったんだけど、森の主に説得されたんだよ」
――まあ! 聖なる森の主様とお知り合いなのですか?
喜色のにじんだ声を上げる雪乙女。
「闇堕ちしかけて眠ってたのを俺が起こして、啓介が浄化したっていう感じの知り合いかな」
――風の噂では絶世の美貌をお持ちらしいですよね。永久青空地帯一帯のモンスターを統べる、クロイツェフ様に次ぐ力をお持ちのモンスターでしてよ。お会い出来るなんてうらやましいですわ。
霊樹リヴァエルのふもとを住処としているのだ、位置的に考えれば確かにオルファーレンの側近レベルなのかもしれない。
「お前達の話を聞いていると、もしやモンスターというのは神の使いなのか?」
グレイの問いに、雪乙女は首を傾げる。
――ボスモンスターや断片を宿す者はそれに値するやもしれませんが、モンスターはこの世界を形作るのに不可欠な一つの部品に過ぎませぬ。この国がないがしろにする〈黒〉も、もてはやす〈白〉も、その他のカラーズも、人間も妖精も何もかも、全てがどれも必要で、どれが欠けても不都合が出るのです。我々モンスターはそれを人間達より知っているというだけのことですわ。
そこまで言って、雪乙女は不愉快そうに眉を上げた。
――ほんっとうにこの国の人間達ときたら、〈黒〉を滅ぼすなんて愚かなことを! 可哀想なわたくし達の灯! レーナだって生きていたら怒ってますわよ。リィンを馬鹿にするなんて、ちょっと出て来い、天罰を下してやるなんて言い出しそうなものですわ。ああ、懐かしい。リィン、会いたい。レーナはいらないから、リィンだけ会いたい。
ぶつぶつ呟いて、危ない目付きでうふふふと笑いだす雪乙女。修太は悪寒を覚えて身を震わした。
「レーナって、聖女レーナ? 白教で崇められてる」
興味津々の様子でトリトラが身を乗り出す。
――ええ、そうですわ。レーナはオルファーレン様に選ばれた者で、各地の毒素溜まりを浄化して回っていましたの。
窓辺に両腕を乗せ、雪乙女は懐かしそうに目を細める。
――五百年前、人間達が戦争ばっかりするせいで、各地に毒素溜まりが出来てしまい、それを減らす為にモンスターが大量に生み出されたことがありました。それでも毒素が減らなくて、レーナがその役目に選ばれたのですわ。
雪乙女は、毒素についての説明と、〈黒〉と〈白〉とモンスターの関係性をさらりと説明し、更に続ける。
――レーナの弟のリィンは〈黒〉で、レーナと協力して各地を旅して回ってましたの。ここにも来ましたわ。シューターくらいの年頃で、大人しくって可愛らしい子だった上、強い力を持つ反動のせいか魔力欠乏症を患っておりましたから、レーナは心配もあってか溺愛してましたわね。
ああ、なるほど。こいつ、子ども好きなわけか。
やたら自分のことを危ない目で見てくると思ったら、そういうことなのかと修太は嫌々ながらに納得した。
修太の生ぬるい目には気付かず、雪乙女は続ける。
――旅が終わって、レーナはこの国の人達にもてはやされましたわ。救世主様、聖女様っていう風に。リィンは肩身が狭かったようで、一人で都を抜けだして、ここで暮らしたいと頼ってきたのです。――だというのに!
そこで雪乙女はカッと目を見開き、どんと窓枠を叩いた。
――レーナときたら、可愛い弟を誰がモンスターの婿になどくれてやるかと奪い返しにきたのですわ! ほんっと小憎たらしい小娘! リィンが自分から来たのに! 今思い出しても腹立たしいっ。
「うわぁ、なんだこの愛憎劇……」
シークのげんなりした呟きが室内に落ちる。全員の目が生ぬるいものになっていた。
――レーナはもてはやしてくる人々に嫌気がさしていたらしく、リィンを連れて、そのまま人の少ない土地に移り住み、表舞台から姿を消しました。ですが、それを聖都……今のこの国の王都なのですが、そこの人間達は、聖女自ら去ったのに、リィンがレーナをさらったと言っていたそうです。それのせいで、白教が白熱するに従い、〈黒〉は悪魔扱いされるようになったのです。モンスターの仲間というのは、後からついたお話ですのよ。
「あんまり知りたくなかったな、その変な愛憎劇……」
修太がげんなりと呟くのに、グレイも同意する。
「〈黒〉差別の根幹が、弟好きな姉の暴走だなどと、死んでいった〈黒〉は死んでも死にきれぬだろうな」
確かに。
修太もそんな理由のせいで死ぬ目にあったのかと思うとやる瀬なくてたまらない。
――その後で一度だけレーナが訪ねてきましたけど、リィンは一緒ではありませんでした。あの子はあまり長生き出来なかったようですわ。元々身体が弱かったようでしたし……。
しょんぼりと肩を落とし、雪乙女は溜息を吐く。
――あなたはあまり無茶し過ぎないようにして下さいね。カラーズにとって、魔力は生命力なのだということを決して忘れないように。
「う。分かっちゃいるけど、使い方がよく分からないし、魔力とかいうのもよく分からん」
情に訴えかけられると弱ってしまう。しかし生返事を返すのも悪いから、正直に言った。
――そういうのが一番厄介なのですよね。一度、人間の〈黒〉に師事された方がいいですよ?
レステファルテ国でリコに会い、モンスターの鎮め方は教わったが、調整については誰からも聞いたことはない。
「うーん。だいたい、俺、〈黒〉なんて一人しか会ったことねえしなあ。それもたまたまだしな」
――それは困りましたね。〈黒〉や〈白〉は元々生まれにくいですし……。
「しかも白教徒を怖がって隠れて生きてる奴ばっかって聞くもんな」
「レステファルテで船で雇われてる人か奴隷以外はほとんど見ないもんねえ」
シークやトリトラも口々に言う。
修太も難しい顔をしていると、ふいに雪乙女が眉を寄せた。
――あら嫌だ。壁を越えた者がいますわ。ちょっと撃退して参りますわね。窪地からはくれぐれも出ないで下さい。
そう注意して、木板を窓に立て掛け直すと、雪乙女は家から離れていった。
「ったく、サーシャ達、とっとと来ねえかな……」
不穏な状況が落ち着かない。
結局、サーシャリオンが〈氷雪の樹海〉に現れたのは、翌日の昼過ぎのことだった。