第二話 魔力欠乏症 1
気付くと、森を抜けた所に広がっている草原の入口に修太達は立っていた。
木の葉の旋風によるテレポート(?)は二度目であるが、狐に化かされたようで不思議な心地だ。
「ここが森の外か……」
森を振り返る。中にいると鬱蒼とした薄暗い森なのだが、森の外から見ると穏やかな日差しを受けて長閑そうな森に見える。
「シュウ、あれ見ろよ! なんだろうな、あれ。木かな?」
やや興奮気味に森の上空を指差す啓介。修太は言われるままにそこを見た。
「…………」
無言のまま、目を見開き、ぽかんと口を開ける。
青い空に溶け込むようにして、灰色の幹と白い葉が輝く大樹が上半分だけ浮かびあがっている。
よく見てみると、森の上空だけ雲が一つもない。そこだけ雲が避けているみたいだ。
「あれは霊樹リヴァエルだ。あそこには、エレイスガイアを創造せし神が住むという伝説がある。……まあ、お前達の話を聞く限り、本当のことだったようだがな」
フランジェスカがやや呆れたように言う。
修太は少し戸惑った。霊樹リヴァエルというのは、あの白い花畑に生えていた木の名だったはずだ。だが、あそこにあった木はあそこまででかくはなかった。それに花畑も、巨大な岩窟も見えない。
修太の戸惑いには気付かず、フランジェスカは呆れ気味に続ける。
「やけに無知で妙なガキだと思えば、まさか異界の民とは。カラーズの常識を知らないのも頷けるというものだ」
修太は青空に浮かびあがる大樹から目を反らし、フランジェスカに据える。
「なんだ、余計に嫌いになったか? 違う世界の人間なんて不気味だ、悪魔だとか言うんじゃねえだろうな」
やや不審気味に問う。だが、誰も修太を責められないと思う。フランジェスカとの出会いが出会いだ。
フランジェスカは口を閉ざした。無愛想な顔が思案するような色を帯び、やがて少しためらう素振りを見せて何か言いかける。修太と啓介が首を傾げてその様を見守っていると、ややあってフランジェスカは意を決したように口を開いた。
「私は、モンスターが嫌いだ。幼い頃、行商の帰りにモンスターに襲われ、目の前で母を喰われた。この頬の傷もその時のものだし、背中にも酷い傷跡がある」
「え……」
「なっ……」
修太と啓介は唖然と呟いて、フランジェスカを見つめる。感情は見えず淡々とした口ぶりであるが、それが逆に辛い過去を思わせた。
「こんな傷だらけの女とは、誰も結婚したがらないだろう」
僅かに目を伏せて言葉を紡いだ後、その藍の目に強い光が浮かべる。どこか誇らしげに、腰に提げた長剣に右手を添える。
「だから、私は生きていく為に騎士を志した。鍛冶屋を営んでいる父の剣で、国を守ると決めた」
そう語ると、小さく息を吐く。
「私はモンスターが嫌いだし、憎んでいる。それは、とてもではないが、森の主様の慈悲でも消すことは不可能だ。だが、モンスターの同族だと思っていた〈黒〉は、鎮静の力を持つだけで違うのだと知った。モンスターを好きになることは出来ないが、〈黒〉のことは嫌わないように努力しようと思う。それに、私は異界の人間だろうと気にしない。ただ、変わっていると思うだけだ」
きっぱりと告げられ、修太は苦い顔をする。余計なことを言ったと謝ろうと口を開きかけた時、フランジェスカが更に付け足す。にやりとあくどい笑みとともに。
「私はお前のことは〈黒〉だからではなく、ただ単に嫌いなだけだ。安心するといい」
……どこが安心出来るんだ?
修太はひくりと頬を引きつらせる。そしてそれを無理矢理おさめ、負けじと挑発的に唇を軽く吊り上げる。
「ああ。俺も、お前なんか好きじゃないから安心しろ。通り魔騎士」
悪態も織り交ぜてやれば、今度はフランジェスカの顔が引きつる。
「ふふふ……」
「ははは……」
二人は不気味に笑いながら睨みあう。
それを見た啓介は、何を思ったかにこやかに微笑む。
「二人とも、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
「仲良くない!」
「仲良くねえ!」
声を揃えて啓介を睨むと、啓介は視線に気圧されたように一歩下がる。
「そ、そんなに怒らなくてもいいじゃないか……」
少ししゅんとしたように肩をすくめる啓介。顔が良いせいだろうか、とても憐れみを誘う姿だ。修太にはともかく、フランジェスカには効いた。
「うっ、すまないケースケ殿」
「いや、いいよ。フランなんとかさん」
「……フランジェスカ・セディン、だ」
むっつりと返すフランジェスカ。いつまでも名前呼びを引っ張るのが気に食わなかったらしい。
修太と啓介は顔を見合わせる。
「でもなあ、フランジェスカさんって呼びにくいんだよな。俺らには難しい発音だ」
「もうフランでよくねえか? どうせ言えないし、セディンも言いにくい」
啓介が首をすくめて言うのに、修太も同調する。
「分かった。もう、それでいい……」
フランジェスカはやや疲れたように額に手を当てて呟き、短く縮めて名を呼ぶことを許した。そんなフランジェスカに、修太は僅かに身を乗り出す。共に旅をするに当たり、自分も名前の呼び方を正しておかなくてはいけない。クロだなんて野良猫みたいな呼び方をされる気は毛頭ないのだ。
「あと、俺もクロじゃなくて、塚原修太だ。塚原か修太のどっちかで呼んでくれ」
フランジェスカは少し眉を寄せ、呟く。
「ツカ……? シューター? ……むう。シューターと呼ぼう」
「いや、シューターじゃなくて、修太。“た”で止める」
「シューター」
「シュウタ」
「……シューター?」
「シュ、ウ、タ、だって!」
「ええい! うるさいわ! 貴様などシューターで十分だ!」
なかなか発音出来ないのに焦れ、フランジェスカは怒鳴り捨てる。
修太はちっと舌打ちするも、自分達もフランジェスカの名を発音出来ないのでお互い様だと思い、渋々頷く。
「ったく、仕方ねえな。それでいいよ」
そこへ啓介も参戦する。
「フランさん、俺のこともケイで良いよ。啓介だと呼びにくそうだし。あの団長さんはハルミヤの方が呼びやすいって言ってたけど……、春宮は苗字だからさ。一緒に旅するんだから名前が良いな」
素直に希望を述べる啓介はにこやかで親しみに溢れている。啓介がモテるのは、顔以上にこの親しみやすさからくるのだと修太は知っていた。顔がどれだけ良くても、無愛想では怖くて近寄れないだろう。いや、そこが良いという物好きな女子ももしかしたらいるかもしれないが。女子の考え方は男である修太には理解不能なところがあるから。
「では、そう呼ばせて貰う。確かにケイの方が呼びやすい。よろしくな、ケイ殿」
啓介に好意的に言い、僅かに藍の目を緩ませるフランジェスカ。修太に負けず劣らずの無愛想な面立ちの女なので、そういう顔もするのかと修太は驚いた。そう思う修太は、啓介が相手だと、自分もたまに自然な笑みを浮かべていることなど気付いていない。
「おい、俺にはないのか?」
「ふん。お前はむしろよろしくされる側だろうが。フランジェスカ様お願いしますとでも言え」
「ほんっとムカつくよな、お前。何その上から目線」
修太の悪態など無視し、フランジェスカは首の下にずらしていた口布を指で引き上げ、フードを被る。森の外に広がる草原を見る。
つられて草原を見た修太は、ときどきポツポツと花が咲いている短い丈の草が延々と続くという光景に目を細める。こんな、地平線いっぱいに草原が広がるような景色は、どこにいても遠くに山が見える日本には存在しない。だからようやく遠い異国の地に来たのだという実感がした。地球と同じで太陽は一つらしい。その太陽はまだ真上にあり、温かな日差しを降り注いでいる。気温も温かいので、季節的には春くらいだろうか。
「クラ森を出れば、パスリル王国領土だ。シューター、お前もフードを被っておけ。もし王国民に出くわしたら、後天性無色で通せ。こっちで適当に芝居を打つから、合わせろ」
「無視か、てめえ。まあいいけど、あんたこそ、そのマント着るのやめた方がいいんじゃないか? あの団長も同じ紋章のついた服を着てた。ってことは騎士団の紋章か国の紋章か何かなんだろ?」
後天性無色というのは、生まれた後に病気か何かで盲目になった人間という意味だろう。修太はすぐに見当をつけて確かに良い案だと思った。目が見えないのであれば、目の色を問われることもないはずだ。
ポンチョのフードをたぐり寄せて目深に被りつつ修太が付け足した言葉に、フランジェスカは複雑そうにマントを見下ろす。
「……そうだな。〈黒〉と行動を共にするのなら、これでは目立つ。それに、もしばれた時に〈黒〉擁護罪で私の首が飛ぶ」
どこまで怖いんだよ、この国。
あまりに酷すぎて苦笑しか出てこない。
「なあフランさん、ノコギリ山脈ってあそこに薄らと見える山のこと?」
啓介は、遠くを指差し、フランジェスカを振り返る。
草原のずっと奥、赤い葉をした木が群生している森の向こうに、地平に霞むようにして灰色の山脈が見える。まるでノコギリの刃のようにデコボコしていて、山頂はそれぞれ尖っている。横に長い山だ。
「ああ、その通りだケイ殿。王国の北東にそびえる大山脈だ。あそこのどこに目的地があるのか、私は知らんがな。だが、銅の森から向こうはエルフの住む村がある以外は人間は住んでいないから、好都合だ。山を越えれば隣国レステファルテだしな」
フランジェスカの話を聞きながら、目的地を探すのは途方も無いことではないかと修太は今からぞっとする。
けれど、能天気な啓介は特に心配した様子もなく言う。
「じゃあ、そのエルフの村で塔について聞けばいいか」
「人嫌いなエルフだ、教えてくれるかは分からぬがな。話を聞こうにも、すでにここまで送って貰った後だ。ユーサ団長に見つかる前にここを出なくてはならぬから、時間も無い。詳しい話は歩きながらするぞ」
草原に向かって歩き出すフランジェスカの後ろを、修太と啓介の二人は追うようにして歩きだした。