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断片の使徒  作者: 草野 瀬津璃
パスリル王国編
105/340

 2




 ――では、行くか


 修太達が朝食を終えた頃、外でリーリレーネが呟くのが聞こえた。


「どっか行くのか?」


 氷の家の戸口から修太が顔を出して問うと、リーリレーネは首肯した。


 ――樹海のふもとにな


「ふもと?」


 何か用事があるのだろうかと修太が首を傾げていると、焚火の傍に座したままでトリトラがそっと口を出した。


「シューター、昨日のこと思い出しなよ。朝になったら神殿を滅ぼす宣言してたでしょ」


 ――その者の言う通りだ。早速潰してくる。君達はここにいなさい


「ちょ……っと待て!」


 看過出来ずに家を出て、リーリレーネの傍まで駆ける。コウも後ろからついてきた。


「あれ、本気だったのか? 脅しじゃなく?」


 ――我は嘘は言わない


「うっ。じゃあ、ええと、殺すのか……?」


 ――警告はした。まだいるようならそうなるな


 しれっと返すリーリレーネ。人間の生死については心底どうでも良さそうだ。モンスターとしての冷酷さが垣間見え、修太はややたじろいだが、尚も言い募る。


「なあ、やめろよ。そりゃ俺も白教徒はおっかないから好きじゃないけどさ、それでも無差別に殺すのはどうかと思うぞ?」


 リーリレーネはふっと空気を揺らして笑う。


 ――おかしなことを言う。彼奴(きやつ)らが生贄と称して殺したのは、無意味そのものだろう?


 言われてみると確かにそうだ。

 修太は考える。それでも、やっぱり大勢が死にそうな事態は嫌だと思ったから、出来るだけ犠牲が減らせないかに思考を巡らせた。


「あいつらはあいつらだろ。あんたまでそんなことしたら同類じゃねえか。そこんとこ、モンスターには誇りってもんはねえわけ?」


 リーリレーネがむすっとした空気を放つ。巨体と貫録から威圧感がひどくて身をすくませるものの、修太とて引く気はないので続ける。


「それに、人が死ぬと、それだけ怒りや恐怖や悲しみの感情がまき散らされる。毒素(クイス)が増えるのは良いことじゃない。エレイスガイアが滅びかけてたり、オルファーレンが消えそうになってるの、知ってるんだろ?」


 あの白い花畑で、消えたり現れたりを繰り返していた少女の姿を思い出す。まるで幽霊のようなあの姿。あれは滅びかける世界そのものを示していたに違いない。


 修太からすれば、世界が滅びるなんていうのはスケールが大きすぎて考えもつかないが、あの少女が消えることだと思うと、修太や啓介が手助けする程度で消えなくて済むのなら、助けてやりたいような気もした。エレイスガイアに来て特殊な力を持ったが、修太は子どもの姿になった上、自分の身一つ守れない。でも手が届く範囲なら助けられる人間でいたい。だから、オルファーレンから封印の本を託された啓介を修太はフォローするのだ。啓介は幼馴染で人間だから、修太の手でも助けられる。世界なんてものは啓介に任せておけばいい。

 修太の言葉を聞いて、リーリレーネは青の目を見開き、動揺の滲んだ声で問う。


 ――オルファーレン様が消えかけている? それは真か?


 知っているのかと思ったが、知らなかったらしい。そういえばサーシャリオンは修太のことを預けて拠点にするという話しかしていなかった。


「ああ。俺と啓介は直に会ったから、確かだよ。オルファーレンを助ける為に、オルファーレンがエレイスガイア中に散りばめた断片を集めて旅してるんだ」


 ――そうであったか。我が寝ている間に、そんなに大きく事が動くとは……


「なあ、頼むから抑えてくれよ。別に潰すなとは言わない。死人を出さないでくれと言ってるだけだ。ただでさえバランスが崩れてきてるらしいのに、これで悪化されちゃ迷惑だ」


 修太はきっぱりと言って、リーリレーネの青い目をじっと見つめる。

 三十秒程見つめ合ったところで、リーリレーネは大きく息を吐いた。


 ――分かった。死人は出さぬ。……まったく、弱いのだか強いのだか分からぬ奴だ


 修太は表情をやや明るくする。


 ――しかし、君のそれは使命感か? やけに肩入れをする


「異界に迷い込んだ挙句、その世界が滅びかけてるなんて最悪だろ? まあ、俺は啓介のフォローをしてるだけで、大したことはしてない」


 修太の返事に、修太を追って氷の家から出てきていた黒狼族達がぎょっと声を上げる。


「え!? なにそれ、異界? 違う世界なんてあるの?」


 前に見た、ピアスと同じ反応を見せるトリトラ。信じられないというように、リーリレーネと修太を見比べている。


「うわー、嘘のにおいしないんだけど」


 対するシークはどん引きしている。そしてすぐ後ろにいるグレイを見て、その白い眉を寄せる。


「師匠は驚いてないみたいですね……」

「俺はレステファルテですでに聞いていた」

「そうなんですか……。しっかし、チビは変な奴だとは思ってたけど、まさか異界の人間なんてなあ。変なだけはある」


 うんうんと頷くシークを修太は睨む。


「うるせえぞ、シーク。妙な納得の仕方すんな」


 誰が変だって? それは啓介だけだろ!


 ――ケースケとやらがどんな奴かは知らぬが。まあ、いい。分かった。とにかく、我は神殿を潰しに行く。ふもとにあんなものがあるというだけで不愉快でならぬ。雪乙女、留守を頼んだぞ


 ――御意に


 恭しく頭を下げる雪乙女を尻目に、のしのしと窪地を出て南へと歩き出すリーリレーネ。その後に、修太もついていく。寝ぼけて食べようとしてくるような奴なので、いまいち信用に欠けるから見届けようと思った。それに続いてコウも雪の上を駆けてくる。

 修太とコウがついてくるのに気付いたリーリレーネは、怪訝そうに振り返る。


 ――ここにいろと言っただろう


「遠目から見てるだけ!」


 ――仕方ない子どもだな。三人とも、注意してやれ。怪しい者は手下どもが追い払っているからここいらは安全だが、ふもとは別だ


「……ああ」

「了解」

「おう、任せとけ!」


 グレイ、トリトラ、シークは三者三様の返事をし、のしのし歩くリーリレーネを追う修太の後ろに並んだ。トリトラやシークは少し楽しげに、グレイはどこか仕方なさそうな雰囲気で。


 ――主様、何かありましたらお呼び下されば駆けつけますので


 雪乙女が窪地の中からリーリレーネに言うのに、リーリレーネは尾を振って返した。


      *


 神竜がふもとへ歩いてくるという報を受け、〈氷雪の樹海〉のふもと、白教の分殿の一つであるスノウホワイト神殿は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。

 昨晩、神官兵から報告は受けていたが、まともに取り合っていなかったせいだ。

 本気だったのだと知り、慌てて兵達を集め、スノウホワイト神殿の一番の責任者である司祭は従者とともに外へ飛び出した。

 森への道へ出迎えるように並び、司祭は恭しく頭を下げる。


「これはこれは、神竜様。下界へ何用でございますか?」


 慇懃に問う司祭を、白い鱗が美しい青目の竜はぎろりと睨んだ。


 ――我を神竜と呼ぶな。恐れ多いからやめよと昨日言ったはずだがな、もう忘れたか?


「で、ですが、我らは神と思うておりまする」


 ――神? 我はただのモンスターに過ぎぬ。この樹海を統べる王であるというだけのこと。十年寝ている間に、おかしな見識になったのだな、ここの人間どもは


 リーリレーネはうなるように言い、喉の奥で笑った。


 ――君達が嫌いなモンスターであるが、我は樹海さえ荒らされなければ何もせぬ。ずっとそうして周りのモンスターを従えてきた。狂うた者は除いて、な


 ふんと鼻で息をして、リーリレーネは不機嫌に続ける。


 ――ところが、我が起きたら、生贄などをしているではないか。我はあのような汚らわしいものはいらぬ。よくも我が領域を侵すような真似をしてくれたものだ! 弁明は聞かぬ。即刻、ここより立ち去れ! 神殿など目障りだ!


 低い声で叩きつけるように怒鳴るや、リーリレーネは口から大きく息を吐いた。

 冷たい風により、司祭や三人の従者、神官兵の一部が吹っ飛ばされる。


「ひぃっ」

「司祭様!」


 背から雪の積もる地面に倒れる司祭を、近くにいた神官兵が慌てて起こす。


「くっ。聞いたな、皆の者! この化け物は、神ではなくモンスターだそうだ! 聖女レーナ様の御名の下、即刻退治せよ! でなければ被害はすぐ側の町にも向かうだろう!」


 司祭の号令に、その場に集まっていた百名程の神官兵達は返事をしてそれぞれ槍を構える。三割程は覚悟を決めて勇ましくあろうとしているが、残りはリーリレーネの巨体と思いがけない事態にうろたえている。


「かかれぇ!」


 隊長の指示とともに、二十名程が果敢にも武器を携え飛びかかる。

 リーリレーネは面倒臭そうに息を一吹きする。


「わああ!」

「ぎゃあ!」


 風に吹き散らされる木の葉のように、風であっさり飛ばされる兵士達。それぞれ背から地面に激突し、気を失って倒れる。


 ――余計な真似をするな。町になんぞ手出しはせぬ。四半鐘だけ待ってやるから、とっとと失せろ


 きろり。亀裂の入った青の瞳孔で睥睨され、兵士達は竦み上がる。

 なかなか動かないのを見て、リーリレーネはまた息を吐いた。

 建物の一画が、息の一吹きで氷漬けになる。


 ――小さき者ども、ああなりたいというのなら、喜んで氷漬けにしてやろう


 口端を持ち上げ、笑うような仕草をするリーリレーネ。その醜悪な笑みを見て、兵士達のうち数名が腰を抜かしてへたりこむ。二階建ての家程の大きさをした、白い鱗の竜は天災級のモンスターであり、百人でかかったとしても討ちとれないような化け物なのだ。

 周囲に冷気を纏わりつかせ、冷やかに睨み下ろされてはひとたまりもない。


「何故、何故こんな……! 何故……!」


 神と祀ってきた相手に、不興だとされ追い払われる羽目になった司祭は、現実を認められなくて狂ったように叫びだす。


「司祭様、落ち着かれて下さい!」

「致し方ありませぬ。逃げましょう」


 従者が取り成すも、耳を貸さない。


「駄目だ! 悪魔のいいようにはさせぬっ!」

「司祭様!」


 両脇を押さえる従者達の手を振り払おうと、司祭は滅茶苦茶に暴れるが、力づくでその場を離脱させられた。


 ――ふん。うるさい奴が消えたな。貴様らも行け。鬱陶しい


 本気で煩わしげに、リーリレーネは一呼吸で残りの兵を吹き飛ばす。ぎゃあと悲鳴を上げて吹っ飛ばされた兵士達は、地面に倒れるや、気絶した同胞を連れ、脱兎のごとく逃げ出した。


 ――友愛があるのはまだマシか。やれやれ


 カラーズが応戦するまでもなく、あっという間に戦意を消失させたリーリレーネはその場で丸くなり、時間になるまで待つことにしたのだった。



       *



「なあ、ちょっと……、いや、かなりやりすぎじゃねえ?」



 ――何がだ? 逃げる時間は与えたし、約束を守って死人は出していないであろう?


 呑気に返すリーリレーネの足元で、また一つ瓦礫が砕けた。ガラスの割れる小さな音も聞こえる。

 大人の頭くらいの大きさの白い石が周囲の地面一帯に転がり、そこにガラス片や青い瓦が散乱し、木片や布などがところどころに突き出している。そして、そのどれもが凍りついているせいで、風が吹くとぞっとするような寒さに見舞われた。


 この残骸は、ほんの一時間程前までは白教の神殿だった建物のなれの果てである。

 今、修太達がいるのは、サーシャリオンが影の道で出した到着地点だ。最初から見ていなかったら分からなかっただろう。

 出来るだけ温和に済ませようと頑張って、この有り様だ。修太が事前に説得していなかったら、リーリレーネは神殿ごと彼らを容赦なく殺していた気がする。


(やっぱ、モンスターと人じゃ、感覚が違うのかな……)


 修太は遠目から見ていて冷や冷やしたし、この光景が胸に痛ましかったが、崩した建物を踏みつけて地ならしするリーリレーネは、まるで積み木を崩して喜ぶ幼児のように楽しそうだ。

 そして、その後ろをカルガモの雛のようについて回っているシークも楽しそうである。


「うっはー、随分見晴らし良くなったな! おっ、斧見っけ! 薪作るのに良いから貰っていこう」


 残骸の上を興味津津で歩き回るシークは、火事場泥棒まがいなことをしている。

 それを呆れ顔で見ながら、修太は自分の反応の方がまともなはずだと自身に言い聞かせた。


「シューター、危ないからあれの真似はするな。瓦礫が崩れたらことだ」


 グレイがぼそりと注意するのに、修太は苦い顔をする。


「それ、俺に言う前にあっちに言うべきだと思うぞ」


 修太は勿論、残骸から離れた地面の上にいる。グレイやトリトラもだ。


「あと、これとこれとこれも! うししし、どーよ、トリトラ!」


 戻ってきたシークは、拾い集めてきた物をトリトラの前に置いて、自慢げに胸を反らした。どこから来た自信かは分からないが、褒められると思ったようだ。が、トリトラの返事は冷たかった。


「馬鹿じゃないの」


 完全に可哀想なものを見る目をしたトリトラの言葉に、シークは眉を吊り上げる。


「何でだよっ!」

「瓦礫が崩れたらとか、足滑らせて転倒したらガラス片で怪我するとか、そういうの考えない辺りが馬鹿だよ」


 トリトラの言葉は到って正論だ。残った三人はそれを気にしたからここにいるわけである。シークが考え無しなのだ。


「ああやって歩き回るのが面白そうだっただけだろ! ってか、気付いてたんなら言えよ!」

「気付いてなかったの? うわあ、心底馬鹿だ……」

「その哀れむような目をやめろ!」


 シークの蹴りが飛び、それをトリトラは一歩横にずれてかわす。むきになったシークが更に蹴りを放ち、喧嘩に発展した。どこの格闘戦だという激闘の横で、グレイは到って落ち着いた様子で、しゃがみこんでシークの集めた荷を検分し始める。呆れていた修太も、二人は置いておいて、そっちを見た。


「斧、毛布、これはカーテンか? こっちは何だ……?」


 白い布を両手でつまみ、広げるグレイ。それらは、詰襟の白い上下と、肩からストールのような青い布飾りがついた、袖がたっぷりした白の貫頭衣だった。貫頭衣は胸元に葉のついた小枝のような刺繍がされる他は、足首にまで達しそうな長さをしていて歩きにくそうだ。そして、青い布飾りは、裾部分に二本の太い銀糸をねじった紐飾りがずらりとついていて、更に左右に三枚ずつ、女性像が彫られた金貨が縫い付けられている。裏を引っくり返すとセーラー服のようになっていて、中心だけ三角に突き出し、同じく裾には銀糸の飾りが付いている。


「神官が着てる服に似てるな?」


 修太は首をひねった。

 今まで見た神官の服は、詰襟の白の上下に、ポンチョみたいな飾りが付いているものが多い気がした。だが、どれもこれも大仰でごてごてしいのは共通だ。肩や襟やボタンなど、ところどころに青みがかった金属や銀での装飾がされているせいだ。


「さっき司祭と呼ばれていた男が身に着けていた服に似ているな。他の奴には、この青い布飾りはついてなかった」

「俺、神官はどれも同じに見えるんだけど……。でもすごいな、あの距離から見えたのか?」


 修太には米粒のようにしか見えない距離だった。会話も何か話してるなあというのが見える程度で、リーリレーネの声しか聞こえなかった。


「あれくらいの距離なら、人間でも見える距離だがな?」

「そうなのか」


 意外な事実に驚く。

 修太は視力は眼鏡を必要としない程度には良い方なのだが、ここの人間はもっと目が良いらしい。日本より過酷な生活環境にある分、身体能力も勝るのかもしれない。フランジェスカやピアスなら見聞き出来る距離だったのだろうか。


「ええっ、司祭の服なら使えないな。何かあった時の変装に良いかと思ったんすけど」


 ひとしきり暴れてすっきり顔のシークが、やや残念そうに言った。


「ああ、ちゃんと考えてはいるんだね? それは良かった。まだ救いようがあるよ」

「うるせーぞ、トリトラ。褒めてるようでけなしてるのくらい分かってんだからな」


 じろっと睨んで突っ込むシークに、トリトラはにやりと返した。

 グレイはさらりと無視し、シークに言う。


「無いよりはマシだろう。この青い飾りを取れば使えそうではある。シーク、念の為、お前が持っておけ」

「分かりました、師匠」


 シークは腰のポシェットに手を差し込んで、荷を保存袋に仕舞いこんだ。眼前から斧とカーテンと毛布と神官服が消える。


 ――よしよし、これくらいでいいだろう、すっきりした。さぁ、ねぐらに帰ろう。


 のしのし歩き回っていたリーリレーネは、ひどく満足げに頷いて、修太達を振り返る。修太達は頷き返した。

 ふと視界を白い物がちらついて、修太は顔を上げる。リーリレーネの機嫌の良さにつられるかのように、重く垂れこめた灰色の雲からは雪が降り始めていた。

 寂しげな廃墟が、徐々に白に霞んでいく。明日にもなれば、瓦礫は雪下に埋もれるのだろう。


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