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断片の使徒  作者: 草野 瀬津璃
パスリル王国編
101/340

 7



 ピアスは大変焦っていた。

 冷や汗は止まらないし、目眩を起こしそうなくらいだが、表面上は平静を装う。ここで不審に思われてはいけない。


「具合が悪いだなんて、様子を見させて頂けませんか?」

「いえっ、寝ていれば大丈夫だそうなので、放っていてあげて下さい」


 それはもう是非、放っておいて。

 台車で食事を運んできた女性神官が、寝室に閉じこもるフランジェスカの話を聞いて、心の底から心配そうに言うのに、良心の呵責で胸をズキズキ痛めながら、ピアスは必死に断った。


 日が落ちてフランジェスカがポイズンキャットの姿に変わってしまい、ピアスはフランジェスカをクローゼットに隠した。だからここで寝室に入られると、誰もいないのがばれて困るのだ。


 まさか、フランジェスカがパスリル王国一番の剣士で、剣聖の名を持つ程の女性騎士だったとは。モンスター化する前にフランジェスカから事情を聞いたピアスは、口をあんぐり開ける程に驚いた。


 それはセーセレティーの民であるピアスには当然のことだ。大陸一の領土を誇る大国・パスリル王国の民は、セーセレティーの民を邪教徒扱いしているし、過激な白教徒から危害を加えられる話もたまに聞く。とはいえ、間にパスリル王国と敵対しているレステファルテ国があるから、ときどき耳にする程度だ。


 セーセレティーの民は、他の民に寛容だ。

 飢える者は滅多といない上、住まいがなくても過ごせるような、豊かな実り溢れる熱帯雨林という国柄であることと、東南のレステファルテ国との間には双子山脈があり、北東に位置するミストレイン王国との間には水底(みなそこ)森林地帯が広がり、西には鉄の森や手つかずの大地があるという、天然の要塞であり、今まで外敵にさらされたことがほとんど無い上、戦争の経験がないせいだ。


 祖霊祭祀と、恵みをくれる精霊への感謝を忘れず、穏やかに日々を過ごす者がほとんどで、争いごとがあるとすれば、たまに王家が内乱状態になり、それに巻き込まれて治安が悪くなる程度。それも一時的のことで、すぐに解決する場合が多い。


 だから、ノコギリ山脈を隔てた大陸南部で、パスリル王国が聖戦と称して戦争を繰り返しているのも、遠い地での出来事であり他人事で、白教徒にさえ気を付けていれば良かったのだ。まさかその本拠地の国に来るなんて想定外もいいところだった。


 ピアスが驚いたのは、国一を誇る騎士であるフランジェスカが、ピアスを敵視せず、黒い尾を持ち黒衣を纏う黒狼族のグレイを悪魔呼ばわりせず、しかも〈黒〉を護衛している事実である。差別感がほとんどない白教徒がいるのかという驚きだ。


 だが、修太や啓介と会った経緯と、共に旅している理由を聞いて、なるほどと思った。モンスター化の呪いは、熱心な信徒の思考を根本から覆すに値する程の出来事だったのだろう。

 フランジェスカが修太と仲が悪く、よく口喧嘩をしているのは〈黒〉嫌いのせいかと思ったが、単に性格が合わないのだという子どもじみた理由だったのが笑ってしまった。

 回想しながら冷や汗を滲ませるピアスに、女性神官は食い下がる。


「そんな訳には参りません。大事なお客様に何かあっては、私がお叱りを受けてしまいます。せめて症状だけでも―――」

「ちょ、待……っ!」


 女性神官がピアスのガードを突破して奥に向かうのに、ピアスは真っ青になる。


(あ、あ、どうしよう……!)


 叫びたい衝動を押さえこみ、とにかく引きとめようと女性神官の腕に飛びつこうとした瞬間、ノックの音が響いた。

 女性神官は足を止め、扉の方に向かう。


「はい。……あら、ケイ様。いかがなさいました?」


 啓介が頬を指でかきながら、困ったように微笑んで立っていた。素晴らしいタイミングでの登場に、ピアスには啓介が神様に見えた。

 ピアスの目からは啓介はそれほど格好良い人には見えないのだが、今、この瞬間は輝いて見えた。

 啓介の後ろには、白い法衣を着た男性神官が立っている。何か言いたげだ。


「夕飯を一人で摂るのは寂しいから、ピアス達と一緒したいんだけど、いいかな?」

「もちろん良いわ。でも、フランジェスカさん、もう寝てるから……」

「じゃあ、俺の部屋の方に用意して貰うよ。いいですよね?」


 啓介は後ろを振り返り、男性神官に畳みかけるように笑いかける。ぴしっと固まった男性神官は、恐れ多いとばかりに礼をする。


「もちろんでございます! ルーシャ、手伝って下さい」

「かしこまりました、トリストラム様。それではケイ様、ピアス様、あちらのお部屋にお食事の御用意を致しますね。フランジェスカ様の容態は、後程伺いますので」


 ルーシャはお辞儀をし、台車を押して部屋を出ていく。

 扉が閉まると、ピアスは啓介に飛び付いた。右手を掴んで、ぶんぶん振り回す。


「ありがとう、ケイ! グッドタイミングだったわ! 危うく寝室に乗りこまれるところだったの」


 それから今後の事を思って涙目になる。


「うう、どうしよう! これ以上は誤魔化しきれないわ!」


 パニクるピアスの肩を、啓介はやんわりと叩く。


「落ち着いて。大丈夫だから」

「どこが大丈夫なの?」


「サーシャが戻って来たからだよ」

「は?」


 ピアスはきょろりと周囲を見回す。


「どこに?」

「ここに」


 啓介が足元を見下ろしたので、ピアスもそちらを見た。すると啓介の影が真横に不自然に伸び、一瞬後、啓介の右隣に金髪の青年が立っていた。

 ピアスは(すみれ)色の目をまん丸にする。


「サーシャなの?」

「そうだよ、お嬢さん。ただし、この姿の時はリオンでお願い出来るかい?」

「……なんなの、その変な喋り方」


 この面倒な時に。ピアスがじと目でサーシャリオンを睨むと、サーシャリオンは肩をすくめる。


「本当にノリが悪いな。ケイは付き合ってくれるのに」

「面白いから、乗ってあげようよ、ピアス」

「ケイって大物よね……」


 変な所で心が広いのだから。いや、面白がっているだけか。

 啓介は小さく笑い、サーシャリオンを見る。


「神官さんが来る直前に現れて、ほんとにびっくりしたよ」

「詳しい話は後でしよう。――ふむ」


 白手袋のはまった手を顎に当て、少し考え込んだサーシャリオンの体が吹雪に包まれる。思わず一歩後ろに下がったピアスは、吹雪が消えた場所にフランジェスカが立っているのに驚いた。


「どうだ? フランジェスカにそっくりか?」


 肩で切り揃えられた真っ直ぐした青みがかった黒い髪、釣り上がり気味の怜悧(れいり)な目元と、シャープな面立ちをした女性。左頬にある、右から左へざっくりとある斜めの切り傷と、日に焼け気味な白い肌。赤茶色の上衣(じょうい)と、黒いズボン、腰に()いている長剣も同じだ。

 上から下までじっくり観察したピアスは、“フランジェスカ”の目が深い青色ではなく、光の加減で、銀や青や緑に見える不可思議な目をしているのを目にとめて、別人だと認識した。


「……サーシャ、よね?」

「ああ。化けてみた」


 声まで同じだ。すごい。

 猫みたいに笑い、フランジェスカの姿をしたサーシャリオンは、すたすたと奥の部屋に向かう。


「目だけは変えられぬからな、具合が悪いフリは好都合だ。私は隣室で寝ているから、神官は普通に寄越していい」


 喋り方まで同じにしたサーシャリオンは本物にしか思えなくて、ピアスは軽く混乱しそうになる。


「サーシャってすごいのね……。流石は魔王様」


 ぽかんと呟くピアスに、啓介は心底楽しそうに笑いかける。


「うん。面白くて良いよね」

「……ええ」


 確かに面白いけれど、なんだか拍子抜けしてしまう。


「サーシャのお陰で旅がすごく楽だよ。良い仲間を持って良かったな」


 にこにこと笑う啓介。


「本人、暇潰しだけどさ」

「そこが一番すごいわよね」


 旅のサポート、身代わり、戦闘のフォローにモンスター達との遣り取り。色々と手助けしてくれるそれが、単なる暇潰しだというのだから、世の中は不思議に溢れている。


      *


 誤魔化しに成功し、食事を摂ると、啓介は神官達に頼んでお茶とフランジェスカの為の軽食の用意をして貰い、話し合いがあるからとピアスとフランジェスカの方の客室にいた。

 扉に鍵をしっかりかけた部屋で、サーシャリオンが用意された芋のスープに手をつけ、その横でポイズンキャット姿のフランジェスカが、ジャガイモに似た芋をスライスにして焼いたものに塩がかけられたものを、床に置いた皿に鼻先を突っ込んで食べている。

 猫好きな啓介はその様子に癒されながら、サーシャリオンから話を一通り聞いた。


「なるほどね。じゃあ、修太達は、この国の東の方にいるわけか。〈氷雪の樹海〉かぁ、行ってみたいな」


 啓介の言葉に、フランジェスカがぴくりと顔を上げる。


「にゃあ、にゃあにゃあにゃー」


 何か主張して鳴くのを、サーシャリオンが通訳する。


「そこから更に東に行った所にある山に、緑柱石の魔女(エメラルド・ウィッチ)が棲んでいるそうだぞ」

「フランジェスカさんに呪いをかけたっていう魔女ね?」


 ピアスが問うと、フランジェスカは

「ふぎっ」

と短く鳴いて頷いた。青と紺と白の三毛柄は不思議だが、悪魔みたいな(かぎ)状の尻尾も、蝙蝠(こうもり)みたいな羽も可愛らしい。嫌われ者のモンスターだなんて信じられない。


「じゃ、ここを出たら、そっちに行こうか」

「賛成~」

「うにゃ!」

「右に同じ」


 啓介の提案には、すかさず全員が肯定を返した。

 サーシャリオンは茶器に手を伸ばし、遠慮なく香り高い紅茶を飲みながら言う。


「だが、ケイよ。それ以外にも断片はある。ちょうどいい位置にな」

「え、どこに?」

「ここの庭だ」

「えっ」


 啓介はサーシャリオンを凝視する。ピアスも目を瞬いた。


「そこの窓から、見えるだろう? ほれ、青い光を放っておるそれだ」


「ブギッ!?」


 軽いノリで窓を示すサーシャリオンの言葉に、フランジェスカがくしゃみみたいな変な声を出した。


「フギギギ、フグググ? ウニャニャニャ、ブミャン!」


「回収だなんて恐れ多い? だが、そうせねば世界が滅びるぞ? 大体、ソレは太古の昔からそこに生えておっただけで、そこに人間が住み着いたのだ。後に来た者に指図されるいわれはないな」


「ブミャア、フギィ……」


 冷たく返すサーシャリオンの言葉に、何やら耳をぺたんと寝かせ、フランジェスカは落ち込んだようにうなだれた。

 いったいどうしたんだと首を傾げながら、窓から外を見る。

 すると、確かに青い光を放つ白い幹と葉を持つ樹があった。二階であるここに、梢が届くか否かという背の低い木であるが、その存在感は圧倒的で、神々しい気に満ちている。


聖樹(せいじゅ)オルファーレニアン。オルファーレンの子という意味のエターナル語で、人間はそう呼んでいる。我らモンスターは、灯の木と呼んでいるものだ。闇堕(やみお)ちしたモンスターを救う手段として、オルファーレン様が地上に賜ったもので、霊樹(れいじゅ)リヴァエルの枝を挿し木したものだ。だから、どちらかといえば、オルファーレニアンではなく、リヴァエリアンと評すべきだな」


「ニャニャニャン!?」


 そういう意味だったのか。驚いたフランジェスカが目を丸くしてサーシャリオンを見上げた。


「ええと、それって〈黒〉と同じってこと?」


 啓介の問いに、サーシャリオンはゆるゆると首を振る。


「ある一定距離までモンスターが近付くと、そのモンスターの身にたまった毒素を強制的に浄化する作用のある木だ。だから、木の周辺では闇堕ちしたモンスターが出ることはほとんどない。否、だからこそ、人間がその木を勝手に聖樹と崇めて住み着いたのだ。昔は、聖都と言われて栄えていた頃もあったな。千年は前か」


 あの時は白教はなかったから、随分平和だった。

 しみじみと語るサーシャリオン。


「……それ、回収しちゃったら大事にならない?」


 冷や汗をかきながら、啓介は問う。サーシャリオンはどうでも良さそうに返す。


「そうなるが、そうせねば世界が滅びるぞ? それに、今は王都が広がりすぎて、効果範囲内にモンスターは近付けないから無駄もいいところだ。白教徒は聖地と称してここを本拠地に構えているし、宝の持ち腐れだな。とっとと回収してしまえ。困るのは白教徒くらいだ」


「つまりパスリル王国民全員じゃないか……」


 ひくりと頬を引きつらせる。

 聖地ということは、熱心な信徒にとっての精神的な拠り所という意味だ。啓介は頭痛と目眩を覚えた。

 さっきフランジェスカが何か抗議していたのは、このことだったのだろう。


「回収する時は用意周到にしなきゃ、私達、殺されるわよ……」


 ピアスなど、青ざめて両腕で身体を抱えるようにして、ぶるりと身を震わせる。

 啓介自身も武器を持った人々に押しかけられる想像をしてしまい、悪寒が増した。


「と、とりあえず。それは後回しにするとして……。明日には王都を出ようと思うんだけど、どうかな?」

「いいと思います!」


 右手をちょこんと上げ、ピアスが主張した。


「にゃあ……」

「どうした、フランジェスカ」


 サーシャリオンが問い、フランジェスカは床に座ったまま言う。


「にゃー、うみゃにゃにゃ」

「ケイ、フランジェスカは父親と親友に会ってから出て行きたいそうだぞ」

「もちろん良いよ。じゃあ、フランジェスカさんのお父さんに会って、友達にも会ったら王都を出よう」

「聖樹はどうするのだ?」


 サーシャリオンの問いに、啓介は頬を指でかく。


「うーん。とりあえず、その用事を片付けてからにしない? サーシャ、協力してよ。影の中、移動出来るんなら、ひょいと来て、ひょいと回収して逃げれると思うんだけど」


 とても良い提案だと思ったが、サーシャリオンは渋い顔をする。と言っても、フランジェスカの顔なのだが。


「影の道は、出来るだけ生きている者を通したくはないのだがな。うっかり帰れなくなる可能性もあるのだ」

「……どういう意味?」


 ピアスが眉を寄せる。


「死ぬということだ」

「……うぐ」


 啓介は潰れた声を出す。


「だが、この場合は仕方ないか。そなた一人だけで良いなら、ひょいと通してひょいと帰してやろう。それ以外は、やむを得ない緊急事態のみだ。よいな?」


 サーシャリオンの念押しに、啓介は大きく頷いた。その一方でピアスは不思議そうだ。


「シューター君達のことは緊急事態なの?」


「そなたは馬鹿なのか? 〈黒〉を危険にさらさないようにするなら、こうするのが一番良い。セーセレティーからパスリルへモンスターに運ばせても、人であるから休憩をせねば身が持たぬし、そうすると危険度も上がるだろう?」


「むぅ。悪かったわね。でも馬鹿って言わないでよ」


 ピアスはむくれて頬を膨らませる。だがサーシャリオンは取り合わないで続ける。


「シューターやコウは平気だったが、黒狼族達は見事に魔力酔いでしばらく麻痺状態だ。そんな場所だからな、通らせないに越したことは無い。だが、シューターの側にいる有力な護衛が黒狼族だ。黒狼族は、灰狼(かいろう)族と違ってこちらでは悪魔呼ばわりだからな、普通に旅させても目立つ。難儀な国だよ、全く。シューターは出来るだけ樹海から動かさないから、心しておけ」


 ピアスは呆れかえって、肩をすくめる。


「全くもう、黒狼族の人達といい、あなたといい、ほんとシューター君に激甘よね」

「何を言う。我はケイにも甘い。それに我はモンスターだから、〈黒〉には自然と甘くなるのだ。そうせねばならぬと本能が言うのでな」


 啓介は目を瞬く。


「そうなの?」


「ああ。それに不出来な子ほど可愛いと言うだろう? シューターは体調を崩しやすくて手がかかるが、だから余計に気になるのもある。しかし、そなたの面白いところも大好きだから、シューターを贔屓しているわけではないから気にするなよ?」


「いや、それは別に良いんだけど……」


 何故か幼子(おさなご)にするように頭をよしよしと撫でられて、啓介は居心地悪く苦笑いを浮かべる。

 もしかして、サーシャリオンは啓介や修太のことを我が子のように見ているのだろうか……。謎だ。


「えー……と。とにかく、明日の予定は決まりだから、これでいいね?」


 最後に確認をとると、全員、大きく頷いた。

 よし、決まりだ。

 明日はフランジェスカの実家に行くぞ。前に鍛冶屋だと言っていたけれど、どんな所なんだろう。楽しみだ。


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