反重力鉄道の始発便に、私だけ乗せないつもりですか? ~婚約破棄されたので、聖女権限で異世界最速の鉄道ごと去ります。なお苦情は受け付けません~【短編版・連載版あります!】
「──アステリア。お前との婚約を破棄する。この反重力鉄道の完成披露式、その始発便に、お前の席はない」
空に浮かぶ魔導レールを背に、王太子ジェラルドが高らかに宣言した。
地上二十メートルの宙を疾走する、この世界で最も速い交通革命──反重力鉄道。その完成披露式の壇上で、私は群衆の視線を一身に浴びていた。
(制御盤の応答が、また三秒遅い。整備班に伝えておかないと……いえ、もう私の仕事ではないのだったかしら)
頭の片隅で、そんなことを考えていた。
私、アステリア・ヴェルンハート公爵令嬢は、前世で日本の鉄道技術者だった。ホームで人身事故の巻き添えになって死に、目が覚めたらこの世界にいた。
そして七年。『浮遊魔石の共鳴制御』という前世の知識を応用し、この反重力鉄道を──独力で設計し、敷設した。
そう。これは、私の作品だ。
「この栄光の始発便にふさわしいのは、私よ。地味で愛想のない婚約者では、この晴れ舞台に釣り合いませんもの」
ジェラルドの隣で、侯爵令嬢ミレーヌが緋色の巻き髪を揺らして勝ち誇る。鉄道の仕組みも、七年分の労苦も、何ひとつ知らない女が。
「分かるな、アステリア? これは慈悲だ。お前のような女に、この大事業の栄光は重すぎる」
群衆がくすくすと笑う。功績はすべてジェラルドとミレーヌのもの。私はただ、切り捨てられる駒だった。
でも、いいのだ。
私は淡々と、スカートの裾をつまんで一礼した。
「承知いたしました。では、私はこれで失礼を」
「あら、泣きも縋りもしないの? 可愛げのない女。まあ、去る者を引き止める趣味はございませんわ」
氷のように静かな退場。誰も知らない。この鉄道の“核”が、誰と繋がっているのかを。
(愛はいりません。私の鉄道が返ってくれば、それでいい)
背を向けて歩き出す私の唇に、ほんの微かな笑みが浮かんでいたことに──気づいた者は、一人もいなかった。
※※※
「お嬢様の七年を、あの方々は一日で汚したのですね」
屋敷に戻ると、専属侍女のエルナが唇を噛んでいた。栗色の髪をきっちりまとめた実直な彼女は、深夜まで設計図に向かう私の背中を、誰より近くで見てきた人だ。
「怒らないの、エルナ」
「怒っております。冷ややかに、静かに。……ご指示通り、実験記録も設計図の写しも、隣国技師団との書簡も、すべて保全済みです」
そう言って、彼女は分厚い記録の束を机に置いた。七年分の実験記録。魔導署名入りの全設計図の写し。そして隣国技師団との書簡。
「ありがとう。完璧ね。……エルナ、明日の始発便、乗客名簿は?」
「満員でございます。王太子殿下とミレーヌ様が最前列。あとは……喜んで乗り込む貴族の方々ばかりかと」
「そう。では、その列車を復旧できる技術者は?」
エルナが、静かに答えた。
「この世に……お嬢様、お一人です」
私は認証端末をそっと撫でた。掌ほどの、魔石をはめ込んだ機構。
この反重力鉄道の心臓──中央浮遊魔石は、『所有者認証式』の契約魔法で結ばれている。設計者たる私個人と。
設計者が安全装置を握るのは当然のこと。誰もそこに疑問を持たなかった。ジェラルドも、ミレーヌも、国王陛下でさえ。
(安全のための仕組み。でも──安全を“止める”こともできる仕組み)
「制御盤の応答が三秒遅い、と申し上げたわね。あれは整備不良ではないのよ」
「では?」
「私が、そう調律しておいたの。──明日、始発便が発車したら」
窓の外、宙に浮かぶ魔導レールが夕陽に光っていた。
「私の鉄道は、私の許しなしには一歩も動かないわ」
※※※
発車ベルが鳴り響いた。
完成披露式、翌朝。満員の始発便が、宙に浮かぶ魔導レールへと滑り出す。最前列で、ジェラルドとミレーヌが群衆に手を振っている。
「見よ! これぞ我が王国の叡智だ!」
(あなたの叡智ではありませんけれどね)
私は遠く離れた駅舎の展望台から、それを眺めていた。前世で、何度も見た光景。始発便が走り出す、あの朝の風景。
列車が地上二十メートルに達した、その瞬間。
──ぴたり。
全車両が、静かに停止した。
悲鳴も、衝撃もない。ただ、宙で凍りついたように動きを止める。浮遊魔石が、所有者を失った命令を拒否したのだ。
「な……なぜ動かない!? おい、動かせ! 早く動かさんか!」
ジェラルドの声が、風に乗って微かに届く。青ざめた顔で制御盤に群がる技術者たち。だが誰一人、応答を引き出せない。
「アステリアを呼び戻せ! いえ、あの女が何かしたに違いないわ!」
ミレーヌが喚き散らす。他責の言葉。相変わらずね。
(正解よ、ミレーヌ。“あの女”が、すべてしたの)
私は認証端末に、そっと指を添えた。魔石が私の魔力に呼応し、淡く光る。
乗客たちは無事だ。停止は安全な状態で行われている。落ちることも、揺れることもない。ただ──動かないだけ。
そして、動かせるのは、この世でただ一人。
私は端末に向かって、静かに囁いた。
「さあ。誰が、頭を下げに来るのかしら」
風が、プラチナブロンドを揺らした。七年ぶりに、心から呼吸ができた気がした。
※※※
駅舎の展望台に、慌ただしい足音が駆け上がってきた。
息を切らした王太子ジェラルド、国王オルドリック、そして重臣たち。ミレーヌも青い顔で続く。
「アステリア! 貴様、鉄道に何をした!」
私は認証端末に指を添えたまま、振り向きもしない。
「何もしておりません。ただ、鉄道が“正しい所有者”を求めているだけです」
「所有者だと?」
「中央浮遊魔石は、契約魔法で私個人と結ばれています。設計者が安全装置を握る──当然のことでしょう? どなたも、疑問に思われなかったようですが」
国王の顔色が変わった。この老王は、暗愚ではない。
「……署名を。魔導署名を見せよ」
エルナが進み出て、記録の束を広げた。
「こちらに。全設計図に刻まれた、お嬢様直筆の魔導署名。七年分の実験記録。そして──隣国技師団の証言もございます。この鉄道の設計者が、ヴェルンハート公爵令嬢ただ一人であるという」
「そ、そんなの捏造よ! 私が、私こそが──」
「では、ミレーヌ様。浮遊魔石の共鳴周波数を、この場で調律してごらんになって?」
沈黙。
「そ、それは……」
彼女は魔石に触れることすらできない。
「……できませんわよね。当然です。あなたは何一つ、ご存じないのですから」
国王が、深く目を閉じた。
「アステリア嬢。……乗客を、降ろせるか」
「できます。安全に、全員を」
私は初めて振り返り、氷青の瞳で彼らを見据えた。
「──ただし、私の名誉と対価を返すなら、ですが」
言葉を切り、静かに付け加える。
「なお、苦情は受け付けません」
※※※
国王オルドリックの決断は、早かった。
「ジェラルド。お前を廃嫡する」
「ち、父上!? なぜ私が──」
「功績横領。冤罪。国家事業の詐称。……この国の未来を、お前は栄光欲しさに売り渡した」
ジェラルドの膝が崩れる。栄光の壇上で私を嘲笑った男が、今は宙に浮いた列車を背に、青ざめて震えていた。
「そしてカサンドル侯爵家」国王の声は氷のようだった。「事業詐称の罪により、爵位を剥奪する。隣国技師団の証言、魔導署名、すべてが揃っている」
「い、いや! いやよ! こんなの認めない!」
ミレーヌが泣き喚くが、もう誰も彼女を見ていなかった。虚栄で飾った令嬢の末路を、群衆はただ冷ややかに眺めている。
国王が、私の前に歩み出た。そして──白髪の頭を、深く下げた。
「アステリア嬢。我が国は、取り返しのつかぬ愚を犯した。この老いぼれの目は曇っていた。……許してほしいとは言わぬ。だが、頼む。乗客だけは」
「乗客は、私の鉄道に乗ってくださった方々です。危険に晒すつもりは、最初からございません」
私は認証端末を操作した。魔石が呼応し、宙で凍りついていた列車が、ゆっくりと──滑らかに、地上へと降りていく。
悲鳴ひとつ上がらない、完璧な着地。
乗客たちが安堵の声を上げる中、私は端末を閉じた。
「これで、私の仕事は終わりです」
「待ってくれ。この鉄道を、この国を──君なくして、どうすれば」
私は答えなかった。ただ、静かに一礼する。あの日と、同じように。
「では、私はこれで失礼を」
七年前と同じ言葉。けれど、その意味は、まるで違っていた。
※※※
駅舎を出た私を、待っていた人物がいた。
漆黒の髪。長身。そして──感情が高ぶると微かに金色に光る、竜眼。
「レオンハルト・ドラクヴァル卿」
隣国の若き工学卿にして、竜人の血を引く男。社交界では『冷徹な交渉屋』『情を持たぬ工学卿』と恐れられている。
「見事だった」彼は言った。「王太子とあの令嬢の嘘は、最初から匂いで分かっていた。竜人はね、偽りの匂いを嗅ぎ分ける。……だが、証拠がなければ動けなかった。君は、自分の手で全部ひっくり返した」
「証言をいただいた技師団は、あなたの手配でしたね」
「ああ。少しだけ、後押しをした。……アステリア、これを覚えているか」
彼は肩から下げた古い革製の図面筒を、そっと開いた。中から取り出したのは──色褪せた、一枚の設計図の写し。
「……それは、私の初期の設計図。技師交流会で公開した、まだ荒削りな一枚。なぜ、あなたが」
「余白に、メモがあった」レオンハルトの声が、わずかに揺れた。「『ただ美しい景色を、誰かに見せたい』──そう書いてあった。俺はその一行に、撃ち抜かれたんだ。冷徹だの交渉屋だの言われる男が、まさかな」
心臓が、跳ねた。前世で叶わなかった夢。無意識に書き留めた、一行。
(前世で叶わなかった夢。無意識に書き留めた、一行を──この人は)
竜眼が、金色に光る。不器用に、けれど真っ直ぐに。
「その鉄道、我が国で走らせないか。技師長も──隣に座る者も、君が選べばいい」
遠回りな告白だと、すぐに分かった。
「……ふふ。そんな口説き文句で、よく交渉屋が務まりますこと」
私は、七年ぶりに──ほんとうに、笑った。
※※※
始発便が、発車のベルを鳴らす。
ただし今度は、王国のものではない。中央浮遊魔石ごと──契約魔法で結ばれた私の鉄道は、正当な所有者とともに、隣国へと路線を延ばしていく。
「本当に、よろしいのですか、お嬢様」
隣でエルナが尋ねる。栗色の髪の忠実な侍女も、当然のように隣国行きの列車に乗り込んでいた。
「ええ。この国に、もう未練はないもの」
窓の外、遠ざかっていく王城。廃嫡された王太子、失墜した侯爵家、そして遅れて悟った老王。すべてを置いて、私の始発便は宙を駆ける。
地上二十メートル。前世で夢見た、いちばん美しい高さから見る風景。
「アステリア」
向かいの席で、レオンハルトが図面筒を膝に置いて座っていた。竜眼が、穏やかに私を映している。
「行き先は?」
私は少し考え、それから──前世でも、今世でも叶わなかった夢を、口にした。
「まだ誰も見たことのない場所へ」
「ほう」
「山を越えて、海を渡って。反重力鉄道なら、どこまでだって行けます。空に浮かぶレールに、行き止まりはありませんから」
私は認証端末をそっと撫でた。もう、誰にも奪われない。私の技術も、私の名誉も、私の夢も。
「──次の路線を、敷きましょう」
レオンハルトが、微かに笑った。竜眼の金色が、朝の光に溶ける。
「技師長として? それとも、隣に座る者として?」
「両方、と申し上げたら?」
「……っ。そ、それは、その……」
冷徹な交渉屋が、真っ赤になって俯く。その不器用さが、少しだけ愛おしかった。
窓の外を、雲が流れていく。
始発便に、私の席はない──そう言った人がいたわね。
いいえ。この始発便は、最初から、ぜんぶ私のものだったのです。
(さあ。世界でいちばん速い旅の、始まりよ)
──反重力鉄道、次なる路線へ。続きは、また別の朝に。




