ブラック魔王軍、なお勇者はホワイトの模様
魔王城・大会議室。
朝九時。定例会議が始まる。
「では本日の議題、世界征服第三フェーズについて」
威厳に満ちた玉座に座るのは、魔王ゼルヴァイン。
漆黒のマント、赤く光る双眸、圧倒的な魔力を纏う、この世界の恐怖の象徴。
――なお、胃痛持ちである。
「まずは北方王国への侵略を再開する。四天王を全員投入し、一気に――」
「却下です」
即答だった。
魔王の言葉を遮ったのは、経理部長グラディス。
細身の悪魔。銀縁眼鏡。常に書類の束を抱えている。そして何より――冷酷である。
「四天王同時出動は人件費が予算を超過します。今期は既に三千万ゴールドの赤字です」
「三千万だと!? 先月は黒字だったはずだが!」
「先月の"うっかり火山噴火イベント"が想定外の損失を出しました」
「あれは盛り上がっただろう! 士気も上がった!」
「保険未加入です」
会議室が静まり返る。
四天王たちが顔を見合わせる。
炎の四天王フレイムが小さく手を挙げた。
「あの、魔王様……残業代の件なんですが」
「後でだ」
「既に今月三百時間を超えているんですけど」
「後でだと言っている!」
氷の四天王フロストが呟く。
「俺たち、契約社員なんだけどな……」
雷の四天王ボルトが机を叩いた。
「しかも社会保険未加入! この前ケガしたときの治療費、自腹だぞ!」
風の四天王ゲイルは黙って書類を見ていた。退職届である。
魔王はこめかみを押さえた。
「わかった、わかった。では最終兵器《終焉の獣》を投入する。これで一気に王国を――」
「減価償却の対象外です」
「なぜだ! あれは我が軍最大の資産だぞ!」
「感情で作られた兵器は固定資産として計上できません。税務署に確認済みです」
「税務署って何だ! そんなものがあるのか!?」
「あります」
バン、と分厚い書類が机に置かれる。
「さらに天界より監査が入ります」
「……は?」
「コンプライアンス違反の疑いです。魔獣の労働契約が曖昧だと指摘されました」
「魔獣に契約書が必要なのか!?」
「現代では必要です。業務委託契約書、安全衛生管理規定、損害賠償責任保険の加入証明――」
「もういい!」
魔王は立ち上がった。
「総務部! 魔獣の契約書を至急作成しろ!」
総務部長の小鬼が青ざめて答える。
「魔王様、魔獣は五千体います……」
「五千枚書け!」
「印刷機が壊れてます!」
「直せ!」
「修理予算が……」
「ない、と言うのか?」
総務部長はグラディスを見る。
グラディスは静かに頷いた。
「ありません」
魔王は崩れ落ちそうになった。
人事部長の吸血鬼エリザベートが手を挙げる。
「魔王様、採用の件ですが」
「今それどころでは――」
「四天王の欠員補充が必要です。ゲイル様が来月退職されます」
全員がゲイルを見る。
ゲイルは無表情で頷いた。
「ホワイト企業に転職します」
「裏切り者!」とフレイム。
「お前だけ逃げるのか!」とボルト。
「……俺も辞めようかな」とフロスト。
魔王は頭を抱えた。
「わかった。採用活動を開始しろ。求人は――」
「出しています」とエリザベート。「ですが応募者ゼロです」
「なぜだ! 四天王だぞ! 名誉ある地位だ!」
「月休一日、残業代なし、契約社員、昇給なし――誰が来ますか」
「ぐっ……」
その時、城門の方角から爆音が響いた。
兵士が駆け込んでくる。
「報告! 勇者が単騎で侵入! 現在正門を突破!」
「よし、迎撃だ!」
魔王が立ち上がる。
「全軍に迎撃命令を――」
「迎撃予算は?」
グラディスの声が響く。
全員が固まる。
「今期の戦闘予算は既に使い切りました」
「では……どうしろと!」
「見積書を提出してください。稟議を通します」
「戦闘中だぞ!?」
「規則です」
魔王は天を仰いだ。
「見積書のフォーマットは!?」
「総務にあります」
「総務!」
「印刷機が壊れてます!」
「手書きでいい! 至急持ってこい!」
その時、会議室の扉が吹き飛んだ。
光の中から現れたのは、勇者。
白銀の鎧、聖剣を携えた青年。爽やかな笑顔。
「魔王! 貴様の悪政も今日までだ!」
「ちょうどいいところに来た!」
魔王は立ち上がる。
「勇者よ! 討伐の前に一つ聞きたい!」
「何だ!」
「見積書を出せ!」
「……は?」
「お前の討伐活動、正規の手続きを経ているのか! 無断侵入は不法侵入罪だぞ! 城門の修理費はどうする! 損害賠償は!」
「知らん! 悪は滅ぼす! それだけだ!」
グラディスが前に出る。
「勇者様、まずこちらにサインを」
「なんだそれは!」
「戦闘前合意書です。戦闘時間は二時間以内。超過分は延長料金が発生します」
「誰が払う!」
「そちらの王国にご請求します」
「払うわけないだろう!」
「では戦闘は中止です」
勇者が剣を構える。
「問答無用!」
「待て待て待て!」
魔王が二人の間に入った。
「勇者、お前……どこの所属だ」
「王国直属の勇者だ」
「福利厚生は?」
「完全週休二日制、残業代全額支給、社会保険完備、ボーナス年三回――」
「ホワイトじゃないか!」
魔王は崩れ落ちた。
「我が軍は……月休一日……残業代未払い……四天王は契約社員……魔獣は業務委託……」
「魔王様!?」
四天王が駆け寄る。
勇者が剣を下ろした。
「……お前、労基入ったほうがいいぞ」
「労基とは?」
「労働基準監督署だ。ブラック企業を取り締まる――」
その瞬間。
城の上空に眩い光が差した。
現れたのは白い衣をまとった天使の集団。
先頭の天使が宣言する。
「天界労働基準監査局です」
会議室が凍りつく。
グラディスすら、わずかに表情を変えた。
天使が書類を読み上げる。
「魔王城、是正勧告を出します。第一に、残業時間の削減。第二に、契約書の整備。第三に、社会保険の加入。第四に――」
「侵略活動の適正化」
「侵略活動の適正化とは何だ!?」
「計画的に行ってください。無許可の侵略は違法です」
「侵略に許可が必要なのか!?」
「現代では必要です」
魔王はがっくりと膝をついた。
「……世界征服は、ホワイト化してからだ」
勇者は静かに頷く。
「その時は、改めて戦おう」
「ああ……有給を取ってな」
天使が続ける。
「なお、是正されない場合は強制執行します」
「何をする気だ!」
「天界による直接統治です」
全員が震え上がった。
グラディスが一歩前に出る。
「……承知しました。改善計画書を提出します」
天使は頷いて去っていった。
会議室に重い沈黙が降りる。
魔王がぽつりと呟いた。
「……もう疲れた」
「魔王様……」
「世界征服より、まず労働環境の改善だ。経理部長」
「はい」
「週休二日制を導入する。残業代は全額支給。四天王は正社員に――」
「無理です」
「なぜだ!」
「予算がありません。世界征服を中止するなら、収入源がなくなります」
「では――」
「副業を許可しましょう」
フレイムが目を輝かせた。
「副業!?」
「四天王の皆様には、外部での傭兵活動を推奨します。ただし確定申告は各自で」
「それはブラックじゃないのか!?」
誰かが呟いた。
グラディスは答えなかった。
勇者がそっと退室する。
「……じゃあ俺、帰るわ」
「待て勇者! 戦闘は!?」
「今日はやめとく。お前ら、それどころじゃないだろ」
「すまない……」
勇者は去り際に言った。
「来月また来る。その時までに、ちょっとは休めよ」
「……ありがとう」
こうして。
魔王軍は一時、侵略活動を停止した。
最大の敵は勇者ではなかった。
経理と監査、そして労働環境である。
翌週、魔王城は週休二日制を試験導入した。
残業時間は月八十時間を上限とする規則が設けられた。
四天王には労働契約書が交付され、社会保険の加入手続きが始まった。
魔獣たちには業務委託契約書が配られた(手書きで)。
総務部は新しい印刷機の購入を決定した(分割払い)。
そして――
経理部長グラディスは、静かに微笑んだ。
「改革は、これからです」
――後日談――
魔王城の休憩室。
コーヒーを飲むフレイム、フロスト、ボルト。
ゲイルの席は空いている。
「なあ」とフレイム。
「この前の改革、おかしくないか?」
「何がだ」とボルト。
「休みは増えた。だが給料は減った」
「ああ……」
フロストが頷く。
「残業代は出るようになったが、残業そのものが禁止された」
「結果、収入は前より下がった」
三人が顔を見合わせる。
「……これって」
「ブラックのままじゃないか?」
その時、背後から声がした。
「気づきましたか」
グラディス。
三人が振り返る。
「経理部長……!」
「ホワイト化とは、見せ方の問題です。実態は変わりません」
「お前……!」
グラディスは微笑む。
「魔王様は優しすぎるのです。だから私が、この城を守る」
そして静かに去っていった。
残された三人は、黙ってコーヒーを飲んだ。
「……転職活動、再開するか」
「だな」
世界征服は、まだ遠い。
そして魔王軍のホワイト化も、まだ遠い。
真の敵は、内部にいた。
――完――
なお翌月、勇者は約束通り魔王城を訪れた。
だが戦闘は行われなかった。
魔王が過労で倒れていたからである。
勇者は見舞いの花を置いて帰った。
侵略は、来期へ持ち越しとなった。
おしまい。




