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虎の息吹

朝の白虎隊舎には、洗いたての制服の匂いと、

かすかな雨の残り香が漂っていた。


空はまだ曇っている。

昨夜まで降っていた雨が、

石畳に小さな光を映していた。



「隊長、今日って晴れるんですかね?」


食堂の窓辺で、

白瀬かのんがトーストをかじりながら空を見上げる。


その隣で、新聞をたたんだ白瀧隊長が小さく笑った。


「そうだね。雲が東に流れてる。

 風の向きが変わったから、午後には晴れるよ。」


「へえ……そういうの、分かるんですね。」


「昔、屋外勤務が長かったからね。

 雨の匂いって、案外正直なんだ。」


白瀧はそう言って窓を少し開ける。

湿った風が、銀の髪を揺らした。


かのんは何気なくその横顔を見上げた。

隊長というより、

どこか“優しい教師”のようにも見える。



「……白瀧隊長って、よく空を見てますね。」


「空を見ると落ち着くんだ。

 人は下を見て生きる時間が多いから、

たまには上を見ないと。」


「哲学ですか?」


「ただの癖だよ。」


そう言って笑う顔がやけに穏やかで、

かのんは少し目を細めた。



神選組――政府非公開の特務組織。

人に害を成す

神禍しんか”と呼ばれる現象を鎮める者たち。


その中でも白虎隊は、戦闘力に特化した部隊だった。


今日もどこかで神禍が発生し、

白瀧隊長のもとには報告が届く。


「また出たみたいです、東区の方に。」


「分かった。現場には僕が出る。

かのんは同行してくれ。」


「えっ……! あ、はいっ!」


返事はしたものの、かのんはまだ訓練生のような立場。

神紋があるはずなのに、その力を扱えない。


それでも、

白瀧隊長の「そばにいなさい」という一言で、

いつも現場に同行していた。



東区。

かつては商店街だった場所が

、今は立ち入り禁止区域になっている。


空気の匂いが、どこか焦げ臭い。

白瀧は腰の刀を軽く抜いた。


「風が止んだね。」


「はい……なんか、息が詰まる感じ。」


「神禍が近い証拠だよ。」


その瞬間――。

アスファルトの隙間が、不気味に膨れ上がる。


黒い液体のような影が、泡立ちながら地表を這った。

やがて人の形を成し、無数の眼が開く。


「う、嘘……これ、全部……?」


「祈りを忘れた神々の残響だ。

 もう“声”を持たない者たちだよ。」


白瀧は言い終えると同時に、刀を抜いた。

その動作は静かで、風のように滑らかだった。


刃が一閃。

空気が震え、黒い影が音もなく裂けた。


残った影が唸りを上げて襲いかかる。

白瀧は踏み込みながら腰のホルスターに手を伸ばす。

銀の銃身が陽光を受け、淡く光った。


「かのん、下がって。」


乾いた銃声が夜明けの街に響く。

弾丸が神禍の中心を貫くたびに、

影が白い光を散らして消える。


だが、次から次へと湧き上がる黒い霧。

かのんは息を呑んだ。

その姿は、もはや“人”ではない。


「隊長っ、後ろ――!」


「分かってる。」


白瀧は振り向きざまに刀を薙いだ。

銃と刀、近距離と遠距離。

それらが一つの舞のように繋がっていく。


動作の一つ一つに無駄がない。

まるで、何度も

同じ死地をくぐり抜けてきた者の動きだった。


「すごい……」

「怖いかい?」

「ううん、ちょっと……綺麗、かも。」


白瀧は少しだけ笑った。


数分後。

辺りは静まり返った。


地面には霧のような残滓が漂い、やがて風に溶ける。

神禍は、鎮まった。


白瀧は刀を静かに納め、空を仰いだ。


「風が戻ったね。」


「……はい。」

「神禍ってね、人の感情が濁るほど強くなる。

 今日のは“寂しさ”の匂いがした。」


「……寂しさ?」


「この街に祈る人がいなくなって、

神々が名前を忘れられていく。

 誰にも思い出されない存在は、

やがて怒りよりも先に、孤独に沈むんだ。」


その言葉に、かのんは思わず顔を伏せた。


——まるで、自分のことみたい。


家も、家族も、名前すらも失った自分。

忘れられる痛みを、知っている。


「……じゃあ、神禍って、悲しい存在なんですね。」


「そうだね。僕らは、ただそれを鎮めるだけだ。」


白瀧の声が、どこか遠くを見ていた。



帰り道、かのんは沈黙して歩いた。

それを察したように、白瀧がふっと笑う。


「ねえ、かのん。」


「……はい?」


「さっきの猫、見た?」


「猫?」


「ほら、あの瓦屋根の上にいたやつ。」


「えっ、全然……!」


「白い毛に、右目だけ青い猫だった。あれは“神使”の兆しだよ。」


「ほんとですか? それもウンチクですか?」


「たぶん、ただの猫だね。」


「もう……!」


かのんは笑って肩をすくめた。


白瀧はその笑顔を見て、少しだけ目を細める。


——その笑顔がある限り、まだこの世界は救える。



夜。報告書を書き終えた白瀧は、

窓際に立って空を見上げた。

月の光が雲を割り、青白く照らしている。


彼は静かに呟いた。


「白虎よ。今日も守らせてもらったよ。」


背中の虎の痣が、淡く光る。


その光を、隣の部屋でかのんは知らないまま、

安らかな寝息を立てていた。


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