怪盗は1K収納から
今日も、隣がにぎやかだ。
思わず錦心太は文句が口から飛び出した。
「隣、うるっさいなあ」
住んでいる古いアパートの、隣部屋。心太の部屋は一階の一番端っこなので、隣室は一つしかない。
というより、あまりにも古い物件なので、住んでいるのは心太ともう一人しかいない。空き部屋に時々ふらっと外国人が入るが、すぐに出て行く。そんな物件だった。
どん、どん。
地鳴りしたみたいに、壁から天井まできしんでいる。
それもこれも隣の住人のせいだ。
(注意、しにいくか。でもなあ)
気乗りしない。
それというのも、隣の住民はあんまり近寄りたくないタイプの輩だからだ。
錦心太は、平々凡々な青年である。
取り立てて素行は悪くもなく、良くもない。
高校を卒業して働きながら調理専門学校で勉学に励む、いうなればちょっと貧乏な苦学生だった。
それだけならば、まあ、いわゆるごく普通の一般市民である。
だから余計に、クレームを入れるのも小市民的な感性で嫌だなと思うし、そこからご近所トラブルが併発してしまうのも避けたいと思ってしまうのだ。
もし隣人関係の悪化でここを去ることになったとしたら。
超格安の部屋を出ていくのには忍びない。懐事情には代えられない。我慢すればいつか静かになるはずだ。
しかし、心太の我慢を他所に、いよいよもって隣の物音は強く激しくなってきた。
このままだと、心太の部屋ごと倒壊するのではないかというくらい揺れている。地震速報なんてものは出ていないので、間違いなく震源地はお隣である。
修繕費と隣人との関係を天秤にかけて、とうとう修繕費に価値が傾いたのだった。
(いやだなあ)
ぼやきながら、心太は立ち上がって隣の部屋に向かった。
隣の部屋の表札には、『道』と綺麗な楷書体で書いてある。
それを見て、その下にあるインターホンをゆっくりと押した。
ちょっとの間を置いて、ピンポン、と音が鳴る。
しかし、誰も出てこない。声もしない。
「あのー、すみませーん」
控えめにドアをノックして、もう一度インターホンを鳴らす。
すると、部屋の中から堂々とした声が返ってきた。
「どうぞ!」
それと同時に、玄関のドアが開いた。心太が何も触っていないのにも関わらず、ゆっくりとノブが回って蝶番をぎいと軋ませた。
不思議に思ったが、一応注意はしないとという気持ちになっていた心太は、そのまま玄関から部屋の中をのぞいた。
「いやあ、すまない! 今、ちょっとすごいことになっていて」
確かにすごいことになっていた。
心太は部屋を見て、あんぐりと口を開けた。
巨体の男が、部屋奥にある収納に吸い込まれていた。まるで収納から下半身が生えているみたいだった。
ちょうど収納の中央あたりから、水平に下半身が出ている。下半身だけでもわかる筋肉質の立派な足が、バタバタとしている。それが床や壁に当たって、音を立てている。音の原因はこれのようだ。
「錦くん、ちょっと待ってくれたまえ。すぐに戻るはずだ」
「ちょ、ちょっと、それ、大丈夫なんですか」
「私の信心のたまものさ! フンッ、ハアッ!」
言いながらリズミカルに足が大回転した。遠くだというのに熱波と風圧が届いた気がして、心太はそっとキッチン横に入り込んで避けた。
そうこうしているうちに、巨体がぬるりと収納から現れた。
そして何事もなかったかのように、衣服を整えた。
「道さん、何してたんです」
「求道の果てに、ついに私は天恵を与えられたのだ」
心太からすれば会話になっていないのに、道は満足そうにさわやかな笑みを浮かべた。
「錦くん。君にはかつて話したろう? 私が道士を目指したきっかけを……」
「姓と名が道士だから、道士になるっきゃないっていう話でしたよね」
「よく覚えているねえ! 嬉しいよ」
「いや、おとといの話なんで。そんな昔じゃないです」
やたらフレンドリーにアイコンタクトを道がする。心太は視線をそらした。
「そんな私にも幼い頃があってね。青臭い夢があったんだ」
「はあ……道士じゃなくてっすか」
「残念ながら私は根っからの仏教徒で神道の者だ。道教は合わなくてね、それで子どものころには挫折もしたもんさ」
「子どものころに?」
「子どものころに」
太い丸太のような筋肉でできた腕を組んで、道はうなずいた。心太の怪訝な視線はものともせず、遠い目をしている。
「そのとき、担任のハナ子先生が読み聞かせをしてくれたのだ」
すっと、カンフーの胴衣みたいな衣装の懐に手を入れて、道は一冊の絵本を取り出した。
「これだ」
「ねずみ小僧……ですか」
絵本のタイトルを心太が読み上げると、道はきらきらとした眼差しを向けてきた。
「私はこう思ったね。かくありたい! と」
「そっすか」
すでに文句を言いに来た気勢もそがれ、脱力して心太は返した。訳が分からないおかしな人ぶりは健在で、さっきの出来事と合わせて意味が分からない。
しかし、心太はごく普通の一般庶民ながら、人に優しくありなさいと躾けられて生きてきた。
聞いてくれと言わんばかりの道の眼差しに、つい、「それで」と促してしまった。途端、道は生き生きとした。大胸筋もぴくぴくと動いた。
「弱気を助け、強きをくじく。貧しくも清い人々に夢と希望、生きる糧を与える。そんな男に……なりたかった」
「はあ」
「逞しく強く。力を学び、修めそれを役立てる。それもまた道士の生き方だと、私は思っている」
「まあ、はあ」
「そしてこの気持ちを胸に修行をし続けた私は、仙人の力を手に入れた。そう、本当の道士となったのだ。さっきの話だ」
「なっちゃったんですか」
「まあ見ていてくれたまえ、錦くん」
大事に絵本を懐に道がしまう。それから、再び収納の前に立った。
巨体がくねくねと動いて、何やらカンフーのポーズめいたことをしている。
「スェアッ!」
鋭い声を上げて、収納を道が勢いよく開いた。
すると、収納の中は渦が巻いていた。その渦にはいくつかの景色が溶け込んで、ぐるりぐるりと回っている。
道は姿勢を正して、スッと収納の中の渦を手で示した。
「自由に世界を行き来できるようになったのだ」
「うっそじゃん」
思わず正直な感想が飛び出た心太に、道はそうだろうといわんばかりにうなずいた。
「これが証拠だ」
言うなり、道は渦の中に手を伸ばす。
そして手を引き抜くと、ずしりとした革袋が握られていた。そのまま心太に渡される。
中を確認すると、見たこともない文字が描かれた金貨らしきものがぎっしり詰まっている。
(か、金……!? こんな、大量にどうやって!? ま、まさか)
一般苦学生にこの情報量は多すぎる。心太は、まばゆく輝いた金貨を前に手を震わせた。そしてそのまま、片手で革袋をつかみなおして、ポケットからもう片手でスマホを取り出した。
「つ、通報……」
「おおっとぉ! 待つんだ、やましいことではないぞお! 110番はよすんだ!」
必死に言う道と革袋を見比べて、心太は震える手でスマホを操作する手を止めた。
「これは向こうで手に入れたものでね。悪事を働くモンスターから巻き上げたのだ」
「モンスター、から? 強奪?」
「断じて盗みではない。これは襲われた村々の貴重な金品をかっぱらう悪いヤツがいてね、きちんと手紙で陳情して返してもらったのだ。そう、敬愛するねずみ男のように、還元していくのだよ」
「元あった場所に返すなら……まあ?」
そろそろとスマホを心太がおろすと、道は親指を立てて白い歯をきらりと見せた。
「そうだろう。ただね、私だけでは問題もあったんだ。実を言うとどうにも姿を見せると怪しまれてね。こんなに善良な男だというのに」
わからないでもない、と心太は思ったが口にはしなかった。
筋肉もりもりの強面で、謎のパワーを見せながら距離感ゼロでやってくるヤツを見て警戒しないはずがない。
「だが、今、話していて思ったのだ。錦くんの実に無害そうなその出で立ち! 歩いていたら大抵の人から道を尋ねられる印象の普通さ!」
「褒めてますかそれ」
「錦くん、君、仲介してくれたまえよ」
心太は、咄嗟に「嫌だ」と口をついて出そうになった。が、寸でのところで飲み込んだ。
「謝礼としてもらったこの金貨のように、君にも融通しよう。ちゃんと書面で契約にしてもいい」
「……なるほど?」
一般苦学生。収入の話になると弱い。
心太は革袋の重さに揺らいだ。
「安心安全、保険料もこみで。あと向こうでの食費も入れよう」
「前向きに検討させてください」
つい、心太は反射で答えてしまった。
しまったと思っても、もう遅い。
ぱあっと輝く笑顔の道に、肩を組まれた。
「よし。よぉし! 君とは仲良くなれると思っていたんだ。さあ、共に求道の果てまでゆこう!」
テンションの高いムキムキが渦の中へと誘ってくる。
心太は抱えられながら、早々にこの選択を後悔したのだった。
了
「(1次創作向け)ヒーローとヒロインの物語生成ジェネレーター」(https://generatormaker.com/app.php?app=c73vcwwjds66q4)から出たお題で、ワンライをしてみました。
楽しかったです。以下、パッと考えた設定↓
主人公、錦心太
貧乏でも心は錦。おおらかで広い男となる。そんな気持ちで細々暮らしていたが、春先の引越しでお隣に入ってきたやつが騒がしく、とうとう声をかける。
鍵もかかっておらず、なにやら収納棚から大男がでてきていて……。
マッチョ道士、道士
名前から、もう道士になるしかねえ! それには力を修めねば。すなわちパワー!!!!
心太より年上の脳筋ナイスガイ。幼心に怪盗や義賊に感銘を受けて、その力を異世界で使いたいと励んでみるも、もりもりマッチョなので怪しまれていた。
そこで無害そうな印象で平凡な心太と出会ったことで、バディに相応しいのでは!? と閃いた。
人生楽しそう。